神戸市立中央図書館・関西学院大学図書館・神戸女学院大学図書館


高松空港から出発して、徳島、淡路島、神戸、西宮とめぐった。
いつか行きたいと思っていた図書館を訪ねながら、司馬遼太郎+須田剋太の『街道をゆく』をたどる旅の第2・3日目。

第1日 美馬市脇町図書館・徳島県立図書館
第2・3日 洲本市立洲本図書館
第3・4日 神戸市立中央図書館・関西学院図書館・神戸女学院図書館


3日目の夕方、淡路島からバスで神戸に着き、夜8時まで開館している神戸市立図書館に行った。
4日目は、西宮にあるヴォーリズが関係する2つの大学図書館に行った。

1.神戸市立中央図書館−大震災のあと
2.関西学院図書館−精神と実用の中央に図書館
3.神戸女学院図書館−森のなかのヴォーリズ

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 第3日 神戸
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 神戸市立中央図書館−大震災のあと
神戸市中央区楠町7-2-1 tel. 078-371-3351

三ノ宮から地下鉄に乗り、大倉山で降りて、夜8時まで開館している図書館に行った。
大きな1号館と小さな2号館が隣接している。
かつては新館と旧館といい、新館は鬼頭梓建築設計事務所の設計で作られ、1981年に開館している。
旧館は1995年の大震災で被害を受け、安井建築設計事務所の設計により建て替えられた。
2号館には、震災関連資料室があり、青丘文庫が置かれている。

青丘文庫については、司馬遼太郎『街道をゆく』神戸散歩で、須磨区の「ゴム工場の一郭」にある図書館=青丘文庫を訪れたことが書かれている。
大韓民国済州島出身、ケミカルシューズを作る会社を経営する韓ル曦さんが収集した朝鮮史関係資料の30,000点をこえるコレクション。
政治、思想、民族運動、社会経済、在日朝鮮人の5分野に分け系統的に収集されており、この分野の資料としては質・量とも国内最大級と評価されている。
「青丘」は、中国の書「續山東考古録」に朝鮮半島が「青丘國、海東三百里ニ在リ」と表現されていることからとった。
日本国内に散逸している資料を集めたほか、朝鮮総督府の貴重な資料が韓国の古本屋で量り売りされているのを発見して救い出してもきた。
司馬遼太郎が取材で訪れたのは1982年ころで、「小柄なうえに人なつっこい阿波顔」の韓氏に会っている。

その後、資料は1986年に自宅に移して公開していた。
韓さんが高齢になって維持しにくくなり、コレクションは神戸市立図書館に1996年に寄贈された。
市立図書館も被害を受けたが、震災後に新築された2号館に整備され、今も青丘文庫として公開されている。
司馬遼太郎が訪れた「ゴム工場」は大震災のときの火災で全焼したから、青丘文庫が解説された当初のままに置かれていたら、全滅しているところだった。
日本各地に埋もれ、韓国の古本屋でたたき売られていた資料の数奇な運命ということを思う。
韓ル曦さんは1998年に亡くなられた。

僕が行ったのは、すでに青丘文庫は閉じた時間だった。
開いていても朝鮮史は猫に小判だが、司書の方に尋ねて韓さんの個人コレクションが市立図書館に寄贈されたいきさつがわかる新聞記事2つを教えていただいた。
・神戸新聞1996.10.15朝刊「国内最大級の韓国・朝鮮文献コレクション『青丘文庫』神戸市へ 30年かけ全国で収集の三万数千冊 韓さんが寄贈」
・朝日新聞1996.10.14朝刊「韓国・朝鮮文献三万数千冊『青丘文庫』市に寄贈」

□ 神戸ポートピアホテル
神戸市中央区港島中町6丁目10-1  tel. 078-302-1111(代表)
http://www.portopia.co.jp/index.html

引き続き司馬遼太郎『街道をゆく』の神戸の回のことで、泊まったところについてでこう書いている。
 神戸には、人工島の南端にあるホテルにとまった。
 部屋にいると、沖のただなかにいるようで気分がいい。まちの方向をみると、東から西へ連峰が緑におおわれてつらなっている。
須田剋太が『神戸ポートピアホテル』と題した絵をかいているから、人工島の南端のホテルというのはここのことだろう。
須田剋太が眺めた景色を味わってみようと、高い部屋をとった。
高いというのは物理的にも、料金的にもであって、かわりに夕飯を質素にすませた。

六甲の山側を見おろす眺めはさすがのみごとさで、闇のなかの山と海を背景にたくさんの光がちりばめられている。
朝、薄明の時間に目が覚めて見おろすと、淡い紫色の市街を、ポートライナーの車両がおぼろな光を発してすーっと滑っていく。飛行機の灯りが飛ぶ。海の水の輝き。
高いところは気分がいい。(が、あとのクレジットの支払いが怖くもある。)

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 第4日 神戸−西宮−大阪
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□ 河口ウォッチング 生田川
ポートライナーに乗って、海を本土側に越えたところの「貿易センター」駅で降りる。
東北方向に数分歩くと、生田川の河口にでる。
阪神高速神戸線の生田川のインターチェンジがあり、河口上空を複雑に高架道路がうねっている。

生田川河口あたりから新神戸駅方面の山が見える  河口付近から上流をのぞむ。

またまた司馬遼太郎『街道をゆく』によると、明治になり、しばしば暴れた生田川の付替工事を請け負ったのは、坂本龍馬の暗殺犯(と思いこんだ人物)を襲撃した加納宗七という人物であるという。
幕府が倒れて犯罪者でなくなると、実務能力に長けた加納は、布引の滝からまっすぐ最短距離1.9kmで海に落ちる新・生田川を短期間でしあげたという。
さらに、旧河川敷については、河道を幅18mの道路にし、道の両側は造成して宅地として分譲した。今の神戸市役所の前の道がそれで、旧・生田川が神戸市街の骨格のひとつとなったといえる。

市街のなかの直線で窮屈な眺めの水路のようなものだろうと予想していたのだが、河口側からさかのぼっていくと、気持ちのいい道だった。
小さい公園があったり、遊歩道があったり、明るく、散歩する人にもずいぶん行き会う。
山に向かごくゆるやかな上り勾配の道で、視線の先に青い山系を望み、のびやかな気分になる。
東海道線と阪急神戸線の線路をくぐったりして、飽きず疲れず35分で新神戸駅に行き着いた。

□ 布引の滝
駅で、大阪・和歌山でもつきあってもらった友人の橋本さんと落ち合う。
新幹線の北側、上流の生田川はまがりくねった自然の川になる。
六甲山系の山に向かうハイカーに混じって山道を新幹線の駅を出て、いきなり始まる山道を上がっていく。
まもなく雌滝。さらに少し上がると雄滝がある。
左の岩肌が、雪が降ったふうに白っぽい
茶屋には「おんたき」と書いたのれんがかかっている。
さらに上がると展望台があって、市街の先に海が広がる。今日はこの旅で初めての文句なしの好天で、はればれした気分になる。
僕らは新神戸駅からふつうに歩いてきたのだが、『街道をゆく』でここを訪れたときの司馬遼太郎の文では、展望台で海を眺めてから、茶屋、滝となっている。
『街道をゆく』の取材は、現地ではタクシーを使うのが常だから、ここでもホテルからタクシーで展望台に直行し、歩いて下ったのかもしれない。
実際に現地に立つと、こんな小さな気づきもある。

おんたき 雄滝を須田剋太が描いていて、同じ画面になるように写真をとってみた。

 関西(かんせい)学院大学図書館−精神と実用の中央に図書館
兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155 tel. 0798-54-6017
http://www.kwansei.ac.jp/index.html

阪急に乗り、西宮北口で宝塚方面行きに乗り換え、甲東園駅で降りる。
関西学院の上ケ原キャンパスでは学園祭の開催日で、臨時バスで向かった。

正面に時計台=旧・図書館がある。
正門から入って、右に神学部、文学部など精神に関わる領域。
左に経済学部、商学部など実生活に関わる領域。
その2つの世界が出会う中心点に図書館が位置する。
ヴォーリズは、そういう総体的な構成を考えて設計した。

学園祭の日であれば、学外者も堂々と入って見学できる、ちょうどいい−と思った思惑は外れて、人が多すぎる。たこ焼きやら、やきとりやら、ワッフルやら、模擬店多数。

何より、ヴォーリズ設計による正面の旧図書館を正面から眺めたいのだが、手前にある芝の庭がこれから始まるコンサートのために立入禁止になっていて、近づけなかった。
(時計台の向こう側に新図書館が位置する。)
正門から入って正面に時計台がある

裏から旧図書館に入ると、博物館に衣替えをする計画があり、その前企画ということらしい小さな企画展を開催中だった。
『関西学院所蔵の絵画T』として、関西学院出身の吉原治良が1954年に起こした具体美術協会の作品を展示していた。
吉原は、「具体」の前には、須田剋太らと現代美術懇談会(通称ゲンビ)に関わっている。ここらに来れば「具体」の舞台という思いはあったが、ヴォーリズを見るつもりで来てみた大学で「具体」だの、須田剋太だのに出会うとは予想外だった。

     ◇     ◇

学園祭では現・図書館には入れないかと思っていたのだが、むしろこの機会に学外者に存在を知らせようと公開中だった。
自由に中を歩いて見学したうえ、BDSのゲートから出るように指示される。(つまり貸出手続きをしていない本を持ち出すとゲートで警報が鳴る。)

入ってまず驚かされたのは、吹き抜けの天井からバナーが3本下がっていたこと。
「1一般参考図書 雑誌・新聞」
「2社会科学 自然科学」
「3人文科学 参考研究所」
と表示してある。1、2、3の順に短くなっていて、バナーの先端の階に目的の資料があると、直感的にわかる効果がある。
吹き抜けにバナーが3本さがっている

基本的に四角い箱で、吹き抜け中央にある階段室をおおう壁が透明だし、吹き抜けの周囲の床にある手摺りも透けているので、見透しがきく。大きな空間なのに自分の位置が把握しやすい。
天井のトップライトと広いガラス面からの自然光と、人工照明とのバランスもとてもいい。

書架の間隔がとても広い。開館して10年経過し、150万冊の収容能力は満杯になったいるが、間隔を狭めることはしない方針で、別に書架を置く場所を確保する予定とのこと。
基本的にすべて開架で、書庫にも机と検索用パソコンが置いてある。

さきほど時計台=旧図書館で紹介されていたように、館内にいくつかの美術作品を置いてある。絵を掛けている図書館は珍しくはないが、たいてい書架の向こうの壁に窮屈に掛かっていたりする。ここでは十分にひいて見ることができ、まっとうな鑑賞に耐えられるように掛かっている。

いい図書館だった。ヴォーリズが学内配置の中心に置いた精神を継いでいるという自負も感じた。

・『関西学院所蔵の絵画T 誰もやらないことをやれ!−現代に受け継がれる吉原治良の精神−』関西学院大学博物館解説準備室 2010
・『ヴォーリズと関西学院』田淵結 「関西学院大学図書館報 時計台」no.73 


 神戸女学院大学−森のなかのヴォーリズ
兵庫県西宮市岡田山4-1
http://www.kobe-c.ac.jp/index.php

歩いて神戸女学院に移動する。
阪神地区における関西学院や神戸女学院の位置、評価などを友人の橋本さんに聞きながら歩いていく。こういうのが地元の人と一緒のありがたさ。
長い旅路だったが、ここがこの旅を思い立ったいちばんの目的地で、日程の都合で四国の高松空港に降り、淡路島を経て、3泊4日のいちばん最後になってしまった。
正門を入ると、緑の木々のあいだのゆるい坂道を上っていく。
架空の世界の森の中の高雅な学びの園が現実にある!かのような、ほとんど驚きに近い印象を受けた。

去年近江八幡でまちぐるみで開催されたヴォーリズ展のパンフレットに大きくここの図書館の写真が使われていた。今思えば、なぜ地元のヴォーリズ建築にしなかったのだろうと不思議な気もするが、それだけこの図書館にはビジュアルな魅力があるということなのだろう。

そのヴォーリズ展のパンフレットの印象があるものだから、もっと華やかな空間を予想していた。
ところが実際に入ってみると、天井が高いので大きな面積を占める壁は、ただ白い。
木の閲覧机に古風な照明器具の組み合わせが並んでいる。
質素で、自己規制的で、むしろ厳しいくらいの印象がある。天井の明るい色と花模様は、その厳しさをいくらか和らげる役割を果たしているくらいだ。

吹き抜け上部にアーチが連続しているリズム感が快い。
反対側の高い窓も、上部はアーチになっている。
本を読んでいて、ふと息をつけば、思いが高みにのぼっていく。
その高み、アーチの上部は明るく軽やかな模様が描かれた天井があって、思いが深まり、気持ちが安らぐ。

左右にアーチが並ぶ図書室

総合文化学科の内田樹教授が図書館報に書いた文章によると、学内のヴォーリズが設計した建築には、隠し階段や隠し扉がいくつもあるという。気づいて開けば、安息の場所であったり、素晴らしい眺望が望めたりする。
扉の前に扉の向こうに何があるか、自分が進む廊下の先に何があるのか、それを学生たちは事前には開示されていない。自分の判断で、自分の手でドアノブを押し回したものだけに扉の向こうに踏み込む権利が生じる。どの扉の前に立つべきなのか。それについての一覧的な情報は開示されない。それは自分で選ばなければならない。
だからヴォーリズ建築そのものが学びの比喩だという。
(『ヴォーリズ建築における学びの環境』内田樹 「Veritas」 No.42 2009.12.21)

同じ号で、ヴォーリズが「校舎が生徒への精神経験に及ぼす影響」を信じて設計にあたったことが紹介されている。(『美・用・強』石田忠範 同上)
僕は、同様に、「(建築としての)図書館が利用者への精神経験に及ぼす影響」も信じてよいと考える。
「図書館は機能さえみたせばよい」という考え方をいくどか読み、聞きしたことがある。図書館で精神に及ぼす建築の影響を考慮しないとすれば、どんな建築で建築美が必要というのだろう。そんなことをいう人には、いちど神戸女学院の図書館を見てほしいと思う。
1933年ヴォーリズ設計のこの図書館から半世紀ほど経た1984年に新しい図書館が建てられているが、こちらを本館として残している。
ただ建て替えてしまわない見識に敬意を覚える。

       ◇       ◇

神戸女学院を100年前に卒業し、ヨーロッパ、アメリカで活躍したピアニスト、小倉末子(おぐらすえこ1891-1944)という人がいて、その生涯についての展示を図書館で開催中だった。
いつかこの図書館を見たいと思っていたのだが、こういう企画があるのを機会に出かけてきた。実際にきてみて、正門からの緑深い道を思えば、こういう折りでもなければなかなか入りにくい大学だと(まして女子大だし)あらためて思った。

この日はほかに講堂で記念コンサートも開かれた。
小倉末子が神戸女学院時代に練習した曲を現役学生が演奏するという企画。
小倉末子の資料をまとめられた津上智美教授の簡潔な解説のあと、ショパンのバラード第2番、ベートーベンのピアノ・ソナタ第5番などが演奏された。
学生が華やかなドレスと和服で登場して、研究的・再現的企画というより、お嬢様の発表会のような雰囲気もあり、やはり僕らむさい男2人連れは深窓の女子大には不向きだったかと、遠慮がちな気分になった。

・ 『国際的ピアニストの先駆 100年前に活動、小倉末子の足跡たどる』津上智美 日本経済新聞 2010.12.6

● 元祖変わりかつ丼 祭太鼓

阪急電鉄今津線「門戸厄神駅」から大阪駅に着く。
友人が行きつけという地下街の店でかつ丼の店に入る。
司馬遼太郎もしばしば旅先の軽い食事にはかつ丼を食べているから、半ば司馬の行跡をたどる旅の終わりにふさわしいかもしれない。
ご飯とかつが別にでてきて、のせて一緒にして食べてもいいし、別々でもいいし、好きなように−という店。
かつ丼は500円で、ビールを注文するとスーパードライの缶で270円だった。かなり歩いたあとでもあり、うまいが、神戸女学院のあとにしては雰囲気の落差が極大でおかしい。
おなかが満ちて新大阪から新幹線で帰る。

(2010.11月 no.49)
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