新潟で水と図書館をめぐる


1.新潟県立図書館−鳥屋野潟の桜
2.新潟市立図書館−近未来SF映画
3.新潟市立豊栄図書館−安藤忠雄のやさしい建築
4.新潟市立葛塚中学校メディアセンター−もう1つの安藤建築

夏、越後妻有アートトリエンナーレに行った。新潟市では「水と土の芸術祭」を並行して実施中だったが、そちらまで行く日はとれないと諦めていた。でも秋半ばを過ぎるころ、冬の12月まで開催中なことに気がつき、なら間に合うと出かけた。
ちょうど安藤忠雄の図書館建築も見たかった。
ライフワークの1つにしている井上房一郎とブルーノ・タウトの足跡をたどる旅とも関わってくる。


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井上房一郎とブルーノ・タウト
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■ 高崎駅

上越新幹線で新潟に向かう。
高崎駅に近づくと、左側にもと井上工業のビルがある脇を通った。屋上の突起は工事用のシートで囲われていて、かつてあった大きな「井上工業」の文字はもう見えない。下の階は机などがすっかり取り払われ、すかすかに向こうが見通せるようになっていた。高崎の主要な建築物を造ってきた名門企業が、不況に加えて不祥事がとどめをさして、最期を迎えることになってしまった。時代が移る寂しい姿があった。
駅を発車すると、今度は隈研吾設計の、黒っぽい桟が並ぶ立体駐車場の脇を通る。
井上房一郎が保護したブルーノ・タウトが、日本滞在中に唯一のこした建築的実作である熱海の日向邸に接して、隈研吾に設計の依頼があった。隈研吾は幼い頃、タウトが考案した色の積み木で遊んだ思い出があり、浅からぬ因縁を覚えた。しかもその後、当の井上工業の慰霊所の設計も委嘱されている。
高崎駅の前後に、関係する建築が並ぶのも深い因縁の1つかと思う。

数日前、財団法人高崎哲学堂から、財団を解散するという知らせを受け取っていた。旧井上房一郎邸が競売に付されたのを財団が購入し、保存する活動をしてきたが、高崎市に譲渡することになった。今後は市が高崎哲学堂として運営していくので、危機対応として発足した財団の使命は終えた。
井上房一郎が経営した高崎を代表する企業が消えたのは惜しいことだが、美術館や博物館や音楽堂や哲学堂が残り、何より文化を愛する人と風土を育てた精神は受け継がれていくだろうと思う。

*『よろこばしき知識』2009.11.30特別号 財団法人高崎哲学堂

■ 新潟港・信濃川河口
  (入り船みなとタワー・山の下みなとタワー)


新潟駅でレンタカーを借りて、信濃川の河口に向かった。

井上房一郎とブルーノ・タウト、アントニン・レーモンドの足跡をたどる旅の企画が文化庁で選ばれ、NHKで放送されたのは2007年だった。
提案者が実際に旅をするところを撮影し、番組に編集するということで、高崎でアントニン・レーモンドの建築を訪ねたあと、新潟港に行き、フェリーに乗って敦賀に向かった。
1933年、ナチスのドイツを逃れたタウトは船で敦賀港に着いた。ウラジオストックから旅するのはたいへんだが、新潟から国内フェリーで代用して、敦賀港に入り、タウトの旅を忍ぶというアイデアだった。
新潟港から乗った船は新日本海フェリーのあざれあ号。16:30に出港し、翌朝5時頃敦賀に着く。新潟港から、僕、アナウンサー、ディレクター、カメラマン、音声の人と5人で乗り込んだ。
信濃川の河口にある港を出ると、両側に異様な塔があった。河口ウォッチャーとしては気になるところで、大信濃川だし、河口に橋が架かっているのはしばしば見るが、塔に挟まれているのは初めてで要チェック、あとで見に来ようと思っていた。

左岸にある「入り船みなとタワー」に先に行った。雲が重く垂れているが、かろうじて雨は降っていない。風が強く、寒い。
展望台に上がると、港と市街が一望できた。
海のほうには細い防波堤が伸びていて、先に小さな赤い標識塔がある。
川は土色に濁っている。防波堤の少し先まで土色の川の水が押し出しているが、その先の海は青い。

タワーの建造物の地下に降りると、川底をくぐって右岸に至る歩道トンネルがあった。道はゆるく傾斜し、カーブしているので、先までは見えない。
歩道は車道のトンネルの左右にある。おもしろい。車を駐車場に置いてなければ、川底にいることを思い浮かべながらずっと歩いて行きたいところだ。

車に乗ってトンネルを走り抜けて右岸の「山の下みなとタワー」に行った。両岸のタワーはトンネル内の排気塔を兼ねている。

テレビ放送の画面の新潟港 信濃川の河口、左岸にある入り船みなとタワー

2007年6月放送時の画面から。左隅に左岸の塔。

2009年12月、右岸の塔から左岸の塔を眺める。ようやく来た。

展望室に上がると、こちらも大展望で、ちょうど敦賀行きのフェリーが秋田から入港してきた。とても大きい。人家の向こうにビルのようにそびえている。
フェリーは15:30に入港して、16:30に敦賀に向けて出港する。ロケのときと同じ頃に眺めることになった。

ロケのときには、出港を待つ間に、岸壁で撮影があった。
アナウンサーと並んで歩きながら、なぜ船で敦賀に行くのかを語る。
ほかの撮影時には、どんな話し方をしてもやり直すようなことはなかった。同じようなことがあちらでもこちらでも聞かれることがあり、質問のしかたも少しずつ違っていたりする。あとで編集のときに、使える場所で使える話し方をしたのを採用するようだ。
ところが港での撮影は、なぜ船に乗るのかを、ここで、説明する必要がある。
原稿があるわけではなく、説明を考えて歩きながら話す。
船が出るまで十分な時間があったので、のんびりやり直すこと5回くらいになったろうか。ようやく適度な長さで必要なことをしゃべれたかな、と思ったら、歩き終え、話し終えたところでアナウンサーがひとこと、
「タウトはフェリーで来ましたか?」
僕は「ドイツなら逃れてきたタウトがフェリーで敦賀に着いたのを偲んで」
と話していたが、当時、フェリーはなかった!
何度か繰り返したから言うことはほぼまとまってきていて、その次の撮影でOKになった。
テレビに出るなどめったにない濃密な経験で、そんなことも懐かしく思い出す。

*[荒川ゆらり 信濃川−またまた雨の河口ウォッチング]
*敦賀港に着いたタウトを迎えた人のなかにヴォーリズもいたのだが、ヴォーリズについては[琵琶湖左岸に鬼頭梓とヴォーリズの図書館を訪ねる]参照。

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 安藤忠雄の図書館
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今は新潟市に合併したが、合併前の旧・豊栄市に2つある安藤忠雄の建築を見た。

■ 新潟市立葛塚中学校(くずつか)(安藤忠雄 2004)
新潟県新潟市北区太田乙433 tel. 025-387-2430
http://www.kuzuchu.city-niigata.ed.jp/

近づくと、折り紙細工のような黒っぽい造形物と、コンクリートで弧を描く建築が見えてきた。陸上競技場かサッカースタンドのよう。学校らしくない。

といっても楕円形に閉じているのではなく、通常の長方形校舎が少しそりかえっているくらい。
2階は部屋を明快に区切ってなくて、一部が図書室になっていた。バームクーヘンの1片といったところ。
学校では図書室ではなく、メディアセンターとしている。
弧の内側を廊下が通っていて、中央に書架、弧の外側に閲覧机を置いてある。
安藤忠雄が図書を扱うと、圧倒的な本のボリュームを見せるが、ここではおとなしく通常の書架が平行に並んでいる。

葛塚中学校の図書室

ガラス窓は上部が外に張り出すような具合に斜めになっている。垂直面の窓と見える景色は同じはずだが、ちょっとスリリングな印象になる。
すぐ近くにビュー福島潟(青木淳1997)という博物館の、逆円錐形の建築が見える。
福島潟は、ロシアからオオヒシクイが渡ってきたり、オニバスが自生していたり、特徴のある自然を有している。
その先には五頭山の山並み。
すてきな眺めだ。

図書室以外のところも見せていただいた。
3階に普通教室がある。壁は透明な材料でできていて、廊下側から教室の内部が見える。
コミュニティセンターを併設していて、市民のダンス教室などにも使われる。その集会室はガラス張りで眺めがいい。
折り紙のように見えたのは体育館で、木の梁と金属のケーブルが大空間を支えていた。

安藤忠雄の建築は、暮らす者、使う者に覚悟を要求するところがある。しかしここは、僕がいくつか見てきたなかでも格段に厳しい。コンクリート打ち放しはどこも共通だが、他の建築では白く明るくきれいな肌を見せているものもある。ところがここではやや黒ずんでむきだしで、「裸形」などという言葉を連想した。とくに階段や、エレベーターホールは、装飾どころか緩衝的なものさえなく、まだ工事途中かと見まがうほど。
禁欲的で、建築的な目の快楽はない。修道院のような宗教的修行の場を思わせる。
こどもだましにしない、やわな学校にしない。安藤忠雄の志がストレートにでているようだ。
生徒には「かわってる」ところが気に入られて、概して好評だという。
均一・同質を暗黙のうちに強制する社会にあって、相当につっぱっている。
率直なところ、僕のようなやわで壊れかけの者には、毎日ここで過ごすのはつらいと思う。でも若い生徒たちは柔軟に受けとめられるのだろう。

案内していただいた保科教頭は、「この学校は、いいところもあるし、使いにくいところもあるが、どちらもあわせていい学校」だと言われた。
こう評価されれば、建築家にすれば建築家冥利に尽きるし、建築にしてみれば建築冥利に尽きる。

■ 新潟市立豊栄図書館 (安藤忠雄 2001)
新潟市北区東栄町1-1-35 tel. 025-387-1123
http://www.niigatacitylib.jp/

葛塚中学校は安藤建築のなかでも厳しいものだったが、豊栄図書館は、これが安藤建築かと、とまどうほどにやさしく安らげるものだった。
『新建築』2001年7月の紹介記事で、安藤忠雄は「寒さの厳しい北の地にあって、そこにいったら誰かがいるような、温もりのある空間にしたいと考えた」と書いている。

正方形に円を差しこんだ平面になっている。
正方形には正方形の吹き抜けがあり、円形には円形の吹き抜けがある。
正方形にはのこぎり屋根をのせてハイサイドライトが、円形には円形のハイサイドライトがあって、穏やかな自然光が入る。
正方形の部屋の壁はシナベニヤで作りつけの書棚にしてあり一般書が置かれ、円形の部屋では、やはり周囲の壁に児童書が並んでいる。
どちらも本にぐるりと囲まれ、柔らかい光に包まれる。

豊栄図書館の吹き抜けの閲覧室

本の壁を作り、本の圧倒的な物量を見せるのは、司馬遼太郎記念館や、「ぐんま昆虫の森」の学習コーナーにもあるが、もとはといえば安藤忠雄の建築事務所じたいが本の壁になっている。

階段が2つある。
円の閲覧室に上がる、ゆるく弧を描く階段は、これから向かう先に何があるかというトキメキを感じさせる。
正方形の吹き抜けを上がる直線の階段は、閲覧室の中央にあるから、その場の主役の気分をもたらす。
映画『ベルリン 天使の詩』で、ベルリン中央図書館の階段が何度か映しだされ、印象的な場面になっていた。吹き抜けを囲む閲覧席もあったし、設計にあたって参考にしたかもしれない。

階段の手すり下や、吹き抜けを囲む閲覧机の下部には、すりガラスが使われている。視線をさえぎるが、ぼんやり光が透るので、拒絶的にならない。
階段下にも書棚が配される。
書棚が並ぶ正方形の2辺の裏側が書庫になっている。(書庫が90度に折れている)。
建築面積は大きくないところに正方形と円を組み合わせているが、内部がじつによく考えて設計されている。

外部では、通りから正面の入り口にいたる前方は、ゆったり広場のようにあける。
後方、ありきたりの事務所棟が不規則に建つ側に対しては、コンクリートの塀を立ててしまう。
その内側は芝の斜面にしてあるから、図書館内にいて窮屈な感じはしない。
芝の斜面の裏側は自転車置き場にする。
全体の配置も巧みによく考えてある

旧豊栄市には、福島潟をはじめとする豊かな自然に加えて、図書館や学校や博物館のすばらしい建築が身近にある。

*『新建築』 2001年7月
 『図書館の学校』 2001年11月 −水野修造・小川俊彦の訪問記を掲載
  ビュー福島潟 http://www.pavc.ne.jp/~hishikui/index.html

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 新潟県立図書館vs新潟市立図書館
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■ 新潟県立図書館
新潟市中央区女池南3-1-2 tel. 025-284-6001
http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

鳥屋野潟に面して建っている。
図書館の入り口前の木立にフクロウが棲みついていた。潟のどこかに暮らしていたのが移住してきたらしい。下から見上げると2ついる。フクロウは肉食。潟の周囲にはえるカヤ類にすむカヤネズミを餌にしているだろうか。
図書館内では、閲覧室の潟に面する側は開放的なガラスにしてあって、春は桜が咲いて、とてもはなやなかな眺めになるらしい。

桜の林の中、右に図書館がある。左に鳥屋野潟。
新潟県立図書館からは桜と鳥屋野潟の景色が見える

素晴らしい環境にあるが、市街地からやや離れているうえ、その市街地に新しい市立図書館ができたので、存在が相対的にうすれかねない。そこで積極的な企画を次々にうちだして、図書館をおもしろくしている。

・ 書庫を公開−もともと壁の一部が透明なガラスになっていた。閲覧室から書庫の中が見えている。なぜそうしたか今は不明だが、やがて公開することを予見したかのよう。

・ 「くらしガーデン」−くらしに身近な料理、ガーデニング、健康のテーマの本や、女性雑誌や旅行ガイドを置いたうえ、お母さんが本を見ているあいだ、こどもたちが見ていられる絵本も置くという心くばり。公園デビューするように図書館デビューしてお母さんたちがつながる。

・ カフェを開店−経営者を公募して、チョコレートがイチオシというユニークな店が入って好評をえている。

図書館では絵図など貴重な歴史的・美術的資料を収蔵している。文書館も同居している。歴史や美術や文書館の資料と絡んだ企画があったり、図書館のレイアウトに美術家のセンスを活用したり、枠を越える取り組みがあると、目を見張るようなことが実現できるように思う。

■ 新潟市立中央図書館ほんぽーと (岡田新一設計事務所 2007)
新潟市中央区明石2-1-10 tel. 025-246-7700
http://www.niigatacitylib.jp/

2007年4月に新潟市が政令市に移行して半年後の10月に、新潟市立中央図書館が開館した。駅から歩いて数分の近さなのに、住宅に囲まれた静かな一画にある。

閲覧やレファレンスの基本機能のほかに、ビジネス支援、ティーンズ、データベース、郷土資料などを集中させた区画があり、今、図書館に要求される機能をほぼ満たすように作られている。
さらに「特別コレクション室」では、新潟市ゆかりの會津八一、坂口安吾などの関連資料を展示しているし、「マンガコーナー」では、新潟出身の漫画家を集めてあって、水島新司の『あぶさん』がずらりと並んでいたりする。(あぶさんも今年とうとう引退した...)

基本的に矩形で作られている図書館だが、アクセントにソラマメ型の別空間がとびだしていて、ホールやグループ学習室になっている。カフェのソラマメもあり、おいしそうなパン屋さんが入っていて、その先は軽い食事もできるレストランになっている。(写真は正面脇にあるカフェ) 新潟市立中央図書館の正面のレストラン

「司書のおすすめ」の本もコメントと一緒に展示してあって、図書館全体が元気がいい。
現在必要な水準をすべて備え、スタッフはファッショナブルな制服を着ていて、近未来のSF映画の図書館のよう。

でも僕にはかすかな拒絶反応を覚えるところがある。
壁が純白でまぶしいし、床も光を反射している。一部の照明器具はこった形のものを使っていて目立ちすぎるし、検索機を囲む覆いも過剰なデザインがされている。総じて、資料に集中するのを妨げるよう要素があちこちにある。
でもこれは僕がモノとしての本が持つ存在感にこだわりがあるせいかもしれない。知恵や情報がデジタル化していく時代にはこういう図書館に変化していくだろうか。

総じて、新潟市の図書館は、県立も市立も元気がいい。豊栄図書館も合併で市内の図書館に加わった。新潟市民の幸福を思う。

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 水と土の芸術祭
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http://www.mizu-tsuchi.jp/ 2009.7/17-12/27開催
おおむね東から西へ移動して見て行った。

□ 新潟空港
http://www.niigata-airport.gr.jp/

ここには芸術祭の作品はないのだが、阿賀野川の河口を見にいった。左岸に飛行場が位置している。
4階が見学デッキで、100円のチケットを買って自動改札から建物の外に出る。
デッキの先端まで行って見はるかすと、川と海とがぶつかって、白く波立っている。
河口の向こう側ではいくつかの工場の煙突から煙が上がっている。
新潟水俣病のつらい歴史を経た川は、ここでこんなふうに海に流れているのか...
眺めている間にJALの伊丹行きが離陸していった。デッキで小さな子とおかあさんが手を振って見送っていた。

右上に浮いて見えるのが阿賀野川の対岸。間の細い線が阿賀野川の河口。 新潟空港の滑走路の向こうに阿賀野川の河口と対岸が見える

■ 旧亀田浄水場
新潟県江南区亀田水道町2-4-3 みずっちたんく

亀田浄水場の施設は、今は使われなくなっているが、指定有形文化財に指定されている。
遠藤利克「Trieb−氾濫」は、その浄水施設を使った大がかりな作品で、自然水を水道にまわすための濾過沈殿装置のモーターを逆回転させる。本来は下に落ちるべき水が、上からあふれる。
黒ずんだコンクリートの立方体からメラメラと水があふれて、バチバチと音をたてて地面に落ちる。
すごい迫力。

亀田はかつて水につかって米を作っていた地域で、司馬遼太郎はこの地方の米生産の様子を映画で見て、これほど過酷な食料生産はないのではないかと『街道をゆく−潟のみち』に記した。
水はもともと恵みをもたらしもし、災いにもなる両義性をもっている。亀田の地ではその両面が端的に現れていて、遠藤の作品は、この地の自然条件と歴史をよみとった見事な表現だと思う。
黒っぽい四角な石状の物体を水が流れ落ちるのは、墓石に水をかけるようでもあって、ここで水と関わって亡くなっていった人たちの鎮魂でもあるように思った。

*その映画を見たくて探しに来たことがある
[五頭山から水の駅「ビュー福島潟」と、映画「芦沼」を探す旅]
*『街道をゆく 9 信州佐久平みち、潟のみちほか』司馬遼太郎 朝日新聞社 1979


■ 信濃川やすらぎ堤緑地 王文志「Water Front 在水一方」

今度の旅行では万代橋のすぐそばにあるホテルオークラ新潟に1泊した。
その近くの信濃川畔にあった作品を、朝、散歩がてら見に行った。竹を組み合わせた小屋の中は茶室のよう。すき間から信濃川の流れが見えてさわやかだった。

■ 関分記念公園 管懐賓(カン・ハイビン)「心園の渡り」

信濃川では、水量を調節して洪水を防ぐために、2カ所で流れを分け、日本海に注ぐようにしている。
1つは旧・分水町(現・燕市)で分かれて寺泊の海岸に向かう大河津分水。
もう1つが、新潟市街直前で分かれる関屋分水。

関屋分水では河口付近にも堰があった。海の波が川に押し寄せ、堰にぶつかって折り返すと、次にやってくる波にあたって砕ける。かなりな荒っぽい眺めで、往復の波がぶつかるところでは白い波頭が高く上がる。
ところが、堰の内側は波の影響がないので、水面は平静にしている。この異様な対比にも感嘆する。

右岸の関分記念公園に、船の骨組みの形をした作品が設置してあった。
でも堰のあちらとこちらの眺めの強烈なインパクトのそばにあっては影がうすい。

■ 新川−西川立体交差 ジャン=リュック・ヴィルムート

広い新川の上を鉄橋が越えていて、橋にも川が流れている。橋の上の細い西川が先にあり、洪水調節と新田開発のためにあとからできたのが(名前のとおり)新川という。
の、小さな船が橋を行ったり来たりしている作品があるはずらしいのだが、雨のためか、なかった。
川が鉄橋で立体交差する珍しいところ

■ 上堰潟 土屋公雄APT田原唯之+木村恒介「海抜ゼロ」

上堰潟に着くと雨が激しくなってきた。作品は鉄の筺で、潟の水辺から水面に傾きながら張り出して置かれている。その先端まで歩いて行って鑑賞する作品なのだが、岸辺は長靴が必要なくらいぬかるんでいるし、筺の先には水がたまっている。
離れたところから眺めて引き返した。
(でも寒いし濡れるし、たいへんだった。土屋公雄さんには、土屋さんがイギリス滞在中、屋外美術展の調査に行って何カ所か案内していただくなどお世話になった。こんな天気にここまで来るのも恩返しのうち...)

□ 大河津分水

ここも芸術祭の作品が置かれていないが、いつか行きたいと思っていたところ。
ひとつには青山士(あおやまあきら 1878 - 1963)の事績の地として。
青山は、パナマ運河建設に携わって帰国してから、荒川放水路を1924年に完成させた。(永井荷風が放水路の散策を好んだのは、青山のおかげ。)
続いて大河津分水路の自在堰が陥没したあとの改修を命じられ、1931年に完成した。

青山士は内村鑑三の影響を受け、私利私欲のためではなく人類の為になるような仕事をしなければならないという考えを持っていた。
荒川放水路の記念碑には「多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル 我等ノ仲間ヲ記憶セン為ニ」と記した。
大河津分水路の改修記念碑では、表に「萬象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ」、裏面に「人類ノ為メ國ノ為メ」と記されている。

信濃川が上流から流れてきて、ここで2つに分かれて日本海に向かっていく。3つの流れのいずれも広くたっぷりしている。

上流を臨む。本流が左に、分水が右下に向かう。それぞれの起点に堰がある。 大河津分水の眺め

厚い雲から冷たい雨が降り続いている。
川を見にいくと水気を呼ぶのか、よく雨に降られる。
傘が濡れ、ズボンが濡れ、記念碑を眺めに草むらに入っていって靴も濡れる。
この旅の最後の訪問地では、なんだかすっかり水びたしになった。

* [荒川ゆらり 荒川と隅田川の分かれ−赤羽駅から岩淵水門]
*『華やかな川、囚われの心』清水邦夫 講談社 1992
 −この小説にも大河津分水が登場した。


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 海の幸・川の幸・水の幸
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● 炉ばた一兆
新潟県新潟市中央区東大通1-5-2  tel. 025-211-7003

泊まった夜、新潟駅から至近距離にあって目についた小さな店に入った。
酒は越の寒梅に八海山。(新潟に来てこの選択はまっとうすぎるか?)
ノドグロの一夜干しは適度にあぶらがのっている。
出雲崎の釣りあじの刺身はまるでくさみがなく、しみじみうまい。
いい店にあえてよかった。

● 新潟空港で「越の雪」
http://www.koshinoyuki-yamatoya.co.jp/

売店に「越の雪」があったので買った。長岡の菓子だが、日本三大銘菓ときいていたので、いつか食べてみたいと思っていた。
白っぽいキューブを口に入れると、氷りかけの雪をかんだようにハラっと崩れる。

● 宝山酒造
http://www.takarayama-sake.co.jp/

上堰潟から大河津分水に向かう途中、岩室温泉近くの旧街道沿いを走っていて造り酒屋を通りかかった。
辛口で香りがよいのをといって勧められた「一滴一涼」を買う。
「水と土の芸術」は「水と米の芸術」でもあるから、酒がふさわしい。

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新潟駅でレンタカーを借り、南西に走って、三条燕駅で返した。
駅の売店で山崎パンのランチパックに「笹だんご風味」というのがあって買って帰る。
「水と土の芸術祭」は12月までやってるんだ!と気がついて、遅ればせに出てきた。2日の旅の後半に雨が降り出していたが、その翌日からは寒波がきて、あちこちが雪景色になったらしい。眺めるにはいいが、雪に馴れないものには移動がブッソウになる。ギリギリだった。
いい図書館を見て、いい作品を見て、たっぷり水にひたった。

(2009.12月 no.16)
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