東日本大震災後の石巻と仙台の図書館 (3/3)


[第1日 秋田の図書館 1/3]
1.国際教養大学図書館
2.秋田市立新屋図書館
3.秋田公立美術工芸短期大学図書館
4.秋田市立土崎図書館
[第2日 秋田から盛岡へ 2/3]
5.秋田市立中央図書館明徳館
6.岩手県立図書館
[第3日 東日本大震災後の石巻と仙台の図書館 3/3]
7.石巻市図書館
8.せんだいメディアテーク

東北を2泊3日で旅した。
1日目は、秋田県南部の蚶満寺(かんまんじ)に寄ってから、秋田空港近くの国際教養大学、雄物川河口近くの秋田市立新屋図書館などを見て秋田泊。
2日目は、北に向かって、男鹿半島と八郎潟を回り、再び秋田市内に戻ってから、盛岡に移動して泊まる。
3日目は、東日本大震災のあとの石巻と仙台の図書館に行った。

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 第3日 東日本大震災後の石巻と仙台の図書館
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秋田には国際教養大学の図書館を見たいのが一番の目的で出かけることにした。
でも、東北大震災のあとに、ただあの図書館がよさそうと見に行くのはノンキすぎるかとためらう気持ちがあった。
それで、秋田では他にまだ行きたいところもあるけれど、最後の1日は被災地に寄ってみようと考えた。でも、するとまた、何かしら役に立つことをするわけでもないのに、被災地にただ見物に行くようなのもうしろめたい気がする。おそるおそるという感じで太平洋岸に向かった。

5年前に気仙沼−登米−石巻−仙台と回ったことがある。そのうち、まだ交通事情が悪いなかでは行きやすい石巻に行くことにした。
盛岡発6:08の新幹線はやてに乗り、7:34に仙台着。
仙台駅前のバス停から石巻駅に向かう高速バスに乗った。
所要80分で800円。
ほぼ座席が埋まり、中には撮影機材を持って取材に行くらしい2人組もいた。
途中にいくつか瓦礫の堆積場所を見かけた。
石巻駅周辺は、外観としてはところどころ傷んでいるくらいで、街並みはあり、ひどいほうではないように見えた。

□ 石ノ森萬画館
http://www.man-bow.com/manga/index.html

石ノ森萬画館は、北上川の河口に近い中州にある。この中州は18世紀に人工的に作られたもので、「中瀬」という。
石巻市は石ノ森章太郎(1938-1998)のマンガによる街おこしをしている。駅から萬画館にいたる「いしのまきマンガロード」には、サイボーグ009や仮面ライダーなどの大きなフィギュアが並んでいる。津波で被害を受けたという報道があったが、きれいだった。街のシンボルとして早く改修したのかもしれない。(でも足下の地面がひび割れて近づけなくなっていたりする。)

中瀬に橋を渡る。たもとの家がひしゃげている。
萬画館は元のように立っていて、遠目には大丈夫。
でも近づいてみると外装材が部分的に剥げていたり、荒れた跡がはっきり残っている。
本体の構造そのものの安全もまだ確認されていなくて、休館している。
入口手前の壁に漫画家の手形が並んでいて、これは平面のことだから無事。

石ノ森章太郎の手をかたどったブロンズ像が握手で迎える その隣に、石ノ森章太郎の手をかたどったブロンズ製の手が、来た人を出迎える握手の形で突き出している。小さな部分のことだけれど、この手がなんだか気になっていた。無事で、ほっとした。

□ 石巻ハリストス教会
細い道を隔てた反対側に、明治時代に建ったギリシャ正教の教会がある。
もとは市街地にあったが、1980年に中瀬に移築されている。

簡素な木造の建築だが、骨格は壊れず、流されず、立っていた。
近づいてみると、凶暴な水が中を貫いたために、すかすかになっている。
それにしても、ほかの被害に比べて、この簡素な教会が立って残っているのは不思議に思う。
明治の技術ではなく、移築の時の技術によるだろうか。

すぐ脇に、陸に運び上げられた船がまだ放置されたままになっていて、所有者は申し出るようにという趣旨の貼り紙がしてある。

右に教会。左に船。その向こうに石ノ森萬画館のクラゲのような屋根が見える。
(教会が歪んでいるのは広角で撮ったためで、垂直に立ってはいる。)
教会と船とまんが館

● 水澤屋旅館
石巻市中央1-10-12

中瀬から橋を駅側に戻り、5年前に来たとき泊まった宿に行ってみた。
南へ、海岸方向に向かいながら宿の場所を探していると、ほかにも街中に船が転がっていた。
ビルとビルの間に自動車がはさまって浮いている。
ニューヨークのツイン・タワーに飛行機が突っ込んだ9.11のときは、現実が映画を超えてしまったと思った。
3.11のあとの街では現実がシュール・レアリスムの絵画を超えている。

旅館に着いた。
かつて泊まったとき、2食つき10,500円で予約したのだが、すごいごちそうだった。
刺身の盛り合わせは、サンマだのアワビだのウニだの、さまざま。石巻は鯨の水揚げ港でもあって、鯨まである。
それにまるごと1匹の鯛や蟹。
名だたる漁港のそばの宿だから、海の幸の豊富なのはありとして、さらに牛も豚も鶏もある。
予約のときに料金について行きちがいがあったのではないかと不安になるほどだった。

旅館の建物は、壁も屋根も、一見しっかり立っている。
でも横に回ると、調理場のドアが外れている。中をのぞくと、調理用の大きな重そうなテーブルが斜めにずれている。黒ずんだ泥のようなものが、部屋の床も、壁も、置かれたものも、すっかり覆っている。短時間水が暴れて流れ去ったというより、ずいぶん長い期間放置されたかのような印象を受ける荒れ方だった。
あのように豪華な食事は、ここで用意されていたのかと想像する。
たった1晩泊まった者にも、思い出があるところが圧倒的な力で破壊されている眺めは無惨に感じられる。ここを生活の場にしていた人の喪失感はどれほどのものだろうかと思う。

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□ 日和山
□ 河口ウォッチング−北上川

水澤屋旅館からさらに南へ海岸方向に向かうと、日和山(ひよりやま)への上り坂になる。
暑い。
石巻駅に着いてすぐ歩き始めてしまって、飲み物を用意しなかった。
駅付近にはいちおう元通り建物が並んでいるので、つい油断した。
かなりの距離を歩いていても、飲み物を売る店がないし、自販機がまったくない。

日和山の高台にある家々は平穏に暮らしているようだ。内部で地震の被害はそれぞれあったろうけれど、津波はここまでは上がらなかった。庭で洗車している人をみかけたりする。

古い港には必ず日和山がある。天候や波を見て、船を出せるか判断する。
石巻では北上川右岸(西)にあり、今は公園になっている。
ようやく着いてみると、かなりの人でにぎわっている。(でも歩いて上がってくる人はあまりないようだ。)
石巻の観光ボランティアの人たちがテントをだして、冷たいお茶のサービスがあった。汗だくで上がってきたので、しみじみありがたい。

眼下に海岸近くの街があり、その先に北上川の河口がある。
ここから見下ろす街は、ほとんど平面になっている。寺や病院など、いくつかの建物だけがポツポツと立体で残っている。
北上川の河口の被災状況

家ごと根こそぎもぎとられた人にしてみれば、直接の財産的被害も大きいが、これまで積み上げてきた人生のすべてを失ったという思いだろうか。
今はモノが失われた風景が残って眼前にある。でも、もう見えなくはなっているが、たくさんの人の命も失われている。
河口ウォッチングをしていると、寂寞とした風景に出会うことがある。
川の終わりで海の始まりであるという、生と死の比喩ともいえるし、もともとかなりシンとした気分になることが多い。
それにしてもこの河口の風景の厳しさは格別だ。

建築家・磯崎新は、第2次大戦の焼け跡を思想の根拠にしていることを文章に書いている。それは磯崎固有の特異な視点のように思っていた。でも日本の小さな国土は、しばしば洪水や噴火や津波に襲われた。それだけで足りずに、人為による戦争や原発も廃墟を増やした。廃墟は、ある個人の考えに根拠を与えるような特殊なものではなく、日本では一般的・普遍的といっていいのかと思えてきた。

僕はしばらく高崎の実業家の井上房一郎と、建築家アントニン・レーモンド、ブルーノ・タウトのことをたどっている。
アントニン・レーモンドは、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルを建てるためのスタッフとして来日した。1923年の帝国ホテルの開業の日に、関東大震災が起きている。
そうした直接的関連だけでなく、井上やレーモンドの時代のことをみていくと、関東大震災の影響がこんなところの、こんな人にまで、と広範に及んでいることに、いくどもはっとする思いを味わってきた。
今年の大震災はさらに原発の事故も加わっているから、どれほど広範囲に、どれほの年月、影響を残すことになるか。

ボランティアの方が地図とてらしあわせながら、地理や歴史に加えて、津波の被害の様子も説明してくれる。それぞれにつらいことがおありだろうけれど、その明るさにすくわれる思いがする。

この日和山には宮沢賢治(1896-1933)が訪れている。1912年、盛岡中学4年だったとき、北上川を川蒸気船で下り、ここから初めて海を見て感動した。

■ 石巻市図書館
石巻市羽黒町1-9-2 tel. 0225-93-8635
http://www.lib0.city.ishinomaki.lg.jp/index.php

石巻市図書館の正面 暑い道を歩いて図書館に着く。
図書館は日和山から続く高台にあり、津波の被害はなく、地震で落ちた本を書架から戻した段階で開館している。

1階が閲覧室、2階には読書室・参考調査室・多目的室がある。
1階のカウンターの近くに机を置き、震災情報の窓口になっている。すぐそばに階段があり、その先の2階は今は避難所になっている。
次々に来館者があり、カウンターにはほとんど人が途切れずに訪れ、本を借りたり、返したりしていく。

坂道を下ると石巻駅にでる。
ふたたび高速バスに乗って仙台に戻った。

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■ せんだいメディアテーク
仙台市青葉区春日町2-1 http://www.smt.city.sendai.jp/
仙台市図書館: http://lib-www.smt.city.sendai.jp/index.html
(「仙台市図書館」が仙台市の図書館の総称。「仙台市民図書館」は、そのうち、せんだいメディアテーク内にある図書館。)

地下鉄に乗り、勾当台公園駅で降りて、せんだいメディアテークに行った。
開館したのは2001年1月。
3.11の東日本大震災は、翌12日に10周年の記念イベントが予定されていた前日のことだった。
伊東豊雄設計による斬新な建築は竣工前から話題になっていて、僕は開館の年の3月に、待ちかねて来たことがある。それ以来、僕にとっても10年ぶりで、その間にもいろいろ来てみたいイベントがあったが、まさか大震災が契機になって来ることになるとは思わなかった。

大きな樹木が並ぶ定禅寺通りに、かわらない存在感でメディアテークがあって、まずほっとする。
せんだいメディアテークは美術や音楽や映画や本など、文化の複合体。そのなかで仙台市民図書館がいちばん大きな体積を占めていて、2,3,4階に入っている。
2階が児童書。
4階が参考図書やレファレンス。
3階が通常の閲覧室。

3階には、地震に関する情報が集められた一画があった。
今の段階で震災をふりかえれるように3.11以来の新聞やグラフ誌をまとめてある。
新聞は朝日新聞と河北新報。見やすく、大勢の人が繰り返し見てもいためないように、ページごとに大きい透明ファイルに入れてある。
大きな写真がのるアサヒグラフ。
それに市の情報として、「仙台市震災復興計画素案」「避難所通信」「被災者支援に関する各種制度の概要」なども置かれている。
1階の広いロビーには、仙台の被害状況、せんだいメディアテークの被害状況の写真が大きなパネルにして並べられていた。
もともと都市のなかの市民活動の中心という意識があっての資料の揃え方かと思う。
仙台の外から訪れる人も多いから、そうした人たちがどんな情報を求めているかも想定されている。

せんだいメディアテークには、梁がない
仙台市の被災状況の写真を展示
5・6階展示室のロビー 1階に市内被災状況の写真展示

6月に都内代官山で伊東豊雄さんの講演があった。
毎日せんだいメディアテークに寄るという学生がいる。そこに行けば仙台で何が起きているかわかる(行かないとわからなくなる)からだという。
そういう人がいる、せんだいメディアテークはそういう存在である。それで伊東さんは、せんだいメディアテークを地震後できるだけ早く復興させようと、躍起になって取り組んだと話された。
→[墨田区立緑図書館とヒルサイドライブラリー「目利きが語る"私の10冊"」伊東豊雄

1階では、フラダンスのショーをやっていた。いくつものグループが次々に出演して、にぎわっていた。
5階では、美術の団体展。
6階では、東北生活文化大学生活美術学科卒業生有志によるグループ展『T家の恐るべき子どもたち展』を開催中。
7階は、天井が落ち、いちばん被害が大きかったところで、まだ改修中だった。

(2011.7月 no.74)
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