詩人・尾崎喜八の第37回蝋梅忌(2011.2.5)
+前橋煥乎堂・群馬県立図書館


新橋で白井晟一の展覧会を見てから、四谷に行って尾崎喜八の蝋梅忌に参加した。

□ パナソニック電工 汐留ミュージアム
  『建築家 白井晟一 精神と空間』


白井晟一の建築は、今どきの主流の白くて軽くて透明なのとは異質で、重くて閉じていて内部にたっぷりと闇をかかえているふうで、ひかれる。
都内なら渋谷東急本店先の渋谷区立松濤美術館。
飯倉交差点で異様な存在感を主張しているNOAビルなど。
建築だけでなく、書に生活の多くの時間を費やし、装丁の仕事もした。(僕が持っているのは、倉橋由美子『夢の浮橋』だけ。)

       ◇       ◇

白井晟一は、前橋の書店、煥乎堂(かんこどう) http://www.kankodo-web.co.jp/ を設計し、1954年に完成させている。
会場の解説によると、「精神や力の表徴を内包する」建築をという施主の要望にこたえて、吹き抜けに階段を置き、その中央に太い独立柱を立てた。まだ地方に図書館が整備されていない頃のことで、設計者は書店に知の集約施設の役割をみていたようだともあった。

白井晟一の随筆集『無窓』に、『煥乎堂について』という文章がある。
「施主はだまって設計者に骰子をふらせた。(中略)このような諦念にも似た徹底した信頼の中で終始した仕事は稀である。」と書いている。展覧会場の解説の文章では、はっきりした要求を施主がしていたように読める。
どちらが正しいのかわからない。

白井設計の煥乎堂が建った当時の社長は、詩人の高橋元吉。
煥乎堂では、創業の高橋常蔵、2代の高橋清七(1884-1942 常蔵の長男 スピノザ研究家)、3代の高橋元吉(1893-1965 常蔵の次男 詩人)と、個性ある人が続いた。
1975年には、2代の高橋清七の所蔵書を中心に 7,620冊が群馬県立図書館蔵に寄贈され、「高橋文庫」になっている。

白井晟一設計の店舗はすでに解体されている。
今の煥乎堂は、書籍のほかに、楽器販売や英語教室など、多角的経営をしている。本だけで成り立たないと悲観的に見るか、文化全般に関わっていると積極的に評価していいのか。
前橋の商店街は衰退傾向にあり、いろいろな努力がされているが、なかなか回復していないらしい。白井晟一の建築のような資産を残していけば、街の正統性を保証する蓄積になっていったろうにと思う。

       ◇       ◇

『無窓』には『日本にいた私の知らないブルーノ・タウトについて』という一文もある。タウトが日本にいた1933年から1936年頃、白井は欧州にいた。白井が帰国した頃、タウトはトルコに旅立った。
「全くすれ違いだったという他ない」のに「タウトを考えるとき、なにか胸中熱くなるものがあるのを感じるのはどうしたことであろうか。」と白井は書いている。
漂白の人タウトへのこうした感情は、タウトをどう評価するかはおいても、かなり広く共通しているように思える。

□ 蝋梅忌

第37回蝋梅忌:
2011年2月5日(土) 主婦会館プラザ・エフ9階スズランの間(中央線四谷駅前)
司会 野本元・堀隆雄
1 尾崎家あいさつ 尾崎榮子
2 NHKのDVD視聴『よみがえる作家の声』
3 講演 茨木孝雄(杉並区立科学館)『井荻日記』を読む−尾崎喜八が描いた武蔵野
4 懇談 乾杯/山崎猛(北のアルプ美術館長)
     −「串田孫一の書斎の復元は来年完成する」
5 新参加者スピーチ
  北鎌倉「笛」マスター夫妻 北のアルプ美術館・富士見町高原のミュージアム職員
6 富士見町近況報告 小松睦示(前教育長) 「分水の森を町で取得した」
7 尾崎喜八作詞の校歌の収集状況報告 牛尾孝
8 2011年「みずならの会」予告
9 朗読 尾崎榮子『大菩薩峠の思いで』(尾崎喜八未発表作品)


詩人・尾崎喜八を偲ぶ集まりである蝋梅忌では、毎回1人ゲストスピーチがあり、今日は僕の幼ななじみの友人、茨木孝雄くんが講演をした。内容は、ちょっと日が経ってしまったが、友人が勤める杉並区立科学館で2004年と2005年に開催した尾崎喜八講座のこと。
尾崎喜八は詩人だが科学知識の広く深かった人で、東京女子大学近くの井荻に暮らしていたころの日記に記された科学的観察を再現・検証しようというおもしろい企画だった。

蝋梅忌でも、話だけでなく、用意した簡単な器具による雲の発生実験などもまじえ、その日の雰囲気を再現して、いい講演になった。蝋梅忌の参加者は詩の愛読者のほか、科学的記述にひかれた人も多いから、興味深く聞かれた。 蝋梅忌での茨木孝雄さんの講演風景

参加されていたなかの新井正治さんから、僕が埼玉県立川の博物館の紀要に書いた文章が、「ゆきとどいたよい文章だったので印象に残っている」とお話しいただいた。
それは埼玉県立自然史博物館に在職したころ、山梨県北杜市にある清里フォトアートミュージアムから西村豊さんの写真をお借りして写真展を開催したいきさつを書いたものだった。
事前の打ち合わせに、西村さんがお住まいの富士見町にお訪ねしたとき、高原のミュージアムを案内していただいた。(西村さんは尾崎家の資料をそのミュージアムに展示するときに尽力されていた。)
僕はそこで尾崎喜八の詩に出会ったことから、ひかれて尾崎喜八の詩を読み始めたのだった。
杉並の科学館に勤める友人にも、杉並に住んだ詩人のことを伝えると、友人は周到な準備をして尾崎講座を開催するに至った。
「風が吹くと桶屋がもうかる」ような長いつながりになるが、その発端のことを書いた文章のことを、尾崎喜八を偲ぶ蝋梅忌で言われたわけで、縁のつながりの不思議さを思った。
そんなささやかな文章に目をとめ、覚えていてくれる人があるのもありがたいことに感じた。

尾崎喜八夫妻それぞれを1冊ずつの評伝に書かれた重本恵津子さんは、欠席された。
さいたまゴールドシアターの俳優として活躍しているが、映画にも出演することになって忙しく、今日もぎりぎりまで悩んだあげく、欠席されたとのことだった。
去年出演された『聖地』の台本をお借りしていて、今日返そうと持ってきていたのだが、あとにしよう。

(2011.2月 no.58)
ページ先頭へ

参考: