琵琶湖東岸に鬼頭梓とヴォーリズの図書館を訪ねる


1.甲賀市信楽図書館−小さな図書館の標準スタイルに
2.日野町立図書館−新しい町の中心に
3.東近江市立湖東図書館−大きな屋根の下で明るい読書
4.東近江市立八日市図書館−図書館の固定観念を破る
5.旧・近江兄弟社図書館−近江商人の住宅から図書館が始まる
6.近江八幡市立図書館−ヴォーリズと「フォークの神様」

「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」というまちぐるみの展覧会が開催されるというパンフレットを目にした。ヴォーリズが近江八幡に残した建築をめぐる企画で、ヴォーリズをまとめて見るのにいい機会だ。
それで琵琶湖の東岸に旅してみようと思い立ったのだが、すると目的は4つ。
1 ヴォーリズの建築を見る
2 琵琶湖東岸に点在する鬼頭梓設計の図書館を見る
3 気になりながら行きそこねていたミュージアムに行く
 ・ MIHO MUSEUM
 ・ 旧「赤い帽子 織田廣喜ミュージアム」
 ・ 滋賀県立琵琶湖博物館
 ・ 佐川美術館
4 京都で琵琶湖疎水の施設を見て、その元はどんなふうかも気になっていた

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第1日 鬼頭梓の図書館と、2つのミュージアム
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新幹線で京都に行く。今まで何度も通っているのにウカツで気がつかなかったが、新幹線は米原から大津付近まで琵琶湖に並行している。その気になって車窓風景を眺めていると、ときおり琵琶湖の水面がのぞく。
野洲行き快速電車に乗り換えて守山駅着。レンタカーを借りた。

□ MIHO MUSEUM
滋賀県甲賀市信楽町桃谷300  tel. 0748-82-3411
http://www.miho.or.jp/

ルーブルにガラスのピラミッド(1989)を作ったI.M.ペイがミュージアム(1997)を、ニューヨークのワールドトレードセンタービル(1973 - 2001崩壊)を作ったミノル・ヤマサキ が礼拝堂(1988)を建てた、とても建築的で美術的な教団の美術館で、いつか行きたいと思っていた。

しかも伊藤若冲展を開催中で、2008年に発見された『象と鯨図屏風』が展示されていた。
左雙に黒い鯨、右雙に白い象。大胆な構図に圧倒されるし、デフォルメされた象の耳はとてもかわいい。
富山の旧家で見つかったというのだが、こんなのが埋もれていたことも大きな不思議だ。

今回の若冲展にはもう1つ画期的な展示物があって、それは『京都錦小路青物市場記録』というもの。若冲が、市場の営業差し止めを命じる奉行所に対抗して奔走したことが読みとれ、俗世間から離れて絵をかいていたオタクだったという通説が一変した。
それは京都大学文学部の所蔵資料で、ほかに同志社大学と関西学院の図書館から、『象と鯨図屏風』が描かれるより少し前の時期に象がやってきた様子を伝える資料などが展示されていた。

ミュージアムには古代アジアのコレクションがあり、パラダイスというテーマが底に流れている。さまざまに想像され、創造された理想郷。いいもんだと思う。
もし僕が個人図書館を作るとしたら「楽園図書館」にしよう。

● MIHO MUSEUM レストラン「ピーチバレイ」

出かける前にMIHO MUSEUMのホームページで、中のレストランのメニューを見たら、うどんとかそばとかばかり。建築やコレクションが一流なのに、レストランは町の食堂みたいだな、と思ったのは勘違いだった。
このミュージアムを運営する神慈秀明会は、熱海のMOA美術館で知られる世界救世教からでた教団で、芸術を重視することと自然農法を継承している。レストランではその食材が供される。
生醤油うどんと、おむすびと、とうふを食べた。シンプルなものばかりだが、さすがに納得できるおいしさだった。

■ 甲賀市信楽図書館 (鬼頭梓建築設計事務所1996)
滋賀県甲賀市信楽町長野1312-1 tel. 0748-82-0320

http://lib.city.koka.lg.jp/

信楽焼といったら狸の置物。図書館に向かう途中、前庭に大量の狸が並ぶ工房をいくつか通った。(狸ばかり作ってもそんなに買う人がいるのかと思うが、その後気にしてみれば、あちこちでよく見かける。)

単純な外観にすっきりした平面構成で、とても気に入った。これくらいの規模の図書館の標準スタイルにしてもいいと思うくらい。
天井はゆるく傾斜して、照明がすっと並び、内部が一望できる。
コンクリートの太い柱が4本だけ。閲覧用のスペースには柱がない。
左にカウンター、中央に一般書の書架、右入口近くに子ども室、右奥に朗読室。

トップサイドライトから穏やかな光が降りてきている。ブラインドで光の量を制御できるようにもしてある。
床は渋いレンガ色のじゅうたん。
正面、奥の壁の中央部には、縦に細長くガラスをはめてあって、そこからも光がやってくる。
信楽図書館の天井から柔らかい光

宗教施設のような静謐さ、集中感がある。
鬼頭梓建築設計事務所の図書館建築としては、これが27番目になるようだ。いくつも作れば今度はこんなことをと、かわったことをやりたくなりそうに思うのだが、抑制して、よく考えたすえの単純なつくりをしている。
ただここにいるだけでも穏やかな気持ちになり、本にじっくり向き合う気にさせてくれる。

□ ブルーメの丘美術館 (安藤忠雄建築研究所 1998)
滋賀県蒲生郡日野町西大路  tel. 0748-52-2611

http://www.blumenooka.jp/

「滋賀農業公園ブルーメの丘」に行った。
安藤忠雄設計の「赤い帽子 織田廣喜ミュージアム」があり、開館当時、日没閉館、自然光だけで見るミュージアムとして話題になった。建築家は、戦後、電気もガラスもない杉並のバラックで、日のあるうちだけ描き、夜は寝てしまったという画家の暮らしに触発されて、こういう美術館を構想した。
でも、行ってみたら織田廣喜のミュージアムではなくなっていた。
2005年に一度閉館、2007年5月に「ブルーメの丘美術館」として再開という経過をたどっていて、この日は絵画教室の生徒たちの作品展が開かれていた。

安藤忠雄設計のもと織田廣喜ミュージアム 作品の展示は池に面した通路の壁面だけで、展示室はカラだった

ミュージアムは池に沿ってゆるく弧を描く小さな小屋。
池から反射した光がゆらゆらあたったり、夕陽がすりガラスを赤く染めたり、刻々と様子がかわってきれいだろうと思う。
広い自然のなかに小展示棟を配したドイツのインゼル・ホンブロイヒを思い出した。時代もジャンルもまちまちな美術品が、キャプションや説明なしに展示してあった。光と風を受けて歩き、ときおり現れる建物に入って、作品を見る。適度に体を動かし、ポツリポツリと現れるアートを味わっていく。とても気持ちのいいものだった。
「滋賀農業公園ブルーメの丘」は、農業のテーマパーク。花が咲いてたり、山羊がいたり、バーベキューがあったり。平日昼間は人が少なくて、乳母車を押すおかあさんが散歩していた。
織田廣喜と安藤忠雄ではミスマッチだったろうか。
この美術館がインゼル・ホンブロイヒにあったら、あるいはこの公園に小展示棟がいくつもあるインゼル・ホンブロイヒのようになったら、などと想像する。

■ 日野町立図書館 (鬼頭梓建築設計事務所 1996,2003)
滋賀県蒲生郡日野町松尾1655 tel. 0748-53-1644

http://www.library.town.shiga-hino.lg.jp/

日野町役場の反対側にある。市街地からやや離れた田園の中にあるから、そろって郊外に新設したようだ。
信楽図書館と同じ1996年に完成したが、こちらは2003年に増築されている。そのぶん、信楽のようなすっきりした構成ではなくなっている。
それに内部に外壁と同じタイルを使っているので内外の区別があいまいに感じられるし、床に光を反射する材料を使っているし、信楽のような静かに集中することができにくいと感じた。

■ 東近江市立湖東図書館 (鬼頭梓建築設計事務所 1993)
滋賀県東近江市横溝町1967 tel. 0749-45-2300

http://www.library-higashiomi-shiga.jp/

平屋にゆったりと大きな屋根がかかって、のびやかな様子をしている。
3つに分かれていて、正面入口から見ると、中央に入口ホール、左に閲覧室、右に視聴覚ホールがある。全体としてみごとなプロポーションをしている。

外からは大きな屋根の下にガラス面がわずかにのぞいているのだが、内部は意外に明るい。ややスカスカしすぎかと感じるくらいに、外と同じ光がある。 東近江市立湖東図書館

壁の一部をくぼませていくつかのアルコーブ(小部屋)を作っている。
そのひとつには、映画・演劇資料を集めてあった。
沢島忠という映画監督・舞台演出家が旧・湖東町の出身で、美空ひばり主演の映画などを多数撮った。
映画監督として最後の作品は1977年『巨人軍物語 進め!!栄光へ』で、王貞治の現役時代の活躍をおさめた定価6万円、3000部限定制作、ナンバー入りの豪華本『定本ビッグワン 王貞治』なんていう本もあった。
琵琶湖を舞台にした映画の資料などもあって、楽しめた。

1989年のふるさと創生事業として何をするか住民投票があり、図書館をつくることが選ばれた。いい選択をしたと思う。

□ 西堀榮三郎記念"探検の殿堂" (上田篤都市建築研究所 1994)
滋賀県東近江市横溝町419 (湖東図書館の向かい側)tel. 0749-45-0011

http://tanken-n.com/index.php

西堀榮三郎(1903-1989)は、南極やヒマラヤを探検した科学者。
探検の展示のほかに、日本画家が描いた冒険家の肖像画が並んでいた。
間宮林蔵、河口慧海、榎本武揚、江上波夫、植村直己などと居並ぶなかに、絵のない額が混じっていて、「次は君だ」という文字が記してある。
そうだ、がんばれ!(と、ヒトに言うのは簡単だが...)
建物は船をイメージしたようだ。アプローチで横から歩いていくとき見える姿は単純な円形だが、入口方向から眺めるとコルビュジエのロンシャンの礼拝堂そっくりだった。

■ 東近江市立八日市図書館 (石本建築事務所 1985)
滋賀県東近江市八日市金屋2-6-25 tel. 0748-24-1515

http://www.library-higashiomi-shiga.jp/

かつて「本を読むのは怠け者のすること」といわれてきた地域だという。図書館を作るにあたっては、死角を作って、職員や他の利用者に気がねしないで落ち着いて本を選び、読めるように考えられたという。たしかに1階の閲覧室では高い書架に囲まれた位置に机や椅子が置かれている。そんな配慮もあって今はさかんに利用されている。(時代が動いてセキュリティの問題が不安ではある)。

この図書館では2階が格段におもしろかった。
運営を外部に委託してあって、公営ではやりにくいことを手がけている。
環境展示、古本、貸し額、カフェと、4つのことをしている。
「本のリサイクルショップぶっくる」では、雑誌20円、新書・文庫・児童書30円、その他50円で、本を売っている。売上金は環境資料の購入費にあてる。
東近江市立八日市図書館の2階の古本売り場

貸し額は、図書館で持っている絵画を、図書と同じように借りられる。なるほど「借りて本を読む」ことがあるなら「借りて絵を眺める」ことがあってもいいわけだ。
カフェでは、地元の陶芸家が焼いたカップが棚に並んでいるなかから、好きなのを選んでコーヒーを飲める。わずか100円。
数人の利用者がコーヒーを飲みながら、近江線の沿線ではどこそこの店がおいしいなんていう情報交換をしている。
ガラスつき展示壁は市民グループの制作の発表の場として好評で、1年以上待つほど。
今は「ちくちくちく展」を開催中。使わなくなった衣類などをチクチク縫って雑巾や風呂敷などに再生するワークショップの成果を展示している。
図書館は、既成の枠におさまっていないで、人を生き生きさせるいろんなやり方をしていいのではないか、と明るい展望の芽を見せてもらった気がした。

朝早くに家を出て、新幹線に乗り、レンタカーを走らせ、もりだくさんのよいものを見て、さすがにへばってきていた。1日の最後に、いい話しをききながら、おいしいコーヒーをいただいた。ほーと疲れがほぐれて、ちょっとした距離があるホテルまでもうひと走り車を走らせる元気がでた。

□ ホテルブルーレーク大津
http://www.bluelake.co.jp/

琵琶湖東岸を南から北に向かったのだが、戻って琵琶湖の南端、京阪京津線浜大津駅のすぐ前のホテルに泊まった。
駅からは、一方通行の細い道を隔てた向かい側。人通りが少なくて裏通りのよう。
湖側の部屋に入ると、琵琶湖で3色の噴水が上がっているのが見えた。

□ 琵琶湖ホテル (シーザーペリ 1998)
http://www.biwakohotel.co.jp/

ほんとうはここに泊まりたかったけど、僕には高い。食事だけでもしようかと見に行った。色づかいがいかにも外国人建築家で、アトリウムラウンジの深い青い空間にそそられた。日本の建築家は、コンクリート打ち放しを多用して、いいけれど、色の楽しみは放棄しているかのようだ。

□ 大津港シンボル緑地公園
彫刻家、井上武吉が設計した公園。海への軸線を想定して、石の並木道、1本の松、石の門が、並んでいる。

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第2日 琵琶湖疎水、ミュージアム2つ、中山道の宿
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□ 琵琶湖疎水・三井寺

琵琶湖疎水 トンネルの入口 朝、琵琶湖疎水の出発点を見に散歩した。
琵琶湖南岸から細い水路が引かれている。三井寺付近でトンネルに入っていくが、その水門の意匠がこっている。
ここから京都の蹴上(けあげ)までいくわけだ。

三井寺の入口で大きな案内地図を見るとフェノロサの墓がある。境内は広そうだし、時間が足りないので、諦める。

ホテルまで戻る道で、大津の古い町並みにひかれる。

□ 滋賀県立琵琶湖博物館 (日建設計 1996)
滋賀県草津市下物町1091 tel. 077-568-4811

http://www.lbm.go.jp/

新しいので施設は最新だし、研究体制も充実している。僕は埼玉県立自然の博物館に在職中、琵琶湖のほうで大規模なイベントや大がかりな企画展が開かれるたび、彼我の規模の違いにしばしば嘆息した。
ようやく来てみれば、さすがの内容だった。
今朝見てきた疎水の石積みは、琵琶湖の沖島から切り出した花こうはん岩だという説明があった。
琵琶湖で放流されて悪名高いブラックバスを食べてしまおうという天丼を試してみたかったが、食事の時間には早すぎたのが残念だった。
(このあと行った佐川美術館で、1日何食限定という、うつろひ弁当を食べた)

琵琶湖博物館の図書室 図書室は明るい吹き抜けにある。

□ 佐川美術館
滋賀県守山市水保町北川2891 tel. 077-585-7800
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/

地下の展示室では、「吉左衞門Xインドネシアン・プリミティブアート 稲葉京セレクション」を開催中だった。
空間が独特で、沈潜し、陶酔し、興奮させてくれる。池の下にあり、一部、池の底=展示室の天井をガラスにしてある。水を経た光が、壁づたいに降りてくる。
これまで体験したことがない強烈な空間なのに、置かれた美術品もよく見え、集中していける。

茶室の見学は予約制で、説明をききながら拝見する。
地下の展示室からつながっていて、まず「守破離」という文字に迎えられる。芸術の教えで、伝統を守り、破り、離れるが、それでも伝統につながっていること。
地上に出ると寄付(よりつき)で、屋根がなく、まわりをコンクリートの壁に囲まれた小空間。水がつたい落ちている。さわやかな音。見上げると青空。かすかな空気の流れ。目が耳が皮膚が更新される。
外路地、小間を経て、広間にいたる。池の向こうに比叡山がある。この見え方を完成するために、庇の張りだし方、軒の高さを何度も調整したという。
一見簡素な和室だが、この心地よさを得るために、テクノロジーを駆使し、隣にある陸上競技場に実物大模型を作り、各地から材料を集めている。
それでいて、説明を聞かなければ、そうした苦心の跡は隠れていて、ただポツンと座敷に座って、いい景色を眺めていられる。
設計したのは陶芸家の樂吉左衞門。陶芸作品を鑑賞するために、その器で茶を飲むために、環境までとりこんで建築までしてしまうエネルギーに圧倒される。

□ ヴォーリズ記念病院内ツッカーハウス

ヴォーリズの近江八幡の建築は市街地に残るものが多いが、やや離れたところにあるここだけ、レンタカーを借りているうちに見に行った。
ツッカーハウスは旧・近江療養院で、1918年に結核療養所として建てられた。ツッカーというのは建設資金を寄付した人の名を冠している。3階建てで、日光が療養に有効と考えられていたので、採光に工夫が施されていたという。

キリスト教の教団が結核の悲惨な状況を救おうと結核の療養所を開き、社会の変化と要請に対応して他の診療科目に拡大し、人生の最終場面のホスピスまでもつにいたるという軌跡は、小布施の新生病院と共通している。
(→[古い栗の町の新しい図書館])

ヴォーリズ記念病院内ツッカーハウス 2005年に解体の動きがあり、保存を求める運動も起きたことが新聞に報道されたことがある。(日本経済新聞 2005.5.7)
その後どうなったか知らずにいたのだが、来てみればまだ解体されずにあった。ただし補強などされた様子もない。明快な方針がないまま放置されているとしたら、いたむばかりになってしまう。

□ 中村屋
滋賀県近江八幡市武佐544 tel. 0748-37-6009

中山道の武佐宿の中村屋 守山で借りてきたレンタカーを近江八幡で返した。
今夜の宿は中山道の武佐宿にあった古い宿。
近江八幡駅から近江鉄道に乗り、武佐駅から歩いて向かった。

希望した2階の部屋がとれた。屋根の傾斜にあわせて天井が傾斜している。2間あるが、頭がつかえないように、南の、道に面した側の座敷は一段低くなっている。北側の天井には明かりとりに縦にトップライトがあり、紙の障子をはめてある。昔は雨が降るとたいへんだったという。(今はガラスにしてある。)出入り口のふすまを内側から閉めるには、つっかい棒でする。
こういうつくりは初めて見たというものがいろいろあって、目が楽しい。

宿のあちこちにいろいろ古い物があるなかに、昭和5年の観世流の能のプログラムというものがあった。日野に小屋があったが、個人から町所有になり、町でも持ちきれなくなり、解体されたという。

夕飯は近江牛を焼いて食べる。とても量が多くて芥川龍之介の芋がゆ状態になってしまった。運動部じゃなし、上品においしくいただきたかった、などというのはぜいたくすぎる不満か。

夜、ひっそりと静かな時間が続くので、前の道は歩行者専用だったろうかと思い始めた頃、ようやく車が通る音がした。
窓から見下ろすと細い通りの向かい側にかつての本陣がある。

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第3日 ヴォーリズの図書館
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最終日はヴォーリズを見る1日。
僕のライフワークの1つ、井上房一郎とブルーノ・タウトをめぐる旅に関わってくる。
ドイツから逃れてきたタウトは、ウラジオストックから船に乗り、1933年5月3日、敦賀港に着き、その日のうちに京都まで向かった。

京都駅に着く。下村氏や本野(精吾)教授夫人の出迎えをうける。下村氏の邸宅はテュードル風。アメリカの宣教師で建築家のヴォーリズ氏に会う。下村氏と晩餐、こうして私達夫妻は下村邸の客となった。私達に当てられた室に落着く、入浴!
( 『日本 タウトの日記』 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975 )

翌5月4日の日記はこう始まる。

 午前、入浴。上野氏、ガルニエ夫人、下村氏と朝食、本を頂戴する。庭で写真を撮った。
 昼食後、上野夫妻、ガルニエ夫人と一緒に自動車で京都郊外の桂村に赴く、桂離宮を拝観するためである。

それから桂離宮を讃美する有名な文章が続き、「今日は恐らく私の一生のうちで最も善美な誕生日であったろう」としめくくられる。

このあと、タウトの日記にヴォーリズは現れない。
同時期に日本にいたアントニン・レーモンドについては数回の記述がある。
タウトは井上房一郎の世話により高崎に住む。近くの軽井沢にレーモンドもヴォーリズも事務所を持っていた。タウトは軽井沢でレーモンドと会ったり、レーモンドの妻ノエミが高崎に会いに来たりするのだが、やはりヴォーリズとは接触がない。

タウトの日記で、5月4日の朝食をともにした人をいちいち記していることからすると、5月3日の晩餐はまったく下村氏とだけで、ヴォーリズはいなかったと考えられる。
このときヴォーリズとは、紹介され、軽く言葉を交わすくらいだったろう。
ヴォーリズはなぜ下村邸にいたか?
世界的な建築家が来日したので会うように下村が招いたか。
それなら晩餐に加わってもよさそう。
たまたま下村邸を訪れていたのだったか。
そう考えるのが妥当に思える。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880アメリカ・カンザス州-1964日本)は、1905年、日本への布教のために来日し、滋賀県立商業学校の教師となった。
青年へのキリスト教の影響が大きすぎることを危惧され、1907年に解職。
もともと建築家志望でもあったので、1908年、京都基督教青年会館の現場監督を委嘱されたのを機に、京都に「ヴォーリズ建築事務所」を開設した。
以後、建築家として順調に活躍し、近江、京都、軽井沢ほか、全国に建築を残した。
下村正太郎は京都の人で大丸の経営者。ヴォーリズの設計で1932年に下村邸が完成しているから、タウトが訪れたのは新築の翌年になる。

タウトの日記にヴォーリズの名があることは気になっていたが、拠点とした近江八幡でヴォーリズの建築をまとめて見るのは今回が初めてになる。

       ◇       ◇

3日目の朝、ふたたび近江鉄道に乗って近江八幡駅に戻る。
ヴォーリズの建築が集中している一帯に向かう6番乗り場のバスがちょうど出てしまった。でもふと振り返ると貸し自転車がある!
結果としてはバスに乗りこそねたのが大正解で、バスで行って歩いたのでは回りきれない数の建築を見ることができた。


■ 旧・近江兄弟社図書館(のちに旧・近江八幡市立図書館)

ヴォーリズが設立した近江兄弟社は、もと伴家の住宅で図書館も運営した。
伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で、今に残っている住宅は7代目が1827年から1840年まで、十数年をかけて建てた。
明治時代になって当時の八幡町に譲渡され、小学校・役場などに使われた。
もと近江兄弟社図書館

戦後は1947年に「近江兄弟社図書館」、1975年に「近江八幡図書館」、1983年に「近江八幡市立図書館」となり、1997年に新図書館ができて図書館としての役目を終えた。
2004年から市立資料館の一部になり、ヴォーリズ関連資料も展示されている。

太い黒い柱ががっしりと組まれている。今どきの図書館は空間を広くとるためにできるだけ柱が少ない構造を目指すが、ここが図書館として使われていた頃は柱に囲まれて読書するような感じだったかと思う。デジタルな情報がなくて、書物がどっしりと存在していた時代には、いかにもふさわしかったろう。
木造のごつい建築からは、道場のような印象も受ける。本を読むことは精神の鍛錬だと比喩的にいうこともできる。

兄弟社図書館は夜9時まで開館していた。5時でいったん閉めて、職員が休憩をとってから、またあけた。年配の人では、夜勉強した思い出をもつ人がある。
だから今の図書館も9時まであけるようにという意見があるそうだが、この厳しい経済状況では難しい。

資料館に、ヴォーリズ夫人がつけていた、からしの種をいれたペンダントが展示されていた。
ヴォーリズ夫妻は聖書の言葉から、からしの種を好んだという。からしの種は小さいのに、成長すると鳥が巣を作るほどの木になる。それは誰もの信仰心としていわれているが、とくにヴォーリズにとっては、アメリカから近江に来てキリスト教を広めようとした人生の信念でもあったろう。

■ 近江八幡市立図書館 (佐藤総合計画 1997)
近江八幡市宮内町100 tel. 0748-32-4090

http://library.city.omihachiman.shiga.jp/

全体に穏やかで上品な図書館で、さすが、古い歴史のある町の図書館はこうでなくては、と思う。
四角い柱の上部から、天井に反射させた光が、壁面に沿ってなだらかにたどりくだる。でも本を見るのにいい明るさにしたのに、明るすぎるのに慣れている人から暗いとクレームがあるそうだ。(コンビニみたいな白くキラキラした照明の図書館がときたまある。)
近江八幡市立図書館

近江八幡は古くから栄えた街だから、江戸時代からの資料があるが、整理する体制が追いつかない。まして近代の資料の整理など、なお先になるという。
近江兄弟社から引き継いだキリスト教関係資料や、今では稀少で貴重な児童書なども含めて、貴重な所蔵資料をいかせていければいいと思う。

郷土資料の書架を眺めていると、意表をつかれる人の本があった。染色の志村ふくみはなるほどとして、岡林信康が数冊並んでいた。

□ ヴォーリズがアメリカから布教に来て「フォークの神様」岡林信康を誕生させたこと

岡林信康は、新宿西口に学生が集まって、石が飛んだり、ビンが火を吹いたりしていた頃、社会的なメッセージを込めた歌をうたってフォークの神様といわれていた。
その後、コロっと歌をやめて農民になり、またよみがえってはコンサートを開いたりして、独特な生き方をしてきた。僕は学生の頃から歌を聴き、コンサートにも行き、同時代を生きているという共感をもっていた。
日雇い労働者が暮らす山谷で暮らしたり、体制批判の歌をうたったりしているが、関西のほうの牧師の息子−というチグハグさも岡林の魅力の1つだったが、なんとその教会がヴォーリズにつながるものだったことを、図書館にあった岡林の著作で知った。

『村日記』(岡林信康 講談社 1982)によれば、岡林の父は新潟県糸魚川の人。酒を飲み過ぎて田んぼで寝ていて、ぱっと起きたら、お月さまがこうこうと輝いていた、おれの人生はこれでいいのか、と田舎を出た。
滋賀県堅田の紡績工場で働いているとき、ヴォーリズが組織したキリスト教伝導隊が来て心を動かされ、牧師になった。
岡林は父とはなじめなかったというが、ふつうなら悩み、ためらい、惑いそうなところで、スッとあちら側の違う生き方に飛んでしまうところは、父子でそっくり。

岡林は近江八幡に生まれて、近江兄弟社の学校に通った。
ヴォーリズが作った学校も会社もサナトリウムも絵はがきのようで、田舎のなかに突如、西洋があるふうだったという。
岡林が歌の世界に入ったのにも教会の縁があり、草津キリスト教会で高石友也のコンサートがあり、飛び入りで『くそくらえ節』を歌って大うけした。
「ギターを弾きだして1週間で作詞、作曲して、それから半年ぐらいでコード3つしか押さえられへんのに人前でうたって、ゼニ取ってる」ようなことになった。その反省・反動があって、突然引きこもることにもなった。

ヴォーリズがいなければ、「フォークの神様・岡林信康」もなかったことになる。
井上房一郎とタウトの軌跡をたどっていて、思いがけないつながりに出会うことはこれまでもいくつもあったのだが、学生の頃からなじんだ岡林信康まで、ヴォーリズ−タウトと、細い線ながらつながってしまった。

● カフェDIG'S
http://vories.shiga-saku.net/

街中を自転車で走り回っていて、のどが渇いたな、一休みしたいなという絶妙のタイミングに、民家を改造したカフェがあった。風が通り抜けるあっけらかんとしたつくりにしてあって、センスがいいし、気持ちがいい。
ヴォーリズ展にあわせて滋賀県立大学の学生たちが始めた実験的お店で、お客さんは学生たちからインタビューされる。
「近江で何を見て、何がよかったですか?」ときかれて、
「岡林信康が近江八幡の人で驚いた!」と答えたら、キョトンとされてしまった。学生運動があってね、新宿あたりではね、と説明しかけても、はるかな表情になっていくばかり。
学生にしてみれば、生まれる前のことだって、無理もない。

□ ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)
滋賀県近江八幡市慈恩寺町元11 tel. 0748-32-2456
http://vories.com/

1日かけて、ヴォーリズが関わった学校や教会やメンタムの店を回った。
旧住居も公開されていた。
四畳半の和室の中央に炉をきってある。
そこに夫妻が並んで座る写真も展示してあって、それは高崎の洗心亭で撮ったタウト夫妻の写真とそっくり似た印象の構図で、驚かされた。
質素な暮らしも2人に共通するもので、信仰に厳密なヴォーリズはこの小さな家も家具も個人の私有にはしなかったという。
タウトも日本の隠遁的生活になじむ人だったし、エリカ夫人が作る料理は、1930年代の高崎の農民がいぶかるほどに簡素なものだった。
ヴォーリズはキリストの教えへの信仰が深く、琵琶湖をガリラヤ湖に擬していた。
タウトも、故郷の偉人カントを敬愛する精神的傾向の強い人で、高崎で暮らした達磨寺が北斗七星に関わることを、カントの言葉「わが頭上の星、内なる道徳律」に重ねていた。
小さい頃、美しい自然の中で育ったことの記憶を懐かしむ感情も共通している。

タウトの日記の記述では、下村正太郎の邸宅がヴォーリズの設計ときかされたかどうか不明だが、「下村氏の邸宅はテュードル風。」という言葉からは、それだけのことで、あとコメントを加えるほどのことはない、というニュアンスを感じる。
タウトとしては、さらにヴォーリズに会うだけの価値を認めなかったのではないか。

世界的建築家として日本に招かれたタウトだが、ソビエトで仕事をした経歴があり、ナチスのドイツから逃れて来た建築家は、軍国主義の日本では敬遠され、熱海に内部だけを作る1作のみ残しただけだった。1936年にはトルコに行き、1938年に急逝する。 
はからずも建築家としての仕事をすることになってしまったヴォーリズのほうは、日本各地に建築を残し、近江ではほとんど1つの社会を作るほどの達成をした。建築史に残るような斬新さや思想や著作はなくても、その建築は今も人に愛され続け、ヴォーリズの建築の意味が再評価されようとしている。

小さな旧八幡郵便局にヴォーリズの魅力が端的に現れていた。
出入り口の戸のレール敷きの角を丸めて足をぶつけないように、歩きやすいように心配りしてある、バリアフリーへの志向。
天井の一部に間隙を作って自然に空気が循環するようにしたエコロジーへの志向。
コンピュータの普及で今では一般化した床下配線をすでにしている合理性。
住む人、使う人への配慮が愛着を生み、現代に通じる先見性が再評価につながっている。

タウトの建築も、ドイツの集合住宅では、いまだに空きがでるのを順番待ちされるくらいに愛され人気があり、世界遺産でもあるのだが、日本ではそうした建築を作る機会には恵まれなかった。
時代が個人に過酷な生を強いることもあるし、思いがけない飛躍をもたらすこともある。

● たねや
http://taneya.jp/
駅の近くの「たねや」本店で土産を買う。(「ふくみ天平」(てんびん)という細長い最中がサクサクと軽やかでおいしかった。)
乗り換えの名古屋駅で、駅弁とビールを買い、新幹線のなかで余情にひたりながら食べて帰った。

(2009.10月 no.18)
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参考:

  • 『建築家の自由 鬼頭梓と図書館建築』 鬼頭梓+鬼頭梓の本をつくる会 建築ジャーナル 2008
    『図書館建築22選』 図書館計画施設研究所/編著 東海大学出版会 1995
  • 『滋賀の図書館2008』 滋賀県公共図書館協議会 2009
  • 「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」公式ガイドブック ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡実行委員会 2009
    『失敗者の自叙伝』 一柳米来留(ヴォーリズ) 近江兄弟社 1970
    *ヴォーリズは広範囲に活躍したが、何より信仰の人で、世俗的な成功がむしろ信仰を弱めることをこんなタイトルの本に書いた。
    『近江の兄弟』 吉田悦蔵 近江兄弟社 1923
    『ヴォーリズ評伝 日本で隣人愛を実践したアメリカ人』 奥村直彦 有限会社港の人 2005
    『ヴォーリズ建築の100年』 山形政昭監修 創元社 2008
    『近江兄弟社図書館30年略史 1940-70』近江兄弟社図書館 1970
    『湖畔の声』湖声社
    *1912創刊 今に継続している定期刊行物で全国で3番目に古い
    『日本 タウトの日記』 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975
  • 『村日記』 岡林信康 講談社 1982
    『バンザイなこっちゃ』岡林信康 ゴマブックス 2005
    『伝説 岡林信康』岡林信康 白夜書房 2009
    『ぼくの村は美しい国』 岡林信康 ランダムハウス講談社 2007
  • 井上房一郎とブルーノ・タウトをめぐる旅全般については、[山を歩いて美術館へ]、ブルーノ・タウトが敦賀に着くまでの船旅については[今日は遠くの図書館 新潟で水と図書館をめぐる]参照。