国立国会図書館国際子ども図書館
東京大学工学・情報理工学図書館


■ 国立国会図書館国際子ども図書館
『絵本の黄金時代 1920〜1930年代 子どもたちに託された伝言』
http://www.kodomo.go.jp/index.jsp

1920-1930年代のアメリカとソビエト連邦の絵本を紹介する企画展。
絵本は、社会の動きとは無関係とはいわないまでも、直接に関わる度合いは小さいものと思っていた。でも、この時期、この2つの国では、移民層との共生、革命後の新しい社会の提示という点で、絵本が大きな役割を担い、発展したという。

アメリカでは、図書館司書から出版社に移って絵本の発展に寄与した女性数人が紹介されていた。女性が社会的活動をすることが今ほどではなかった時代に、女性の社会的重要性を高めることにもなったという。
図書館(またはその職員)が、出版物のレベルを高めるのに貢献することが、今の日本でももっとあっていいと思う。

1930年代のソビエ連邦は、僕の関心に則していえば、ブルーノ・タウトがモスクワに行った時期になる。結局うまくいかずに帰国するのだが、ナチスが台頭してきたドイツでは、共産主義のモスクワ帰りの身には危険が迫り、日本に逃れてきた。
その頃のソビエトの絵本は、ふつうのお話のほかに、『サトウダイコンが砂糖になるまで』とか『赤軍のパレード』とか、ものや社会の知識を伝えるものが多いのが、アメリカに比べての特徴のようだ。
「第三インターナショナル記念塔」で知られる建築家タトリンが、詩にあわせた絵をかいた本も展示されていた。1929年の刊行で、翻訳はでていないので、「まず第一にそして第二に」という仮題がつけられている。ペンで描いたかのような細密な絵だった。

安藤忠雄がリノベーションの設計をした図書館は、古い意匠と、ガラスとコンクリートによる増改築部分がうまく重なっている。古い重厚さと新しい明るさが調和して気持ちがいい。
上野駅近くで昼を食べてきてしまったが、ここの半屋外のようなレストランにすればよかった。

階段の窓からひょっと外をのぞくと、東京国立博物館の向こうに工事中のスカイツリーが見えた。 東京国立博物館の屋根の向こうに、建設途中のスカイツリーが見えた

■ 東京大学工学・情報理工学図書館
   http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/
+工学部一号館製図室『難波和彦先生の退職を祝う会』

10年ほど前に我が家の設計をお願いした難波和彦さんは、その後、安藤忠雄のあとを次いで東京大学大学院の建築学専攻の教授に就任された。この4月に定年退職したのを祝う集まりがあり、東京大学の工学部1号館に行った。
この3階には、工学・情報理工学図書館がある。
しばらく足跡をたどっているブルーノ・タウトが、生駒山の開発計画を委嘱されてかいた図面があり、感動しながら閲覧したことがある。
(→[東大図書館でタウトのスケッチを見る])
現代的で開放的な空間と、古典的で閉じた親密な空間とが組み合わされていて、図書館としてもすばらしいものだと魅入られた。

祝う会は2階の製図室で開かれた。
元は中庭だったところに、鉄骨を組んで増築した部屋だから、まわりは古いスクラッチタイルの壁に囲まれている。東大の退官記念の集まりといったら、豪華ホテルで開いてもよさそうなものだが、難波さんは、研究室のすぐ前にある、6年半の間の拠点だった製図室を会場にした。難波さんに設計を依頼した施主、建築を請け負った建設会社、若い学生まで招いて、200人を越える盛況だった。

「箱の家」シリーズを続ける建築家のパーティーに用意された料理は、白い箱に入っていて、「箱の料理」。
ふたには、シリーズ中の番号と、その家の簡単なスケッチと、おなじみの難波さんのサインが描かれていた。
料理を入れた箱に難波さんのサインイと箱の家のスケッチ

昨年に難波さんより1年先に退官された鈴木博之さんと、早稲田の石山修武さんがはじめのあいさつをしたあと、中頃と終わり頃に、山本理顕さん、難波さんの後任の隈研吾さん、佐々木睦朗さん、前真之さんがあいさつされた。
伊藤豊雄さん、青木淳さんもいらしたが、あいさつはされなかった。
(今、大地震でもあって、ここが潰れたりしたら、日本の建築界は大損失になってしまうと妙なことを思ったが、大地震でも壊れないように設計・施工されてるだろう。)
難波さんの前任者の安藤忠雄さんは、発起人に名を連ねていたが、会は欠席された。

僕がしばらくテーマにしている井上房一郎が山本鼎と出会ったのは、軽井沢で互いの別荘が近くにあった縁によるが、最近、山本鼎の別荘の所在地がわかった。元アメリカ大統領グラントゆかりの建物で、三渓園から移築されたものとのこと。
(→[避暑地の出会い])
井上房一郎が経営していた井上工業から依頼された設計をしたことのある隈研吾さんに、その話をして、井上工業が所有していた別荘のことはおわかりか尋ねてみた。近いうちに井上房一郎の親族と会う予定があるから、きいてみようと言われる。
建築史の鈴木博之さんにも、山本鼎の別荘のいきさつを説明したうえ、三渓園のことあたりからおわかりのことがあるかどうかお聞きしてみた。
「原三渓は、栃木に何かしらの縁があり、栃木から三渓園に持ち込んだものはいくつか(かなり、と言われたかも)あり、資料があるから、三渓園の学芸員に照会すればわかるのではないか、このつながりはおもしろいね」と言われた。

最後に難波さんがあいさつ。
大学勤めをやめて時間ができたのが一番の変化。今年は悠々自適をして、来年には別な動きを始めるとのこと。
難波さんと、奥様にも花束が贈られ、閉会した。

(2010.11月 no.52)
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参考:

  • 『難波和彦先生の退職を祝う会』で参加者に2冊の本が記念に贈られた。
  • 『東京大学建築学科難波研究室活動全記録』東京大学建築学科難波和彦研究室/著 角川学芸出版 2010
  • 『建築の理(ことわり) 難波和彦における技術と歴史』難波和彦 伊藤毅 鈴木博之 佐々木睦朗 石山修武 前真之/編著 彰国社 2010