東北芸術工科大学図書館・山形大学図書館


1回ごとに大規模な作品を制作するアーティストの古郡弘さんから、山形で展示があると知らせをいただいた。1泊2日で酒田と山形に行った。
(→第1日 [酒田市立図書館・酒田市立光丘文庫] )

1.東北芸術工科大学図書館
2.山形大学図書館・山形大学附属博物館

● 山形グランドホテル
山形県山形市本町1-7-42 tel. 023-641-2611
http://www.yamagatagrandhotel.co.jp/

酒田から山形に移動して泊まったホテルは山形グランドホテル。
司馬遼太郎+須田剋太『街道をゆく』羽州街道では、山形に泊まったホテルについて「山形市街の一つの中心ともいうべき本町1丁目にある」と書かれている。
今、その区画内にあるホテルはここだけで、格式の高いホテルでもあるようだからここと見当をつけたのだが、フロントで尋ねると、「さあ、違うのでは」とのこと。
ホテル内には、中村研一の絵や、佐藤忠良の彫刻など、多数展示してある。芸術的関心が高そうなホテルなのに確たる答えがないということは、違うのかもしれない。

□ 明善寺
山形県山形市七日町5-9-3 tel. 023-622-3537

市街東部にはたくさんの寺がある。
米沢市出身の伊東忠太設計の寺に寄る。
イチョウが黄葉している下で、寺の人が落ちた葉を掃いている。
中央部はふつうに見えるが、両脇の塔がいかにも伊藤忠太を思わせる。
左側に銘板があり、「起工昭和五年 竣工昭和十年」とある。

□ 専称寺ほか−山形五堰

少し北に行くとこの寺がある。
出羽山形藩初代藩主の最上義光(もがみよしあき)が、先立った娘・駒姫を弔うために、天童市から菩提寺を移したという由緒のある寺だが、僕の関心は別にある。

門を入ってすぐに細い流れがあり、山形五堰のうちの八ケ郷堰になる。
みごとに黄葉したイチョウの大木がある境内を、いい感じで流れている。
イチョウの木の下を流れる山形五堰

山形市内には、城への水の供給と農業・生活用水の確保のため、5つの堰が引かれている。1624年に、山形藩主鳥居忠政が5ヶ所の取水口を設けたことに始まる。
笹堰(ささぜき)、御殿堰(ごてんぜき)、八ケ郷堰(はっかごうぜき)、宮町堰(みやまちぜき)、双月堰(そうつきぜき)の5つ。

このほかに見たのは、
・ あこや公園(笹堰) 山形大学の東。公園内に堰の水ををひきこんで、せせらぎのある風景にしている。
・ 中央親水広場(御殿堰) 市街中央、旧済生館近く。市立病院と一体に整備して、段状に水が流れ落ちる広場が作られている。
・ 七日町商店街(御殿堰) 泊まったホテルの近く。夜は照明されてきれいだった。

埼玉県内の荒川には中流に「六堰」があり、熊谷市内を流れている。
箱田用水に沿って暮らす人たちが、毎年春に自分たちが作った作品を展示する「川沿い作品展」を開催しているが、そのほかには用水は実用以外の関心をあまり持たれていない。
山形では、堰の流れへの関心が高く、親しまれているようだ。

山形市役所に寄って、農村整備課で山形五堰関連の資料をいただいた。
観光課でもらった『城下町やまがた探検地図』という観光用地図にも、「堰ビューポイント」がいくつも記されてもいた。

□ 文翔館(旧山形県庁舎)
山形市旅篭町3-4-51 tel. 023-635-5500

広い通りの突き当たりに旧県庁舎がある。
その通りの手前、両側に、市役所や裁判所や県民会館など、主に公共の大きな建築物が並んでいる。
近代の山形市内を形成するのに、初代県令の三島通庸(みしまみちつね1835 - 1888)が権力をふるったが、開発記録を残すために、画家、高橋由一(たかはしゆいち1828-1894)に絵を描かせた。
そのうちの1点、広い通りの中央に県庁がある山形県庁図をどこかで見たことがある。
県庁は城跡とか、城付近に作られることが多いのに、ここでは離れたところに、軸線を意識して街ごと作った誇らしさが感じられた。
はじめ、この文翔館があの絵の県庁かと思って見ていたが、説明によれば、初代県庁は大火で焼け、1916年に再建されたものだった。
現県庁は、1975年に、市街からやや離れた東部に移転している。

□ 千歳山

文翔館を出て、山形市役所前のバス停から「芸工大」行きに乗る。
『街道をゆく』ではこういう記述がある。

 市街を南にすぎると、千歳山(ちとせやま)に出くわす。上代では赤松林のうつくしい丘を「かんなび山」として神聖視したが、この千歳山がそのなだらかな形状といい、林相といい、典型的なかんなび山のすがたといっていい。山形市のひとびとはいまでも地域意識の象徴のようにしてこの山を愛しているらしい。

「芸工大」行きのバスも千歳山に向かい、途中で方向を変えて、別の丘を上って大学のバス停に着いた。
大学は丘の中腹にある。
丘の上にあるのは、「悠創の丘」という、県が整備して株式会社が運営しているらしいスポーツや芸術やレクリエーションのための一帯。
丘の下方は新興住宅地。

□ 東北芸術工科大学ギャラリー 古郡弘展「からぎ、かりどの」

本館最上階7階にあるギャラリーに、古郡弘さんの作品があった。
ギャラリーは、エレベータと吹き抜けを、床がロの字に一周している。
その全面をぐるりと巡る展示をしてあり、「古郡弘さんの作品を展示している」というより、「古郡弘さんの場が作られている」というほうがふさわしい。
古郡弘さんの作品風景

越後妻有アートトリエンナーレでは、土の壁を築き、板で屋根をかける「建築」が作られていたが、ここではギャラリー内部にいわば「インテリア」ができている。
1,5トンの古紙を水で練った白い素材で、山やウネの地形を作ったうえに、大小の造形作品を配置している。
発生や誕生や生命や、一方で崩壊や死の印象を受ける。
土俗的であり、神話的であり、根源的であり、現代的でもある。
学生との共同制作で、大小の造形作品には学生が作ったものも混じるらしい。古郡作品ではありえないようなゴジラだの、カラフルな人形だのがあって、そうしたものも世界にあっていいというおおらかさとか、ユーモアも感じられて、一段と作品の広がりを感じる。

「インテリア」とはいっても作品の場は閉じていなくて、ギャラリーの透明なガラス壁を通して、坂上側には紅葉の丘を見上げることになる。一部は寺になっていて墓もある。
坂下側は、遠く山形市街を望む。
ここに来て、初めて「端山(はやま)信仰」という言葉を知った。
端山は、奥深い山並みが、人の住む平地に接するあたりにある山のこと。
集落で人が死ぬと、死者をその山の麓に葬る。死者の魂は、その山に登ってそこに宿り、子孫を見守っている。さらに年月が経過すると、さらに高く深い「深山」を経て天に昇り、正月や彼岸やお盆に、子孫のところに戻ってくる。
ギャラリーでの制作は、半屋外のベランダまで続いて外への延長を思わせ、ガラス壁からの上下につながる眺望とあわせ、的確に端山の位置づけを示している。
土地の固有の精神を作品にこめるのはこのところの古郡さんの作品の特徴だが、展示が土地の形状、ギャラリーの位置関係にまでピッタリはまっている。
タイトルにある「かりどの」とは、神社の改築や修理のときに、一時的に御神体を置く仮の御殿のことで、まさにこの展示が端山信仰を目の前に見せてくれている。
当初は1階の外の池にも造形してダイナミックに関連づける計画だったが、大学側の方針により中止になった。それでもこの作品の本来の魅力・意味は失われなかったといっていいと思う。
ほとんどが現地制作である古郡さんの作品は、作られたその時に遠くても見にいくしかないのだが、今回も見に来た者にしか味わえない幸福にひたった。

(端山信仰に興味を持って、あとで『山の形をした魂 山形宗教学ことはじめ』を読んだ。著者は山形の建設会社の経営者で、山形の信仰のあり方について考えている人。
出羽三山を、鳥海山など8つの千メートルを越える山々が囲んでいるから、山形全体が曼荼羅図になっていると見立てている。
山を含む地形を民俗的・宗教的に見立てることは、大江健三郎が四国の谷間を舞台にした小説でしばしば書いている。死者の魂が仮に木に宿るともいい、共通する心性が感じられる
中沢新一が序文を記していて、千歳さんの言葉としてこんなのを記している。
「私どもこの土地に生まれたものの心は、山の形をしているのですからね」。
こういう深淵なことを、千歳さんは、子供のようにふっくらとした頬を真っ赤にして、はずかしそうにしゃべるのである。
かつて『魂の重さの量り方』という本を読んだことがあるが、形についてはまだ考えたことがなかった。)

■ 東北芸術工科大学図書館
山形県山形市上桜田3-4-5 tel. 023-627-2044
http://www.tuad.ac.jp/

大きくはないけれど、書架の配列やパソコンの配置、書庫との関係など、よく考えられている。
2層あるうちの上の階には、スタジオ144とかガレリア・ノルドとかのAVやギャラリーの施設も嵌めこまれている。
期間限定の展示として「地球のいのちを考える200冊」とか、古建築のおこし絵図とかがあり、HELMUT NEWTONの超大写真集は専用に作られたかと思えるほどの大きな机に置かれて、図書館のヘソのよう。
家具のデザイン、照明なども含めて、全体のdisplayのセンスはさすが美術系大学で、文句なしに快い。

● 麺房(めんぼう)
山形市東青田1-8-1 tel. 023-632-8383

『街道をゆく』で司馬遼太郎一行が千歳山に出くわしたのは、そばやに向かうタクシーからのことだった。

 ホテルの前でタクシーに乗り、そのそばやの名前を言っただけで、通じた。よほど名のある店らしい。

インターネットで検索すると、そのそばやはすぐにわかった。
司馬遼太郎先生がお立ち寄りになり、「山形のそばは、たしかにうまい」と絶賛したと、トップ画面にテロップが流れている。

東北芸術工科大学を出て、右、左、右、左と、あみだくじ方式に新興住宅地の角を曲がり降りて、国道に行き着いたところにそばやがあった。

庭に面した席に座って、ひるどきの限定メニューの「板そばと山菜むすび880円」を注文する。
板そばはA4サイズほどもあろうかという大きな四角いざるにのせられている。
香りが立ち、おいしい。
大きな板に盛られたそば

       ◇       ◇

市街に戻るのに、大学方向に少し戻った道をバスが走っているが、本数は少ないと教えられた。
満腹して、ゆるい上り坂をゆりゆる歩いて、その道に戻り着いたときに、ちょうどタクシーが通りかかった。

これはこの旅最大の幸運だった!!

郊外の住宅街で、流しのタクシーが通るようなところではない。
そばやを出るのが少し早くても、少し遅くても出会わなかったドンピシャのタイミングで、ほとんど奇蹟のよう。手間もストレスもなく移動できて、少なくとも30分以上の時間を節約できた。
おまけに親切な運転手さんで、そばの話や、山形牛の話などしてたら、夕方、仕事を終わってから案内しましょうか?と言われる。
ゆっくり飲んでるほどの余裕はないので遠慮したが、ありがたいことだった。

■ 山形大学図書館・山形大学附属博物館
山形県山形市小白川町1-4-12 tel. 023-628-4006
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/museum/

図書館の中に博物館があることと、大学のすぐ近くに、山形五堰が流れるあこや公園があるので、寄ってみた。
図書館は5階まであり、たっぷりの蔵書。
閲覧用の机が機能本位の無骨なものだったり、芸術系大学のあとに来て見ては、デザインに関することでは落差が大きい。

図書館からの千歳山の眺め 図書館最上階からの眺め。
中央やや右にポッコリして見えるのが(たぶん)千歳山。

       ◇       ◇
この図書館には貴重書がいろいろあるが、ここでは3階にある博物館にひかれて入った。
わくわくするところだった。
対象分野は自然、歴史、民俗、美術など。通常のミュージアムのように分化していない。本来「博物」とはそういうものだろう。
化石があり、ガラス瓶に入った生物標本があり、土器や石器があり、彫刻や絵画がある。
それらがほとんど木製の展示ケースに収められていて、モノがゴロっとある存在感がとてもいい。博物館の起源である「驚異の部屋Wunderkammer」の興奮を彷彿とさせる。
展示品にキャプションはあるが、多くのモノに詳細な説明(価値判断)はない。
玉石混淆かもしれず、どれが玉で、どれが石か、見る者の眼が試されもする。
コンピュータをしかけ、照明を工夫した、ツルツルピカピカの今どき主流の博物館の展示室では、すっかりできあがってしまったものを拝見するばかりで、「そうですか」と気持ちがひいてしまうところがある。
こういうゴツゴツザワザワとした、展示室というより収蔵庫に近いようなところでは、モノに向き合う気持ちがイキイキしてくる。

かつて僕は自然史博物館にいて、来館者を案内することがあった。展示室では、いちおう「ああ」とは「ほう」とかと見てくれる。
まれに収蔵庫まで案内することがあったが、こちらでは扉を開けた瞬間、「オオッ!!」と素直で強い感嘆の声があげられること例外なしだった。
天井には鳥、床には大きなほ乳類、棚には小動物がずらっと並んでいる。
置いたままの収蔵庫が目覚ましいのに、手間暇かけて展示した展示室は半ば眠くなってしまうとしたら、博物館の展示ってなんなんだと、しばしば考えさせられた。
(その興奮を展示室で実現したのがパリの国立自然史博物館だが、あれほどの財と才の集中もまた難しい。(→[国立自然史博物館])

展示品の中に、『三島県令道路改修記念画帖』があった。
今朝、文翔館で高橋由一の県庁図を見て、どこかで見たことがあると思っていたのだが、ここにもあったか。
としても、では、他にどこで見たろうかと気になるので、事務室に寄って教えていただいた。
『山形大学附属博物館50周年記念 明治の記憶 : 三島県令道路改修記念画帖』という本が刊行されていて、ここに全国の所蔵状況が記録されていた。
その本を参照しながら、
・ 高橋由一による石版画は今は7種あるのが確認されている。
・ 1枚ずつ分けて額装されたのもあり、当館が所蔵するように画帖のままあるのは貴重である。
・ 石版にする前の原画は山形美術館が所蔵している。
・ 山形県庁図は、視点の位置などから、写真を基にして描いたと判断される。
など、教えていただいた。
謎に思ったことが、現物があり、背景までするすると解明されていく快感とありがたみ!
楽しい博物館だった。
(それにしても、「僕が前に山形県庁図を見たのはどこでだったか」は、やはりナゾのまま、いまだに思い出せない...)

□ 山形市郷土館
山形県山形市霞城町1-1 tel. 023-644-0253

山形五堰のいくつかを見たあと、最後に山形市郷土館に行った。
もとは済生館という1878年竣工の病院。
貴重な擬洋風建築で、国の重要文化財に指定された機会に、山形城跡地の霞城公園に移築された。
山形に残る洋館の1つの郷土館

病院の草創期に指導にあたったオーストリアの医師アルブレヒト・ローレツ(1846-1884)の資料が展示されていたが、ウィーン大学医学部に学んだ人という。
郷土館は円(階によっては多角形)のかわった形をしている。
ウィーン・円形・病院と組み合わさると、ウィーン大学にある元病院、「愚者の塔」が、今は病理・解剖学博物館になっているのを連想した。遠い符合がはるかな思いを誘う。
(→[はじめの円筒/円塔 リングに囲まれた円環都市の円形建築])

● 山形特選牛めし
夕飯にする駅弁を買って新幹線に乗る。980円。車内で買った生ビールは500円。ほてったのどがうるおう。
ひとたび終えて、山形の人のやさしさ、親切さをあらためて思い出した。
光丘文庫の散歩の人、タクシーの運転手さん、2つの大学の司書さん、学芸員さん、山形大学で道やバス便を教えてもらった学生さんとインフォメーションセンターの職員さん。
郊外のそばや近くでタクシーが奇蹟のように現れたのも幸運だった。
そして、素晴らしい展示にふれ、よい旅をするきっかけを作ってくれた古郡弘さんというアーティストと出会ったのが、そもそも何よりの幸運と、しみじみと思った。

(2010.11月 no.51)
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参考:

  • 『街道をゆく 10』 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1978
  • 『山の形をした魂 山形宗教学ことはじめ』千歳栄 青土社 1997
    『魂の重さの量り方』 レン・フィッシャー 林一/訳 新潮社 2006
  • 『山形大学附属博物館50周年記念 明治の記憶 : 三島県令道路改修記念画帖』 オフィス・イディオム/編集 山形大学附属博物館/刊 2004
    『高橋由一 風景への挑戦』 栃木県立美術館 1987