少林山達磨文庫(仏教図書館)


■ 少林山達磨文庫(仏教図書館)
群馬県高崎市鼻高町296 tel. 027-322-8800
http://www.daruma.or.jp/

高崎郊外、少林山の総門から急な石段を上がる。
鐘楼をくぐりながら上がりきると、右に瑞雲閣がある。
ここにブルーノ・タウト展示室と少林山達磨文庫がある。
文庫は仏教関係の書物CD、DVDをもつ図書館で、貸し出しもしている。

□ 少林山達磨寺大講堂
  塚越透講演「『タウトの日記』と井上房一郎さん」


同じ達磨寺の講堂で、タウト寺子屋の主催により、塚越透さんの講演があった(2010.12.23)。塚越さんは、もと井上工業に勤務した方で、井上房一郎と身近に接し、今はその事績の整理・保存をされている
1933年5月3日に来日したブルーノ・タウトは、およそ1年後、1934年5月24日から、井上房一郎の世話で高崎郊外少林山達磨寺の洗心亭に暮らすこととなった。
タウトの日本滞在が長くなり、タウトを招いたインターナショナル建築会から井上房一郎に生活基盤の確保について依頼があったのだが、そのころ、高崎と井上房一郎の側に、外国人建築家を迎え入れられる条件がさまざまにできていた背景が、整理して説明された。

僕には井上工業に関係する方にお聞きしたいことが2つあった。

1 井上房一郎に文化への関心を強める決定的な影響を与えた山本鼎との出会いは、軽井沢に互いの別荘が近くにあり、出会ったことによる。
山本鼎の別荘は現存することを最近知った。
井上家の別荘もあるか。(あるいはどこにあったか)
→[避暑地の出会い]

2 建築家・隈研吾は、タウトと井上工業の双方に縁があるが、著書『反オブジェクト』で、井上工業から社員のための慰霊碑を依頼されたことについて書いている。
モノが際だってしまうことを避けるために、ふつうの石の慰霊碑ではなく、音による慰霊庭園のようなものが構想された。
その慰霊施設はどこにあり、井上工業が倒産したあとも存在しているか。

1に対する回答は、井上家の別荘はたぶんないだろうが、調べてみようということであった。
2に対する回答は、会場に、その建設に高崎の側で関わった建築事務所の方がいらして、構想で止まったまま、完成していないだろうということだった。
予定地は、高崎駅からすぐ見えた井上工業の本社の近くだったとのこと。(電車からも高架駅からも「井上工業」の看板が見えたのだが、すでに別の会社にかわっている。)

□ 高崎市美術館「熊田千佳慕展」+井上房一郎旧邸

市の中心部に場所をかえて懇親会があるので、それまでの間に、駅に近い市の美術館に寄った。
井上房一郎の旧邸に隣接していて、美術館が増築して井上邸のほうに伸びたうえで、境をなくして、美術館と一体に運営されるようになった。
便利になったし、今まで狭かった美術館の展示面積も増えてよかった。

熊田千佳慕の作品もよかった。
集中して見ること、集中して描くこと。
サンプルとしても正確である。
目がよろこぶほどに色彩が美しい。
圧倒されるような構図のみごとさ。
そして生命を感じさせる魅力があふれている。

● すもの食堂
講演会は盛況だったが、懇親会に参加したのは9人。親密な雰囲気になった。
寺子屋を主催する前島さん。今日もすてきな着物を着ていられる。
今日の講師の塚越さん。
講演で、タウトが達磨寺の講堂で東京工芸学校の学生に製図を指導していた写真が紹介されたが、その学生の一人の弟さん。ほか。

すもの食堂は珍竹林画廊の2軒か3軒隣にある。
去年まで埼玉新聞に連載した『寄居日和』で、寄居に住む水彩画家の奈良治雄さんが、画材を高崎の珍竹林画廊まで買いに来たことを書いた。
その後、高崎に来たときに画廊に寄ってそんなことをお話ししたら、この画廊は井上房一郎に世話になって開いたのだと聞いた。思いがけなかったところにも井上房一郎のつながりが現れて、驚いたものだった。
それで、井上房一郎に縁のある画廊のことを書いたことがあるとお話しするつもりで、連載を冊子にまとめたものをお持ちした。
懇親会に参加されていた櫻井さん夫妻が、それを見ていて、「あ、藤崎さん!」と声をあげる。
『寄居日和』のなかに、寄居にある造り酒屋、藤崎ハ兵衛商店のことがあり、専務の藤崎稔彦さんに話を伺った。藤崎さんと櫻井さんは、奥さんどうしが同級生で、今も夫婦どうしで親しいおつきあいがあるとのこと。
そもそも藤崎さんが高崎に暮らす人で、すぐ通りの向かい側にはかつて藤崎ハ兵衛商店の醤油工場があり、今は駐車場になっているという。
井上房一郎に関わっては、予想もしないふうに世界が広がり、つながることが、これまでもしばしばあったのだが、またひとつつながった。
→[ 荒川ゆらり 2009年7月第2週 高崎・珍竹林画廊 ]

       ◇       ◇

すもの食堂は、もと漆の店だったという。建物の骨格を残して改装し、まちおこしグループが、野菜直売+地産地消カフェ+総菜販売+貸し農園の拠点にしている。
美術館からここまで来るあいだに、ビルを改装したシネマテークたかさきがあった。空き地にいくつもの小さな屋台が路地を作る屋台村もあった。
いろいろなまちおこしの取り組みが起きている。

高崎には17号国道を北西に走って来た。
おととい激しい雨がふり、今日は強い風が吹き、空気がすっかり乾いて澄んでいる。日の光がキラキラしている。
右手に見える赤城山だけが雲におおわれて、山頂付近は暗い色をしている。雪になるほど気温が低くないから、雨になっているだろうか。
やがて本庄を過ぎるころには雲が左から晴れだして、ピークのひとつ、鍋割山の米粒の先端のような形の山頂がのぞいてきた。まだらに雪がついている。
高崎に着くころにはすっかり赤城山の全容が見えていた。
少林山にあがり、洗心亭からの眺めもくっきりしていた。烏川、高崎北部、遠くの山と、展望が開けている。
ここでタウトのことを思うと、つい感傷的になる。

(2010.12月 no.55)
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