駒澤大学図書館/禅文化歴史博物館


1.駒澤大学図書館 −上質のホスピタリティにふれる
2.駒澤大学禅文化歴史博物館−密な小宇宙

■ 駒澤大学図書館 −上質のホスピタリティにふれる
東京都世田谷区駒沢1-23-1
http://www.komazawa-u.ac.jp/cms/library/

円筒分水に興味を持った。農業用水をふり分ける施設を円筒にして、目的の配分比に正確に水を流していく。
それまでの施設の部分改良ではない、まったく新しい発想で、明快に合理的にできている。水の配分はときに命がけの争いになるほど切実だったから、その合理性は歓迎され、ほぼ全国に広く普及した。
円筒の水盤を滑り落ちる景色も涼やかでみごとなもので、近ごろ愛好者が多い。

その最初の論文、可知貫一が書いた『灌漑計画と放射式分水装置について』は、 「農業土木研究」第2巻1号に発表された。1930年刊行で、僕が関わる埼玉県内の図書館には所蔵されていない。
それで、駒澤大学の図書館に行った。
1階入口の女性も、2階のカウンターの女性も、笑顔で親切。初めて来た図書館のことだから、どうしたらいいかとまどっていると、すぐに察して、笑顔で声をかけてくれる。
説明も簡潔で要を得ていて、上質のホスピタリティが快い。
駒澤大学生がうらやましい。

目的の「農業土木研究」はすぐ手にとることができて、目的の論文のコピーをとった。
ほかに、時勢を反映して、朝鮮や中国の土木問題を論じる文が、あたかも国内のことを論じているかのように、あたりまえのように混じっている。
このころから日本は太平洋戦争に傾斜していくが、戦時のモノがない時代になっても食料の確保につながる施設だから、円筒分水はいくつか作られている。

この図書館の前身は、旧・新橋演舞場(1925)や、銀座のライオンビヤホール(1934)の設計で知られる菅原栄蔵による特徴のある建築だった。
現図書館はふつうの四角いビルディングに入っている。

■ 駒澤大学禅文化歴史博物館(旧・駒沢大学図書館)
  −密な小宇宙
http://www.komazawa-u.ac.jp/cms/zenbunka/

関東大震災(1923)で図書館が被害を受けたので、菅原栄蔵の設計による図書館が建ったのが1928年。
1973年に現図書館が完成し、旧・図書館は博物館に転用され、公開されている。


外観は屏風が連なるような折板(せつばん)構造。
中央に吹き抜けがあり、大きな光の天井があり、柔らかな自然光が降ってくる。
駒沢大学旧図書館の外観

吹き抜けが大閲覧室で、1階、2階とも、周囲に小部屋がいくつか張り出している。小部屋に入るために、2階は回廊になっている。
中規模の礼拝堂といった感じで、適度に閉じた、密な、小宇宙になっている。
閲覧机が並び、書架に図書が詰まっていると、図書館じたいがひとつの精神世界を形成していたろうかと想像する。

建築家、渡辺豊和は、この建築をこう評している。
駒沢大学図書館において、ライトにおけるグッゲンハイム美術館、コルビュジエにおけるロンシャン教会堂のような、己が”小宇宙”を建築家として作り上げてしまった。(『建築家・菅原栄蔵の心意気』 渡辺豊和)
建築の処女作で、高度な達成を成し遂げてしまったと評価している。

今は禅文化に関する博物館で、仏像や、修行の場で使う器具などが展示されている。もともとこの展示のために作られた建築ではないから、スケール感がしっくりしなくて、なにか茫洋とした空間になっている。リノベーションとしては、建築と展示物がミスマッチなように思う。
廊下にポスターがいくつも貼ってあったりして、由緒ある建築を損ねているのも惜しい。

『「図書館誌」にみる駒大図書館史』という薄い冊子が配布用に置かれていた。
1920年代に図書館の司書が記した簡潔な記録を、順に編集・刊行している。
1923年9月1日の関東大震災では、大講堂が全潰し、図書庫に大亀裂が入るなど「其惨状言語ニ絶す」とある。
9月4日には、「図書館講師控室等の壁土駆除に従事、全身黄塵に包まる」。
その後、大学昇格の認可を受ける条件として、閲覧室と書庫をそなえた図書館の整備を求められたこともあり、
1924年5月27日、「図書館新築準備として作事場工事に着手」。
奇妙なのは、工事が始まってから「米本君と現場視察の結果、食堂ニ入口なく」ということに気づいたり、北側玄関の左の階段を2階以上はなくすとか、事務室を2階にするかどうかとか、重要なことが決まってなかったり、変更を相談したりしている。
たいていの工事で、着工後に変更していくことは種々あるとして、そんなこと初めにどうして決めてなかたのだろうと思うようなことがいくつか記されている。菅原栄蔵も図書館の建築は経験のないことだから、十分に考えが及んでいないこともあったとしても、図書館側との協議で詰めてから工事にかかりそうなものに思う。あるいは当時の建築はそんな感覚だったのかもしれない。

竣工間近には落成式の準備も始まり、
1927年9月5日「我等は本年暑中も遂に無休に終る」。
落成式は1928年だが、前年には利用が始まる。
1927年11月17日 「入館手続き面倒になりし為か、乃至は研究心乏しき為か期待せし程の入館者もなく誠に勿体なき感を懐けり」
とある。
簡潔な記録だが、当時の社会も垣間見え、司書の気持ちも伝わってきて、読んでいて楽しい冊子だった。記録を残すことの大切さにもあらためて思い至る。

(2010.4月 no.39)
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