松竹大谷図書館・外務省外交史料館


1.松竹大谷図書館−演劇資料を寄贈する
2.外務省外交史料館−外交資料を調べたり、驚いたり
3.藤本荘介展 トーク・セッション 東浩紀+藤本壮介
  −武蔵野美術大学 美術館・図書館の設計者の対談

築地、麻布台、神宮前と移動して、図書館について、建築について、収穫があった。

■ 松竹大谷図書館
東京都中央区築地1-13-1 ADK松竹スクエア
http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/

有楽町駅を降り、晴海通りを晴海方向に歩いて行くと、歌舞伎座がすっかり解体された土地が、工事用のフェンスに囲われている。
少し先のADK松竹スクエアのビルに入って、3階の松竹大谷図書館に行く。
松竹大谷図書館の案内表示

埼玉新聞に埼玉県寄居町の人と場所のことを連載したが、今年になってその記事を印刷して冊子にまとめたので、図書館に寄贈した。
埼玉県寄居町は、秩父山地と関東平野の境にあり、川と道と鉄道が交わる要衝にある。人が往来し、さまざまな文化がもたらされた。そんな様子を『寄居日和』と題して連載した中に、浅草オペラの先駆者である佐々紅華(さっさこうか)が別邸を構えたこと、7代目の松本幸四郎が別荘を建てたことなども記した。
ささやかな冊子だが、演劇に関わるから専門の図書館におさめておく意義はあるかもしれないと考えてお持ちしたのだが、感謝して受け取っていただけてよかった。

松竹大谷図書館は、松竹株式会社の創立者のひとりの大谷竹次郎(1877-1962)が発案して1958年に開館した。(もうひとりの創立者は、双子の兄弟の白井松次郎。)
映画、演劇、テレビ番組に関する専門図書館で、図書、雑誌に限らず、台本、スチール写真、ポスターなど、集めにくく、取り扱いにくい貴重な資料を所蔵している。

一番星画廊 に寄り、OAZO松丸本舗をひとまわりし、その5階にあるCrillonで昼をとる。

『寄居日和』渡辺恭伸 2010

□ 宮内庁書陵部・三の丸尚蔵館『皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品』
東京都千代田区千代田1-1 tel. 03-3213-1111
http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannomaru.html

三の丸尚蔵館は皇室のお宝を所蔵・公開するところだから、他の美術館ではなかなか見ることがない名品がときおり一般人の前に現れ、感嘆することになる。
今回の目玉は1866年の『薩長同盟裏書(さっちょうどうめいうらがき)』(木戸家文書)。
薩長同盟が成立したとき、それを記した文書に、桂小五郎の求めに応じて坂本龍馬が朱文字で裏書きしたもの。
このレプリカを、先日、高知県立坂本龍馬記念館で見た。本物はここにあったのか。
大河ドラマでは、寺田屋事件で受けた傷で腕に包帯を巻いた龍馬が、窮屈な姿勢で裏書きをする場面があった。レプリカを見たあとだったが、放送では違和感なく裏書きの文書ができあがり、うまく作り、撮るものだと感心した。

さすがに坂本龍馬で、他の所蔵品はジミだが、この資料のことが新聞の社会面に紹介記事がでていたくらいで、狭い展示室が混んでいた。

■ 外務省外交史料館
東京都港区麻布台1-5-3 tel. 03-3585-4511
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/

元アメリカ大統領の来日の記録:
実業家・井上房一郎と画家・山本鼎の出会いは、軽井沢にお互いの別荘が近くにあったからだった。
軽井沢に行ったとき、山本鼎の別荘は、グラント将軍ゆかりの家を横浜の三渓園から移築したものときいた。新築物件だと思っていたのに、移築であり、しかも元アメリカ大統領に関わりがあるという予想外の展開になり、少し調べてみる気になった。
外務省外交史料館に、『米国大統領グラント来遊一件』があるので訪れた。

「利用申込書」を書き。運転免許証を見せて入館する。
「閲覧申込書」に分類番号を記入して請求するのだが、グラント文書は史料館のQ&Aにでているくらいで利用者が多いらしく、すぐわかった。

ワゴンに載せて運ばれた文書は15冊。厚いファイルに綴じてある。
ところが1番から15番まで続いてあるのではなく、2,5とあって、あと7から19までは揃っている。つまり1,3,4,6が欠けている。
運んでくれた方は、関東大震災か空襲で欠けたかもしれないと言われる。

グラントは1869年から1877年まで、アメリカ大統領だった人。日本とは、在職中に岩倉使節団を迎えたという縁がある。
引退後、家族と世界漫遊旅行をし、最後の訪問地として日本を訪れた。

そのとき随行したジョン・ラッセル・ヤングが記した記録が『グラント将軍日本訪問記』として翻訳・出版されている。
その記述によると、1879年6/21に長崎に着いた。長崎で数日過ごした後、横浜港を経て東京に向かい、以後は東京の宿舎をベースにして滞在し、9月3日に横浜港を発って帰国した。
その間に日光に行った。往復の行程がたいへんで、将軍は皇室専用の馬車、残りの者は人力車。行きは7/17に東京を発ち、途中に泊まりながら7/19に日光着。
東京では蒸し暑いし行事が多いが、日光は快適だったと記している。
戻るのは7/28に出発。
「翌朝、われわれは神奈川Kanagawaに行き蚕(かいこ)を見物した。」と翻訳されているが、これは「鬼怒川kinugawa」の聞き違いのようだ。
「七月三十一日、われわれはくたくたになって」ここちよい宿舎がある東京の延遼館にもどったとあるから、行きは2泊、帰りは3泊かかっている。
(東北本線の大宮〜宇都宮間が開業したのが1885年、日光線の宇都宮〜日光間が開通したのは1890年だった。)
三渓園から移築された民家は、さらにその前には栃木にあったものを移築したらしいので、日光旅行に「グラント将軍ゆかりの家」の鍵がありそうだが、泊まったところは僧房のようだし、ヤングの文章からは手がかりを得られない。
(ちなみに8月12.13日は箱根に行ったが、横浜の三渓園に寄ってはいないようだ。)

そこで期待した資料『米国大統領グラント来遊一件』は、時系列に整然と記録されいるのではなかった。
歓迎会の会場、出席者、経費とか、一行が泊まった宿の部屋割り、みやげの品名、金額など、賓客を迎える側の準備史料がかなりランダムに並んでいる。
「第四日 午後南禅寺 狂院 
第八日 午前 小学校 桂御別荘 午食 桂御別荘」
など、京都や奈良の行程まで計画されているが、コレラが流行していて実現しなかった。
「GENTLEMEN'S」「LADIES」「W.C.」と書いたカードがはさみこんであるのは、訪問先でこういう表示をだすようにというサンプルだったか。
元大統領一行をどう遇したかがうかがえるおもしろい資料だが、「グラント将軍ゆかりの家」の謎は解けない。三渓園側の資料を見なくてはでてこないようだ。

『グラント将軍日本訪問記 (新異国叢書)』 ジョン・ラッセル・ヤング 宮永孝/訳 雄松堂書店 1983
→[避暑地の出会い]

展示室−安保条約の原文書を初めて見る:
外交史料館には初めてなので、展示室も見に行った。
ミズーリ号での降伏文書(1945年)、日米安全保障条約の調印文書(1951年)といった外交上の基本文書が展示されている。
前に国立公文書館に行って、「日本国憲法の公布原本」(1946年)を見て、現物としての憲法があった!と衝撃的感動を受けたことがある。そちらが国内版として、こちらは国際版で、歴史上の重大事の根本の文書を目の前に見るのは新鮮なショックだった。
日露講和条約(1905年)など、ロシア関係のものでは、押印につかう蜜蝋の缶ごと文書に付属させてあって、こんなのも見てみないとわからないおもしろさだった。

展示室−特別展『外交史料に見る 日本万国博覧会への道』:
万博に関する特別展示があり、「1970年日本万国博覧会参加契約書」があった。「契約書」で始めるわけだ。
「紀元二千六百年記念日本万国博覧会概要」には、湾岸を埋め立てた人工土地の予想図があった。その後1996年に世界都市博覧会も中止になったから、湾岸では歴史が繰り返している。

南葵文庫:
グラント将軍の資料を調べたのは外務省外交史料館の本館。
展示室があるのは別館。
外苑東通りに面した東西に長い敷地の東に本館があり、西の際に別館がある。
その東隣には、麻布小学校。
時代をさかのぼれば、このあたりには「南葵文庫」があった。
紀州徳川家第15代当主徳川頼倫(よりみち)が、1898年に設立した私設の図書館で、つい2週間ほど前に、蔵書を引き継ぐような直接の関係ではないが、血統的には後裔といっていいだろう和歌山県立図書館にも初めて行ったばかりだった。
南葵文庫は今は熱海に移築されて「ヴィラ・デル・ソル」というホテルになっている。
ますます行きたい気持ちが募る。

『南葵文庫〜目学問・耳学問〜』 坪田茉莉子 郁朋社 2001

[和歌山県立図書館]
ヴィラデルソル http://kai-atami.jp/

□ ワタリウム美術館『藤本荘介展 山のような建築 雲のような建築 森のような建築』
http://www.watarium.co.jp/

ワタリウム美術館で、建築家・藤本荘介の展覧会を見る。
「山のような建築」のインスタレーションも作ってあった。
東京は坂道が多いところから発想したという。
この美術館ではブルーノ・タウト展も開催されたことがあり、タウトの山岳都市に思いがつながった。

■ 建築家会館
『藤本荘介展 トーク・セッション 東浩紀+藤本壮介』


美術館から数分歩いた会場で、武蔵野美術大学図書館を竣工させたばかりの建築家、藤本荘介と、思想家・東浩紀の対談。
東さんは思想家とか物書きとかのイメージとは違う人だった。かなりの勢いで、よくしゃべる。穏やかな口ぶりの藤本さんが、きっかけになるようなことを10の量、話すと、それに応えて東さんが100くらい語るふうだった。
狭義の建築的話題が少なく、終了後の質問の機会に、直接に建築のほうへの関心が高いと思われる人から、むさびの図書館についての質問がでた。
藤本さんは、
「これまで関わってきた建築より格段の大きさがあり、6000u、こちらから向こうまで70mもある。身体感覚をこんなスケールにどう翻訳していくかを考えた」という。

対談の終了後、僕も気になっていたことを藤本さんに尋ねた。
今年の2月にギャラリー間で「建築家の読書術」という展覧会があった。
会場に丸椅子をいくつも配置して、5人の建築家が選んだ本を置き、その本についての当の建築家のコメントを記したしおりがはさんである。
藤本さんが『Libraries』(Candida Hoffer,Thames & Hudson,2005)にはさみこんだしおりには、「図書館はときに建築をこえている」と書いてあった。
建築の対象物としての図書館は、広く「建築」という概念のなかに含まれるはずで、図書館が建築を越えるのは逆転のように思える。いったいどういう意味をこめたのか、きいてみたいと思っていた。
→[Bookshop TOTO & Magazine Library −ギャラリー+本屋+図書館]

「本は建築もおさめてしまう。建築を設計するときは、新しい見方とか、方法とかを発見し、構築し、提示してみたいと考えるが、図書館については、図書館としての本質をオーソドックスに追求したいと考えた」といわれた。
新進気鋭の、これからますます旺盛に建築活動を展開しようとしている建築家をして、図書館については正道を行こうと考えさせたのか、とあらためて図書館のもつ存在感の大きさを思った。
まだ見ぬむさびの図書館に行かなくては。

もりだくさんに収穫があったよい日だった。

『建築が生まれるとき』藤本荘介 王国社 2010
『藤本荘介 武蔵野美術大学 美術館・図書館』藤本荘介 INAX出版 2010


(2010.10月 no.46)
ページ先頭へ

参考: