土佐に坂本龍馬と司馬遼太郎の足跡をたどる


1.アンパンマン図書館-正面にアンパンマンが立つ
2 牧野富太郎記念館牧野文庫-線の快楽
3.高知県立図書館-高知城の東
4.高知市立市民図書館-高知城の南

ほめられることなど久しく覚えがないのに、文化庁から表彰され、副賞に4万円分の「ANA旅行券」をもらうなんてことがあった。でも飛行機に乗るときは、早割だの、マイルの特典引き換えだの、インターネットで素早く席を確保しないととりそこねるという、せわしい思いをいつもしている。紙の旅行券の使い方がわからずにしまいこんであったが、有効期限を過ぎてしまってムダにしたら惜しい。
「ANAの券を使おうよ。どこにする?」と妻に相談したら、「今年は龍馬でしょ」という。大河ドラマのご当地に、まっさかりの時期に行くのは、ちょっと気恥ずかしい。でも、梅雨時なら飛行機も宿もとれそうなので、ANAに旅行券の使い方を問い合わせて、高知に行く便を予約した。


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第1日 香美-高知
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□ 高知空港

羽田から高知空港に着く。
空港は高知市ではなく南国市にある。愛称は高知龍馬空港。
1944年に 海軍航空隊基地として建設された空港だから、海軍創設に奮闘した龍馬にふさわしいという判断だろうか。
この基地からは特別攻撃隊も出撃したという。
レンタカーを借りて、空港からすぐ近く、大湊小学校付近にある掩体壕(えんたいごう)に向かった。

□ 前浜掩体壕群(まえはまえんたいごうぐん)

前に掩体壕の写真を見たとき、巨大な建造物と思い込んでしまっていた。実際に着いてみると、田んぼの中に、小さなアーチ状のコンクリートの塊が、チンマリとあった。7基あるが、どれも同じくらいに小さい。

田んぼの中にある掩体壕 今は農作業の道具などを置く小屋がわりに使われたりしている。戦闘機を格納するどころか、耕耘機にちょうど手頃。
屋根部分は、空からの爆撃をかわすために土で覆い、草を植えてあったという。

ウイーンで、やはり第2次大戦中の対空攻撃のために作られた高層ビルほどに巨大なコンクリート建築を見たことがある。あまりに大きく堅固で、壊せずに残っている。(中には水族館に転用されているのもあって、けっこうおもしろい仕掛けになっていた。)
日本製の施設を見ると、いかにも農耕民族の戦争だったという感じがした。

ウイーンのHaus Des Meeres-Vivarium Wien。元は対空砲火をする高射砲台だった。同種のものが郊外にも残っているが、これは市街地にあり、水族館に転用されている。
→[山を歩いて美術館へ-カーレンベルク山からウィーンのミュージアムと建築]

* 車で東に向かう。途中、土佐くろしお鉄道の起点の御免駅を通りかかる。いかにも現代的な新しい駅になっている。ずいぶん前に、この駅で乗り換えて安芸市に向かったことがある。当時どんな駅だったか覚えがないが、とてもローカルな駅だったはず。年月の経過を思ってシミジミする。

□ アンパンマンミュ-ジアム
http://www.anpanman-museum.net/

合併前の香北町で、総合文化会館を建て、その一角に「やなせたかしコーナー」を設けるつもりでやなせたかし氏に相談に行ったら、作品や資金を提供すると申し出があり、1996年にアンパンマンミュージアムができた。
ミュージアムは単純な大きな立方体。
中に入ると、大きな階段があり、脇の小書棚の本を階段に腰掛けて読める。
導線は、ちょっと迷路じみていて、動く仕掛け、さわれる仕掛けがいろいろあって、子ども連れで来たら楽しい。

大勢の入館者があり、2年後には「詩とメルヘン絵本館」も完成した。
そこで『山田かまち~17歳の青い棘~展』を開催中だった。
山田かまちは高崎高校に在学中にエレキギターの練習をしていて感電死した。絵の才能を井上房一郎に認められ、高崎市にはかまちの美術館がある。
井上房一郎の足跡をたどっているが、四国に来てかまちに会うとは意外だった。
かまちの絵は熱く、見ていて、ヒリヒリしてくる。

■ アンパンマン図書館-正面にアンパンマンが立つ
高知県香美市香北町美良布1103-4 tel. 0887-59-4550

香美市には図書館が3館あるが、そのうちの香北分館はアンパンマン図書館。
ミュージアムから歩いて5分ほどのところにある。
一般書のほかに、アンパンマンミュージアムの名誉館長であるやなせたかし氏から所蔵の図書を寄贈されている。
1930年築の、もと美良布信用販売購買組合の建物を転用している。黒い金庫の扉をそっとあけて見せてもらうと、中は書庫!

正面玄関の庇の上には、アンパンマンがすっくと立っている。
(ミュージアムの入口に立ってたのは、なぜか巨大バイキンマンだった。)
アンパンマン図書館の正面にアンパンマン像が立つ

* 高知市街に入る。

□ 沢田マンション

今度の旅行で、ふつうのガイドブックにはなさそうだけどぜひ見たかったのが、掩体壕と、この沢田マンション。
故・沢田嘉農・裕江さん夫妻による自作増殖建築。100世帯を目指して建ててきて、今も子どもたちが引き継ぎ、変貌しながら息づいている。

沢田マンションの外観 自在な感覚にあふれている。これを見ると、世の大半の建築が、窮屈でありきたりで退屈に見えてしまうというほどのもの。僕にとっては、以後、建築を見るうえでのひとつの基準になる。

あとで古庄弘枝著『沢田マンション物語』を読むと、2人のとても厳しい生き方から成り立ってきたことがわかる。あっけらかんを完成し、維持するには、たいへんな非・あっけらかんの積み重ねがあった。

■ 牧野富太郎記念館牧野文庫-線の快楽
高知県高知市五台山4200-6 tel. 088-882-2601
http://www.makino.or.jp/

高知県立牧野植物園は内藤廣の設計で作られた。
内藤廣は、建築には自然から学ぶことがたくさんあると考えている。だから学生にも「魚料理を食べたらじっと骨を観察しなさい。変人扱いされますが(笑)」と勧めている。
園内にある牧野富太郎記念館展示館でも、屋根を支える構造が肋骨を思わせる。なるほど動物・自然に学ぶ人の仕事かと納得させられる。
牧野富太郎記念館の展示館の内部

そこに展示してある牧野富太郎の植物画にも魅せられる。牧野の線はすごい。研究の記録のための図だから、正確に描いてあれば目的は達するが、それ以上のものがある。牧野の描いた線を目でたどるのは、目と脳の快楽で、生半可の美術家の線が貧弱に思えてしまうほどだ。

牧野文庫は、牧野富太郎記念館本館にある。牧野の植物画など58,000点を収蔵しているが、資料を見るには事前の申請が必要になる。
収蔵庫の一部がガラス張りになっていて、書架、収納棚が並ぶ内部を一部だけ見られるようにしてある。こんなところにこもって、毎日眺め暮らして、快楽にひたっている-なんていうのを想像すると、ボルヘスの短篇みたいだ。

● いざかや菜香家
高知市追手筋1-3-28 tel. 088-824-6584

夜、はりまや橋近くで、風情にひかれて入った。2階の座敷に上がり、細い路地を見おろしながら、妻と一杯。
高知といえばサカナだろうけれど、自社農園の無農薬有機野菜がウリの店だった。
野菜の串焼き、山芋のお好み焼きなんて、さすが。サカナ系も、うつぼの唐揚げを食べ、やはりカツオのたたきも欠かせない。
酒は司牡丹。学生のころ四谷に「司」という飲み屋があり、そこでこの酒の名に初めて出会った。ずいぶん年月を経て高知に来て、その酒がこちらのものだと知った。(こんなボンヤリしたことが僕にはよくある)

● とまりぎ
高知市追手筋1-4‎088-823-6404‎

司馬遼太郎と須田剋太は『街道をゆく』の檮原街道の取材で1985年に高知を訪れた。檮原は長く司馬が憧れていた土地で、高知に泊まった夜、翌日には檮原に向かうというのに、檮原の人が経営する飲み屋に行く。
それが「とまりぎ」で、店は今もある。
(気楽な居酒屋ふうの店を想像していたが、バーだったので、いざかやで食事をしてから、再度行った。)

司馬を迎えた女性の息子である高橋正行さんが、店を継いでいる。もう70代になる母は、今も店に毎日ではないがこられるということだが、今日はあいにく不在で、残念だった。
息子さんも司馬のことは話にきいていて、司馬と「速記をする人」と2人だったという。須田剋太は来なかった。須田はまったく酒を飲まないし、司馬と違って、土地の人と会って土地の話を聞き土地の風土を知ろうというような気持ちはなかったのかもしれない。
司馬遼太郎がここに座ったという席で記念写真をとる。

● セブンデイズホテルプラス
http://www.7dayshotel.com/top.html

歩いて5分ほどのところのホテルに泊まる。
スタイリッシュで快適で朝食付きで2人で8,000円。◎。

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第2日 高知-梼原
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□ 高知駅

朝、高知駅まで散歩。牧野植物園と同じ内藤廣が設計して、昨年(2009年)できた。ここも、地面から立ち上がって屋根で結び合わさる柱が、動物の肋骨のようだった。

□ 桂浜
海を向いて大きな龍馬像が立っている。台座も高いので、ひときわ龍馬が高い位置にある。
浜辺は暑かった。

□ 高知県立坂本龍馬記念館
http://www.ryoma-kinenkan.jp/

龍馬の手紙がいくつも展示してあった。
カタカナを多用した手紙とか、わが国初の新婚旅行といわれる霧島山登山の挿絵入りの手紙とか。
とても幕末に世の中を変えようとキリキリ生きていた人とは思えない。持ってまわった言い方をしないで、あけすけに磊落にくだけた言葉を使う。むしろ、そんな柔らかい発想だから、変動期に大きな役割を果たせたろうかと思う。

坂本龍馬記念館の大胆な外観 コンペで選ばれた建築は、立方体が2つ、海に突き出している。
設計者の高橋晶子は、坂本龍馬のロマンをキーワードに設計したという。
展示を見ていくと、最後に、海に突き出す立方体の最先端に至る。正面と左右の3面が透明なガラスで、海を見おろしながら、海に向かって浮いているような感覚になる。

設計者は「海と空と陸が出会う場所」「海をながめながらたたずまう場所」という。海に憧れ、海外へ行くことを夢見ていた龍馬へのオマージュであり、ここを訪れる人が龍馬の想いを追体験することになる。設計者にとって、ロマンをキーワードに設計した建築として、ここがいちばん強い意味があるところだろうし、来館者もあっと息を呑むような景観が展開すべきところだ。

ところが、海に向き合う正面の、一面のガラスの面のすぐ前に、ありきたりの長机を置き、アンケート用紙と鉛筆が置いてある。視界を妨げもするし、海への眺めと想いにひたるべきところで、場違いな雑音になっている。絶景の海を前にしてアンケート用紙に「感動した」と書かせたいのだろうか。
よい建築が建っても、あちこちに注意書きだのポスターだのが貼ってあったり、せっかくの庭への出入り口が(たぶん管理上の都合で)カギがかかっていたり、ここからの眺めがいいと写真をとろうとしたら、手前の芝生に「立入禁止」の札が立っていたり、というようなことはしばしばある。
しかし、こうまで、もっとも重要なポイントで、すっかり台無しにするようなのは初めてのことだった。
坂本龍馬の想いへの共感とか敬意とかはないのだろうか。
入館者に、龍馬とこの土地への想いを深めてもらおうというもてなしの気持ちはないのだろうか。
アンケートが博物館の運営上必要な事情はわかるが、出口付近にでもそっと置けばいいもので、ハイライトを浴びる舞台の中央に置くことはない。
「そげんところにおいたらいかんぜよ!」

*ここに薩長同盟に坂本龍馬が朱で裏書きした文書のレプリカがあったが、その後三の丸尚蔵館で原本を見た。
松竹大谷図書館・外務省外交史料館

□ 高知県立図書館-高知城の東
高知県高知市丸ノ内1-1-10 tel. 088-872-6307
http://www.pref.kochi.lg.jp/~lib/index.html

県立図書館は、高知城がある高知公園の中にある。 高知県立図書館のがっしりした構え

坂本龍馬の出身地の図書館らしく、就職支援のための「海援隊」があり、龍馬ゆかりの観光地などを案内する資料を集めた「観光情報ステーション」がある。

「ヤマキン・ライブラリー」と書架に表示された、IT関係の図書を集めた一画もある。山本貴金属地金という、貴金属と歯科材料を扱う会社の寄付金により購入した図書が置かれている。美術館では作品や基金を寄贈されることはそう珍しくない。でも、図書館では、個人がコレクションした、まとまった蔵書を寄贈されることはあっても、企業などから購入費の寄付を受ける例は少ないようだ。資料購入費を減らされている図書館が多いが、こういう動きはもっとあっていいと思う。

今の図書館は1973年に建ち、老朽化が進み、収容能力も当初の想定を越えている。単独移転構想、複合施設構想が実現しないで消えたあと、2007年には県知事と市長が会談し、県市が連携する図書館という方向性がでてきた。
市内に2箇所の候補地もあがっているが、その後進展は見えていないようだ。

県市の連携施設ということでは、長崎歴史文化博物館の先例がある。県側で担当したのは教育委員会ではなく、首長部局の企画担当で、観光政策、まちづくりの重要拠点という位置づけで推進され、誕生した。
2005年に開館し、指定管理者として乃村工藝社が入った。県立のミュージアムの全国初の全面的な運営委託でもあり、初代館長に前常磐大学学長で、ミュージアムマネジメント学会の会長でもあった大堀哲氏が就任し、博物館界からはたいへん注目された。
長崎で生まれた亀山社中が、高知の海援隊になったように、この動きも長崎から高知に伝わっていくかどうか。

■ 高知市立市民図書館-高知城の南
高知市本町5-1-30 tel. 088-823-9451
http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/20/2010/

市立図書館は、高知公園から南に堀を越えて市役所の隣にある。
正面玄関が2重にあるような妙なつくりだと思ったら、1967年の本館の前に、1991年の新館がかぶさるように増築されたようだ。
閲覧室などは落ち着いたつくりで、ゆったりと本に向き合っていられそう。

写真右にある正面入口のガラスのドアを囲む枠が、たぶん土佐桜という石灰岩で作られている。
(後述の横倉山自然の森博物館を参照)
高知市立図書館の入口ロビー

1949年開館で、「市民図書館」と名乗った最初の図書館らしい。
図書館の要覧に「市民図書館の歌」が掲載されていた。図書館の歌をもつ図書館は珍しいかもしれない。4番まであって、それぞれ最後に「われらのわれらの市民図書館」とつく。

● 得月楼
http://www.tokugetsu.co.jp/index.html

月をテーマにしている友人から、高知に行ったらここにと勧められていたので、昼食にした。妻は旬のお弁当2,625円。僕は鮎屋膳2,940円。
谷干城が西南戦争のあと月見の宴をして「得月楼」と名づけたが、もとは宮尾登美子の小説にもあるように「陽暉楼(ようきろう)」。
話し上手な店の人にきくと、そういういきさつはあるが、月に関する催しなどがあるわけではなく、200鉢もある盆梅が名物で、梅が咲く時期はとてもみごとだという。

谷干城は坂本龍馬をあつく尊敬し、龍馬が暗殺されたときに駆けつけた人。
離れの広間には、ジョン万次郎からきいた海外事情を坂本龍馬に伝えた河田小龍の鍾馗の絵があり、何かと龍馬に縁がある。

* 高知市を出て、梼原(ゆすはら)に向かう。

□ 千枚田 坂本龍馬脱藩の道 茶堂

当別峠のトンネルをくぐってから細い道を上がるとちょっとした展望所にでる。
みおろすと千枚田。『街道をゆく 檮原街道』で、須田画伯が「こんな雄大な造形は見たことがない」と「背を反らせてしまった」ところだ。
通りがかる旅人をもてなしたという茶堂が復元され、山に入っていく小道には「坂本龍馬脱藩の道」という標識が置かれている。

□ 梼原町総合庁舎・ゆすはら座
http://www.town.yusuhara.kochi.jp/

梼原は、かつて遠方にある不便な町と認識されていたようだが、今は、先進的で豊かな町になっているように感じた。
風力発電で得た収入を森の維持経費に使う。その木を地元の建築にできるだけ使っていく。
町の中心には、素材を生かす建築で知られる隈研吾設計の役場の庁舎があり、高知県下では唯一の木造りの芝居小屋の「ゆすはら座」(旧・梼原公民館)が移築され、通りも整備されて建築的眺めになっている。

□ 地域活力センターゆすはら・夢・未来館

図書室からの役場の庁舎 町の庁舎の向かい側に長い名前の複合施設があり、その2階に図書室がある。
写真は、図書室内から町の庁舎を望む。

□ 三島神社・坂本龍馬脱藩の道

町外れに三島神社がある。
地元産の杉を使った屋根つきの橋がかかっている。
この神社で、司馬遼太郎と須田剋太は夕食をとり、神楽を見て、司馬は文を書き、須田は絵をかいている。
ここにも「坂本龍馬脱藩の道」の標識があり、細い山道が森の奥に向かっている。

三島神社わきの脱藩の道

福山雅治主演の放送が始まってから、僕は龍馬ファンになった。大河ドラマは、妻が見ているのが聞こえてきて、おおざっぱな展開が何となしわかるくらいでいたのだが、今年は楽しみながら見て、次週が待ち遠しくなっている。
なぜひかれるかといえば、福山龍馬の魅力はもちろんとして、「脱藩」が鍵だと思えてきた。

そう思って考え直してみると、僕がひかれる人は、「脱藩」とか「越境」とかしている人が多い。
井上房一郎は、建設会社の経営者でいながら、文化支援にたいへんな力を注いだ。
ブルーノ・タウトは、ドイツからロシアへ行き、日本に逃れ、トルコで死んだ。
アントニン・レーモンドは、チェコからアメリカへ行き、日本に来た。
竹久夢二は、叙情画家の人気と安定を捨て(関東大震災で断ち切られたという理由が大きいとしても)、芸術学校を創設するために渡欧し、病をえて帰国して、富士見高原病院で寂しく死んだ。
須田剋太は、関東平野の穏やかな、特徴のない町に生まれながら、西へ西へと行き、独特の個性と表現世界を持つ人になった。
小泉淳作さんは、フランス文学を専攻したが、日本画家になった。
重本恵津子さんは、若い頃には北九州を出て東京に向かう。高齢になってからも書斎の物書きから女優になる。
大江健三郎さんは、四国から東京に出た人で、「脱藩」的意識はないとしても、『沖縄ノート』で、しきりに「このような日本人でないところの日本人へ」ということを書いて、いわば「脱国」を意図した。
このところMLA連携(ミュージアム、図書館、アーカイブの連携)などということにとりわけ関心が深いのも、理屈はあるが、心理的な根は同じ、境を越えたいというところにあるように思う。

前から僕の座右の銘は「ローリング・ストーン」で、コロコロ転がっていくこと。ひとつの所にとどまらないこと。
それが脱藩とか越境とかにひかれることに通じている。
自分が今いる場所や、社会的所属や、その属する世界の価値観に、ひたりきって安住してしまわないこと。

ただし「脱藩」は代償を伴いかねない。
脱藩した先ではよそ者であり、脱藩した元の地では故郷を捨てた者として忌避される。根無し草であり、存在感が希薄になる。脱藩した先での地位は望めない。成熟とか熟練とかに至らないかもしれない。
そうしたリスクを覚悟のうえで、それでも脱藩し、越境していく。

土佐を脱藩した藩士については、司馬遼太郎はこう書いている。

 まことに、幕末、土佐脱藩の士はよく死んだ。
 かれらは、幕末のほとんどの事件現場で屍をさらした。
 その屍の上に明治維新があるのだが、革命の果実が新政権の大官になることとすれば、脱藩者のほとんどがそういう果実をえていない。(司馬遼太郎『街道をゆく 梼原街道』)

そして、

「土佐人の屍体は、薩摩のイモ畑のこやしになり、長州のミカン畑のこやしになった」とよくいわれる。薩長に果実を食べさせた、ということである。

この旅で、高知の人から、「高知の人はあまり龍馬ファンではない」と聞いたことがある。
また坂本龍馬記念館への入場者に、高知の人の割合は低い。
龍馬たちの活躍は、土佐人にとっては、結局あまりおもしろくない事態になったということがあるかもしれないし、そもそも「脱藩」ということは、もとの「藩」への何かしらの否定・批判を含んでいる。
「予言者、故郷に入れられず」という言葉があるとおり、広く認められる業績をあげた人でも、生地では歓迎されていないことがしばしばある。
坂本龍馬記念館は、土佐の人が組織する「龍馬生誕150年記念事業実行委員会」が推進母体となって計画し、募金し、建設して、県に寄附した。そういう熱い支持はもちろんあるとしても、土佐の人の中には、手放しで肯定できない、いくらか屈折した思いがあるかもしれない。

● 雲の上のホテル
高知県高岡郡梼原町太郎川3799-3 tel. 0889-65-1100
洋室(3ベッドルーム)、1泊2食13,650円/1人

町の中心部から離れたホテルに泊まる。
ここも役場の庁舎と同じ隈研吾による建築で、ガラスと木と紙をいかして、すっきりとして明快。
夕立があがって、また明るくなった外の景色を眺めながら夕食をとる。
つゆどきに来て、たまに雨があったが、ちょうど車で移動中だったりして、まったく傘を使わずにすんでいる。
朝も、レストランにはガラス越しに日が射してくる。
いい建築に、いい料理に、いい天気。
満ち足りる。

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第3日 越知-高知
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□ 四国カルスト

北に向かって地芳峠に上がる。この先は愛媛県になるが、東に折れて、四国カルストという石灰岩地形の尾根を走る。
霧が濃い。ときおり緑の草原に白い石灰岩がまじる風景が現れ、放牧の牛が現れ、ぶるんぶるんと回転する風力発電の翼が現れる。

□ 越知町立横倉山自然の森博物館
高知県高岡郡越知町越知丙737-12 tel.0889-26-1060

横倉山は、地質的に特異な地域だったし、牧野富太郎のフィールドだったし、安徳天皇がいた伝説があるし、博物館は安藤忠雄の建築だし、いつか来てみたいところだった。
でも、そんなことをひととおり展示してあるといった、あっさりした印象だった。
3階の展望ロビーはいい眺めで、仁淀川にかかる沈下橋も見えた。

「土佐桜」という-清酒の銘柄ではなく-石材があると説明してあった。横倉山産の日本最古4億年前の石灰岩で、赤道付近で形成された。
高知市民図書館の正面玄関や国会議事堂の衆議院第一議員会館にも使われているという。高知市民図書館でじっくり見ておくのだった。

□ 牧野富太郎生誕地・青山文庫・司牡丹・大正軒

高知に戻る途中、佐川町に入る。
牧野富太郎生誕地跡には碑が建っている。
青山文庫には龍馬の手紙など、おもしろい資料があった。
司牡丹は、坂本龍馬の本家「才谷屋」と取引があったという酒屋さん。
大正軒は、『街道をゆく』の取材のとき司馬遼太郎らが食事したうなぎの店だが、予約でいっぱいで入れなかった。
こういう場所がふらっと歩ける範囲内に集中している。

□ 高知県立美術館
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/

企画展のあいま。常設展は、シャガールの版画1シリーズに、絵金の作品2点だけ。いいコレクションがあるのに、常設展示室があまりに狭い。

* 高知空港17:15発、羽田空港18:35着。
左の席に座ったので、離陸してまもなくに、鳥羽から知多半島が見えてきた。
あとは高空から本州の南の線を見おろしながら移動していった。
渥美半島 浜名湖 御前崎 広い天竜川、細い太田川。
宇宙飛行の視点にかなり近かったかもしれない。
富士山がシルエットになり、伊豆半島があり、伊豆大島の滑走路がある。
房総半島の上空に来ると、西からの逆光を受けて、銀幕のような海面につや消しの陸のコントラストが広がる。
木更津から道が東京湾に伸び、海ほたるで途切れる。
羽田の新しいD滑走路を見下ろしながら、左に旋回して、着陸する。
今まで最高の飛行だった。こんなふうにアジア大陸の南べりを、あ、インド、あ、ベトナム、なんていう具合に飛べたらすごい。


(2010.7月 no.38)
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参考:

  • 『しらべる戦争遺跡の事典』 十菱駿武・菊池実/編 柏書房 2002
  • 『沢田マンション物語』 古庄弘枝 情報センター出版局 2002
  • 『ROADSIDE JAPAN!珍日本紀行 西日本編』 都築響一 ちくま文庫 2000
  • 『街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち、梼原街道』 司馬遼太郎 朝日新聞出版朝日文庫 2009(新装版)
  • 『高知県立坂本龍馬記念館』 新建築1988年9月 1992年1月
  • 『構造デザイン講義』 内藤廣 王国社 2008
  • 『龍馬の手紙』 宮地佐一郎 講談社学術文庫 2003
  • 『沖縄ノート』 大江健三郎 岩波書店・岩波新書 1970