板橋区立成増図書館


板橋の美術館の展覧会からさいたま芸術劇場の演劇公演にハシゴした。板橋区立美術館に行くには、東武東上線成増駅から高島平操車場行きのバスに乗る。
駅に着くと待ち時間がちょっとあるので、バス停の広場の端に見えた成増図書館に寄ってみた。

■ 板橋区立成増図書館

東京都板橋区成増3-13-1 tel. 03-3977-6078
http://lib.trc-itabashi.jp/

成増駅前のアリエスという複合ビルの3階にある。
ほかに飲食店数店やハローワークなどが入っている。

駅に近く便利だが、駅からスーパーやバス停や細い道がゴミゴミっと続いていて、さらに1階に飲食店があるビルを上がるのだから、図書館としてはどうかと思ったのだが、内部は落ち着いていた。
いちばんの特徴は、書架や、椅子の木製部分を控えめの色1色で統一していること。
その色を何といったらいいのか、油絵の具ではなくて、和紙の色にでもありそうな、緑と黄が混じったような、うすい上品な色をしている。(僕のとぼしい色語彙からすると、舟和の芋ようかんのような色...)
じゅうたんはほぼグレーで、足音が響いたり、光を反射したりしない。
照明も適度に抑えめ。
外のざわざわした感じを帯びて歩いてきても、図書館の中に一歩入ると、しっとりした別空間が用意されている。あれこれと格別にこったデザインをしなくても、「色」を中心にしたインテリアで一体的な場ができている。
それでいて、周囲に閲覧席が配置されていて、ガラスを透した外には、駅やその先の風景を高いところから見おろすことになる。本を読んでいて、ふっと目を上げると、遠くまで視線が開放されて、気持ちよさそうだ。

同じ3階には、成増アートギャラリーがあり、市民の発表の場になっている。
この組み合わせもいいと思う。
図書館とギャラリーをあわせて、図書館流通センターが指定管理者として管理している。

□ 板橋区立美術館『福沢一郎 絵画研究所展』
http://www.itabashiartmuseum.jp/

福沢一郎(1898-1992)に僕が感情移入的に関心を持ったのは、池内紀が編集した『福澤一郎の秩父山塊 池内紀のちいさな図書館』を読んでからになる。
福沢一郎は、1941年にシュールレアリスムと共産主義の関係を疑われて逮捕され、半年ほど取り調べを受け、以後シュールな絵をかかなくなる。
その後、秩父や西上州や郷里の富岡付近の地質を観察しながらスケッチをし、1944年に『秩父山塊』を出版した。
池内の書は、その画文集を編集しなおしている。

その本を知ったころ、僕は、おそらく精神的ダメージに原因する身体的大病に陥ったあとだった。最悪期を脱してもひどく落ち込んでいて、何とか人並みの暮らしに戻っていけるだろうかと、世間から隔絶してしまったような沈んだ感じでいた。
『秩父山塊』のスケッチは、福沢一郎のそれ以前の作品とも、それ以後の作品とも違って、ジミなものだし、歩き回った土地じだいが、静かな、人の気配のうすい所が多い。逮捕と長い取り調べによる心的な傷をかかえてそんな土地に引き寄せられていったろうかと、わが身に思いを重ねて共感を覚えた。

今回の展覧会は、福沢が1936年から1941年の逮捕まで、本郷・動坂の自宅アトリエに開いていた「福沢絵画研究所」に焦点をあてている。
かつて埼玉県立自然の博物館で一緒に勤務したことがある本間岳史さんから、その父、本間正義(1916-2001)氏も、福沢一郎に絵を学んだと聞いたことがある。
本間氏は国立美術館の勤務のあと、最後には埼玉県立近代美術館の館長をされた。僕がその美術館に勤務したころの館長は田中幸人氏で、その前任者であり、僕は本間氏にもうっすらとご縁があった。
展示では、本間氏の若いころの作品『河童太平記 ひねもすつれづれなるままに』が展示されていた。自家製本かと思える小さな本で、開いたページでは「上野不忍美術館カッテパンダン展」という戯画が描かれている。河童の群像や肖像らしき作品が展示されている美術展という設定の絵らしい。
1949年ころ、本間氏が30代前半になる。
本間岳史さんから、正義氏の著書『随想 ハイトマルスベル』をいただいたことがある。短い随筆を集めた本で、ご自分の頭に髪のないことを記した文章があることから本全体のタイトルにしたと、前書きに書かかれている。
比較的気軽に書いた随想を集めたものとはいっても、639ページ、厚さ4cm、重さ1kgもある本となれば、もっとそれらしいタイトルをつけてもよさそうなのに、ずいぶん軽い。さすがにあちこち文を発表されている人は、今さら本1冊くらいに格別の思い込みをもたないのだろうと感心してしまったことがある。
板橋に展示された「カッテパンダン」の絵を見て、軽さを好むのは若い頃からの特性だったかと納得する思いがあった。

展覧会のチラシには、福沢一郎1936年の『牛』の絵が使われていた。
1935年の満州旅行に想をえた作品で、荒野に2頭の牛がいる。大きな体はところどころボロっと崩壊しかけている。満州の寓意といわれる。
僕が近代史を見る判断基準の1つに「ブルーノ・タウトが日本にいた1933年から1936年」というのがあるが、まさにその間に描かれた絵であり、研究所が存在した時期とも重なる。
研究所からは、戦争体験や社会事象を描いた山下菊二や、円谷プロで怪獣を創作した高山良策、紙芝居の加太こうじなど、多彩な人材がでている。

個別の作品で驚かされたのは山下菊二『日本の敵米国の崩壊』1943年。
タイトルからしていちおう戦争協力画なのだろうが、アメリカ国旗や、HOLLYWOODと書いたよろいや、空洞の裸体女性などがコラージュしてある。いわばシュールレアリスムふう戦争協力画で、こんな絵が存在したのかと、いぶかしいほどに驚いた。

□ 彩の国さいたま芸術劇場『美しきものの伝説』
http://www.saf.or.jp/arthall/

東上線、武蔵野線、埼京線と乗り継いで、クリスマスの夜にさいたまネクストシアーの第2回公演を見た。
今回はさいたまゴールド・シアターが応援の形で加わっていて、国民読書年記念の講演をお願いした重本恵津子さんも出演された。
→[ 国民読書年記念行事(2010.6.26) ]

1910年の大逆事件から2年後から、1923年の関東大震災ころまで、社会主義が弾圧されていく時期の話。
登場するのは、堺利彦、大杉栄、荒畑寒村、伊藤野枝、平塚らいてう。
演劇では、小山内薫、島村抱月、松井須磨子といった人たち。
権力と個人をめぐる社会変革論と、芸術と娯楽をめぐる演劇論が交錯して、思考をそそる。
大ホールの舞台上に3方から囲む客席と舞台を特設し、中央の舞台を囲む。
おまけに最前列に座ったので、目の前でなまの時間が進行しているというダイナミックな迫力があった。

近代のできごとについて、僕が理解する基準にしているのは、
1910年代には、1918年のスペインかぜ。
1920年代には、1923年の関東大震災。
1930年代には、1933年から1936年までのブルーノ・タウトの日本滞在。
この芝居では、島村抱月(1871-1918)がスペインかぜで亡くなり、松井須磨子(1886-1919)が2か月して後追い自殺をしている。
ウイーンでは、エゴン・シーレ(1890-1918)が、やはりスペインかぜで没している。こちらは妊娠中の妻エディットが同じ病いで先に亡くなり、シーレは3日後にあとを追うことになった。
シーレの生涯については、坂崎乙郎の『イメージの狩人 絵画の眼と想像力』で読んで衝撃を受けたが、とくにその妻と子と本人の死の連鎖が強く記憶に残った。
スペインかぜは世界的に大流行をしたので、ヨーロッパと日本の同時代を把握するのに役立つことがある。
大杉栄と伊藤野枝は、関東大震災後に虐殺される。
今日は美術館の福沢展とあわせて、近代をふりかえる日になった。

『美しきものの伝説』は水槽のような容器をいくつも並べた舞台装置があざやかだった。シーンごとに現代美術のインスタレーションを見ていくふうだったが、最後のシーン、霧状の粒子が舞うところに上からいくつもの光の束が床に向かって注ぐと、駒井哲朗の版画『束の間の幻影』を立体化したかのようだった。

(2010.12月 no.56)
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参考:

  • 『福沢一郎 絵画研究所展 20世紀検証シリーズNo.2』板橋区立美術館/編・刊
  • 『福澤一郎の秩父山塊 池内紀のちいさな図書館』池内紀/編・解説 五月書房 1998
  • 『随想 ハイトマルスベル』本間正義 形象社 1989
  • 『旅−歌文集−』本間ふみ/著 本間岳史/編 
    *本間正義氏の死後、妻のふみさんの短歌と短い文章を、子息の岳史さんがまとめられた本。本間家の人の家族どうしの思いやりとみごとな人生の終わり方にひかれた。心しなくてはと思う。
  • 『イメージの狩人 絵画の眼と想像力』坂崎乙郎 新潮社 1972