杖突峠の東西の図書館


1.富士見町図書館−詩人・尾崎喜八を訪ねる
2.伊那市立高遠町図書館−全国初のブックツーリズムに行く

長野県富士見町の図書館前の広場に詩人・尾崎喜八の詩碑がある。毎年、8月末に、尾崎喜八を慕う人が集まって「碑前の集い」が開かれる。
今年も参加するつもりでいたら、少し先の高遠で日本初のブックツーリズムのイベント、「第1回高遠ブックフェスティバル」が同じ時期にある。
では、そちらも行ってみよう。
地図を見ると、高遠のもう少し先には駒ヶ根市があって、バスとロープウェイで簡単に千畳敷カールに行ける。
だったらそれも。
もう少し先を見ると、毛綱毅曠(もづなきこう)設計のアンフォルメル中川美術館がある。
わずかな距離ならそれも外せないな。
あれもこれも、もりだくさんで楽しくなりそうな旅にでた。

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 第1日 「尾崎喜八碑前の集い」
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■ 富士見町図書館+富士見高原のミュージアム
  −詩人・尾崎喜八を訪ねる
長野県諏訪郡富士見町富士見3597-1(コミュニティ・プラザ内)
(図書館) tel. 0266-62-7930 http://www.town.fujimi.lg.jp/site/library1/
(ミュージアム) tel. 0266-62-7900
http://www.alles.or.jp/~fujimi/kougen.html


ひとつづきの建物の中、1階に図書館、2階にミュージアムがある。
富士見は軽井沢と同様、たくさんの芸術家が訪れたところだった。
アララギ派がしばしば歌会を開いた、井伏鱒二や唐木順三が別荘を持っていた、近くの『富士見高原療養所』(現・富士見高原病院)には堀辰雄が入院し、竹久夢二はここで亡くなった、なんていう事跡がたくさんある。
ミュージアムにそんなことが解説されていて、図書館では関連書を読める。

富士見には、一時的な滞在者、旅行者が多かったが、詩人・尾崎喜八(1892-1974)は7年間暮らし、地元の人たち、高原療養所に入所している人たちから慕われた。
尾崎の没後、富士見で尾崎を慕う人たちは「富士見尾崎会」を結成した。図書館前の広場にある尾崎喜八の詩碑に献花し、思い出を語り合う「碑前の集い」を毎年、8月末に開催してきた。
今年が第30回になるが、尾崎を直接知る人たちは高齢になり、何人かは亡くなっている。鎌倉にお住まいの喜八の長女、榮子さんも、高齢で、富士見まで来るのがたいへんになってもいる。
今回で碑前の集いを最後とし、富士見尾崎会もこの日で解散することとなった。

● 丸甚そば
長野県諏訪郡富士見町富士見3585  tel. 0266-62-3894

台風11号がが近づいていて、雨を覚悟していたのだが、富士見に着くと予想外の好天で、青空ものぞいている。
集いの時間より早くに着いて、詩碑の写真をとっていたら、尾崎栄子さんとそのご子息も着いたところでお会いした。
僕の車にお乗せして、碑前の集いの前には恒例のようになっている富士見駅近くの蕎麦屋に昼食に行った。
するとまたお約束のように、富士見在住ではないが碑前の集いに参加するメンバーが次々に現れて、見知った顔ばかりで10人ほどにもなった。

□ 第30回尾崎喜八碑前の集い

尾崎栄子さん、富士見町教育委員会副委員長、富士見尾崎会会長が献花された。
暑くないくらいに柔らかな日射しがあって、屋外での集まりにちょうどいい日になった。

富士見に生きて

人の世の転変が私をここへ導いた。
古い岩石の地の起伏と
めぐる昼夜の大いなる国、
自然がその親しさときびしさとで
こもごも生活を規正する国、
忍従のうちに形成される
みごとな収穫を見わたす国。

その慕わしい土地の眺めが 今
四方の空をかぎる山々の頂から
緑の森にかくれた谷川の河原まで、
時の試練にしっかりと堪えた
静かな大きな書物のように
私の前に大きく傾いてひらいている。
尾崎喜八の詩碑

□ 富士見高原詩のフォーラム

続いて建物の中に入って「富士見高原詩のフォーラム」が開催された。

富士見尾崎会会長、樋口治久さんのあいさつ:
「碑前の集い」の第1回のことを思い出します。土砂降りの雨で、さあ始まるという頃、やんで、さーと日が射してきました。今日、最後の碑前の集いも、雨が予想された日だったのに、よい天気に恵まれました。

尾崎榮子さんの講演:
詩碑にある詩の最初の1行、
「人の世の転変が私をここへ導いた。」
たったこれだけの文字に、父にとっては万感の思いがこもっていました。
戦争中の詩作の反省、戦後の転居続きの間借り生活、ようやく富士見に落ち着けたこと。
父にとって、富士見はとても大事なところでした。
ここ富士見の空気を吸ってから、家に帰って、1編でも尾崎喜八の詩を、もう一度読み直して、楽しんでみてください。

そのあと、主に小中学生の詩の中から選ばれた優秀作品の、自作の朗読があった。富士見尾崎会は解散しても、このような形で詩人の精神が継承されていくといいと思う。

□ 富士見尾崎会交流会

小さな部屋に会場を移して、希望者だけが参加する交流会が開かれた。
最後を惜しむスピーチがいくつもあった。

重本恵津子さん:
尾崎喜八とその妻の評伝2冊を執筆する契機となったのは、「尾崎喜八詩碑建立記念誌」に出会い、こんな人がいたのかと感銘を受けたからでした。

小池久美(ひさよし)さん:
国語の教師をしていました。教科書に尾崎喜八の『山頂』の詩があり、この詩人は富士見に住んでいるのだと話しました。すると、ひとりの生徒が直接、詩人を訪ねて行き、詩を書いてもらったということがありました。その詩が『杖突峠』で、卒業記念文集に掲載させてもらいました。のちに詩集におさめられ、この詩を好きだという人は多いのですが、最初に世にでたのは小学校の卒業記念文集だったのです。

『中央評論』の紹介:
僕は『中央評論』第268号が発売になったことを案内した。
「武蔵野の博物誌」という特集に、友人の茨木孝雄君が「科学の眼、詩人の魂−尾崎喜八と善福寺の自然」と題した文章を寄稿している。2004年と2005年の2回、茨木君が杉並区立科学館で、尾崎喜八の日記を基にした「『井荻日記』を読む」という講座を開催した。そのときの様子を記しながら、尾崎喜八のこと、武蔵野の自然のことを書いている。
尾崎喜八は科学者の資質をもった詩人だった。茨木君は、天文学を専門にしながら、文学への関心も深いから、尾崎喜八の最良の読み手が書いた、いい文章になった。僕は、講座にも寄稿にも、いくらか関わっていて、ささやかながら尾崎喜八のために貢献できてよかった。

□ 杖突峠

交流会が終わってから、高遠に向かうには、尾崎喜八が詩にした杖突峠を越える。
尾崎喜八は歩いたのだろうが、僕は車でスルスルと上がってしまう。
峠道にまだ上がりきらないうちに、売店・休憩所が現れた。そこの展望台から眺めると、雄大な景色が広がっている。

杖突峠 
        尾崎喜八
春は茫々、山上の空、
なんにも無いのがじつにいい。
書物もなければ新聞もなく、
時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。
頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた
青い八ガ岳も蓼科ももちろん出ている。
腹這いになって首をのばせば、
画のような汀に抱かれた春の諏訪湖も
ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。
木曾駒は伊那盆地の霞のうえ、
槍や穂高の北アルプスは
リラ色の安曇の空に遠く浮かぶ。
それはみんなわかっている。
わかっているが、目をほそくして 仰向いて、
無限無窮の此のまっさおな大空を
じっと見ているのがじつにいい。
どこかで鳴いているあおじの歌、
頬に触れる翁草やあずまぎく、
此の世の毀誉褒貶をすっきりとぬきんでた
海抜四千尺の春の峠、
杖突峠の草原で腕を枕に空を見ている。


休憩所の展望台からは、すっきり、広々と諏訪湖が眺められるから、尾崎喜八がこの詩を思い描いたのはここではないようだ。
道を先まで行って杖突峠に上がりきると、守屋山への登山口にもなっている。樹林にさえぎられて展望はほとんどないから、そこでもないようだ。木は育ちもするし、伐られもするから、その詩が書かれたときと今では景観が変わっている可能性もある。
歩いて登りながら、どこかに、展望もいいし、寝そべって空を見るにもいい地点があったのだろう。

富士見・諏訪側からは短いが急な坂を上がるが、杖突峠を越えて高遠側に入ると、長いゆるい下り坂になる。
高遠は、僕にとって一度は行ってみたい憧れの地だった。高く遠くというのは、そのまま僕の人生訓みたいなものだし、「たかとお」という、濁音のない、やさしい音の響きもいい。
地名なら「高遠」。人名なら「開高健」。
もっとも、開高健本人は「閉じて低く患である」精神状態にしばしば悩まされていることを、どこかで書いていた。自分と違うから惹かれるのかもしれない。
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 第2日 第1回高遠ブックフェスティバル
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09.08.29(土)-30(日)


高遠ブックフェスティバルは、日本初の「ブックツーリズム」=本をかなめとする観光スタイルの企画。
2日間にわたって開催されたが、1日目は富士見での「碑前の集い」が終えてから着いたので、夜8時から始まる講演を聴きにいった。
通りには蜜蝋をガラス瓶に詰めて燃している明かりが点々と並んでいる。静かな通りなので、幻想的できれいだった。
イベントを開催中だから、古本の臨時店舗などだけでなく、ふつうの酒屋さんも開いて試飲のサービスなどもしてくれていたが、ふだんは閉まっていて、夜早い時間からもっと暗いのだろう。

□ 壱刻『都築響一トーク ロードサイド信州』 

壱刻という蕎麦屋さんの2階が会場。下の店はすっかり今ふうに改修してあるが、2階に上がって見上げれば、棟柱に墨で明治25年に建てられたことが記されている。

都築響一さんの話は、「ロードサイド信州」というタイトルで予定されていたが、信州にはおかしなところがなかった、ということで、本を作ることがテーマになった。
都築さんは、かつて質にこだわった本を作りたいと思っていた。でもニューヨークで妙な「本」を見つけた。ドットプリンターで連続帳票に印刷して、薄いビニール袋に入れて売っている 高価で手間どる印刷をしない、切って綴じる手間をかけない、余分な在庫をもたない−と、いいことばかり。買ったほうにしても、必要なページだけ残すのに便利だ。こういう本の作り方もあるのかと衝撃を受けた。
今は各地のスナック訪問記をホームページに連載している。あるスナックのママが、携帯で原稿を書き、自分をモデルにして撮った写真とあわせて本にした。自費出版といっても、高額でなくできてしまう。
本を作るのが難しい時代といわれているが、そんなことはなくて、気持ちがあれば簡単に作れる時代になっている。
旧体制のソ連で苦心して雑誌をだしていたグループ、たいへんな手間をかけてガリ版刷りのエロ本を作った人など、本に熱い思いをもつ人たちも紹介された。
本にはおもしろいことができる、熱意があれば本は作れる、というメッセージがこもった、いい話だった。

狭い2階の会場に集まったのは50人ほどだったろうか。
ほとんどが若い。僕が勤務する図書館で開催するイベントの参加者は、ほとんど高齢者ばかり。この講演に関しては講師の魅力ということもあるが、このあと見かけたフェスティバルを訪れている人たち全般に若者が多かった。近ごろの若者は本を読まないという説があるが、そんなことはないようと心強くもなる。

□ 高遠城址+進徳館

宿に泊まった翌日、日曜の朝に、高遠城址を散歩した。遊歩道が空堀の底まで降りていけるように整備されていて、軽い起伏がある、気持ちのいい公園になっている。たくさんある桜の木は、すべて小彼岸桜のみ。春に来てみたい。混むだろうが、こういうふうに朝早くなら静かに楽しめるかもしれない。

近くに進徳館という、かつての藩校がある。盛時は8棟並んでいたというが、今は1棟だけ保存されている。
みごとな茅葺き屋根が大きな斜面を見せ、屋根から下は矩形の組み合わせになる。りんと引き締まって、精神の作業をするのにふさわしい構えだと思う。

□ 信州高遠美術館『信州伊那高遠の四季展』
長野県伊那市高遠町東高遠400 tel. 0265-94-3666

美術館の建物は弧を描いている。弧の内側は中庭で、草をまとった墳丘をかかえている。中に入ると、弧の外側は全面ガラス壁で、城址の木々に面している。ロビーや喫茶室からの眺めは開放的で、気持ちよくできている。

ここでも11時からピアノ演奏と朗読のイベントが開かれる。ロビーでは、ピアノの調律や、椅子を並べるなど、準備が進んでいるところだった。
特別展では、高遠を描いた絵を全国から公募した優秀作品を展示していた。いい作品もあったが、館蔵の作品は全く展示していなかった。初のフェスティバルを開催中で、遠くからも人が来るのに、館蔵品が見られないのは惜しい。公募作品だけの展示なのに通常の入館料をとるのも高い気がする。

■ 伊那市立高遠町図書館
長野県伊那市高遠町西高遠810-1 tel. 0265-94-3698

図書館前の広場では、高遠ブックフェスティバルにあわせて、子どもたちが古本を売っている。広告文を記した紙を持ったこどもたちが近くを巡回していて、紙には、学校の図書室の本を買う資金にします書いてある。ほかにTシャツの販売や、アーティスト、スズキコージの作品展示もあった。

複合施設の中に入ると、図書館部分の入口の上に「高遠図書館」の看板がかかっている。味わいのある、ひとめ見て印象に残る文字で、高遠の人、中村不折(1866−1943)の書。画家でもあるが、書家でもあって、東京にある台東区立書道博物館は、1936年に中村不折が設立した博物館が元になっている。
新宿中村屋のロゴも中村不折が書いたものというので見比べてみると、なるほど同じような線だ。

高遠町図書館の遠いルーツは藩校の進徳館にある。
1860年(万延元年)に開校したとき、進徳館文庫を設け、7000冊の蔵書があった。藩校としては遅い出発だったが、十分な知的蓄積を備えたうえだった。
でも、まもなく明治を迎え、1872(明治5)年、廃藩置県により藩校の進徳館は廃止。翌年、学制発布により進徳館の建物は小学校として使われることとなり、進徳館は短命で終わった。

今の図書館の直接のルーツは、1908(明治41)年、高遠図書館が青年有志と小学校教員が中心となって会員制で小学校内に設立されたことにある。
中村不折筆の看板には、明治44年(1911年)とあるから、開館後に作られた看板ということになる。

図書館は1階にあるが、2階に古書資料室があるのを案内していただいた。棚に多数の古書が整理して置かれている。広い部屋で、古文書教室をここで開催することもあるという。
家を壊すときに寄贈された文書もかなりある。高遠の街を歩いていると、立派な蔵をよく見かけるが、そうした蔵が壊されることもあるのだろう。
その家の先祖が、勉学のために筆写した文書だから、由緒ある古文書などに比べると、文字が稚拙なものもあるようだ。それでも簡単に印刷物やコピーが手に入らなかった時代に、和紙に筆で、丁寧に、学ぶべき文字を写している。

もともと信州では、ふつうの人が、学習の意欲もレベルも高い。高遠の隣の富士見に暮らした詩人、尾崎喜八は博識の人だったが、その尾崎でさえ、学者でも専門家でもない、ふつうの人の知識の深さにしばしば不意打ちを食っていたらしい。
富士見時代の詩作をまとめた『自註 富士見高原詩集』にこんな文章がある。

しかもどうだ。ここでもまた書棚を満たす国文学関係の本の中に釣の古典、Isaac Walton の Complete Angler の原書がでんと控えているに至っては、私としても目を見張らざるを得なかった。これだから前にも出て来た「老農」同様、信州人の知的生活には油断がならないと言うのである。
(「渓谷(三)」の自註)

古書資料室の棚の古書の中に、藩校で使われた教本で、1871(明治4)年刊行の『英文典』があった。頁を開いてみるとEnglish Grammarとあり、英語の教科書。
ほかに、やはり英文で書かれた物理学の教科書もあった。藩校で洋学を採用したのは長野県では松代と高遠のみで、高遠からは慶応大学に2人、洋楽を学びにやっていたという。
高遠での藩校の設立は遅く(これは知的関心の高低ではなく財政上の理由によるらしい)、わずか12年で明治を迎えてしまう。でも新しい時代を迎える姿勢も意欲的だったことがうかがわれる。

「本の町」を標榜する高遠ブックフェスティバルも、「たまたま高遠で開催している」のではなく、「こうした歴史、蓄積があってしている」のだということが紹介されていくといいと思う。

● やますそ(高遠町総合福祉センター)で昼食

昼どきになり、高遠ブックフェスティバルの期間限定のメニュー「野菜いっぱい御膳」を食べた。調理室で作られたのを受け取って、別の小部屋でいただく。
野菜いっぱいのほかに、角煮か餃子を選ぶ。
僕は角煮にした。野菜もおいしいし、角煮もおいしかった。
ふだんでも町の食堂にこういうメニューがあるといいと思う。
「自分たちがふだん食べているものを、お金をだして食べようとは思わない」というのは地元の人の感想としてありがちなことだが、旅行者にしてみれば、むしろそういう料理に地方色を感じるということがある。
(でも1000円はちょっと高いかな...)

町の通りのあちこちに書棚が設置され、古本の販売所になっていた。
道ばたの古本屋さん

□ やますそ大会議室『本の町シンポジウム』

まだ高遠ブックフェスティバルは続いている時間だが、2日目の午後1時30分から、総括する位置づけのシンポジウムが開かれた。
発言者は5人。
ライター・永江朗 小布施堂社長・市村次夫
作家・角田光代 駿河台大学教授・熊田俊郎
本の家・北尾トロ

シンポジウムでは、「本の町」の起源とされるイギリスのヘイ・オン・ワイと高遠との比較が多く話し合われていた。でも、ヘイは、変人が好き勝手にやって、たまたま成功したのらしい。ヘイと似ていることに正統性の根拠を求めることはなくて、むしろ高遠スタイルを作って世界標準にするくらいの意気込みがあっていいと思う。
高遠に「本の家」という古本屋兼ふれあいの場を作り、高遠ブックフェスティバルのいいだしっぺでもある北尾トロさんは、
「同じことだけを繰り返しては飽きてしまう。定番のことと、更新することを組み合わせて、来年以後のことを考えていきたい」
と話していた。楽しみだ。

会場では、小学生が編集・発行する『高遠こども新聞』が配られた。きのうまでのことが取材されていて、今日のことは、また明日発行されるのだろう。
高遠ブックフェスティバルでは、ほかにも多彩なイベントが開催されていた。
「本が好き」という人がもともと穏やかな人たちなのか、僕も同趣味だから波長があったのか、いろんなイベントをのぞきながら町中を歩いていて、何だか居心地がよかった。僕は雑食なもので、建築も見に行くし、美術も見に行く。どちらも肌合いが合わないようなことはないのだが、本の集まりは何だか格別に「あった」気がする。
富士見での「碑前の集い」が終わって、毎年夏の長野行きはおしまいになるかと思っていたのだが、今度は高遠のブックフェスティバルに定期便しそうだ。
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 第3日 千畳敷カール
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□ 千畳敷カール

高遠から駒ヶ根に移動して1泊する。
翌朝、ロープウエイ乗り場に向かうバスに乗る。今の時期は始発が7時頃。
ロープウエイは、下のしらび平駅1662mから、上の千畳敷駅2612mまで、標高差900m以上を7分ほどで上がる。
上の駅を降りれば、峰々に囲まれたカールが広がり、高山の絶景のど真ん中にいる。

登山が主目的ではなく、ついでに足を伸ばしてきたのだから、遊歩道を散歩するだけでいいかと考えていた。
でも、乗越浄土といわれる地点までのジグザグ道がすっかり見えている。長い距離ではなくて、ひと息で上がれそうだ。尾根上にでるから、眺めもいちだんといいだろう。
そこまで上がることにした。

久しぶりの山歩き。気分がいい。ぐんぐん上がる。
ふりかえれば千畳敷とロープウエイ駅は、ずいぶん下になっている。
それよりもっと遠くの下方は、駒ヶ根市街で、そのまた先には南アルプスの山並みの高みに続く。
今は確かに「開高健」だとうれしくなる。眺めが開け、立つ位置は高く、少なくも今この身は健だ。
緑色の草の斜面に、上から蒔かれたように小さな岩が並んでいる。
大きな眺めなのに、手の届くすぐそこには小さな花々が咲いている。遠近をひんぱんに切り替えて眺める自在な感覚もいい。
高い山からの眺め

小さな花

乗越浄土には40分弱で着いた。右手に前山、前方に駒ヶ岳、左には宝剣岳。見晴らしのいい尾根道を山頂まで行くのは気持ちいいだろうが、今日はとくに山頂に至ることにこだわらない、ここでいい−ということに気持ちを決める。ここまで来て、この眺めを堪能すれば十分で、山頂まで歩く時間をとっておいてアンフォルメル中川美術館に行こうと考えている。

上がってくるとき、下の方に霧が湧いているのが見えていたが、霧はまもなく上がってきて、わずか先にある山頂を隠してしまった。腰をおろして休んでいると、霧は流れてきては、また晴れたりを繰り返す。台風が南方に近づいている影響かもしれない。

□ アンフォルメル中川美術館
長野県上伊那郡中川村大字大草

火・木・土・日曜日、祝日が開館日で、今日、月曜はあいにく閉まっている。
でも毛綱毅曠(もづな きこう 1941 - 2001年)の建築は、出身地の釧路をはじめ、なかなか行きにくいところが多い。これだけ近くに来たら、外観だけでも見ておこう。駒ヶ根高原バスセンターの駐車場に降りてきて、カーナビで検索すると19km。もうちょっと近いことを期待してたのだけど、そう無理なく行ける距離だ。

中川村に入り、天竜川の河岸段丘だろうか、坂道をうねうね上がっていく途中にあった。
パーツの組み合わせのような建築で、塔があり、扇形に開く屋根をもった(おそらく)展示室があり、通路があり、その先に(おそらくミュージアム・ショップと受付が入る)小屋がある。
方向性を意識して造形したようで、視線も建築が示す流れにそって動く。
毛綱のことだから、扇形の屋根は宇宙から気を呼び込むアンテナで、集められた気は 展示室に注ぎ込む。またそこから生まれたパワーを塔から宇宙に送り返す、というような思考をこめたのかもしれない。

反対に回り込むと列柱と通路に囲まれたテラスがあり、椅子とテーブルが置いてある。しばらく腰かけて、中央アルプスの山並みを眺めた。
小さいが、ダイナミックな印象のある、いい建築だと思う。
閲覧室も、ミュージアムショップも、とても狭そうだが、どんな仕掛けにしてあるか。
アンフォルメルはフランス語Art informelで、フランスを中心に1950年代に展開された抽象絵画の動向を指すが、どんな作品を展示しているのか。
いつか開館日にまた来てみたい。

● 明治亭
長野県駒ヶ根市赤穂898-6 tel. 0265-83-1115
http://www.meijitei.com/komaganeten.html


また駒ヶ根市内に戻って、有名な駒ヶ根のソースカツ丼の老舗といわれる店に昼食に入る。
カツ丼の店にしては立派で、十分に成功して、ハードもソフトもできあがっている感じ。
かつは2段だが、2枚を揚げたのではなく、大1枚を2段にわけて盛ってある。
かつが、ぴかぴか、てかてかしている。でも脂っこい予想に反して、さっぱりしている。コロモが水っぽい感じだが、といって、薄くてまずいのではなく、おいしい。不思議な食感で、なるほどこの独自性が客を呼ぶのだろうかと思う。
キャベツがかなりの量ではさまっている。
「ごはん少なめ」を注文したが、それでも、かなり多い。
あと、味噌汁、野沢菜つき。
味はいいし、おなかも満ちるが、それにしても、カツ丼で、「ごはん少なめ」で、1140円はちょっと高い。(やけに「高い」という感想が多いな...。高遠の民宿と、駒ヶ根の温泉旅館は安かった。)

□ 駒ヶ根高原美術館
長野県駒ケ根市菅の台光前寺前 tel. 0265-83-5100
http://www.avis.ne.jp/~kkam/


3日間の旅の最後の訪問地。今日の最初の出発点のロープウエイ行きバス乗り場にも近いし、明治亭にも近いし、このあと帰り道の出発点、駒ヶ根i.c.にも近い。

いい美術館だった。
草間彌生、池田満寿夫、藤原新也、大竹伸朗に、それぞれ個室があって展示されていて、じっくりひたれる。
中でも藤原新也は、黒い部屋に、『メメント・モリ』をもとにして、写真と言葉を対に配置してあり、かみしめるように眺めていった。
池田満寿夫は、版画、油彩、陶と、多彩な輝きを楽しめる。デッサンの線の美しさにも見とれた。タピスリー・コラージュの小品も展示しているが、この手法の作品としては、国立国会図書館新館の高い吹き抜けに「天の岩戸」がある。(僕の住むところからだと、池田満寿夫の作品を確実に見るには国会図書館がいちばん近い。)

五感にたっぷりと満ち足りた思いを味わって家に帰った。
台風が近づいているので、関東地方に入ると強い雨に降られることを覚悟していたのだが、弱い雨がときおりあったくらいで、順調に帰れた。

(2009.8月 no.5)
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参考:

  • 『自註富士見高原詩集』 尾崎喜八 鳥影社 1984
    『花咲ける孤独』 重本恵津子 潮出版社 1995
    『夏の最後の薔薇』 重本恵津子 レイライン 2004
    『科学の眼、詩人の魂−尾崎喜八と善福寺の自然』 茨木孝雄 「中央評論」第268号 中央大学出版部 2009
  • 『高遠町誌 下巻 自然・現代・民俗』 高遠町誌編纂委員会/編纂 高遠町誌刊行会 1979
    『ROADSIDE JAPAN!珍日本紀行 東日本編』 都築響一 ちくま文庫 2000
    『神田神保町とヘイ・オン・ワイ 古書とまちづくりの比較社会学』 大内田鶴子・熊田俊郎・小山騰・藤田弘夫・編著 東信堂 2008
    『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』 北尾トロ 風塵社 2000
    『ヘンな本あります ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』 北尾トロ 風塵社 2003
  • 高遠ブックフェスティバルでの発行物
    『高くて遠い街』 いしいしんじ
    『高遠こども新聞』 2009.8.30
  • 『メメント・モリ 死を想え』 藤原新也 情報センター出版局 1983