山口大学図書館・山口市立中央図書館 1/3


ANAのマイルが2人分あり、妻も僕も初めての山口に行くことにした。
目当ては、このところのいつものように

・ 道筋の図書館に寄る
・『街道をゆく』で須田剋太が挿絵を描いた場所に行ってみる
・ 河口ウォッチング

のほかに、今回とくにおさえておきたいのはこんなところ。

・『街道をゆく』に記載がある奇兵隊蔵書を見られるか?
・ 山口市立図書館では開館前に工事を一時中断する大波乱があったが、それは結局どうなったのか?
・ 由緒ある山口県立図書館はどんなところか?
・ 宇部市街を流れる厚東川の河口は両側が私有地で、河口両岸をまたぐ私有の橋がかかっているという。近づけるか?
・ 名建築のレストランで食事する

[山口大学図書館・山口市立中央図書館 1/3]
■ 山口大学図書館−奇兵隊蔵書を見る
■ 山口情報芸術センター+山口市立中央図書館−もっとも美しい図書館

[山口県立山口図書館 2/3]
■ 山口県立山口図書館−厚く深い蓄積
■ 山口県建設技術センター−旧・山口県立山口図書館
■ クリエイティブ・スペース赤れんが−旧・山口県立図書館書庫
■ 山口きらら博記念公園スポーツライブラリー

[宇部市立図書館 3/3]
■ 宇部市立図書館−石炭の遺産


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 第1日 山口宇部空港−湯田温泉
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● ピッツェリア・アンコーラ
山口市吉敷宇庄下1116-1

山口宇部空港でレンタカーを借りて、湯田温泉の北西にあるレストランに直行した。
三分一博志が設計した斬新なレストランを楽しみにして行った。
でも、木の塀の一部を切り取って回転扉にした、特徴のある入口が、閉まっている。塀の角にはきれいな旗がはためいているから、営業をやめたのでもなさそう。休みともやめたとも表示がないが、とにかく入れなくて、食事できない。
旅のはじめからつまずく。

● 山口大学第2学生食堂 きらら
そこで次の目的地の山口大学の学生食堂に行った。
山口大学は、湯田温泉街から椹野川(ふしのがわ)を南に越えたところにある。
山口では2001年に開催されたきらら博以来、あちこちに「きらら」の名がつけられているが、大学の学生食堂にまで使われている!
僕はハンバーグのランチ、妻は掻き揚げうどん。どちらも100円玉数個。学食なんて懐かしい。

■ 山口大学図書館
山口市吉田1677-1 tel. 083-933-5000
http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/index.html

山口大学には奇兵隊のことを知りたいと思っていた。
司馬遼太郎『街道をゆく 長州路』には、こういう記述がある。
 奇兵隊というのは、乱暴者ぞろいのように思われているが、その屯営(長州吉田村)の図書館はじつに充実したものであったという。そのことは故青木正児(あおきまさる)博士の、
「奇兵隊の書物」
という一文にくわしく書かれているそうだが、私はその文章を読んでいない。なんでも奇兵隊蔵書というのは、この隊が小倉城を攻めおとしたときに戦利品としてもちかえったものが、その主な部分をなしているという。いまはその一部が、山口大学図書館におさめられているらしい。
ちょうど大学図書館の一部と、構内にある山口大学埋蔵文化財資料館を会場にして、「時代を旅する書物たち」という所蔵品による企画展を開催中で、『五代史記』など、旧奇兵隊蔵書も数点展示してあった。
小倉藩の丸い「思永館」の印と並んで、四角い「奇兵隊印」が押されている。
「思永館」の印は、太いのと細いのと2重の円に囲まれ、文字もしっかりしている。
「奇兵隊印」のほうは、囲いの線も文字もへなへなして、それなりに味があるともいえるが、いかにも成り立ちの相違を象徴している。

司書に伺うと、旧奇兵隊蔵書が大学にある事情や、ほかに旧奇兵隊蔵書があるかどうかは不明とのことであった。
貴重書でほとんど公開されない資料とのことだから、展示されている機会に来たのは幸運だった。

図書館は落ち着いたオーソドックスなものだった。

■ 山口情報芸術センター+山口市立中央図書館
山口市中園町7-7
情報芸術センター tel. 083-901-2222 http://www.ycam.jp/
図書館 tel. 083-901-1040 http://www.lib-yama.jp/


誕生前夜の大波乱:
メディアアートの先端的施設+図書館の複合施設として建設が進んでいたが、「これでいいのか」ということが2002年の市長選挙の争点となった。
メディアアートというのがよくわからない、建設費も維持費も高すぎるのではないか、という意見が市民の大勢だったようで、見直しを訴える合志栄一候補が当選した。
新市長は50%ほど進んでいた工事をいったん中断して、市民アンケートや10回の見直し市民委員会を開催した。(工事を止めるには鉄骨のさび止めをするなど追加費用が必要で、委員会で明かされた見通しでは5,000万円程度のようだった。)
見直しにあたっての可能性は4つあった。
1.解体
2.他の用途として何でもありで見直し
3.アート関係で一部見直し
4.当初計画どおり進める
市民委員会の議論をみると、解体という激しい意見もでたし、高齢化にともなって介護施設が必要だとか、観光のための植物園や湯治場がいいとかの意見もでた。
図書館については賛成意見が多く、県庁所在地で未だに図書館がないのはよくない、全部を図書館にしてもいい、という発言さえあった。

そうしたにぎやかな議論を、僕はアート系のメーリング・リストで見ていた。新聞報道や見直し委員会の議事録が報告され、遠くにいてもリアルタイムでかなりの状況を知ることができた。
見直しとはいっても、植物園だの温泉施設だのに工事途中でかえるのは構造の問題などから難しい。解体すれば国からの補助金がでなくなり、市の単独負担でこれまでの建設費用と解体費用を負担しなくてはならなくなる。したがって小幅の見直しで工事が再開されるだろうというのが現実的な方向として見えてきていたようだったが、メーリング・リストにはいつのまにか報告がなくなり、遠い地のことだから僕もいつか忘れていた。

山口に行こうというときに思い出してファイルを探すと、アートと図書館の建築に関わる議論ということで関心があり、メーリング・リストの内容を紙に印刷してあり、A4版で数十枚もあった。

結局、施設はどんなふうにできあがったのか?
見直し委員会に要したエネルギーは市民にも行政にも大きなものだったろうが、その議論の結果はどう受け止められたのか?
10年の協議と3か月の激しい議論を経て10年ほど経ち、芸術センターと図書館の運営はどう評価されているのか?

そんな疑問が浮かび、図書館には、見直し委員会の議事録を含めた経過が保存され、関連する新聞記事などがスクラップ帳に整理され、10年ほど経つあいだの検証もどこかしらでされて公開していることを期待して来たのだった。

情報芸術センター+山口市立中央図書館

情報芸術センター+図書館に着く:
着いてみると、芸術+図書館の施設は広い芝の公園の中に建っていた。
図書館のレファレンスで尋ねると、情報芸術センターのカラフルなパンフレットがあり、経過がまとめらていた。
新市長が工事の中断を指示したのは2002年5月13日。
(小幅の)見直し案により工事再開を決定したのが8月30日。
およそ3月半工事がとまり、竣工は翌2003年の4月で、11月に開館している。

そのパンフレットによれば、当初「やまぐち情報文化都市基本計画」と位置づけられ、1992年に議論が始まっている。
図書館についても翌1993年に、山口市図書館計画協議会を設置し、図書館計画の策定が始まっている。
およそ10年の準備を経て建設が始まったのだから、独断とか拙速とかにはあたらないと思う。
結局、市長選挙の争点づくりに目をつけられただけだったろうかという疑問もあらためてわいてきた。

でも、レファレンスカウンターでえられたのは、前述の情報芸術センターのパンフレットと市議会の議事録程度だった。
パンフレットでは見直し委員会が何回開かれたといかいう概括的なことはわかるが、内実はわからない。
今に至るまでの評価、検証も知ることができない。
もしかして僕のほうが見直し市民委員会の資料など、図書館にはない資料を持っているくらいかもしれない。

図書館はそれ自体が社会的・歴史的存在だろうと僕は思っている。ただ出版された図書資料を収集保存して、求めに応じて貸し出すだけの無色透明の装置ではないだろう。
とくにこの図書館にとって、誕生にあたって市民、議会、行政が関わってどんな物語があったかは、記録すべき歴史だと思う。
芸術や学術に関わる公的施設の建設に関わる事例として、当時、全国的にも注目されていて、他の自治体や市民の参考にもなる。この記録は整理して残しておくべき責任、使命があるのではないか?
博物館や美術館の例で、関係者の内輪話として、展覧会にとりあげた人物の記録が完全な形で残されていないと「きっちり記録しておいてくれればいいのに」といいながら、博物館・美術館じしんの活動の記録はつい後回しにして、「紺屋の白袴」だと自嘲的に話がでることはよくある。図書館にも似たような習性があるかもしれない。自戒しなくてはと思う。

建築家の思い:
この建築は、プロポーザル方式で選定され、磯崎新アトリエが設計した。
ところが見直し委員会で何度か「磯崎新一派と手を切るように」とかいう発言があった。
発言の勢いは、何か建築家が悪巧みをしているかのようだったが、建築家は定められた手続きを経て市と契約し、設計に関わったにすぎない。
芸術センター+図書館という理念は初めから市のほうから提示されているのだし、建築費が高いとすれば、設計者と発注者が協議して設計を見直していって折り合いをつければいいことで、それは個人の住宅建築だって同じこと。設計者が一方的にわかりにくいアートや高い施設をおしつけているわけではないだろう。
見直しの方向が決まれば、また建築家と共同してよりよい建築をめざせばいいことで、設計者への不信は見当違いになる。
有名建築家だから全て建築家の意向のみがとおるべきだというのではなく、建築家への基本的な敬意をもって意見をかわしてこそ、いい建築ができるのだろうと思う。

美しい図書館:
波乱のすえにどんな図書館ができたかと見れば、入口を入ると、高い天井の下にすばらしい空間が広がっていた。
カウンターの向かい側の壁はきれいな青いキューブが色彩のアクセントになっている。
壁に並ぶ照明の列を眺めると、回廊を列柱が取り囲むウィーンの楽友協会のホールを思い出した。現代建築に古典的な優雅さ、風格の高さを組みこむのは、磯崎新の特徴の1つといっていいと思う。
トップライトからの光を、天井に垂らしたん白い幕でいったん受けて、柔らかくした光が書架の連なりに降りてくる。これは群馬県立近代美術館での光の取り入れ方を生かしている。
一部にある2階部分から吹き抜けを見おろすと、書棚ごとの照明が空間の底に並んで、ため息がでるほどの感興を覚えた。そこに、知や思想や発見や冒険が潜んでいるという感覚が迫ってくる。
ほぼ中央に小さな中庭があり、木が立っている。上が抜けているので、雨水があたり、水やりはしていないとのこと。呼吸する樹木が、無機質な図書が並ぶ中で生気を帯びているのもいい。
同じ磯崎新が設計した図書館には、大分県立図書館があり、巨大なホールには驚かされたが、閲覧室にはあまり際立った印象を受けなかった。規模は小さいが、こちらには立ち去りがたく魅惑された。

● TRATTORIA ANCOLA トラットリア・アンコーラ
山口情報芸術センター内

図書館を出て、センター内のカフェを通り過ぎかかると、ガラスケースの中のケーキに目をとめた妻が僕の袖を引いて、「とってもおいしそう」という。
なるほど見たこともない様子の鮮やかなケーキばかりが並んでいる。
入ってケーキとコーヒーのセットを注文する。

トンと皿にケーキを置いただけではなくて、カラフルに盛りつけてある。
まずこれだけでちょっと感動。
食べてみても期待を裏切らない。
妻が食べたブラッド・オレンジのケーキは、かなりのヴォリュームのオレンジがそっくり中心を占めている。
僕が食べたキウイのケーキも美味。
ブラッドオレンジを包みこんだケーキ

店名が「アンコーラ」なので店の人にきいてみると、やはり今日の最初に向かったピッツェリア・アンコーラと同じ経営で、忙しいので今はこちらに集中しているとのこと。今日のはじめにはずれたのを回復したことになる。
明日のランチにも来られたらいいのだが、道順からすると難しそうなのが惜しい。

□ 袖解橋

情報芸術センターのある中央公園から南東へ椹野川(ふしのがわ)に向かうと、途中に袖解橋の石碑がある。地方から山口に登城する侍が、ここで旅装の袖のくくりを解き、身づくろいをしたといういわれの地。

ここを『街道をゆく』に須田剋太が挿絵を描いている。絵そのままの景色になる角度が見つからない。そばに川の流れもないから、石碑は移築されたのかもしれない。 そでときばしの石碑

近くに「井上馨侯遭難之地」の碑がある。『街道をゆく』では、井上馨が反対派から受けた攻撃と、その後の治療のすさまじかったことが様子が書かれている。

□ 中原中也記念館
山口市湯田温泉1-11-21 tel. 083-932-6430
http://www.chuyakan.jp/00top/01main.html

しだいに湯田温泉の中心に近づき、宿に向かう前に中原中也の記念館に寄る。
絵や彫刻のようには作品そのものを鑑賞しにくい文学のミュージアムは、見せようが難しい。でもここでは、はっとさせるしかけがいろいろあって、いい記念館だった。

● 松田屋ホテル
山口市湯田温泉3-6-7 tel. 083-922-0125
http://www.matsudayahotel.co.jp/

古い湯:
宿は湯田温泉街のど真ん中にある。温泉街といっても、浴衣に下駄でカランコロンと散歩するようなのではなくて、センターラインがある道を車が走る市街地の角になる。
田んぼの中にポツンと松田屋が目立っている古い写真をみたことがある。写真がある時代になってもそんなだから、長崎や京都を行き来した坂本龍馬が長州の宿にしていた頃も、もちろん風景はひらけていたろう。
ずいぶん時間が流れたのに維新の頃に龍馬たちが入っていた風呂が残っている。石の浴槽につかって古い木の天井を眺めていると、遙かな思いにとらわれる。

歴史の流れのなかにある宿:
『龍馬が行く』を書いた司馬遼太郎が『街道をゆく』の取材でこの宿に泊まった。週間朝日に掲載されたのが1971年だから、取材は1970年だったか、40年も前になる。
司馬がこの宿について書いた文章が、しっかりした板に刻まれてバー&カフェの1室に掲げてあった。ほかに、高杉晋作だの伊藤博文だのが書き残したものも展示してある。
すごい遺産だが、これみよがしではなく、displayが上質でセンスがいい。
説明などを記したキャプションも適確だし、きちっと水平に置かれている。水平に置くなど当たり前でたいしたことはないようだけれど、ちょっと斜めなだけで展示にかける意志を疑わせ、全体の信頼をそこねることになる。
明治維新前からの歴史的遺物と同様に、司馬遼太郎の足跡も位置づけられている。長く続けてきた宿ならではの歴史意識が感じられる。

ういろう:
山口に来ることにして初めて外郎(ういろう)が名物だと知った。
部屋に入ってひとまず落ち着いたあと、抹茶とともにだされたのが、なまの外郎。旅館の部屋に置かれている菓子は長持ちするものがふつうだけれど(あるいはそれが普通だというのは僕が泊まる宿がそんなものということでもありそうだが)、なまの外郎はとても賞味期限が短い。
それに抹茶。
着いてすぐのこのもてなしに感嘆してしまう。

ふぐ:
夕食には、山口の酒を飲みながら、うの花和えの先付からデザートにいたるまで、味も盛りつけもバランスも量もみごとな料理をいただいた。
なかでもさすが地元の河豚(ふぐ)。なるほどと腑に落ちる思いにひたりながら味わった。鍋と唐揚げにしてあったが、どちらもやさしくふくよかで、舌が感触と味とを覚えてしまった気がする。

仲居さんはアーティスト:
食事をあげさげの折りごとに、仲居さんから山口のことをいろいろ教えていただいた。
アート系の人でもあって、山口情報芸術センターのイベントにも関わっていられる。ご主人は映像作家で、中原中也記念館で放映されていた中也の紹介の映像も作られた方とのことだった。
情報芸術センターや、これから行く予定の秋吉台芸術村の様子、図書館が市民に親しまれていること、宇部のときわ公園で鳥インフルエンザが発生して残念なこと、アンコーラの建築家のこと、酒に外郎に河豚のことなど、こちらの人にきいてみたかったことがあらかた尽くされた思いがした。

台風、宿と図書館:
話の中で、情報芸術センターの屋根が飛んだことがでてきた。
台風で屋根が飛び、建物内に中に雨が降り注ぎ、職員が窓をハンマーで割って、たまった雨水を排出したとか、ちょっとした注目を浴びる事件だった。
仲居さんにきくまで忘れていたけど、あれはここのことだったかと思い出した。
早く気がついていれば、図書館でそのときの様子も聞いてみるのだった。(あとで調べると、開館して1年もたたない2005年の秋のことだった)

ひと晩過ごして振り返ってみれば、図書館でより、宿で得たことのほうが広く深く楽しかった。単純にAかBかと比較できるものではないし、宿では仲居さんと関心が共通していて格別に波長があったという事情もあるとしても、資料の記録、利用者の知りたいことを先回りして把握する想像力、いかに満足させるかの熱意の点で、宿が濃く、図書館は薄かったように思う。

朝の庭:
朝にはまた風情のある湯に入ったあと、庭を散歩する。池には温泉からの流れがひかれていて、湯気をたてている。小さな滝までがほんわりと湯煙にくるまれている。

ここは1867年に西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通が会見した所。 西郷、木戸、大久保が会見した待合

朝の食事もよかった。温かいものは温かく、十分に尽くしてあって過剰ではない。
僕が泊まる宿としては高額なほうだったが、とんでもない額ではない。むしろ得られた満足度に比べれば安く感じられるほど。
その点も含めて、僕の旅の経験のなかで最高といっていい宿だった。

(2011.2月 no.61)
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参考:

  • 『街道をゆく 1』司馬遼太郎 須田剋太 朝日新聞社 1984
  • 『時代を旅する書物たち』山口大学図書館山口お宝展ワーキンググループ 2010
  • 『スローな図書館ライフのすすめ』根ヶ山徹 「山口大学図書館報」 2006.6 vol.73
  • RUNGRAPH DIGITAL DESIGN(ラングラフ・デジタルデザイン)
      代表者 : 田邊アツシ  http://www.rungraph.com