神奈川県立図書館・横浜市中央図書館


1.神奈川県立図書館紅葉坂の名建築
2.横浜市中央図書館野毛坂上、動物園脇

鎌倉に詩人の家族を訪ねてから、横浜で三渓園とグラント将軍ゆかりの家のことを調べた。

□ 尾崎喜八邸
連休中の5月3日、妻と連れだって、鎌倉に詩人・尾崎喜八の娘・榮子さんを訪ねた。
目的は、
・ 杉並区立科学館で開かれた茨木孝雄さんの退職記念のあつまりのこと
・ 尾崎喜八がベートーベン第9の合唱部分の訳詞をしたことに関心をもつ方から僕あてに連絡があったこと
この2つをお知らせすることだった。

茨木孝雄さんは、杉並区立科学館で、尾崎喜八の書き残した『井荻日記』を題材に、2回の尾崎講座を開催した人で、前に一緒に尾崎邸を訪れたこともある。
集まりには、尾崎喜八研究会の野本元さん、四ツ釜さんも参加されていた。

尾崎喜八訳詞のベートーベン第9は、1943年に、橋本國彦指揮+東京交響楽団+玉川学園合唱団により、日本青年館で演奏・録音された。終楽章のみだが日本最初の第9の録音になる。
(SPレコードをCDに復刻するシリーズが作られ、全国の図書館に寄贈されている。→『日本SP名盤復刻選集W:日本人音楽家国内録音(1)』ロームミュージックファンデーション 2009)
榮子さんは、子どものころ、父(=尾崎喜八)にドイツ語の歌詞を教えられ、意味はわからないまま歌っていたという。
喜八が日本語の訳を書いたのは榮子さんが学生のころ。かねてから好きだったベートーベンの訳詞を依頼されたことをとても喜んでいて、力を入れていたという。
国立音楽大学80周年記念誌に、尾崎喜八に訳詞の制作を依頼したいきさつを記した文章が掲載されているとのことで、あとで図書館で探してみよう。

● 笛
榮子さんの子、石黒敦彦さんもご一緒され、近くの喫茶店「笛」に行って、コーヒーを飲んだ。
駅まで戻るとき、石黒さんが細い道の両側のあれこれを教えながら途中まで見送ってくださった。
明月院を過ぎてから、道からやや離れた高台の家を指して、渋沢龍彦の家だといわれる。新日曜美術館で住まいで撮影された映像を見た覚えがあるが、ここだったのか。
渋沢の蔵書を記録する企画があり、石黒さんも関わって、何日も通って蔵書の本の奥付をひたすらコピーしたとのこと。
『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会編集部/編 国書刊行会 2006)として出版されている。

● ルミネ横浜
横浜駅そごう側の出口を上がったところにある崎陽軒で昼を食べようと思ったら、1時間待ち。前に来たときは、レトロな近代建築で、駅に近いのにややうらぶれた雰囲気さえあったが、今は新しくなり、地下街からもつながってにぎわっている。
ルミネのレストランも、どこも行列。
それで、駅の地下通路にあるKIOSKで崎陽軒の「お弁当春」を買い、ルミネの屋上で食べることにした。
屋上ではちょうど有機栽培製品の販売をしていて、リンゴジュースを買うと、ハーブティーのおまけがついて、飲み物も十分。
屋上庭園の脇のテーブルで、静かで快適でいい昼をとれた。

■ 神奈川県立図書館
横浜市西区紅葉ケ丘9-2 tel. 045-263-5900
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/

桜木町駅から紅葉坂を上がる。
県立図書館の道の反対側に伊勢山ヒルズという集合住宅ができていて驚いた。部分的にはディズニーランドのシンデレラ城のようだし、六本木ヒルズに似た名前はいかがわしいし、キッチュすれすれ。ずいぶん高価だろうに、こんなデザインをしてしまうのか。
かつてそこにはオリエントホテルがあった。中のレストラン、横濱開洋亭の窓際の席に座って、港を見おろしながら胸をときめかせて食事したこともあるのに、寂しい。

県立図書館は前とかわらない姿であって、何となしほっとする。
前川國男設計、日本におけるDOCOMOMO100選に選ばれている名建築。
中空のタイルが外観をとても特徴づけている。

鎌倉の近代美術館と、横浜の県立図書館と、文化の基点となる施設が誇れる建築としてある。さすがに神奈川という気がする。
でも、さかのぼれば、横浜市の図書館がしっかり存在感を示していたので、県立図書館ができたのは1954年。都道府県立図書館としては最後から2番目だった。おかげで前川國男の名建築となったともいえるわけで、歴史の巡り合わせがおもしろい。

       ◇       ◇

目的の資料探しに新館4階の郷土資料の部屋に行く。
階段からは観覧車やランドマークタワー。部屋からは能楽堂を見おろすことになる。

僕のライフワークの井上房一郎に関することで、井上に決定的影響を与えた山本鼎とは軽井沢の別荘で出会った。山本鼎の別荘は三渓園から移築したもので、さらにその元は栃木県にあったグラント将軍ゆかりの建物とのことで、その来歴をたどろうとしている。

何の資料だったかに、『横浜・中区史』に「グラント将軍来日」という項があるとあったので、探しにきた。
書棚にその区史を見つけ出すと、1000ページをこえる分厚い本で、これなら詳しいことがでているかと期待したのだが、その項は1ページの1/4ほど、段落2つですんでしまう簡単な内容きりだった。
1879年、グラントが横浜に来た、貿易の大得意先アメリカの元大統領を町をあげて歓迎した、というだけのこと。
がっかりした。

他に三渓園関係の本を見ていると、
『日本名建築写真選集 13 三渓園』(伊藤ていじ他編 新潮社 1993)
に、「古建築のミュージアム 三渓園」という平井聖の解説文があり、原三渓がした三渓園への古建築の蒐集について、こう書かれている。
 最初に移されたのは、三井家から譲り受けた栃木県大オの製糸工場にあった神社・茶室寒月庵(かんげつあん)と住居の待春軒(たいしゅんけん)で、明治三十五年(一九〇二)のことであった。しかし、これらの建物は神社と待春軒が焼け、寒月庵は伊豆山へ移されて、いずれも三渓園内には現存しない。
でもこれは三渓園に電話してすでに学芸員の方に教えられていたことであり、結局ここでは新たな収穫はなかった。

■ 横浜市中央図書館
横浜市西区老松町1 tel. 045-262-0050
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/

野毛坂の斜面に建っている。
隣の丘は野毛山で動物園がある。
図書館はスケール感が異様で、巨大にそびえている感じ。


内部は中央をガラス張りの吹き抜けが貫いている。吹き抜けの底がどうなっているかと見おろせば、草がはえている。高く伸びる木を置けば感じのいい中庭になりそうなのに惜しい。
閲覧用の机の配置など、一時的にそう置いた仮設のような印象がある。
階段が、本当は通ってはいけない非常階段を上下しているような、裏側感覚で作られている。
あちこちに不調和な感じがあり、バットマンがいたゴッサムシティの図書館はこんなだろうかと想像する。
図書館単独の建物なのに、内部の構成がすっきりしない。敷地が変形なうえに蔵書が多く、苦労したのだろうが、パズルを解きそこねたように思う。
前川國男没後の前川設計事務所の仕事なのだが、前川本人が生きていたら、どんな建築になったろうかと思う。
僕はずいぶん前から横浜の都市づくりには驚嘆し、圧倒され、畏敬の念をもっている。残念なことに、横浜全体の街づくりの高い水準に、図書館は届いていないように思う。
2011年1月に「横浜市立図書館アクションプラン」が公表された。
・ 司書の専門性を発揮したサービスの進展
・ 効率的で効果的な図書館の管理運営と環境整備
これが主要な2本柱で、もっともなことだが、他のどの図書館でもそのまま使えそう。僕の思いこみが過ぎるかもしれないが、横浜の図書館としては、衝撃的で突き抜けるような先進性、革新性を期待したいところだ。

       ◇       ◇

ここでは地下にある「横浜市史資料室」で、三渓園の資料を探して、
『季刊誌 横濱 Vol.30 三溪園 名園の魅力と原三溪をめぐる人々』(神奈川新聞社 2010)
という資料があった。
県立図書館の資料にあった「神社」「寒月庵」「待春軒」の写真が掲載されている。
軽井沢に残る山本鼎の別荘とはまったくスタイルが違う。
「焼失と伝えられている建築が、じつは軽井沢に移築されていた」という可能性がありうると考えていたが、写真に写る建物と、軽井沢で見た別荘とは、まるで違うもので、その可能性はなくなった。
それでも三渓園に栃木から移築された建築の写真を見ることができたし、ここで1つの前進はあった。

● 萬里(ばんり) 
桜木町駅に戻るのに野毛小路を抜ける。
桜木町駅の反対側の新開発地区と違って、小さく古びた店が並ぶふぜいが、これはまたこれでいい。
かつてはちぐさやダウンビートでジャズを聴いたり、古本屋に寄りながら関内や日ノ出町のほうにぷらぷらとよく歩いたものだった。懐かしい。

石黒さんが「野毛に日本で最初に餃子を作った店がある」と言われていた。そういういわくがある店のことは知らなかったことで、歩いていたら行きあたったので入ってみた。

中国語を話す店員さんに日本語でもやしそばと餃子を注文する。
過剰な期待をしないように「日本で最初というだけで、とくにうまいというのではない」と石黒さんが念を押されていた。たしかに飛び上がるほどにうまいというのではなくても、十分においしいものだった。
ついでのように注文したもやしそばが、いわくも思い込みもなかったぶん、意外性もあって、望外にうまかった。
もやしそばとぎょうざで980円。
デパ上の弁当に野毛の中華で、安くておいしい食事ができた。

(2011.5月 no.65)
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