大連図書館 −旧植民地では図書館が重視されていたこと
 (付録:新型インフルエンザ?で隔離される)


新聞をめくっていて、「大連に3泊4日で4万円」というクラブ・ツーリズムのパック旅行の広告に目がとまった。
むかし、清岡卓行の『アカシヤの大連』を読んで、その言葉の響きにひかれていたのを思い出したりして、衝動的に参加を申し込んだ。
団体旅行は勝手に動き回れないから欲求不満になりかねなくて敬遠しているのだが、この価格はすごい。
航空運賃だけにしても安い。
ホテル代だけにしても安い。
食事も全部用意される。
これなら多少の不自由は我慢できる。
空港使用料やら燃料サーチャージやら含めても、妻と2人分の支払額が7万円ほどだった。

安さにひかれて申し込んだのだが、大連は図書館の歴史にとって重要な都市なのだった。
1920年には第15回全国図書館大会が大連・奉天で開かれている。ほかに1935年には第29回大会がソウル、1937年には第31回大会が「満州国」で開催されている。
僕は昨2009年第94回の神戸大会に参加したが、その回数には植民地での開催も数えられているわけだ。

植民地政策を遂行した満鉄(南満州鉄道株式会社)は図書館を重視し、図書館が重要な役割を果たしたという一面がある。
また、若手の司書が植民地に渡り、古いしがらみのない地で大きく能力を開花させたという一面もある。敗戦後の日本の図書館の復興には、その人たちの貢献が大きかったという。
戦後、満鉄図書館の蔵書がどうなったか、満鉄図書館で活躍した人が日本に戻ってどんな働きをしたか。
ポロっと行く気になった大連の図書館には重い意味がありそうだが、なにしろパック旅行なので、限られた時間に「これがその歴史的図書館か」と、外からだけ眺めてきた。

■ 大連図書館(→大連市圖書館)

1906 南満州鉄道株式会社(満鉄)設立
1907 満鉄調査部に図書室ができた
1919 大連図書館開館
1986 現在の大連図書館が市街南部に建設され、旧満鉄図書館は魯迅路分館(日本文献資料館)になった

旧満鉄本社の向かい側に旧大連図書館がある。本社も図書館も別な場所からの移転を経てきているが、向かい合って落ち着いたところに、図書館を重視したことがうかがえるようだ。
今は新しくできた大連図書館の分館に位置づけられている。
時間もないし、入っても手続きなどわからないし、外から眺めただけ。
大連図書館

■ 旧東本願寺(旧大連図書館書庫)

大連の東本願寺は1934年竣工。
戦後は「満鉄図書館蔵書楼」と称して大連図書館の書庫として使われた。
その後、1997年に改築され、大連京劇団の稽古場になった。数年前のガイドブックを見ると、週1回くらい京劇の公演があると記されていた。

今は大連雑伎団の舞台になっている。
外観は日本の寺のまま。
中に入ると、かつては仏像が安置され、僧が読経したはずのところが舞台になっている。
太い丸い柱に囲まれた平面に座席が装備されている。柱は赤く塗られて、いかにも中国ふう。
旧東本願寺(旧大連図書館書庫)

雑伎団といっても、狭い舞台の上のアクロバット程度。ほかに京劇の仮面の早変わりと、大連のモデル学校の女性3人による、小ファッションショーがまじる。
中身のショーは、どれも感激するほどのものではなかったが、異様な舞台設定が強く印象に残った。

■ 大連藝術展覧館

元はロシアが1902年に、東清鉄道汽船会社の社屋として建てた建物で、ドイツ人の建築家を招いて造ったので、ドイツ風ハーフ・ティンバー様式になっている。
一時、満鉄日本橋図書館として使われた。
今は大連藝術展覧館という、いわば美術館になっている。
大連藝術展覧館

「大連油画家作品展」を開催中で、10元(150円くらい)を払って入館した。
洋館の壁に小さな作品が並んでいる。展示施設への改装はオシャレじゃないし、作品のレベルも低い。中国のトップクラスの現代美術は隆盛で、国際的にも評価されているが、裾野は広くないということかもしれない。

□ 北九州市立国際友好記念図書館(参考)
北九州市門司区東港町1-12 tel. 093-331-5446

北九州市・大連市友好都市締結15周年を記念して、1994年に門司港のレトロ地区に、1902年の東清鉄道汽船会社の複製が作られた。
どういう事情でか、複製建築の用途は図書館になった。とはいっても観光施設の要素が大きく、2階が中国・アジアの文献を収蔵した図書館であるほか、1階はレストラン、3階は資料展示室にされている。

僕は2005年に門司港あたりを歩いたことがある。
開館まもない長崎歴史文化博物館や九州国立博物館を見たあと足を伸ばしたので、この図書館まではゆっくり見る余裕がなかった。その後に図書館勤めになることがわかっていれば、きちんと見ておくのだった。

大連の本家は大連の歴史的建造物の多くがそうであるように、いろいろな用途に使われたあと、戦後、解体されてなくなっていた。
門司の複製建築には、大連市近郊で採れた御影石(花崗岩)と、大連市の工場で焼かれた煉瓦が使われた。完成後、その建材を逆輸入して大連にも複製建築ができ、芸術展覧館として開館した。
ドイツ、ロシア、中国、日本が複雑に入り組んでいる。

□ 旧・大連自然博物館

大連藝術展覧館付近はロシアが建設した市街地で、今も露西亜といわれる。
展覧館を入口とする通りを先まで行って突き当たると、旧・大連自然博物館の建物がある。
元は東清鉄道事務所。その後、ダーリニー(大連)市役所→遼東守備軍司令部→関東州民政署→関東都督府民政部→満鉄本社→大連ヤマトホテル→大連医院→満州資源館→大連自然博物館とかわった。

大連自然博物館は、海辺の星海公園近くに1998年に移設され、旧・大連自然博物館は、さまざまに使われてきたが、いまのところ何も使われていない。

その新しい自然博物館にも、旅順からの帰り道に行った。
中国だからずごい恐竜化石があるかと期待したが、それほどではなかった。
博物館の職員がさらっと中を案内してくれるのだが、最後にセールスがあって、驚いた。
文化大革命のときに紅衛兵がブルジョワ(と目された)家から文物を略奪した。終息しても所有者が特定できなくて返還できないでいる−と説明があって、最後に案内された部屋には、豪華な戸棚がいくつも並んでいる。どの棚にも、玉やらガラスやら高級木材を使った、なかなかみごとな工芸品がいくつも納めてある。
「棚ごと売ります」という。「あるいは1品ごとでも気にいればどうぞ、これ、欲しくないですか?」
結局1品も売れなかったが、博物館のなかでこういう商売があるとは思わなかった。中国では他にも「営業」している博物館があるらしい。秘密っぽくするからいかがわしげになるが、他の国でもミュージアム・ショップがあるのだから、売っていいものならもっと洗練されたスタイルで堂々と売ればいいのにと思う。

参考:

  • 『ずぼん 特集・図書館人が植民地でやったこと』no.3 ポット出版 1996
  • 『遺された蔵書 満鉄図書館・海外日本図書館の歴史』 岡村敬二 阿吽社 1994
  • 『書香』平成18年6月
  • 『韃靼 (満鉄社員会叢書)』 衛藤利夫 満鉄社員会 1938
  • 『満鉄大連図書館蔵書目録』 全20巻 ゆまに書房 1998
  • 『全調査 東アジア近代の都市と建築』 藤森照信・汪坦 筑摩書房 1996
  • 『図説 大連都市物語』西澤泰彦 河出書房新社 1999
    『図説 「満州」都市物語』西澤泰彦 河出書房新社 2006
    『図説 満鉄「満州」の巨人』西澤泰彦 河出書房新社 2000
    参考書籍

 付録:新型インフルエンザ?で隔離される

1 風邪気味なのに旅に出る

旅行の数日前から風邪気味でのどが痛く、微熱があった。37度あたりで上がったり下がったりしていて、病院に行って、薬を処方してもらった。
出発をやめようかと思ったのだが、旅行前になると体調不良になるのはいつものこと。ちょっと具合が悪いといってやめてたら、旅行になんか行けなくなってしまう。
荷造りもしてあるし、妻と家を出てきた。

成田空港で健康に注意を呼びかける紙を渡された。37度を越えるとチェックされるから、不安な方は旅行をとりやめるようにと書いてある。
インフルエンザは38度以上の高熱になるのだから、37度あたりでウロウロしてるくらいなら大丈夫だろうと思ったのだが、37度で引っかかるとなるとアブナイ。でも、成田まで来てやめるようにといわれても、ウルトラクイズみたいにはいかない。

2 大連空港に着く

大連空港に着陸する。すぐには降ろしてくれない。係官2人がやってきて、乗客一人一人を検温していく。
懐中電灯のような体温計を乗客の額に向け、赤い光をあてる。筒の部分に表示される数字を読む。
(あとで調べたら「非接触式放射体温計」または「皮膚赤外線体温計」というものだった。大勢の人を調べるから短時間に、しかもいちいち消毒の手間などかからないことが必要で、「非接触式」が要点)
僕は、飛行機では気分はいいし、熱はなさそうだから、ひとまずこの段階でひっかかることはないだろうとそう心配はしなかった。
でも怪しげだった乗客が2人あったようで、どのようにしてかインフルエンザでないことが確認されるまで待たされた。
着陸から1時間近くたって飛行機を降りる。
ただ具合が悪いのと違って、かかっていたら他の乗客もひきとめてしまうことになることだから、やはりこの旅行は来るべきではなかったかと、うっすら後悔した。

3 帰国前夜に高熱になる

旅行中、あいかわらず微熱が続いていたが、熱に慣れてしまったか、たいして苦しい感じもなく、なんとか動き回っていた。
ところが、明日帰るという前の晩に、熱が上がった。38度台半ばまでなると、さすがにぐったりした。 タオルを水で濡らしてはあてる、ペットボトルに水を入れて、冷蔵庫にいれて冷やしたのをあてる、アクエリアスを飲む−とか、何とか物理的に下げようとするがなかなか下がらない。

4 帰国の朝、ガイドさんに助けを求める

ツアーのガイドをしてくれているのは郎さんという体格のいい青年で、大連市内に住んでいるから1日が終わると自宅に帰る。緊急のときには連絡するようにと携帯電話の番号を教えてくれてあった。
ホテルの部屋から電話して、事情を話すと、自分はツアー客を空港に送らなくてはならないから、別の人を行かせるとのことだった。

9時過ぎに、徐さんという若い女性のガイドが来てくれた。
荷物を持ち、チェックアウトしてから、タクシーで病院に向かった。

5 大連大学付属中山病院(旧満鉄病院)

がっしりと構えた立派な病院に着いたのは、10時ちょっと過ぎ。
タクシーを降りてから、ロータリーを正面玄関までやや歩く。
ただものではなさそうな建築なので、カメラを出してあわただしく写真を1枚撮る。
(あとで妻に「あんな状況で写真なんか撮って!」とヒンシュクされた。)
大連大学付属中山病院(旧満鉄病院)

正面玄関を入る。
中は現代的にすっきりしている。天井が高いので、余裕が感じられる。
太い柱も、床も、明るい色の大理石。
日曜日だから、通常の診察体制ではないのかもしれない。閑散としている。
左手に回り込んでいって、ホテルの喫茶室のような優雅な待合室に着く。
大連大学付属中山病院

ソファで待つ。体温計を渡されて検温すると、37度ちょっと。
日本にいる頃から風邪気味で、微熱が続いていたくらいだからインフルエンザのはずがない、経過を話せば大丈夫だろうと考えていた。

6 日本語の問診

簡単な壁で仕切られたくらいの一角で問診を受ける。医師は50代くらいか、日本語を話す。短い時間で切り上げて、ちょっと厳しい口調で、「熱があるならまず発熱外来に行くべき」と指示された。
10時半くらい。
飛行機は13時発だから、11時には病院を出たい。

7 10分の簡易検査

正面玄関に戻り、別棟の発熱外来に行く。
別棟は、装飾も何もない簡素な建物で、違う用途だったのを新型インフルエンザへの対応のために転用したらしい。平屋のコンクリートの箱に、必要な設備、備品をそなえただけ。はじめに入った優雅な部屋とは、すっかり様子がかわってきた。

今度は女医さん。日本語を話さないから、ガイドさんが入ってくれて通訳する。
コンクリートの床。壁際に長いテーブルを置いて、書類やらパソコンやらが置かれている。仮の診察室というふうで、野戦病院なんてこんな具合かもしれないと思う。

簡易検査のために採血される。
診察室を出て、廊下を進んで、案内してくれた看護士さんは別の部屋の中に入っていく。
僕は廊下で待つ。
部屋と廊下を仕切る壁には40cm四方くらいの窓があいている。古典的な映画館の切符売り場の窓口みたい。
なんと、その窓口から手を差し出して、採血されるのだった。
僕は廊下、看護士さんは部屋の中。
立ったまま。

ゴムバンドで止血して、静脈に針を刺し、採血するのは同じだが、ガーゼに染みこませた消毒液が茶色く、すんだあと肌にあてるガーゼが平たくなくて、丸っこい豆粒形で、ちょっとずつ違う。

結果は10分ほどでわかるという。
奇妙な形の椅子が並ぶ部屋で僕、妻、ガイドさんの3人で待つ。

やがてガイドさんが呼ばれる。
「簡易検査の結果がよくなかった。もう一度、7時間かかる検査する。採血とか、のどの組織をとるとか。」 
今日は帰れなくなった。

8 7時間の確定検査

妻と離れて僕だけ別室に連れていかれた。
ベッドと、脇に小さな物入れの箱がある。まるでもう入院患者のようだ。

日曜日だから検査する体制も整っていないのか、検査の人が来たのは12時過ぎ。
あらためて採血。さっきより採血量も多かったようだ。
それと口をあけ、のどのあたりを綿棒でこすって粘液を採取する。
「7時間もかかる検査」というので、しんどい検査がいろいろあるのかと恐れたが、それだけだった。
大連大学付属中山病院 病室

大連大学付属中山病院 病院

しばらくして、若い女医が看護士を伴って現れた。
Can you speak Chinese? ときかれ、
No. と答えると、
しばらくしてガイドの徐さんを伴って現れた。
今の症状、経過、インフルエンザに感染してる人と接触がなかったか?など。

ガイドの徐さんも防護服を着けている。全身をおおうのは、不織布だろうか。鼻や口も覆われているから、軽い宇宙服のようで、目が覗いているだけ。
徐さんは、笑みを含んだやさしいすてきな目をしている。質問を訳してもらいながら、それに答えながら、徐さんと目を合わせるのが、この憂鬱な状況のなかで、とても救いになった。
「ご協力に感謝します」という言葉を訳してくれたのが最後で、あとは待つばかりになった。

徐さんにはこのあと会わなかった。あとで妻にきいたら、妻とも会わなかったという。今は妻も濃厚接触者=危険人物だから、これ以上、接触させないという病院側の措置だった。お礼も言わないままになった。


結果がわかるのは夜の7時ころか、ただ待つしかない。
ひまになって見回せば、僕がいる部屋には「救急隔離室」と札がかかっっている。
廊下には、壁に直接「汚染区」と書いてある。
大連大学付属中山病院 汚染区の標示

反対側の窓からは、中庭を隔てて、本館の建物が見える。
プラタナスとアカシアがあって、その葉を透かして木漏れ日が窓に射している。
この眺めなら入院してもいいかなと、気持ちが休まる。
大連大学付属中山病院 病室


9 昼食の差し入れ

見つかるとまずいのだが、妻がバッグに入れてあったせんべいを持ってきてくれた。いくらか腹のたしになるが、のどがかわく。部屋の中に洗面台があり、水道の蛇口があるが、水道の水をそのまま飲むことはできない。中国の水は硬水だから、慣れない日本人が飲むとおなかをこわすという。

2時ころ、ツアーのガイドの郎さんが、ツアー客を空港で見送ってから病院に来てくれた。といっても、郎さんも病棟の中までは入って来られない。看護士さんと妻を経由して、パンとソーセージとペットボトルの水の差し入れが届いた。空腹はなんとか耐えるとしても、まだ微熱もあることだし、水分をとれないのはつらいことになりそうだったので、とても助かった。
朗さんも外で待っていて、また夕飯を差し入れてくれるとのこと。

10 解放

予想より早く、6時頃、解放された。
(素直に帰れれば、成田に着いて、スカイライナーにでも乗っている時間だ)
若い男性の医師と、看護士さんが隔離室にやってきた。
直接に向かいあっている者どうしは言葉が通じない。病院の外にいる郎さんに医師が携帯で説明する。次にその携帯を借りて、郎さんから通訳してもらった内容を聞く、という妙な事態になった。
結果は新型インフルエンザではない、外に出てヨロシイ。
ふつうの風邪ということになり、処方箋を書いてもらい、あとで外のドラッグストアで薬を買った。

病院では、昼前に入った被疑者?を夜までかかる検査で隔離室に置いても、なにもケアはなかった。病院にしてみれば、入院患者ではないし、検査結果を待っているだけの人としても、外部と接触を断っておいて結果がわかるまで放置というのはお国柄ということだろうか。
言葉のことにしろ、食事の差し入れのことにしろ、今回は団体旅行のありがたみが身にしみた。

でも、このあとはツアーとは別になるので、経費は自己負担になる。
今朝出たホテルに予約しなおして、また戻ってチェックイン。デポジット(保証金)こみの料金をクレジットカードで支払う。
郎さんに翌日の飛行機の手配もお願いした。できるだけ安くすむように手配してみてくれるという。いくらにしても、2人分の航空賃を払うほどの現金を持っていないので、航空会社にクレジットカードの番号を伝える。
ホテル代はそう高いものではなかったが、僕と妻とで、1日帰国が遅れたことを伝えるために数本の国際電話をかけてホテル代に近いほどの額になった。

11 夕食

僕らが泊まっている大連明珠酒店のすぐ近く、ラマダホテルの和食の店はおいしいと郎さんに教えられて夕飯に行った。
妻は、いいちこを飲みながら、えびの天ぷら。僕はウーロン茶に、銀だらの西京焼き。
そのあと、かっぱ巻きと太巻を食べた。日本にあっても上質なくらいの味で、しかも高くない。ツアー中、ずっと中華料理で、それはそれで満足だったけれど、疲れたときに和食のおいしいのをいただければひとしお。
郎さんにはすっかり世話になったが、この店を勧められたことにも感謝だった。

12 1日遅れの帰国

翌朝、あいかわらずの微熱だが、気分は悪くないので、中山広場まで散歩した。
現大連賓館、旧ヤマトホテルはツアーでも見学したのだが、あらためて中をゆっくり見学し、カフェに入ってコーヒーを飲む。

ホテルに戻って郎さんと落ち合った。空港まで送ってもらい、チケットの手配も順調にすんでいて、座席券を受け取った。
昨日は熱が高かったこともあるが、帰りの空港でひっかかるのも心配して病院に行ったのだが、入国時の厳重さに比べると、帰りは簡単だった。

旅に出るかどうか、悩みながら出たのだが、今回はめんどうなことになってしまった。
大連入国時に高熱だったら、他の乗客にも足止めや追跡調査などの迷惑をかけたかもしれない。
旅行社のガイドさんにも迷惑をかけた。
(にもかかわらず、とても親切に面倒みていただいた。)
でも、結果としてはふつうには入れない旧満鉄病院の中まで入り、中国での診察の様子も身をもって体験し、おいしい和食の店にも入り、ツアー中にはゆっくり見られなかった大連賓館でもゆっくりできた。
安さにひかれて参加したツアーなのに余分な出費をしたが、それだけの収穫もあった。

これから先、旅行の前にまた体調がおかしくなることがあるとして、行くべきか、やめるべきか、今度の旅行をどういう教訓にしたらいいのか、結局わからない。

* 旧満鉄病院
満鉄が建てた大規模な病院。1925年竣工、翌年開院。
アメリカのフラー社が設計し、工事にかかったが、日本人、中国人、朝鮮人が入り組む現場に対応できずに途中で工事契約を解除して、日本側があとを引き継いで完成させた。
同時期、フランク・ロイド・ライトが関わった帝国ホテルのいきさつと似たようなところがある。

* 海外旅行保険
加入していたが、今回のケースでは役に立たなかった。
海外旅行保険は、旅行中に発病した場合だけが保険対象になる。
旅行出発前に微熱があり、病院にもいってたので、こういうケースは保険の支払い対象にならない。
大連での診察時には、旅行保険に入っているということで支払わずにきたので、あとから病院か保険会社から請求がくるはず。(ビクビク...)


(2009.6月 no.1)