岩手に宮沢賢治、柳田国男、尾崎喜八をめぐる


1.東北砕石工場/双思堂文庫−賢治の最後の仕事
2.リアスホール岩手/大船渡市立図書館−リアス式建築
3.遠野市立博物館/遠野市立図書館−『遠野物語』の誕生
4.遠野市立図書館・宮守ゆうYOUソフト館−商工会と同居する図書館
5.岩手県立図書館−光の館
6.一関市立一関図書館−ディープなパワースポット


東北新幹線に乗って、新しい図書館と、宮沢賢治と、柳田国男をめぐる旅をした。

柳田国男の『遠野物語』は1910年に刊行された。2010年に遠野を旅すると、あちこちで「遠野物語100周年」ののぼりやポスターを見かけた。
『遠野物語』は、作家・水野葉舟が遠野の人、佐々木喜善を柳田に引き合わせたことを発端にして生まれた。そのことは『遠野物語』の誕生の経緯としてよくふれられることだが、僕の関心にひきつけていえば、水野葉舟の娘、實子は、詩人・尾崎喜八の妻となった人であった。
また、宮沢賢治は、チェロのひきかたを教えてくれる人を紹介してほしいと、音楽に造詣が深い尾崎喜八を訪れたことがある。喜八はあいにく不在だったが、實子が応対している。
水野葉舟と親しく、一時期、花巻に暮らした高村光太郎も、喜八と實子のことに関係している。
このあたりを歩くことは、僕にとっては尾崎喜八の影を旅することでもある。

柳田国男(1875-1962)
水野葉舟(みずのようしゅう 1883-1947)
高村光太郎(1883-1956)
佐々木喜善(ささき きぜんorきよし 1886-1933)
尾崎喜八(1892-1974)
宮沢賢治(1896-1933)
尾崎實子(おざきみつこ1905-2002)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第1日 陸中松川−大船渡−遠野
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

* 東北新幹線一ノ関駅からJR大船渡線に乗り換え、陸中松川駅で降りる。2両の電車にちょうど座席を埋めるくらいの乗客がいたが、ここで降りたのは僕ひとり。

■ 東北砕石工場/双思堂文庫
岩手県一関市東山町松川字滝ノ沢
tel. 0191-47-3655(太陽と風の家)


宮沢賢治が農業の理想を実現するために尽くした工場で、賢治はここの製品を持ってセールスにでかけた先の東京で倒れ、亡くなった。
増築を重ねた木造の建物が複雑な造形をしている。
熱い日だったが、地下の坑道はひんやりしていた。

双思堂文庫は、砕石工場と縁があった鈴木實と、宇宙物理学者で宮澤賢治研究者の齋藤文一が寄贈した図書を公開している。
宮沢賢治につながる文学や哲学や地質学や天文学の図書が並んでいる。
マイクロバスで来ていた団体はわりと近くから来た人たちらしく、ひとりの女性が「みのるさんはこんなふうに歩く人だったよ」と、フリをしながら親しみをこめて同行者に話していた。
説明を読むと偉い故人としか見えなかった人が、なるほどこのように親しまれていた人だったかと、いくらか近づいて感じられた。

工場で働いていた人たちが集まっていたので、記念写真に加えてもらう。

● ひまわり食堂
砕石工場に付属する食堂で昼食をとった。
メニューは1つだけで、500円。冷たいうどん、おむすび2つ、地場の野菜の煮物と、さやえんどうのおひたし、冷たいトマト。
笑顔とイントネーションがすてきに可愛いおばあちゃんが「うまいよ」と言うとおりにうまかった。
陸中松川駅を降りたとき、昼が近かったのだが、レストランどころか、食料を売る店がまったく無くて、心細い思いになっていた。でも、思いがけずいい昼食になった。

東北砕石工場はNPOが運営している。駅から工場までの線路道のデザインや、そこに置かれたアート作品など、とてもいいセンスで、賢治を偲ぶのにいい場所にしてあった。

ページ先頭へ

■ リアスホール/大船渡市立図書館 
岩手県大船渡市盛町字下舘下18-1 tel. 0192-26-4478

* ふたたびJR大船渡線に乗り、懐かしい気仙沼を今日は通り過ぎて、終点の盛(さかり)駅で降りる。歩いて10分ほどで図書館に着く。

外観は、SFかゲームの世界。巨大なクモがはっているかのようなイメージ。

内部壁面は、コンクリートが段状に積層していて、リアス海岸とか、柱状節理とか、洞窟とか、地質的印象を受ける。

大胆な造形だから、建築家が思う存分遊んだのかと思うと、それは見当違いで、コンペで選ばれたあと、市民と約80回のワークショップを繰り返して、市民の意見、希望を汲み取り、6年の歳月をかけたのだという。(完成は2008年11月)
当初はホールのみの計画だったが、ワークショップの過程で図書館も組み込まれたという。
元の図書館は消防署の2階にあったそうで、それも見たかった。本を読んでいると、ときどきワンワンとサイレンを鳴らして、消防車とか救急車が出動していく−なんて、なかなか見られない景色だ。読書の妨げかもしれないが、眠気が覚めていいかも。

リアスホールでは『気仙芸能ボランティアの会発表会』を開催中で、ホールにも入ることができた。
天井は海の雲、壁は波、座席はさざ波で、2階の客席は大漁旗をひるがえして漁船が波を蹴立てていくふう。ワークショップと建築家の結びつきが、みごとに成果となっている。

     ◇     ◇

ホールの片側にくっつくような形で図書館がある。
入口を入ると、床も書棚も深い茶色で、濃い印象にちょっと驚いた。でも中を歩いていると、その濃さに安住して気持ちが落ち着く。ほかの人の存在感が薄まるという効果もあって、本に集中できる。
傾斜のある通路が外周を取り巻き、その脇に書架が並ぶ。その動線に沿って、児童書や新聞・雑誌などの区画がわりふられる。

外に面しているところでは、変形の窓とトップライトから光が入って明るい。ほかにダウンライトも使って、照明器具が目立つことなく、十分な光量が確保されている。

スロープに沿って回遊していると、ホールとの仕切りの壁の一部がガラスになっていて、ホールの様子が覗ける。逆にホールからも図書館の内部が一部見える。図書館とホールを完全にわけてしまわないで、絡み合うように作ってある。
外観といい、内部といい、独特でいて、愛着を感じさせる。
開隆堂出版の「新美術 表現と鑑賞」という中学美術の教科書副読本に、この建築が掲載されたという。
こういう図書館で本を読み、ホールで公演したり、鑑賞したり。
よい公共建築があることは市民の幸福だと思う。

       ◇       ◇

ここで『チェロと宮沢賢治』という本を見かけた。
宮沢賢治は上京したときに上高井戸の尾崎喜八の住まいを訪れたことがある。尾崎が音楽に関心が深いから、チェロを至急簡単に教えてくれる人を紹介してほしいという用件だった。
そのことは重本恵津子さんが書いた『花咲ける孤独−評伝・尾崎喜八』で知っていたが、重本さんは1925年か26年と書いていて、それ以上には訪問日を特定できなかったといわれていた。
『チェロと宮沢賢治』では1926年の12月と推定しているが、やはり特定はしていない。
それでも、賢治、喜八、光太郎、草野心平といった人たちの、心の深いところでの共感、つながりが書かれていて、出会えてよかった本であった。

● ホテルフォルクローロ遠野
岩手県遠野市新穀町5-7 tel. 0198-62-0700

三陸鉄道南リアス線で釜石駅へ、そこでJR釜石線に乗り換えて遠野駅に着く。
今日のホテルは駅舎にあって、改札を出て、チェックインして、2階にあがれば今夜の泊まりどころ。
レストランはないので、駅前の焼鳥屋でほろ酔いして食事する。

ページ先頭へ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第2日 遠野−宮守−盛岡
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

タクシーで、いかにも遠野の里らしい「カッパ淵」に行き、「伝承園」も見てから、バスで市街に戻った。

■ 遠野市立博物館/遠野市立図書館
岩手県遠野市東舘町3-9 tel. 0198-62-2340
http://library.city.tono.iwate.jp/


3階建てのうち、1階が図書館、2,3階が博物館。「博物館へは図書館内のエレベータをご利用ください」と案内掲示があるが、月曜日の図書館休館日なので、外の坂道を上がって2階の入口から博物館に入る。
(博物館は夏の間、月曜日も開館している。)

柳田国男(1875-1962)の『遠野物語』は、作家・水野葉舟が、遠野の人、佐々木喜善を柳田に引き合わせたことを発端にして生まれた。
『遠野物語』初版は350部作られたが、番号入りの第1号を、柳田は佐々木に贈った。「三百五十部の内第一号 御初穂は佐々木君に 国男」と書かれた初版本や、『遠野物語』の原稿も、博物館に寄贈され、展示されている。

水野と佐々木が柳田を訪れた日の、佐々木の日記も展示してあった。
日記に付された解説では、「学校から帰っていると水野君が来て共に柳田さんの処に行った。お化け話をして帰って」とあった。もう少し先まで引用してもいいのに、何だか妙なところで切っているように感じて、もとの手書きの日記のほうを読んでみると、その先は現在の道徳感覚からすると博物館の解説文には記しにくい、女性関係のことが書かれていた。

旅行に出る前にホームページで見たとき、博物館と図書館が1つの建物にあるとは、どちらのサイトにも表示してないし、互いにリンクもしてなかった。図書館は市民向け、博物館は観光客向けという仕分けをしているかのようだ。
図書館は休館日だったから、図書館のほうでは博物館と関わるようなやり方があったかどうかわからないが、博物館からは図書館と関わるような展示のしかた、図書館にも誘うしかけみたいなものは、僕が気がついた限りでは、なかった。
このところMLA(ミュージアム、ライブラリー、アーカイブ)の連携ということに関心を強く持っている。柳田国男は民俗学と文学に関わる人だし、博物館と図書館が同じ建物にあるし、連携の絶好例になりうるところなのにと惜しい気がした。

□ 宮守川橋梁

* 花巻に向かう電車に乗って、宮守駅で降りた。2両編成の電車にはほぼ座席を埋める乗客がいたが、ここで降りたのは、きのうの陸中松川駅のときと同様、また僕ひとりだった。

国道に出て、南へ数分歩くと、釜石線の電車が宮守川を渡る鉄橋がある。さっき乗っていた電車が渡ってきた橋だ。

宮守川橋梁は、1943年製の鉄筋コンクリート造の6連アーチ橋。
隣に、1915年に竣工した岩手軽便鉄道時代の煉瓦造の橋脚が、崩れかけて残っている。鉄橋をくぐった先は、道の駅から続く公園になっていて、橋を眺めるのにいい。

先代の橋は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想のもとになったといわれる。
こちらからあちらへ、すーっと渡っていく遙かな感じがあり、なるほどとそそられる。

● 道の駅みやもり
すぐ近くにある道の駅のレストランで、岩手北部の郷土料理という「ひっつみ」を食べた。小麦粉を練って汁にいれてあり、すいとんと同じ。ほかに鶏肉とか、野菜とか入って、さっぱりしていた。

■ 遠野市立図書館 宮守ゆうYOUソフト館(分館)
岩手県遠野市宮守町下宮守30地割48番地2 tel. 0198-67-2012

宮守駅に戻るのに、国道ではなく、細い旧道らしいほうに上がっていくと、ちょっとかわった建物があり、「遠野商工会宮守支所」という細長い看板が立っている。

正面に回ってみると、遠野市立図書館の宮守地区の分館なのだった。
1階に商工会、2階が図書館。
大船渡の図書館は消防署の2階にあったというし、このあたりの図書館立地の柔軟性はおもしろい。

ページ先頭へ

□ 盛岡市内見物

* ふたたび宮守駅から電車に乗り、新花巻駅で新幹線に乗り換えて盛岡駅に着き、市街中心の城跡あたりを見物した。

・ 旧岩手県立図書館
城址公園の入口付近で工事中なのは、盛岡市が建設中の「町なか観光」のための「もりおか歴史文化館」。
1967年に建った旧岩手県立図書館があったのを改修・増築するという。
もとの図書館の設計者は菊竹清訓で、避雷針を兼ねた屋根の棟飾りは舟越保武だったというから、それも見たかった。

・ 岩手教育会館
http://www.i-kaikan.jp/

城址公園の隣にもう1つ菊竹清訓設計の建築がある。
不思議な建築で、おそろしく横長。3階以上は、さらに横に張り出している。裏に回ると、折り紙細工のような奇妙な形が、会館におぶさるようにくっついている。頭の中が???だらけになる。

あえていえば、ど〜んと迫り出してくる感じは、後年の江戸東京博物館を思わせはする。

・ 旧盛岡銀行本店(岩手銀行中ノ橋支店)
(辰野葛西建築事務所 1911年)
川の橋のたもとの角地に、東京駅の設計で知られる辰野金吾の銀行建築がある。
東京駅と同様の白と赤の煉瓦造り。
閉店後の時間に着いたので中には入れなかった。

・ 旧第九十銀行本店(もりおか啄木・賢治青春館)
(横浜勉 1910年)
辰野の盛岡銀行に先駆けて1年早く建った銀行。解説によると、岩手の銀行事情は対抗意識が強く、辰野の銀行より先に完成したかったらしい。
展示施設に衣替えするのにあたり、外はいい感じでデザインし直しているが、中はやや雑然とした展示になっていて、落ち着かない。

・ 岩手県公会堂(佐藤功一 1927)
県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族の宿泊所の4つの機能を備えて作られた。「公的施設にレストランが付属している」程度ではなく、主要機能として西洋料理店を位置づけているのがすごい。

● 中津川
官庁街から城址公園に向かう短い通りに小さな飲食店が並ぶ桜山通りがあって、まだ明るいうちに開いた、こじんまりした店に入る。
カウンターに腰掛けて、カツオの刺身、冷奴、茄子の炒め物なんかとって、生ビール。梅雨時なのに傘をささずにすんでここまで来た。雨には幸運が続いているが、蒸し暑く、生がうまい。
開店早々の早い時間にのどかに安らいだ。

別な店で盛岡名物の冷麺を食べ、夜8時まで開いている県立図書館に行った。

■ 岩手県立図書館
岩手県盛岡市盛岡駅西通1-7-1 tel. 019-606-1730
https://www.library.pref.iwate.jp/


図書館は駅のすぐ前の「いわて県民情報交流センター[アイーナ]」という大きな複合ビルにある。図書館は独立した建築がいいと思うし、こういう立地で図書館的配慮が行き届いて作られているだろうかと、半ば否定的気分で入ったのだけれど、光をうまく演出・制御してあり、穏やかな空間がつくられ、ゆっくり書架の間をめぐる気にしてくれる。心配が大外れのいい図書館だった。

入口からまず左に向かって児童図書室に入ると、低い書架がゆったりと間隔をあけて並んでいる。簡単だが、十分であり、過剰でない、とてもいい感じに魅惑された。

一般図書のほうも、照明が上品で、天井がふわっと明るい。光源がどこかすぐに見つからないくらいで、書架の上部にしかけてあった。
広い空間だが、区画ごとに光の色にわずかな変化をつけて、とりとめない感じにならないようにしてある。しかも壁で隔てているのではないから、広々とした開放感をそこなうこともない。
新書や大活字図書が並ぶ区画は、セピア調の照明になっている。日本のコンビニのような白いギラギラした灯りではなく、ヨーロッパの都市の街灯のような、シックな色味をおびている。
そこは図書館に入ってくるときの通路に面している。図書館の入口に向かって歩いてきたとき、抵抗なく、いい感じがしたのは、その照明の色の効果でもあったかと思う。
巨大複合施設の中にあっても、いきなり入口を入って書棚が並ぶようには作っていない。児童図書室と一般図書室のあいだに切り込みのように作られた細い通路を通ってアプローチするようになっていて、図書館に入る前に一呼吸つける準備段階がある。

複合ビルの3階と4階が図書館になっている。3階の中央付近の階段から4階に上がると展示区画があり、今は『遠野物語』刊行100周年で関連図書を展示してあった。

県立図書館では、2006年の新館開館時から、指定管理者制度による運営を始めた。
司書にも総務系統にも県職と指定管理者が混在していて、区分けが難しいようだ。
インターネットで要覧を見ると、
・ 根幹である資料の選定に関しては、「利用者や出版者等からの情報収集」は指定管理者で、「図書資料の選定」は県側。
・ 市町村の図書館との関係では、「市町村訪問等によるニーズの把握」は指定管理者で、実際の支援策は県側の仕事。
県として、指定管理者に丸投げしないで、責任をもって図書館運営をするという考え方は理解できる。でも実際の場面では、1つの仕事に2つの組織が関わるふうで、なかなかやりにくいだろうと思う。

そんなことがあるとしても、カウンターでの応対はとても好感だったし、自由な裁量による運営もされている。
ここまで来る途中、本数が多くない電車で移動してきたので、気になったことがあっても、そのままで宙ぶらりんにしていことがある。ここならわかるかなあと思案していると、コンシエルジュという職の人に声をかけられた。それならこちらにと案内され、資料を確認し、必要なところはコピーもとって、すっきりした。

(ところが帰ってから新たにひとつ謎ができてしまった。
要覧にも、パンフレットにも、「1921年11月19日 原敬氏から図書購入費として1万円寄贈される」とある。
ところが原首相が東京駅で暗殺されたのは1921年11月4日のこと。
死後に寄贈したことになるが、可能性として考えられるのは、
・ 亡くなる前に寄贈の意思表示があり、現金が渡されたのが11月19日だった。
・ 遺言に寄贈のことを記してあり、遺族が11月19日に現金を届けた。
・ どちらかの日付が誤っている。
またレファレンスをお願いしなくては。)

* この件は、後日また以下のような丁寧な回答をいただきました。

「亡くなる前に寄贈の意思表示があり、現金が渡されたのが11月19日だった」との解釈が正解となるようです。
『岩手県立図書館30年の歩み』(昭和28年)によりますと以下の経過となります。
1.大正9年(1920年)9月23日、北田盛岡市長宛ての書簡で1万円寄付したいこと、書庫は是非3階建にすべきことなどを書いている。
2.大正10年(1921年)6月23日の『原敬日記』で市長宛「寄付申込書」が確認できる。
3.大正10年1月21日「岩手日報」が「原首相より一万円・図書館費として市へ・市の寄付募集開始」の記事を掲載している。
また『岩手県立図書館報 第1号』には「大正十年十一月十九日故原敬氏ノ遺志ヲ継承シ嗣子原貢氏ヨリ本館図書購入基金トシテ金壱万円寄付願出アリタルヲ以テ県ハ特別会計・・・」との記事があります。

あれ?と思うことに出くわしたり、それが解決したりすることは楽しい。伺った当日にも、帰ってからも、たいへんお世話になりました。


複合ビル内の吹き抜け空間に舟越桂の彫刻が置かれている。(県立美術館には父の舟越保武の作品があり、すみわけている。)
ここには他に奈良美智や平田五郎の作品があり、図書館の出入りに現代美術のすぐれた作品が目に入る。

● ホテルルイズ
盛岡市盛岡駅前通7-15 tel. 019-625-2611

インターネットで予約するときに、市街図を見て、川の近くにあるホテルを選び、川の見える部屋を希望したら、その通り確保されていた。部屋のほぼ真下に北上川と海運橋がある。滞在中、ときたま窓から外を眺めると、かなりの量を感じさせる水が、ゆったりと流れていた。
翌朝は最上階でバイキング。岩手山と盛岡市街の大展望を眺めながら、おいしい朝食をとった。
盛岡にまた来るときにもこのホテルにしよう。

ページ先頭へ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第3日 盛岡−一関
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

* 午前中は市街北西部を回る。
今日も雨の心配はなさそうなので、泊まったホテルのすぐ前の自転車店で貸自転車をしているのを借りようと思ったが、シャッターは開かないし、電話もでない。バスで動くのは路線がよくわからないし、効率が悪そう。で、駅レンタカーを借りた。ふつうにはいちばん安い軽自動車より、1000ccクラスのを「大人の休日きっぷ」割引で借りるほうが安いというので、それにする。4時間で4000円。


盛岡市立盛岡図書館と岩手県立博物館を見てから、岩手大学に行った。
岩手大学の前身の学校の1つが盛岡高等農林学校で、その旧・本館が「岩手大学農業教育資料館」、旧・図書館が「岩手大学ミュージアム本館」になっている。

□ 岩手大学農業教育資料館(旧・盛岡高等農林学校)
1912年に建てられ、校長室、事務室、大講堂などがあった。
今は農業教育関係の資料を展示している。

宮沢賢治は、盛岡高等農林学校に1915年から1920年まで在籍し、その間、1916年に、秩父を訪れた。
僕はかつて長瀞町にある埼玉県立自然の博物館に在職した。そのころは「かつて盛岡高等農林学校の地質調査旅行で宮沢賢治が秩父を訪れた」ということを、しばしば読んだり、聞いたり、話したりした。学校の実体は縁遠かったのだが、ようやく訪ねることができた。

言葉だけでなじんでいた古い学校の校舎が残っていることを、この旅行でこちらに来てから知った。賢治が通った校舎が今もあり、その現実の場所に立っている!という感慨があった。

宮沢賢治の卒業論文を展示してあった。
『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値 農学科第二部第三学年 宮沢賢治』(原資料は一部旧字体)というもので、ガリ版刷り。100年ほども前の卒業論文がよく残っている。

『日輪と山』という絵が展示してあり、驚き、懐かしかった。
宮沢賢治の生誕100年記念の「宮沢賢治の世界展」が全国を巡回したことがある。東京では、今はない小田急美術館を会場に、1995年の夏に開催された。
この絵は、広重を思わせるカーブを描いてそそりたつ山の頂上に、日がかかっている。山頂は太陽に熱せられたかのように赤く染まっている。宮沢賢治はこのような絵もかく人だったかとハッとした覚えがあり、覚えていた。
あの絵はここにあったのか。
15年ぶりの再会だった。

2階に上がると広々とした旧・講堂で、淡い緑色の桟が白い壁と天井を矩形に縁取り、やさしく上品な、いい空間になっていた。

■ 岩手大学ミュージアム本館(旧・盛岡高等農林学校図書館)
盛岡高等農林学校の図書館だったところが、今は大学のミュージアムの本館になっている。
洋風の外観は残っているが、新建材ですっかり改装され、ありきたりに区切られた部屋に資料が並んでいた。
図書館として使われていたころの意匠を残し生かすとか、前の建築への敬意が感じられるものにできなかったろうかと、むしろ無残な印象を受けた。

□ 合流点ウォッチング
市の中心部に戻り、盛岡駅の南東部で3つの川が合流するところを見に行った。

雫石川、北上川、中津川が1つになり、北上川となる。(北上川はやがて石巻で海に注ぐ。)
向こうには東北本線の鉄橋があり、新幹線の高架がある。いろいろな流れがここで近接している。

土手に石川啄木親子の歌碑があった。

 中津川や 月に河鹿の啼く夜なり 涼風追ひぬ 夢見る人と  啄木
 中津川 流れ落合ふ北上の 早瀬を渡る 夕霞かな  一禎

夕べ飲んだ店の名は、この川の名前をとっていたのかと、今ごろ気がついた。

□ 岩手県立美術館ライブラリー
岩手県盛岡市本宮字松幅12-3 tel. 019-658-1711
http://www.ima.or.jp/

県立の美術館としては遅く、2001年に開館した。いつか行ってみたいと思っているうちに、10年近くも経ってしまった。(こんなことがよくある。)
萬鐵五郎、舟越保武、松本竣介という県を代表する作家の作品が、後発の美術館にしてはかなり集めてある。舟越が彫る清潔で高貴な人物像が並ぶと、あんなふうにいくらかでも近づきたいと思ってみる(が、岩手の美術館に行くより遠い。)

2階のゆるく弧を描く廊下の先端をライブラリーにしてある。かわった、おもしろい照明器具が机についていた。

□ 原敬記念館
盛岡市本宮字熊堂93-1

原敬は、首相在職中の1921年11月4日に東京駅で刺殺された。
記念館は1958年に谷口吉郎の設計で作られた。谷口は同じ年に藤村記念館を設計し、建築史的に評価が高いが、原敬記念館のほうは、10年後に建てた東大寺の図書館にスケールとか外観とか雰囲気とか、よく似ている。

● 盛岡わっぱめし(駅弁)
駅に戻ってレンタカーを返す。
昼食の場所を選んでいるほどの時間はないので、駅弁を買った。
岩手県立図書館の前の巨大吹き抜け空間で、全面シースルーのエレベータが上下するのを眺めながら食べる。

■ ふたたび岩手県立図書館
夜の図書館の光がすてきだと思ったが昼間はどうか見てみようと、もう一度、中を一回りする。
夜とは印象が少し違うところがあるが、昼もよかった。

* 盛岡から新幹線に乗る。次の新花巻まで車両に僕ひとりだけだった。新幹線貸切!

ページ先頭へ

■ 一関市立一関図書館
岩手県一関市田村町5-25 tel. 0191-21-2147
駅から徒歩10分ほど、磐井川にかかる磐井橋の近くにある。
一見、とりたててかわったところはなさそうな建築だが、中央の児童室は天井まで吹き抜けで、トップライトから自然光が降ってくる。センスのいいデザイナーが手を加えたら、見違えるような施設になりそう。

□ 二夜庵跡
芭蕉が『奥の細道』の旅で1689年に平泉を訪れたとき、橋のたもとの金森家に2泊した。
1日目、「黄昏ニ着 合羽モトヲル」雨だった。(『曾良日記』)
2日目、中尊寺、光堂などを見て名句が生まれた。
      夏草や 兵どもが 夢の跡
      五月雨の 降り残してや 光堂
3日目、「天気吉 一ノ関ヲ立」(『曾良日記』)

□ いちのせき文学の蔵・蔵元レストラン世嬉の一
世嬉の一酒造が、大正時代に建てた酒蔵の一部を、文学館やレストランや喫茶にしている。うっとりするほどすてきな空間に仕立てられている。
かつて映画館として使われていた蔵もあり、そこで井上ひさしが切符もぎりのアルバイトをしていたという。

● ジャズ喫茶ベイシー
http://www.liveatbasie.jp/

音にこだわってたいへんな装置を持つ、全国に名の知れた伝説的なジャズ喫茶。建築家・石山修武の文章で知って、久しい前からいつか行きたいと思っていた。サックスの音なんて、すぐそばで生きてる人が力をこめて吹いているかのような、息づかいまで感じられるくらいだった。


こういう図書館だの、史跡だの、酒蔵だの、ジャズ喫茶だの、由緒あるおもしろいところが、磐井橋から50m以内くらいの、ごく狭い範囲に集中している。心霊的特異点であるパワースポットにならっていえば、カルチャースポットというか、ヒストリースポットというか、おそろしくディープな一画だった。
それぞれがおたがいに関係なさそうにしているが、まとめたらすごいパワーだと思う。
(たとえば、酒蔵の改装センスは抜群で、そのデザイナーが図書館の内装をしてくれたら...と勝手な夢想をしてしまった。)

● 平泉義経(駅弁)1000
一ノ関で駅弁を買い、新幹線で食べながら帰った。軽く飲みながら食べるのにも手頃な、おいしい弁当だった。

(2010.6月 no.35)
ページ先頭へ

参考:

  • 『遠野物語の周辺』 水野葉舟/著 横山茂雄/編 国書刊行会 2001
  • 『花咲ける孤独−評伝・尾崎喜八』 重本恵津子 潮出版社 1995
    『チェロと宮沢賢治 ゴーシュ余聞』 横田庄一郎 音楽之友社 1998
  • 『岩手県立図書館要覧』2010版
    『読みたくなる遠野物語−刊行100周年』展示資料目録 岩手県立図書館 2010
  • 交通data:
    第1日
    大宮7:30<東北新幹線>9:36一ノ関9:53<JR大船渡線>10:19陸中松川12:03<JR大船渡線>13:56盛15:50<三陸鉄道南リアス線>16:41釜石17:42<JR釜石線>18:42遠野
    第2日
    遠野11:12<JR釜石線>11:35宮守13:36<JR釜石線>14:01新花巻14:40<東北新幹線>14:52盛岡
    第3日
    盛岡14:10<東北新幹線>14:47一ノ関17:26<東北新幹線>19:22(大宮)
    大人の休日倶楽部パス12,000を使ったので、新幹線を含めて鉄道には乗り放題なうえにレンタカーも割り引き。(でなくてはこんな気軽に新幹線に乗れない。)
  • 宿泊data:
    ●ホテルフォルクローロ遠野
    岩手県遠野市新穀町5-7 tel. 0198-62-0700
    ツインのシングルユース パン軽食のバイキングつき 5,700円
    ●ホテルルイズ
    盛岡市盛岡駅前通7-15 tel. 019-625-2611
    シングル 和洋朝食バイキングつき 5,480円