国立公文書館 -日本国憲法を見る


1.東京都写真美術館図書室−さすがの写真集蔵書
2.北里記念医学図書館−白衣の人ばかり
3.国立公文書館−モノとしての日本国憲法を見る
4.南洋堂書店−建築書専門の本屋さん

見ておきたい展覧会などがあって、やや久しぶりに都心を散歩した。
1月なのに昼間はとても暖かい日で、いい散歩になった。(でも夕方は強風が吹いてぐんぐん寒くなり、風邪をひいてしまった。)

■ 東京都写真美術館図書室
東京都目黒区三田1-13-3恵比寿ガーデンプレイス内
tel. 03-3280-0099

http://www.syabi.com/index.shtml

2階の展示室では「日本の新進作家展 出発−6人のアーティストによる旅」という、新進作家6人の写真展を開催中。僕がとくに見たかったのは石川直樹の作品。

その子ども向け著書(とはいっても中学生以上か)『いま生きているという冒険』の章立てはこうなっている。
「インド一人旅」「アラスカの山と川」「北極から南極へ」「七大陸最高峰とチョモランマ」「ミクロネシアに伝わる星の航海術」「熱気球太平洋横断」と並んでいる。
フィクションかと見紛うほどの冒険が並んでいるが、実際にみんなやってしまった。しかも「北極から南極へ」は人力による踏破だし、2001年に達成した七大陸最高峰の登頂は、当時の最年少記録だった。
「熱気球太平洋横断」は、2004年に、埼玉県比企郡川島町の職員、神田道夫に同行して熱気球による太平洋横断を試みた。日本から1600キロ離れた太平洋上に着水し、漂流したが、通りかかった貨物船に救助された。太平洋上で通りかかった船に出会うのは奇跡的なこと!

神田道夫はその後2008年に単独太平洋横断を目指したが消息を絶った。石川直樹はルポルタージュ『最後の冒険家 太平洋に消えた神田道夫』を書き、開高健ノンフィクション賞を受賞した。
神田のことを主題にしながら、当然、自身の冒険についての考えも展開している。
はた目には、十分に誇れる冒険を成功させてきたといっていいように思えるが、石川は、自分は「冒険家」ではないし、そうなろうとも、なりたいとも思わないという。植村直己やメスナーで地理的な冒険の時代は終わった。でも
ハードな辺境の冒険だけが冒険ではないことに多くの人が気づくだろう。地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験している生きることそのものだと思っている。日常における少しの飛躍、小さな挑戦、新しい一歩、そのすべては冒険なのだ。
それは先だって水戸に展示を見に行ったヨーゼフ・ボイスの「あらゆる人が芸術家である」という思考につなっがっている。

前述の『いま生きているという冒険』では、最後にもう一章「想像力の旅」が置かれている。
石川は、数々の冒険的経験を経ながら、東京芸術大学大学院美術研究科に通っていた。いわゆる冒険も、写真も、自分の生き方も、すべてが「表現」としてあって、石川直樹を定義すれば「表現者」とでもいうしかないか。
今は多摩美術大学芸術人類学研究所研究員。

そうした石川直樹の表現の幅の広さ深さに比べ、東京都写真美術館2階展示室の1/6の小区画はあまりに狭かった。2008年には日本写真協会新人賞を受賞してもいるのだが、石川直樹を写真家として狭い枠の中におさめるのは無理がある。

       ◇       ◇

石川直樹の著書は2009年までで以下のようにある。

『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』中央公論新社 2003
『THE VOID』ニーハイメディア・ジャパン 2005
『NEW DIMENSION』赤々舎 2007
『POLAR』リトルモア 2007
『VERNACULAR』赤々舎 サマンサ・ルーン訳 2008
『Mt.Fuji』リトルモア 2008
『ARCHIPELAGO』 集英社 2009

『この地球を受け継ぐ者へ』講談社 2001
『大地という名の食卓』数研出版 2003
『全ての装備を知恵に置き換えること』晶文社 2005
『いま生きているという冒険』理論社 2006
『最後の冒険家』集英社 2008
『富士山にのぼる』 教育画劇 2009

* アルファベットのタイトルの書は、写真中心の写真集。日本語のタイトルの書は、文字が中心の著書。

出版されたばかりの『ARCHIPELAGO』を見たくて−4,800円の本は買いにくいので−美術館の4階にある図書室に行った。
「納品されたばかりでまだ登録処理がすんでいないけれど、どうぞ」と見せてもらえた。(他の写真集もすべて所蔵してあって、さすが。)
ARCHIPELAGOは、多島海のこと。でも日本だけでなく、サハリンや台湾まで行って撮っている。国境を越える視点から見えてくるつながりがある。

この『ARCHIPELAGO』を出版した2009年で石川直樹はまだ32歳。これだけの旅をして、これだけの本を出して!
この先どんな達成をしていくのか楽しみだし、僕のほうの前途を考えれば当然途中までしか見届けられないのが残念でもある。

石川直樹は作家・石川淳(1899 - 1987)の孫でもある。
石川淳は、僕の関心に即していえば、ブルーノ・タウトをモデルにした『白描』を書いた作家ということになる。「タウト」と「冒険」のことをいいだすと散歩が先に進まないので、図書室を出て麻布に向かう。

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□ フランス大使館旧館「ノー・マンズ・ランド・カフェ」
東京都港区南麻布4-11-44
http://www.ambafrance-jp.org/

1957年にジョゼフ・ベルモンが設計したフランス大使館旧庁舎は、新しい庁舎が完成したので解体される。その前に日仏のアーティスト70人が参加する現代美術の展示場として、最後の花を飾ることになった。
美術館でない場所で美術展をすること自体は珍しくないが、終了後は解体されるのだから、現状回復することなど考えなくていいので、大胆な展示があっておもしろかった。

でも、とくに印象に残ったのはひっそりめの作品。
藤井志帆は、引っ越しを前にした心情にそっとふれるような作品を陶で作った。
机の上には束ねられた本とか。ロッカーにはハンガーとか。
引っ越しにあたって、いりようなのか、捨てるものか、わからないようなものを、小さな部屋にいくつか置いた。
そうしたモノが実は陶で作られているだまし絵的なおかしさも仕掛けてある。アーティストか看視の人が腰かけるためかのように置かれた椅子の上に、柔らかそうな膝掛けがある。でも、これも陶製で、気がつかずに素通りする人もいるし、気がついた人はほとんど、わあっと歓声をあげる。

藤井志帆 とうどうらもん
藤井志帆 藤堂良門

藤堂良門(とうどうらもん)は、本の外側表紙だけ残して、中の頁をガラスで置き換えている。本はクローデルやドゴールやル・コルビュジエの著書。文字を読むことはできなくなっていて、光だけ帯びている。

人がいなくなる建物を会場にしたイベントは『No Man’s Land』というタイトルだったが、言語に誇り高いフランスの大使館が英語でするのか...と奇異な感じがした。

*「天現寺」バス停から新宿西口行きのバスに乗り、信濃町駅で降りる。
慶応病院と中央線の間の道を歩いて佐藤美術館へ。

□ 佐藤美術館 山本冬彦コレクション展
東京都新宿区大京町31-10 tel. 03-3358-6021
http://homepage3.nifty.com/sato-museum/

30年間で約1300点を買い集めたサラリーマンのコレクションのうち、160点ほどが展示されていた。1つずつの作品から、「この絵が好きだ」と気に入って買ったコレクターの気持ちがしみじみ伝わってきて、いい企画だった。

山本さんは、作品を購入することはアーティストを支援することにもなると考えて買い続けてきたという。
ひるがえって図書館のことを思えば、図書館に行って本をたくさん読むのはよいこと、とされている。でも図書館が買うから個人が本を買わずにすませて、作家の利益を損ねているという意見もある。
そうした議論のときに、「気に入った作家の本を買うことは作家を支援すること」という視点があってもいいと思う。

美術の世界では、「展覧会で眺めるだけでなく、自分でお金をだして作品を買うことで作品を見る目が深まる」という考え方もある。本に関しては、そういう考え方をきいたことがない。
何が違うのだろう?

*信濃町駅に戻る途中で左にちょっと入って寄り道する。
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■ 北里記念医学図書館
東京都新宿区信濃町35
http://www.med.lib.keio.ac.jp/index.html

熊本に旅行したとき、医学者・北里柴三郎(1853-1931)が郷里に寄贈した「北里文庫」を見てきた。(→[大分のポカポカ温泉とザンシン図書館めぐり]
こちらは北里柴三郎が都内で活躍していた本拠地の図書館で、クラシックな外観が歴史を感じさせる。
正式には「慶應義塾大学信濃町メディアセンター北里記念図書館」。ロビーをのぞくと、ベンチで談笑しているのは白衣の医学生たち。とてもそれより奥には入れなかった。

*信濃町駅から総武線で飯田橋、地下鉄東西線に乗り換え、竹橋駅で降りる。
行き慣れた国立近代美術館を今日は通り過ぎて国立公文書館へ。


北里記念医学図書館
北里記念医学図書館 国立公文書館

■ 国立公文書館「昭和の公文書−復興から高度成長へ」
東京都千代田区北の丸公園3-2 tel. 03-3214-0621
http://www.archives.go.jp/

所蔵資料の中から、戦後のエポックメイキングな出来事の資料を選んで展示してあった。国立公文書館なんて、特別な研究者でもない限り退屈なところだろうと思っていたが、!!!なことがたくさんあって、とてもおもしろかった。

・ 日本国憲法の公布原本(1946年)
憲法については、学校で教えられたし、現実に今の全日本の基礎にあることは承知しているけれど、モノとしてこんなふうにあるということは全く思ってみたことがなかった。コン!とショックを受けた。こういう原本があって公布されたから、憲法が機能しているわけだ。

『ナショナル・トレジャー』という映画では、ニコラス・ケイジが演じる歴史学者が、秘宝のありかの秘密が隠された「アメリカ独立宣言書」をアメリカ公文書館に盗みに入る。一般公開されているが、ハイテクを駆使して、厳重に保管・警備されている。映画はフィクションだけど、この置き方はおよそ事実通りだろう。
ところが国立公文書館の日本国憲法は、古めかしい木枠のガラスケースに展示され、受付カウンターに警備員がいるだけ。何かしら警備装置が仕掛けられているかもしれないが、とても簡単そう。
まあ、改憲派がこの原本を盗んで書き換えたとしても、それで憲法改訂ができてしまうわけでもないし、金銭目当てとしても買い手がないだろうけれど、愉快犯なんてこともありうるし、心配になってしまう。

・ 自衛隊創設の日の長官訓示に関する保安庁の決裁文書(1954年)
これは対外的公布文書ではなく、内部の決裁文書。
(保安庁)の罫紙に手書きで趣旨が書かれているが、字がヘタ。かえって、こんな字を書く人が、こういう歴史的できごとに関わっていたのかというなまなましい実感がわいてくる。
欄外に「至急」の赤字。あわただしく作られたようだ。
他の資料でも、ガリ版印刷の文書とか、和文タイプの文書とかあって、時代の推移を感じる。

・サンフランシスコ平和条約の公布原本(1952年)
・新安保条約の公布原本(1960年)
・東京オリンピック開催のための特別措置法の公布原本(1964年)
など、このようにして国家の意思の決定がされて戦後の時間が動いてきたということが、目に見えるモノとして眼前にあるのが新鮮な経験だった。

もうひとつ驚いたのは、公布書に総理大臣はじめ各大臣が、ふつうの署名ではなく、「花押」を記していること。「花押」なんて、武士の時代の殿様が記すものと思っていたのに、現代まで名残りが続いているのだった。
会場に置かれたパソコンの画面では、歴代総理の花押を検索して見ることができる。

*竹橋からウロウロ歩いて神保町へ。

□ 南洋堂書店
東京都千代田区神田神保町1-21 tel. 03-3291-1338
http://www.nanyodo.co.jp/

建築書専門の書店に寄る。
一般書店にある建築書の棚だけでも読み切れないのに、ここに来ると、まだこんなに広い未知があるかと、楽しみより絶望におしひがれそうになる。
2階に上がる階段の途中に置いてあった『神保町対決マップ』をもらった。南洋堂が発行したフリーペーパーで、神保町界隈のライバルどうしを戦わせている。
大学対決は「日本大学vs明治大学」。
建築書対決は「南洋堂vs明倫館」。
ル・コルビュジエ対決は「アテネフランセvs文化学院」。
それぞれにひねった対決文がついていて、おかしい。

画材店対決は「レモン画翠vs文房堂」。
レモン画翠は、かつてお茶の水駅近くに2店あり、どちらの店にもカフェを併設していた。ずいぶん前のことだが、僕はそのカフェで落ち合うデートの約束をしたことがあった。僕は駅からいくらか離れた方の店に行ったが、時間を過ぎても待ち人がなかなか現れない。しばらくして同名のカフェが2つあることに気がついて、駅近くの店まで走って行った。着いたときには約束の時間から30分ほども経っていたが、相手の女性はまだいて、遅れたわけを話すとおかしがってくれた。
僕にも青春映画みたいな時期があった。

三省堂と中央大学記念館で買い物をして、お茶の水駅にでる。
時計は16:20。東京都写真美術館の10時開館に間に合うように、恵比寿駅に着いたのが9:50ころだったから、御茶ノ水駅まで6時間30分ほどの散歩だった。

恵比寿駅(徒歩)東京都写真美術館(徒歩)フランス大使館旧館(都バス 「天現寺」から新宿駅行き)「信濃町駅」(徒歩)佐藤美術館、北里記念図書館(徒歩)信濃町駅(JR総武線)飯田橋駅(地下鉄東西線)竹橋駅(徒歩)国立公文書館、南洋堂、三省堂、中央大学記念館、お茶の水駅


(2010.1月 no.21)
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参考:

  • 石川直樹のホームページ:http://www.straightree.com/
    『白描』 石川淳 中央公論社 1947
  • 『週末はギャラリーめぐり』 山本冬彦 ちくま新書 2009
  • 『本の街だよ 神保町対決マップ』創刊記念号 南洋堂書店 2009