高崎市立図書館/中央図書館


群馬音楽センターでのコンサートと、群馬音楽センターに関するシンポジウムにあわせて、やや日をあけて2度、4月に新開館した高崎市立図書館の中央館に行った。快適で高性能だが、高崎について高望みがある僕には物足りなかった。

■ 高崎市立図書館/中央図書館
群馬県高崎市高松町5-28 tel. 027-322-7919
http://lib.city.takasaki.gunma.jp/index.html

2011年の4月に移転・開館したばかりの図書館。高崎市が中核市に移行するのと同じ日だった。
車で行って立体駐車場の5階に上がり、ゲートから入ると、そのままその階が図書館の閲覧室になる。
あともう1つ上の6階も図書館で、視聴覚資料、学習室、事務室がある。
高崎市総合保健センターとの複合施設だが、図書館の書庫は下の階まで続いている。歩いて1階正面から入ると、広いロビーの一角にガラスで仕切られた自動書庫があるのが目に入る。おもしろいしかけだから、もっとはっきり存在がわかるように見せるといいと思う。

建物全体をくぼんだ円形の吹き抜けが貫いている。
閲覧室でも、その吹き抜けを囲む形に書架などが並ぶ。
吹き抜けはガラス壁で囲まれ、透明だから、視線が抜けて、自分の位置、目指す書架の位置の見当がつけやすい。

床は木のフローリングで、濃い茶と薄い茶の2色を使って変化をつけ、吹き抜けの周囲はグレーのカーペット。
壁面や柱、天井は白を基調にしている。
吹き抜けの中にエレベータ室が独立した入れ子のように設置してあり、6階に上がると、エレベータ上部の機械装置が見えるのだが、塗装可能なところはそんなところまで白く塗ってある。
全体に落ち着いていて、気持ちがゆったりする。
さらに「静寂読書室」という、ガラス壁で仕切られた一角がある。パソコン、電卓は持ち込めなくて、ひたすら静かに読むための部屋が用意されている。

自動貸出機は高低2種ある。低いほうは、子どもや車椅子の人に対応する。丁寧に配慮されている。

web上では「マイリスト」というものがある。
すでに使った資料や、これから使うかもしれない資料を記録しておくことができる。5種類のフォルダに仕分けし、記録ごとにコメントもつけられるから、ちょっとした知の作業場所になる。

       ◇       ◇

今ありうる図書館としては最先端の運用システムを、上質なデザインの建築にバランスよく盛り込んでいる。ほかの都市の図書館なら十分だが、高崎市に格別の思いがある僕には、これでよかったのかという失望感がある。
このあと、すぐ近くにある高崎市役所の最上階のレストランに食事をするつもりで上がった。その展望台から見下ろして撮ったのが右の写真で、高崎城趾付近が写っている。
右下に大きく白くあるのが群馬音楽センター。
その上の広い空間がもてなし広場。
その左に新しい図書館。(左の写真はそこにズームして撮ったもの)
左下には高崎シティギャラリーがあり(瓶の王冠状の建築がギャラリーの北端の部分)、その2階は今いる手前の市役所につながっている。
つまり、新図書館は高崎の重要な中心部に作られている。

高崎市立中央図書館はほぼ正方形のビル もてなし広場を囲む建築

群馬音楽センターは、群馬・高崎の文化振興に大きな貢献をした井上房一郎が推進役となり、その盟友の建築家アントニン・レーモンドの設計で1961年に造られた。
井上房一郎は高崎の建設会社の経営者だが、自分ですべて資金を出して文化施設を造るほどの財力はない。それでも人をまきこみながら大きな力にしていって群馬県立近代美術館の誕生などを導いた。
音楽センターについては、群馬交響楽団の前身の高崎市民オーケストラの活動などを通じて理解を広めた。市の年間予算が8億円という時代に、市民が建設費3億3千万円のうちの1億円の寄付をし、音楽の拠点を完成させた。
音楽センターの前には「昭和36年ときの高崎市民是を建つ」という誇らしげな碑が立っている。
(今年で50周年を迎え、今日はこれからその記念のシンポジウムがあるので高崎に来ている。)

新らしい市立図書館の建設は、広場を囲んでいた建物の1つのJT高崎が撤退した跡地に公共建築ができる希有な機会だった。
まちの顔となり、都市の厚みを加え、都市の歴史として記憶されるるような図書館ができなかったろうか。
電子書籍の進展で図書館の将来が見えにくくなっている状況のなかで、未来の図書館の可能性を開くような図書館はできなかったろうか。
1977年のポンピドゥーセンター、2001年のせんだいメディアテークに継いで、2011年に高崎に1つの時代を画するようなパイオニア的図書館はできなかったろうか。
建築的にすぐれて、群馬音楽センターと連なり、城趾の公園を囲む魅惑的な街を形成する一角にできなかったろうか。(都市軸を据えて街を構成しているパリや、セントラルパークを中心にもつニューヨークのように)

新図書館は、現在の高崎市の財政状況、土地の利用状況、行政需要など、複雑な連立方程式をみごとに解いた最適解には違いない。快適で高水準だが、これって何?とか、こんなものができたのか!というわくわくする感じがない。
高崎らしさの意識がどこかにあるかといえば、中央の吹き抜けの窪んだ円形が、あとで知ったところでは、高崎の名産の「だるま」の形なのだという。せいぜい内側に閉じたイメージに終わっている。

グラン・プロジェで都市の大リノベーションを企てたポンピドゥーのような歴史的・社会的視点。
安藤忠雄のように、生きた建築をつくるには依頼された土地内の建築を設計するだけではなく、隣地を変えることも必要と乗り出していくくらいに、単体の建築をこえて景観を作っていく発想。
井上房一郎のように、市民が文化的に生きる街づくりを構想する視点。
新図書館を含む複合施設の建設にあたっては、設計、建設を一括して委ねる設計・施工一括発注方式が採用された。
この方式が決まった時点で、魅力的な都市を創ろうという政治家の意志も、建築家の意欲も、市民の意向も反映される場面がなくなった。

システムの狙いどおりに便利で快適な図書館ができはしたが、高崎市の図書館としてそれでよかったか。
「図書館は市民が歴史のなかに生きていることを意識するためにある」ということを、僕は図書館の定義として考える。
高崎でこそそういう図書館がつくられるとよかったと思う。

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□ 群馬音楽センター開館50周年記念連続シンポジウム
群馬音楽センター http://www.takasaki-bs.jp/center/index.htm
DOCOMOMO Japan  
http://www.docomomojapan.com/

会場:高崎シティギャラリー・コアホール
日時:2011.7.26(火)
趣旨説明:水上勝之(建築家・群馬音楽センターを愛する会代表)
パネリスト:
兼松紘一郎(建築家・DOCOMOMO Japan 幹事長)(進行)
鈴木博之(DOCOMOMO Japan 代表・青山学院大学教授・明治村館長)
岩崎淑(ピアニスト・カザルスホールを守る会代表)
隈研吾(建築家・東京大学大学院教授)
中原まり(司書・米国議会図書館)


「中央図書館」から「高崎シティギャラリー」に移動し、「群馬音楽センター」50周年のシンポジウムを聴く。3つとも、もてなし広場を囲んでいる。

群馬音楽センターは2000年に選定されたDOCOMOMO 20に選ばれ、日本を代表する近代建築と位置づけられている。
はじめに、DOCOMOMO Japan 代表の鈴木博之さんから、群馬音楽センターの保存と活用に尽くした松浦幸雄・前高崎市長に感謝状が贈られた。
次に、富岡賢治・新市長(2011年4月の選挙で当選)に、DOCOMOMO選定建築であることのプレートが贈られた。

鈴木博之:
1955年、56年ころ、小学校2年3年のとき前橋にいた。白井晟一が設計した煥乎堂(かんこどう)書店の姿を子どもながらに覚えている。
1955年の映画『ここに泉あり』が公開されたのを見た。群馬交響楽団前身の高崎市民オーケストラの苦しい誕生を描いている。
群馬音楽センターは、日本の近代史のなかで特筆すべき重要な時期の精神がこめられている。
戦後の時代への信頼、技術への信頼、未来への信頼。
具体的には、「折れ版構造によるコンクリート」と、「打ち放しコンクリートの非装飾性、機能性、時代性」。
地域における精神文化の証人として、記憶されるべき建築である。

隈研吾:
私の建築にとって、タウトとレーモンドが重要であり、その2人をつなぐキーパーソンが井上房一郎である。
子どもの頃、父がミラテスで買ってきたと自慢していた小物入れがある。
その後、井上房一郎と縁ができ話しをていて、「あの小物入れがタウトのデザインしたものだった!」と知った。
「水/ガラス」という、企業の保養所を熱海に作った。タウトが設計に関わった日向邸の隣だった。
「広重美術館」では、低層・横長の切妻の建物の途中に穴を抜いた。レーモンド自邸を模した井上房一郎自邸(今は高崎哲学堂として使われている)のアイデアによる。
「ちょっ蔵プラザ」と「マルシェユスハラ」では、トラディッショナルな素材を分節して使った。レーモンドが中禅寺湖畔に作ったのイタリア大使館別荘を参照している。

岩崎淑:
カザルスのピアノのレッスンを受けたとき、カザルスは89歳だった。練習中は青年のようにさっそうとして、終わると年相当にグッタリとしていた。
音楽の演奏は1回きりであることをカザルスに学んだ。
お茶の水のカザルスホールでは、昨年2月に最後の演奏をした。以後、閉鎖されている。音楽だけしてきた者が、ホールが再開されるように社会を関わるようになった。

中原まり:
大学進学にあたり、建築なら大学からでも始められると考えた。
建築設計より、建築史に人間を感じ、おもしろくなり、アメリカで建築資料の司書になった。
2007-2008年に、アメリカと日本で開催されたノエミ・レーモンド展に関わった。数十万点の資料を見た。

シンポジウムでの討議で、中原さんに「レーモンドにとっての日本は?」という質問があった。
中原さんは、レーモンド展の開催にあたり、レーモンドの家族がレーモンドについて語るビデオを撮っていて、一部がこの日の会場でも放映された。
そのなかで長男クロードの発言をひきながら、「レーモンドにとって日本は自分の建築をやりやすかった、アドバンテージをとれると考えていた、ノエミのほうが日本を好きだった」という。
ほかの発言でもそうだったが、ただ私見を言ってしまわないし、ただ資料にこうあるともいわない。資料を私がこう読み取るという姿勢、資料に基づきながら、しっかり自分の意見も述べる姿勢にさすがと思った。

会場にレーモンドがデザインしたピアノが置かれていた。
朱鷺色をして、形に微妙な親しみがある。岩崎さんによれば「かわいい!」
岩崎さんがショパンを1曲弾かれた。
「鍵盤が重かった。楽器は使ってあげないといけない。置き古しになってしまう。ホールもそう。」

シンポジウムは3日にわたって開催された。
1日目は、「群馬音楽センターの誕生を知る人々」の座談会。
2日目が、この日、僕が行ったもので、「群馬音楽センターとDOCOMOMO 20選について」。
3日目は、「群馬音楽センターの50年と今後について語る」。
いい建築をつくる人の思いが集まっていい建築ができる。
いい建築は、50年たっても人を集わせ、物語と歴史を残していく。

□ 群馬音楽センターで高崎高校マンドリン部のコンサート
ときの忘れもの http://www.tokinowasuremono.com/

少しさかのぼるが、7月17日には、群馬音楽センターで「高崎高校マンドリン部 第44回定期演奏会」があった。
東京・青山にあるギャラリー「ときの忘れもの」の綿貫不二夫さんは、高崎高校出身で、僕は井上房一郎のこと、高崎のことをいろいろ教えていただいている。
マンドリン部OBで、今年も演奏会の案内をいただいた。
数年前、部員が減って存続の危機だった時期に、OBの綿貫さんたちが定期演奏会に加わって支えた。OBが出ずっぱりでコンサートがようやく成り立ったほどだったが、今は現役部員が増え、OBはゲスト出演ですむくらいになった。
群馬交響楽団の首席ヴァイオリン奏者・秋葉美果さんが今年も応援に加わり演奏された。
マンドリンの優しい音色に、部員紹介も織りこんだ親密な雰囲気で、楽しいコンサートだった。

群馬音楽センターのホール

(2011.7月 no.75)
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参考: