TSUTAYA TOKYO ROPPONGI−地震・津波・原発事故のあとで


六本木の美術館と本屋を歩いた。
展示を見ていても、東日本大震災のことが頭に浮かんでしまうこの頃...。

□ 国立新美術館『シュルレアリスム展 ポンピドゥセンター所蔵作品による』

http://www.nact.jp/

新橋から六本木駅までバスに乗り、歩いて国立新美術館に行った。
シュルレアリスムを、パリのポンピドゥセンターの所蔵作品で構成している。
ダリやエルンストやイヴ・タンギーなど、当然あるべき画家のほか、なじみのない画家の作品や資料も豊富で、ぶあつい展覧会だった。
そんな超現実のイメージを見ていても、230km離れた福島原発のリアルが思い出されてくる。
これまでも地震国日本への作品貸出をためらう美術館があることをきいていたが、今度の地震と原発の事故は決定的ではないか、今後、海外の作品を借りる展覧会はできなくなるのではないかと心配になる。

□ 2121デザイン・サイト『倉俣史朗とエットレ・ソットサス展−夢見る人が、夢見たデザイン』
http://www.2121designsight.jp/

倉俣史朗の家具は、透明で清澄で色の魅力にあふれている。赤いバラの花をガラスに封じ込めた椅子「ミス・ブランチ」なんて、何度見ても新鮮な感動にとらわれる。
原発でもやもやしている頭の中が純化される思いがする。

● La Colina
ミッドタウンの中のメキシコ料理の店で食事。
2121方向の庭や赤坂中学校を眺めながら、ランチに赤ワイン。
まっとうな昼時なのにすいていたのは、地震の影響だろうか。

地下道を通って六本木駅に戻った。
東海地震の可能性も前からいわれている。突然の災害で往ってしまうのはしかたないが、閉じ込められて息苦しい恐怖の中で死に至るというのは避けたい。それでふだんからできるだけ地下鉄に乗らず、バスを使っている。路線図がおよそ頭の中に入っている鉄道と違って、バス路線の選択はわかりにくい。面倒ではあるが、乗ってみればA地点からB地点に行くのに、思いがけないC地点を通るということもあって、おもしろくもある。
でも、放射線が降るようになると、地下を移動するようになるかもしれない。

■ TSUTAYA TOKYO ROPPONGI
東京都港区六本木6-11-1  六本木ヒルズ六本木けやき坂通り
tel. 03-5775-1515
http://store.tsutaya.co.jp/storelocator/detail/2000.html

テレビ朝日の向かい側、けやき坂の角にあるツタヤに寄る。
1階の書籍売り場には、アートや旅や食の本をそろえてある。
青山ブックセンターやナディフでもそうだが、都会のアート系書店に行くと、ふだん目にも耳にもしない本や雑誌が並んでいて、わくわくする。地方では、書店でも図書館でも、こういう先端的な感性で作られた魅惑的な本に出会えない。現代が自分のいるところと別なところで進んでいってるのではないかという、取り残され感覚を味わう。たまに触れると、錆びかけた同時代感覚がいくらか更新される気がする。(もう手遅れかもしれないけど...)
先日、宇部のレストランと作品のテーブルを見てきた建築家・石上純也の『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』(石上純也 INAX出版 2008)を買う。

2階は、ふつうのツタヤで、レンタル用と販売用のDVDやCDが並んでいる。
吹き抜けに面した席で、下の階や、表の通りを眺めながら、1階のスターバックスで買ってきたコーヒーを味わう。
気分がいい。

       ◇       ◇

3.11の地震と津波のあと、どうも原発のことが気になっている。

生き延びること:

『淀川下り日本百景』(樋口覚 朝日新聞社 2004)を読んでいると、1755年にリスボン大地震があり、地震に無縁と思っていたヨーロッパでは大きな衝撃を受けたという。フランスの僧侶がリスボン市民の罪への罰だと言ったとあり、石原慎太郎のような人が、かの地にもいたのかと、おかしい。
ヴォルテールとルソーの応酬があり、カントが地震に関して論文を書き、地震が思想的・哲学的事件にもなったという。

日本でもエネルギーのこと、科学技術のこと、生き方のことなど、さまざまなレベルでの議論が起きている。
そのなかで、関西などに避難した人に対して、「逃げた」という批判とそれに対する反論の応酬ということもあった。
僕は避難を批難する意見に違和感をもっていた。原発の事故に責任がある人が原発を放り出していなくなれば、批判の対象になりうる。でも、原発の事故に関わりがない人が放射線の被害を避けるために移動することを批判するのは違うのではないか。

原発に関係なく、1999年に発行された『隈研吾読本』(二川幸夫/刊1999)に、「二項対立から長征へ」と題した中沢新一と隈研吾の対談が収録されている。毛沢東の長征は、戦闘的成果をあげるために長く攻めていたのではなく、実態はただ逃げていたにすぎない。でも「逃げ続けたことが後ですごく意味を持って来た」という見方をする。
放射能の汚染は地球規模に広がりかねない。逃げ続けることには価値がある。

河口ウォッチング:

旅に出て、機会があれば河口を見に行くことにしている。
茨城県日立市に行ったときには、久慈川の河口に行った。
久慈川は、八溝山から発して東海村と日立市を分けて太平洋に注いでいる。

南方に東海村の原子力発電所が見えていた。
福島第一原発の映像を見ると、しばしば久慈川と東海村の原発の眺めを思い出してしまう。
(写真は東日本大震災前の2010年1月)

→[今日は遠くの図書館 日立市立記念図書館]

河口を見に行くときは、なぜか天候が荒れることが多い。雨に降られたり、風に吹かれたり、波が高かったり。
海と川がぶつかり合うところでは、空気や水蒸気までが衝突しているのだろうかと思う。
久慈川の河口に行った日も、波がやや荒れ、日の光がキラキラ、ヒリヒリ輝いていた。

河口のおもしろさは、歴史的、地理的、景観的な興味もそなえているが、生と死のアナロジーでもあることにある。
川が海に注ぐところでは、どこまでが川で、どこまでが海か、川の水か、海の水か、あいまいな領域がある。
心停止に先立つ脳死の考え方がでてから、生死の境が揺らいでいる状況とも重なる。
また、川は生命にたとえられる。川の流れにとって海は終息の地、死だが、もともと海は生命の発生の場所でもある。川と対比すると、海は死と生の両義的性格をもつことになる。
河口に立つと、生きること、死ぬことについて思いを誘われる。

1959年に『渚にて』という映画が作られた。
1964年に設定された地球では、核戦争により北半球の生命は絶滅している。
オーストラリアの海べでは、まだ海水浴を楽しんでいる。でも、やがて放射性物質がわたってきて、すべてに死が訪れることが予感されている。
教会が開く集会には、There is still time..brother の垂れ幕がかかっているが、その下で安楽死のための薬が配られている。
「どうして何が起きるか予測できなかったの?」というセリフがあるが、福島原発の事故にも同じ言葉を繰り返したいところだ。
あるいは、「どうして予測できたのに作り、存続させてきたの?」という問いのほうが正確かもしれない。

砕くこと:

倉俣史朗の作品に、ハンマーで砕いてヒビだらけになったガラスを使った家具がある。ガラスは割れたときがいちばん美しい、それを固定できないか?と考えたという。割れたガラスを、割れていないガラスでサンドイッチにして、テーブルの天板にしている。

『電子書籍奮戦記』(萩野正昭 新潮社 2010)を読んだ。電子書籍というと、アマゾンだのグーグルだの、出版社や書店がどうのと、大きな枠のことが思い浮かぶ。でも著者の萩野正昭は、「小さなもののためのメディア」としての電子書籍を進めようとしている。本来、「パブリッシング」という語は、多種多様な考えを広く人に伝えるという意味だという指摘は目からウロコだった。
巨大なものでなく、小さなものに砕く方向性にひかれた。

原発は巨大で危険なエネルギー。
太陽光や風や小さな水流まで使って、極小で安全なエネルギーへ転換できるといいと思う。
排水についても、巨大な人口河川のような下水道を作るのではなく、小さな単位での合併式浄化槽にする。(→[水の夢]) 
隈研吾は『反オブジェクト 建築を溶かし、砕く』(筑摩書房 2000)の中で、巨大に立ちふさがる建築ではなく、粒子のように砕かれた建築への志向を書いている。
小さなものに「砕く」ということが、これからの困難を生き延びるためのキーワードかもしれない。
たいせつなものを思いやることを「心を砕く」というのにも符号すると思いついた。

被災地の気になる建築:

地震と津波の被災地域の図書館やミュージアムにいくつか行ったことがあり、気になっていた。
さすがに公共建築はしっかり作られていて、構造から崩れるようなことはなかったようだが、かなりの被害を受けたり、無事でも避難所になっていたり、休館しているところが多い。
(以下の内容は2011.4.24現在)

リアス・アーク美術館(気仙沼市)−外観はほぼ異常ないが、全体がそっくり数センチ移動していて、安全の確認が必要。
宮城県慶長使節船ミュージアム(石巻市)−リアス海岸の奥、津波を真っ正面から受ける位置にあり、展示室が壊滅。
北上川・運河交流館水の洞窟(石巻市)−旧北上川の河口から北に4km(川の長さでは8kmほど)離れているが、近くまで津波が迫った。施設が損傷。
石ノ森萬画館(石巻市)−旧北上川の河口近くの中州にある。被害は大きく、倒壊の危険もある。
→[荒川ゆらり 2006年11月第4週 牡蠣の1−気仙沼から石巻]

岩手県立図書館(盛岡市)−新しい建築で、被害は少なかったが、複合施設の全体が避難所になっていて、図書館としての完全な機能回復はまだらしい。
リアスホール/大船渡市立図書館−心配していたが、避難所に使われているという報道があり、ともかく無事なようで安心した。
(写真は東日本大震災前の2010年6月)

一関市立一関図書館−古い建物だが、施設の一部が損傷したくらいで、4月中に開館予定。
→[今日は遠くの図書館 岩手に宮沢賢治、柳田国男、尾崎喜八をめぐる]

せんだいメディアテーク(仙台市)−7階の吊り天井が落下。開館時期不明。

日立市立記念図書館(日立市)−シビックセンターという複合施設全体の安全が確認できないため、休館中。
→[今日は遠くの図書館 日立市立記念図書館]

茨城県立図書館(水戸市)−書架のほとんどの書籍が落下し、エントランスホールの天井、鉄骨が落下。6月ごろに再開予定。
水戸市立西部図書館−円形の閲覧室に特徴があるが、そこにある高さ6メートルの金属製の照明7基が倒れた。人に当たらなくてよかった。(写真は東日本大震災前の2010年1月)
水戸市西部図書館の外観 水戸市西部図書館の吹き抜け

→[今日は遠くの図書館 水戸の○と□の図書館へ]

構造計算をしっかりしてそうな新しい建築でも、天井の落下が目立った。「壊れない構造」というだけでなく、内装や照明器具の設計強度の見直しが必要に思う。

新井千秋という建築家が、水戸市立西部図書館と大船渡市立図書館の2つを設計している。
水戸の図書館は無国籍のような形態だが、大船渡の図書館はリアス海岸をイメージして、内部は地質模型のようだった。どちらも深い味わいのある建築で、損傷はあっても無事でよかった。

被災地の気になる人:

気仙沼に関しては、リアス・アーク美術館の設計者でもある石山修武が四半世紀の長さにわたってまちづくりに関わっていて、3月28日、朝日新聞と日本経済新聞に寄稿されていた。実態を知らない政治家が考える(あるいは「考えない」)政策により、漁業は衰退してきた。朝日新聞のほうの文章では、「この天災は日本列島で最も過酷な現実の中にある地域を襲ったのである。」と書いている。
どちらの文章も、結びはその地の人たちの安否を気遣っていられる。

・気仙沼「海の民」案じる 最も過酷な地域 襲った震災 石山修武 朝日新聞 2011.3.28
・世界一の港町 石山修武 日本経済新聞 2011.3.28


牡蠣の養殖のために「森は海の恋人」と名づけた植林を続けてきた畠山重篤さんのことが気がかりだったが、週刊誌やテレビニュースや新聞記事で、無事が確かめられてよかった。
さいたま文学館で、田中裕子さんが企画した「森は海の恋人」展が開催されたとき、畠山さんの講演をきいた。植樹などにより川がきれいになり、「孫にこの仕事をさせても大丈夫といえるようになった」と語っていられた。
経済的損失だけでなく、人が一生かかって積み上げてきたものを根こそぎ奪う自然災害の非情さということを思う。
気仙沼の牡蠣漁を先頭で導いてきた人だから「私が崩れているわけにはいかない」と語り、負けてはいられないようだった。
それでも、また孫に安心して「継いでも大丈夫」といえるまでの努力の大きさが思いやられる。
せめて原発による放射線被害が及ばずにすむといいと思う。
NPO法人森は海の恋人
・海愛する漁師 津波が奪った最愛の母 朝日新聞 2011.3.28

気仙沼に行ったときには、高橋工業にも寄ってみた。せんだいメディアテークやリアス・アーク美術館で難しい鉄板技術が必要だったのを解決してきた有名な製作所。どんな所なのか見ておきたかった。(写真は東日本大震災前の2006年11月)

テレビニュースで経営者が被災現場を訪ねるところが放映されていた。会社の建物は残ってはいるが、周囲は一面の瓦礫の原になっている。社内にある程度のデータなどは残っていて、そうした手がかりから復興を始めていかれるようだ。
高橋工業

ほかにも、訪れた美術館や図書館で何人かの方と話をした。無事でいられるといいと思う。

いる いる みんないる:

学生時代に知り合った池亀芳彦という友人がいた。感受性が鋭く、好奇心で目がキラキラしていた。でも天才肌みたいなとっつきにくい人ではなく、とても暖かかった。
あるとき、僕も友人も同じ絵本を読んだことがあり、友人が「いる いる みんないる」というページがよかった!と言う。僕は全体としての流れのようなことに関心がいっていて、そういう一節に目をとめるということがなかった。そんなところに感動するのか...と、さすがにその友人ならではの気の留め方と感じられて、記憶に残った。
その友人は妊娠中の妻を残して若く亡くなった。非凡な友人に死なれて、僕は重大な欠落感を覚えた。
その後、大きな歴史的事件があるたび、友人に報告するような思いがあった。
ベルリンの壁の崩壊。僕らは冷戦の中で育ったから、その枠組みが壊れる時がくるなど、思ったこともなかった。
9.11のニューヨークのツインタワーの破壊。
阪神神戸大震災。
時代の移り変わりを象徴するような出来事があると、友人が亡くなって以後の時間の経過ということを思った。

大きな地震と津波でたくさんの人が亡くなった。
それでも、僕にも気がかりな人があったのが、テレビや新聞でとにかく生きていられることを確認できた。
被災地の小学校でも授業が始まった様子が、やはりテレビに映った。友だちと再会して喜ぶ子たちがいる一方で、教室のうしろに遺影を抱えた母親の姿もある。

今度の地震のことも、心の中で友人に報告しながら、あらためて「いる いる みんないる」ということの価値に思い至り、友人の感度の深さに今さら気づき直した。

(2011.3月 no.64)
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