洲本市立洲本図書館


高松空港から出発して、徳島、淡路島、神戸、西宮とめぐった。
いつか行きたいと思っていた図書館を訪ねながら、司馬遼太郎+須田剋太の『街道をゆく』をたどる旅の第2・3日目。

第1日 美馬市脇町図書館・徳島県立図書館
第2・3日 洲本市立洲本図書館
第3・4日 神戸市立中央図書館・関西学院図書館・神戸女学院図書館


淡路島には図書館を含めて名建築家の作品が高密度にそろっているし、『街道をゆく』の「明石海峡と淡路みち」(1973)に書かれた地も、いくつかたどりたい。
それで、高松空港から走ってきたレンタカーで、2日目は、まず島の南部あたり(鳴門公園・若人の広場)を見る。
それから神戸淡路鳴門道を島内最北の淡路i.c.まで北上する。
南下しながら小刻みに見て行き、3日目は徳島まで戻ってレンタカーを返す。
それからバスでふたたび淡路島を北に縦断し、神戸に泊まることにした。
(淡路島を北へ、南へ、また北へ、3回移動することになるが、神戸までレンタカーで行ってしまうと乗り捨て料金がとても高額になる。)

1.淡路市立岩屋中学校
2.洲本市立洲本図書館

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 第2日 鳴門−淡路島
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□ 鳴門公園
朝7時30分の干潮時に鳴門公園から海峡を見おろした。大潮ではないから中心が窪むほど明瞭な渦はないが、潮が大きくゆったりと巻きながら動いている。
傘があおられるほどの吹き降り。空には、雲が黒や灰の模様をつくっている。
大きな、迫力のある眺めだった。

□ 若人の広場
神戸淡路鳴門道で淡路島に渡る。島の南端近く、福良港を見おろす眺めのいい高台に戦没学徒をしのぶ「若人の広場」がある。慰霊塔と平和資料館から成る。1967年丹下健三設計のモニュメンタルな建築だが、崩落の危険があり、フェンスが立って立入禁止になっている...

□ 淡路i.c.下りサービスエリア 
ふたたび自動車道に乗り、淡路島北端の淡路i.c.のサービスエリアに寄る。上り線を走ってきたのだが、下りのサービスアエリアにも入れて、さらに自動車道の外に降りることもできる。
下り線に隈研吾設計による(1998)レストハウスがあり、海に面してゆるやかな弧をえがいている。

□ 石屋神社(いわやじんじゃ)
インターチェンジを出て海に向かっていくと、まもなく石屋神社がある。
ここは『街道をゆく』の取材で訪れた須田剋太が、絵を残している。

いわや神社の長屋門 車を置いた空き地から数段上がったところに神社がある。絵と見比べてみると、絵には両端に鵄尾(しび)があるのに、目の前の社殿にはなくて、屋根の上はすっとした直線になっている。階段を上がり、お詣りし、「う〜ん、画家が勝手に鵄尾を描き加えるなんてありだろうか」などと思いながら振りかえると、長屋門があり、その両端に鵄尾があった!

門の間からその先の鳥居が見えているのも、絵のとおり。
直接は見えないが、そのすぐ先が海になる。

女性の神主さんがいらして、話を伺った。
「司馬遼太郎一行が来たときには、もう神職についていたが、絵を描いていたことは知らなかった。
その後、社殿も、門も建て替えた。
門の位置は、2mほどか、海寄りに移動した。
その後、阪神淡路大震災があったが、被害は受けなかった。
すぐ前の道を走る車の排気ガスと、潮風とで、建築のいたみが早い。」
たしかにいい具合に古びていて、昔からあるもののように見える。
3月の第2日曜日には、豊漁を祈願する船渡御(ふなとぎょ)の祭りがある。
5月と9月の第2日曜には、曳壇尻(ひきだんじり)という祭りもあるから、また来るようにと誘われる。

■ 淡路市立岩屋中学校図書室
淡路市岩屋2875  tel. 0799-72-3117

石屋神社から海岸沿いの道を南下する。
この中学校は、前日見てきた徳島県美馬市の脇町図書館と同じTeam Zooいるか設計集団の設計による。(1993)

図書室がどんなふうか見たかったのだが、既製品ではない、デザインされた書架が置かれているくらいで、図書室としては大きな特徴はなかった。
そこから続いてある大階段にひかれた。木で、一段ごとが幅広で、舞台のよう。
岩屋中学校の図書室

校内は、いかにもいるか設計集団らしい意匠に満ちているが、やや過剰で、屋根の形状、壁やドアのデザインといった大きなところだけでなく、傘立てから清掃用具を入れるロッカーなど、細部まで完璧に建築家のデザインが行き届いている。中学生が集まる場としては、もう少しまかせるところ、放り出したところがあってよさそう。
約束なしで伺ったのだが、親切に案内をしていただいたのが、美術の先生だった。
「生徒に絵をかかせてもおもしろい絵にならない」と言われる。
たしかに、建築家のデザインが強すぎて、生徒じしんの絵にならないということがありそうだと納得する。

きのう見てきた同じ設計者の脇町図書館は、旧来の倉庫を生かして、新しく加えたところとうまく調和していた。ゼロから作ったこちらの中学校は、気負いすぎとでもいうか、作り過ぎた印象を受けた。

□ 淡路夢舞台
兵庫県淡路市夢舞台4 tel. 0799-74-1200

岩屋中学校のすぐ南に、安藤忠雄2000年の淡路夢舞台がある。
神戸空港の土地を海に作るために、淡路島の山を削った土で海を埋めた。その削られた跡地に植物を回復させる、いわば復興計画としてできた公園だが、このためにまた安藤流の膨大なコンクリートが使われている。

夢舞台から海をみおろす

敷地内のウェスティンホテル淡路の2階に、「海の教会」がある。
当然、正面に十字があるが、それは天井の十字のトップライトから自然光が降りてきて十字の形になる。
十字そのものが光というアイデアもすごいし、コンクリート製の天井に十字のトップライトを作る工法・技術も難しいものだろうと感嘆した。

□ 本福寺水御堂
さらに東海岸を南下して、やや陸側に入ると本幅寺がある。
ここにやはり安藤忠雄による御堂がある。
円形の蓮池の中央の階段を降りると地下に本尊が祀られている。
赤い壁の堂内に、西日が射し込むように作られている。兵庫県小野市にある国宝の浄土寺のアイデアを取り入れたようだ。真昼に入ったのだが、それでも堂内は赤々とした気配がみなぎっていて、夕方には燃え上がるようだろうと想像した。

□ 伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)
自動車道を西に越えて、司馬遼太郎と須田剋太が『街道をゆく』の取材でも訪れた神社に寄った。
伊弉諾尊が、国産みで最初に生んだ淡路島に、自身の最期の終焉の住居として構えた宮が起源とかいう由緒ある神社。
そのわりに、伊勢や出雲の神社のような、たいそうな感じがない。
参道のすぐ近くにある売店で、道を尋ねて、次に向かった。

□ 淡路山勝工場
一見すると、地場の伝統産業の生産工場のような名前だが、じつはアーティスト・山口勝弘が、旧一宮町とすすめた淡路島芸術村のアトリエとして建てたもの。

淡路山勝工場の大きな屋根 設計は石山修武(1993)。
「放物線状の土手を築いて大きなクレーター状の人工の地形作り、屋根を架ける」のが計画の根幹で、なぜ放物線状のクレーターかといえば、アーティストの志向もあるが、国生み神話の生誕地であることも考え合わせてのことという。

山口勝弘がなぜこの土地を選んだかは、のどかな島なのに、すぐ対岸には関西国際空港があり、世界とつながっているという両義的感覚にひかれたとのことで、なるほどと思う。

神社の売店で「最近はしまってるようだ」と聞いたとおりで、大きな扉は閉じていた。(あとで知ったところでは、山口氏が体調を崩して閉じられているようだ。)

● TOTOシーウィンド淡路
兵庫県淡路市里573-14(海平の郷) tel. 0799-62-7105

東海岸に戻って、海辺の高い崖にあるホテルに泊まる。

エレベータ前から海の眺め 入口ロビーから宿泊棟へは、いちど海に迫り出す屋外の連絡通路に出て、エレベータで降りる。
眺めが開け、海から高いところにそそり立つ昂揚感が忘れがたい。

ここを設計したのは、今日のしめくくりにまた安藤忠雄。
ガラスにコンクリートで、色の楽しみがないのがちょっと寂しいが、キチっとした空間が作られている。

料理もおいしかった。
淡路特産の玉ねぎはフォアグラとあわせてローストしてある。甘く豊かな味わいなうえに、柔らかくてしかも噛みごたえがある微妙な感じがとてもいい。
タコにサザエに淡路牛。
客はほかに2組いて、研修ででも来ているのかファイルを持った人もいる若い男女のグループと、老夫婦・若夫婦・小さな女の子の家族。
ひとりなのは僕だけだが、サーブする人に適度な親密感があって、とても快適だった。
思い出しても幸福になる。

部屋にあったアンケート用紙に、「(夕食、朝食それぞれに)くふうが感じられましたか」とあった。
ただおいしかったかとか、サービスはよかったかではなく、くふうを重ね、その評価を確認する姿勢にさすがと思った。

安藤建築の空間で、海の絶景を感じながら、おいしい料理を食べて、ほろ酔いに飲んで、1万円ちょっとだった。
いい宿に泊まって、「ああ、よかった」と満足しても、もう一度来ようと思うことはあまりないのだが、ここにはできることならまた来たいと思った。

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 第3日 淡路島−鳴門−徳島−神戸
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□ 洲本城−「その先は図書館へ」

洲本城の石段 朝、洲本城に行った。
須田剋太が「淡路島洲本城」と題して、洲本城の本丸に向かう石垣わきの階段の絵を描いている。その場所はすぐに見つかった。

ところが「三熊山 狸の芝右衛門」と題した絵の場所がわからない。
散歩で通りかかった2人連れに尋ねたが、近くに住んでいてよく散歩に来るというのだが、思い当たるところはないとのこと。
天守閣に向かってベンチで休んでいた人がいて、尋ねると、この下の鳥居が並んでいるところがそうだという。
ついでに眼下の景色の説明をしてくれる。
このホテルは閉館、この工場は閉鎖というような、街の元気のない様子を教えられた。本土と四国を結ぶ橋ができたときには、大渋滞するほどにぎわったが、ひとときのことだったといわれる。

教えられたところに下ってみると、小さな祠があり、落ち葉を掃いている人がいる。
そこは「狸の芝右衛門」を祀ってあったところだが、今は他の場所に移してあると説明してくれる。
「狸の芝右衛門」は、このあたりにいた愛嬌者のタヌキで、大阪に芝居見物に行き、木の葉のお金で見たのがバレて犬に殺されてしまった。島の人々がなごりを惜しんで祠を建てて祀ったという。
祠の裏は大きな石が積み上がっていて、「ここは7000年前までは海で、貝の化石が埋まっている」とも教えてくれる。
祠の前にある小さな石塔は元禄元年の文字が刻んであるとも、指し示しながら教えてくれる。
いろいろなことを説明されるごとに、最後に必ず「図書館できけば(もっと)わかるよ」と付け加える。
まるで図書館の回し者みたいだが、図書館でそんな手の込んだことをするはずはないから、それだけ図書館が親しまれ、信頼されているということなのだろう。

■ 洲本市立洲本図書館
兵庫県洲本市塩屋1-1-8 tel. 0799-22-0712
https://www.lib023.nexs-service.jp/sumoto/

カネボウのレンガ製の工場を鬼頭梓が設計してリノベーションした。(1998)
これまで鬼頭梓の図書館を都内や琵琶湖西岸でいくつか見てきた。新築でもレンガを取り入れて、穏やかないい風合いをだしていたから、レンガを扱うのは慣れたものだろうと予想していた。
上品で居心地いい空間ができていたのはそのとおりだったが、意外だったことが2つあった。

1つは、横長方向の長い壁面の一方は、弧状のガラス面にしていたこと。
それが庭に面していて、庭に向かった椅子に腰掛けると、芝の緑と、その先の塀の淡いレンガ色がきれいなコントラストになっている。
工場建築といったら長方形で直線が基本という先入観があるから、軽いショックを受けた。
洲本図書館の庭の眺め

もう1つは、手慣れたやり方でできたのではなく、たいへん苦労したとのこと。
館長さんから建築史家、松隈洋さんのレポートを見せていただいたのだが、鬼頭梓が完成後のインタビューで語ったことが引用されていた。
「工場跡地を利用することはプログラムで決まっていました。どこまで残すかはこちらの判断です。(中略)床は抜けているし、雨は漏っている。本当に廃墟でした。
(中略)つくってみればみんないいと言ってくれるけれど、改修前を見ていないからね。やっぱり大変です」
みごとにできあがっているから当たり前のように見えているが、設計する際の苦労は新築以上かもしれない。

□ ミュージアムパ−クアルファビア
図書館と同じ時期にカネボウの工場群の再生計画の1つとしてミュージアムも作られた。リャドと、ノーマン・ロックウェルの作品展示に、玉村豊男プロデュースのレストランが併設されていた。
阪神・淡路大震災のあと、1995年6月に開館した。工場の再生、魅力あるレストランをそなえる、まちづくりの起点になる、といったことで注目された。その頃に僕は美術館にいて、話題のミュージアムにいつか行きたいと思っていた。
ところが、わずか5年後の2000年11月に閉館していた。
開館ころはにぎやかに話題になっていたのに、その後は静かになり、ようやく来てみた頃には閉館していた。
(それにしても気づいたのは2010年。10年も経っていた...)

● 鳴門パークヒルズ レストランカリフォルニアテーブル
徳島県鳴門市瀬戸町大島田字中山1-1

洲本から南下して大鳴門橋を渡ってふたたび鳴門市に入った。
『街道をゆく』の「阿波紀行」で、司馬遼太郎と須田剋太は鳴門に泊まっている。
「 私どもは鳴門海峡と端を見おろす山上に宿をとった。
 このあたりは国立公園であるため、高い建物は禁じられている。このため、大阪の電鉄会社が建てたこのホテルは低く横にのび、食堂も、芝生を歩いたり階段を上下したりして、崖ふちの一屋までゆかねばならない。」
ホテル名は書かれていないが、文中の説明から、もと「ホテル南海なると」のことだとわかる。
1984年に開業したホテルで、「阿波紀行」が週間朝日に掲載されたのは1988年だから、開業後まもなくに行ったことになる。
1泊目の宿を、ここにしようかとおもったのだが、2002年に営業を終え、建物も解体されていた。
今は別のホテル+レストランになっているが、遅い昼食をとりに寄った。

山上の広い敷地に、低い宿泊棟、レストラン棟が散在している。およその配置などは、南海時代を継いでいるようだ。

「阿波紀行」で、司馬一行は、こういうところにも行っている。
この夕、私どもは、むかしから懇意の「青柳」という家へ行って、阿波おどりをやってもらった。
さりげなく「懇意の家」といってるのは高級料亭で、そんなところで阿波おどりをやってもらったら、ずいぶん高いのだろうなと思う。
ところがその店は市街での営業をやめて、新しい山上のレストランの1つになっている。

鳴門パークヒルズに入って、車でゆるやかな丘の道を上っていくと、いちばん奥に「青柳」があった。落ち着いたつくりの一軒家が、木々に囲まれてたたずんでいて、いい雰囲気だが、夜だけの営業だし、それでなくても僕はひとりで財布も乏しい。

「レストランカリフォルニアテーブル」という店に入って食事をした。

海をみおろす丘のレストラン 窓際に座ると、鳴門海峡と対岸の淡路島を見はるかす絶景だった。
料理もいいし、ウエイターさんも適度にやさしく好感の人ばかりだし、値段も手頃。

こちらに泊まってもよかったかなとチラと思うのだが、ホテルの宿泊料はとても高い。

□ 堂の浦

徳島市街に車で向かうが、途中で「堂の浦」という標識があり、少し遠回りになるが寄ってみた。
司馬遼太郎は堂の浦の漁師をとても高く評価しているのだが、寂しい漁港だった。

堂の浦の港風景 須田剋太は、ここで防波堤の先端の(正式名を何というのか)赤い標識塔を描いている。

洲本城の「狸の芝右衛門」を祀った場所もかなり奥まった、ふらっと歩いて通りかかかるような所ではなかったが、この防波堤も遠い印象がある。
こんなところまで来たのかと、司馬一行の旅路を思って、はるかな気分になった。

       ◇       ◇

徳島市街に戻ってレンタカーを返す。
高速バスに乗り、また淡路島を南から北に、夕日を眺めながら縦断して、神戸に着いた。


(2010.11月 no.48)
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