古い栗の町の新しい図書館


1.まちとしょテラソ−小布施のまちづくりの最新拠点 ()
2.升一客殿−小布施を一望する本棚

小布施にはずいぶん前から行きたいと思いながら叶わなかった。図書館が新しくなった機会に、1000円高速を走って出かけた。

□ 北斎館 高井鴻山記念館 おぶせミュージアム中島千波館

北斎館:http://www.hokusai-kan.com/
宮本忠長の設計によるミュージアム。
ここが1976年に開館して、伝説的といってもいいような小布施のまちづくりが始まったとされる。
江戸時代末期、高井鴻山(1806-83)という豪農・豪商が、葛飾北斎(1760-1849)を小布施に招いた。
パトロン(=裕福な人が文化を支援する)の伝統が地域にあって、町の人たちも北斎作品を求め、所蔵していた。1970年代に北斎の人気が高まり、町の人が持つ北斎作品が買いあさられ、流出するのを防ぎたいと、当時の市村郁夫町長が考えたことから、美術館は発案された。はじめからまちおこしとか観光開発とかいう目論見があったのではなかったが、思いがけず多くの人が見に来たことから、町をかえようとする動きが起きていく。

晩年の北斎が多く描いた肉筆画が収蔵、展示されている。
祭の屋台の天井画も描いていて、「怒濤図」では周囲の額縁状部分にに植物や小動物に混じってなぜか背中に羽根のはえた天使がいる。奇想の画家の一面がうかがえる。

高井鴻山記念館:
高井鴻山は自分も絵をかいた。でも自分が描かれるのは嫌いで、たった1点だけ描かせたという肖像画が展示されている。きまじめそうな人にみえるが、1つ目やら3つ目やら、妖怪の絵をたくさんかいている。北斎の奇想と通じるところがあったろうかとおかしい。

おぶせミュージアム中島千波館『池田学展』:
小布施生まれの画家、中島千波の美術館だが、開催中の『池田学展』に圧倒された。
細いペンを使った細密な描き方で、大きな紙に大きな世界を描く。
「方舟」は、ビルディングの集積だけでできているような巨大な島が、「天空の島ラピュタ」のように宙に存在している。あちこちに滝が流れ落ちている。すごい迫力。欲しい。

ページ先頭へ
● 小布施堂
http://www.obusedo.com/

小布施堂は小布施のまちづくりを推進してきた。
北斎館などがある観光小布施の中心地に、酒蔵を持ち、菓子店をもち、宿泊施設、飲食施設をもつ。といってもガムシャラに拡大したのではなく、近隣の住民や金融機関と時間をかけて土地の持ちようを調整し、よい建築を心がけ、他の栗菓子の名店もまきこむようにして、今の小布施を作ってきた。
パトロンの伝統を受け継いで、文化振興をになってもいる。

店頭で、今日予約して明日受け取ることになる「栗金つば」を予約してから、奥のレストランに昼食に入った。
ここも宮本忠長の設計。和風、端正で、落ち着いている。
「信州牛の丼」を食べた。簡単にいえば牛丼だが、丼1つがドンと置かれるのではなくて、順に運ばれてくるちょっとしたコース料理になっている。
はじめに「山海のきのこ」。「海のきのこ」は妙だが、山のきのこに似た貝を、ほんもののきのことあわせて盛りつけている。
牛丼は、薄めのステーキを切ってのせたふうで、上品な味つけでボリュームも適度にある。
デザートには栗鹿の子をとった。トロトロの甘いきんとんに覆われた栗は、大きく、ホロホロとおいしい。
また来たときには同じものを注文してもいいなと思うほどに満ち足りた。

□ 小布施中学校 岩松院

市街中心部から車に乗って郊外に出る。
町の東に向かうと、小布施中学校を通りかかった。銀色の屋根が空からの光を反射して、存在感が際だっている。
これも北斎館と同じ宮本忠長建築設計事務所の設計。

雁田山の山裾にある岩松寺には北斎の天井画がある。本堂で見上げると『八方睨み鳳凰図』がある。21畳分の大きさという。1848年に描かれたものが、修復もしないのに色あせることなく、とても鮮やか。メノウ、ヒスイ、クジャク石などを使った顔料を中国から取り寄せて使ったためという。北斎も偉大だが、それを可能にしたパトロン・高井鴻山の熱意、財力の大きさもうかがわせる。
鳳凰が、どういう姿勢をしているのをどういう視点から描いたのか、なかなかわかりにくいほど、大胆なデフォルメがしてあって、時代を超える北斎のデザイン感覚に圧倒された。

□ 栗の木小学校

ふたたび市街に戻る。
図書館と栗の木小学校は小布施駅の近くにある。北斎館などがある小布施観光の中心地からは歩いて10分ほど離れている。
通りからは見えていなくて、役場の脇を抜けると栗の木小学校のグランドが広がり、左手に図書館、中央奥に小学校の校舎、右手グランドの端に「音楽堂」と書かれた可愛い小建築がある。

栗の木小学校は、1968年に、小布施小学校と都住小学校を統合してできた学校。当時の市村郁夫町長と、建築家・宮本忠長が構想し、今あるように作られた。「形あるものは全部生かそう」という方針で、「音楽堂」は旧小布施小学校の音楽堂を曳家してクラブ活動の部屋として使うことにした。前の体育館は木造で天井が低いためバレーボールなどできなかったが、コンクリートの土台のうえにのせることで立派な体育館に再生した。入学式や卒業式にも使う場所が残ったから、町の大人たちにとっては思い出が継承されることにもなった。
ふつうに小布施のまちづくりは北斎館に始まったといわれるが、小布施の修景を担った宮本忠長は、栗の木小学校がすべての始まり、原点だと語っている。

ページ先頭へ
■ まちとしょテラソ(小布施町立図書館)
http://machitoshoterrasow.com/

新築の建物に引っ越してきて、2009年7月17日に新しく開館したばかり。
図書館は三角形をしている。グランドに沿って歩いて図書館の入口に向かうと、三角形の1つの角の前に立つ。しかもガラスの壁だから、ドンと構えているのがふつうの図書館にしては、繊細で、華奢(きゃしゃ)なくらいに感じる。
とくに珍しい形を作ろうと狙ったのではなく、敷地の形状、近隣の施設との関係を考えて選択された。
図書館の入り口。三角形の角から入る。

1階建て、約1000uというコンパクトな大きさの三角形の角から入るから、中に入ってすぐに全容がおよそ把握できる。どこに何があるかわかりくいという不安がなく、親しみやすい。
見上げると天井には細い杉材が隙間をあけて並んでいる。その隙間からはもう屋根の裏側が見えている。屋根も天井もゆるやかな曲面になっている。そして壁面にはガラス部分が多いから、どっしりとした構造物の中にいるというより、薄い皮膜にくるまれているような感覚になる。

図書館の設計にあたってはコンペが実施され、古谷誠章案が選ばれた。
開館にいたるまでに、図書館の職員、設計者、住民で組織する図書館建設運営委員会を17回も開いてきた。それもすばらしいことだし、インターネットでその議事録が公開されているのも、閉じた議論にしないためによいことだと思う。
開館3月前、4月15日分の議事録を見ていて、愛称もまだ、開館式典の次第もまだ、ハード面では壁の色もカーペットもまだ決まっていなくて議論している。大丈夫だろうか?!とひとごとながら心配になった。
とくに壁の色に関しては、町長の意向との調整が難航しているようだった。建築家は白い色を提案している。町長は、小布施には従来その色はないからそぐわないと土壁の色を主張している。町長は就任前から小布施のまちづくりに直接関わる仕事をしていた人だから、人一倍まちのことに詳しくもあり、信念もある。
悩み、いろいろな色を実際に作って試してもきた建築家の最終提案は、「栗落雁の色」というもの!
白くもあり、土壁の色を帯びてもいる。みごとな落としどころだ。
実際に見るとどんなものかと楽しみにしていたのだが、白い色に(小布施流にいえば)淡い栗色が混じっているような、穏やかな色にしてあった。

関係者の追い込みの苦労はたいへんだったろうが、無事に開館した。
まだ落ち着かないうえに、視察の人も多い多忙なところだったのに、花井裕一郎館長に話を伺うことができた。
図書館としては前から運営してきたが、建築を一新すると、こうしてからはこれが初めての事例ということが次々に起きて、素早く決めていかなくてはならない。たいへんだけれど、器が新しくなると職員の気持ちも新しくなっていて、みな張り切っているとのことだった。
たしかにこういう図書館で働くのは気持ちいいだろうなと思う。
多目的室では、住民有志が古文書を整理・記録する作業をしているところだった。「室」とはいっても扉がない状態にあけっぴろげにして、中でやっていることを他の利用者にも見てもらえるようにしているという。
小布施は古い町だから、それぞれの家が古文書などを持っている。家の解体などでそれが失われかねないが、保存体制が十分にできていない。関心をもってもらうように多くの人に作業を見てもらいたいと考えている。
図書館が、古い町を保存して未来につなぐ役割をになおうとしている。

ページ先頭へ
■ 升一客殿
http://www.masuichi.com/

今夜の宿は小布施堂の宿泊施設。
長野から移築した蔵を寝室に改造してある。
小布施で毎月ぞろ目の日に開催されている文化講演会「小布施ッション」の発案者・推進者のセーラ・マリ・カミングスが、パークハイアット東京のデザインで評判のジョン・モーフォードに直談判で設計を依頼した。

部屋には名前や数字がない。ドアの外に北斎の絵が表札のように掲示され、鍵札にも同じ絵が描かれている。
部屋を文字や数字であらわさないことや、フロント周辺に文字による案内がいっさいないことなど、隈研吾設計の銀山温泉の旅館藤屋も同じだった。安息のための部屋にはできるだけ文字がないのは、さっぱりしていい。
室内は超モダンでスタイリッシュ。古い蔵であることの痕跡は黒い太い数本の梁だけ。あとは直線的で、鏡を多用し、きれがいいデザインをしている。外国映画のスターのような気分になる。

1つの蔵が図書室になっている。3方に書棚、中央に大きな机。
美術や建築など、僕の好みの本が並んでいてうれしい。
北斎。ヨーロッパで浮世絵を商った林忠正。高橋克彦『北斎殺人事件』。小布施のまちづくりに関わった建築家、宮本忠長。諏訪の建築家、藤森照信。「小布施ッション」の記録をまとめた本。松岡正剛などその講演者の著書。長野の地域資料など。
ここに閉じこもれば資料的小布施の全容がほぼ見えてくる。

舛一客殿の蔵の中の図書室 書棚の最上段には、舛一酒造のマーク(縦に2文字で、上に□、下に一)が印された、細長いトックリがズラリと並んでいる。

蔵書は小布施堂の経営者で小布施のまちづくりの推進者のひとり、市村次夫氏もの。
市村さんは、たまたまつい最近、高遠ブックフェスティバルのシンポジウムに参加されていて見かけたばかり。本人の顔を見て、話を聞いて考え方もある程度わかり、さらに蔵書を眺めれば脳の中までのぞいてしまったようなもの。司馬遼太郎やなぜか清水義範も多数あって、心的傾向が共通するようで、親しみを覚えた。
1泊の間には読みふける時間はなかったが、参考になる本がいくつもあって、あとで買ったり図書館で借りたりした。

● 蔵部

升一客殿には食事する場所がない。和食と洋食と中華の食事処がそれぞれ独立してあり、好きなところに行って食べるようになっていて、和食を選んだ。
蔵人が冬の酒造りの泊まり込みの際に食した「寄り付き料理」をコンセプトにしている。焼く・煮る・蒸すのシンプルなもので、あたりまえに居酒屋などにあるメニューとはやや異質。桝一市村酒造の造る日本酒の銘柄を少しずつとって飲み比べながら、おいしく食べた。
ここのデザインもジョン・モーフォードで、蔵のつくりをいかし、伝統的意匠を使っているのに、ありきたりな和風や民芸調の内装にならずに、清新な印象がある。

ページ先頭へ
■ 再びまちとしょテラソ(小布施町立図書館)

花井館長が「図書館は夜、照明がきれいだ」と話されていた。8時まで開館しているので、食事のあと、歩いて行ってみた。
雨模様なので、舛一客殿で借りた蛇の目傘を持って、10分ほどの道を散歩していった。小布施駅の近くには役場の庁舎などがあるが、夜開いているようなところはあまりない。
図書館の愛称にある「テラソ」は「照らそう」のこと。知識を広め深めるという象徴的意味もあるが、夜になると暗くなってしまう街を実際に明るくする役割も負っている。通りからやや奥まっているのが難だが、外にかなりな量の光をもらしている施設があることは心強い。

図書館の夜景。図書館全体が町を照らすぼんぼり。

中はたしかにきれだった。吊り下げられた照明が、2重ガラスに反射して、いくつもの光の点になって続いている。
三角形の奥の隅にある黒いソファに腰かけて、しばらく館内の眺めにひたった。
昼間はガラス窓を通して視線が外に向かってしまうが、外が暗い時間には、中に集中する。
屋根のゆるやかなうねり。
杉材が昼より明るく映えている。
白い柱が上部で樹木のように枝分かれして天井を支えているが、間接照明の光を受けて冴えている。
閉館近い時間に館内にいるのは高校生くらいの若い人が多かった。この日は土曜日だったが、平日なら勤め帰りの人も利用しているかもしれない。

ページ先頭へ
□ 新生病院・新生礼拝堂
http://www.newlife.or.jp/

北斎や小布施堂界隈のことは予備知識があってきたが、こちらに来てから見た観光案内のパンフレットで新生病院のことを知った。升一客殿の図書室に関連書があり、およそのこともわかった。
予備知識があっても現場に立ってみなければわからないこと、自分の体で感じることがあっておもしろいものだが、まったく知らなかったことに現地に来てみて出会うことがあるのも、格別楽しい。

新生病院は、市の中心部の南のはずれあたりにあった。
病院の建築は通りに沿って低い棟が長くのびている。色も形も明るくすっきりしている。
おおもとはカナダ聖公会が1932年に作った結核の療養所。当時、結核は不治の病いとされた伝染性疾患だから、あちこちで断られたあと、34番目の候補地、小布施の人たちが受け入れた。北斎を招くような外に開かれた意識があってのことだろう。
1つ何ごとかある地には、たいてい1つですまなくて、あんなこともある、こんなこともあるというふうに、様々な蓄積が見いだされる。僕は昨年から今年にかけて埼玉県寄居町のことを新聞に連載して、やはり1つの町にいろんな蓄積があることを見てきた。それは不思議のようでもあり、当然のように感じられもした。小布施の例を見て、当然といっていいのだろうと思い至った。

小布施の人たちは、原理的に、着実に考え、実行することで、結果としてまちづくりの動きとして先端的なやり方を達成していた。
新生病院では、病む人のためということを原理にして、着実に考え、実行してきたことが、やはり医療・福祉の分野で、信頼される、先端的な存在に導いた。
ただ他より先にいこうとか、一番であろうとかいうのではなく、本当に原理的で着実であることは、自然に先端的な位置にでて高い達成に至ることを教えられる。

病棟から独立して小さな礼拝堂がある。こちらは1934年に建った。
病院は80年近い年月が経ち、結核の患者が減少したが、時代に対応して先端的な医療を担ってきた。戦争の苦難も経た。
そうした歴史を見守ってきた礼拝堂はつたに覆われて静かないい雰囲気をかもしている。

● 小布施岩崎
http://www.obuseiwasaki.jp/

新生病院の2代目総婦長ミス・パウルが、町内のパン屋岩崎小弥太さんに製法を伝えたのて名物になっているのがチェルシーバンズ。
市街の南方にある病院から北方に回って、そのパン屋さんに行った。
作る曜日が限られていて、あいにく僕らが行った日はなくて、別のパンを買った。

パンの誕生のいきさつが絵本になり、小布施の出版社から出版された。小布施町立図書館では開館記念事業に原画展が開催された。
絵本には英文訳もあわせてのっていて、その英訳を担当したハート・ララビーさんは、アメリカの人で、長野オリンピックをきっかけに小布施に移住した。小布施への恩返しとして印税を図書館に継続的に寄付するという。
僕ひとりが1冊買う分の印税はわずかな額だろうが、図書館に忙しいときに突然伺ってしまったささやかな感謝の気持ちをこめて絵本を買った。

(2009.9月 no.7) ページ先頭へ

参考:

  • 『新建築 住宅特集』1987.6.1 小布施堂本店+長野信金
    *「住宅特集」に修景事業が詳しく取り上げられた。1987年という時期を考えても先駆的。
  • 『小布施堂界隈の町並み修景事業における瓦の利用形態の変遷に関する研究』
    玉井悠嗣、木下光 日本建築学会計画系論文集 第74巻 第636号 2009.2
    *専門的な論文だが、これを読んでから行ったので、小布施の町でよく目立つ瓦屋根の見方がちょっと深まったふうで、とても参考になった。ごく粗い要約としては、「古い瓦には地衣類が生えている」。
  • 『小布施ッション 長野県小布施町から洗練された発信力』 セーラ・マリ・カミングス編  日経BP企画 2002
  • 『新生病院物語』中島敏子 オフィス・エム 1998
    『世界一のパン』市居みか/絵と文 中島敏子/ルポ ハート・ララビー/英訳 文屋 2009
    『小布施の秋』福永武彦 「福永武彦全集」第15巻 新潮社 1977
  • 銀山温泉の旅館藤屋については[荒川ゆらり・最上川を眺めて銀山川で温泉に入る]