詩人・尾崎喜八の第38回蝋梅忌(2012.2.4)


尾崎喜八の命日に近い2月の第1土曜に開催される恒例の蝋梅忌に今年も参加した。
会場はJR中央線四谷駅前の主婦会館プラザ・エフ。
初めに、幹事の仕事を、長くされてきた野本元さんから、堀隆雄さん、石田二三夫さん、四ツ釜信一さんに交替することになり、あいさつがあった。

1 お話「父の思い出」 尾崎榮子
父・尾崎喜八が好奇心・探求心が強く、しかもおもしろいと感じたことには熱く打ち込んでモノにしてしまう人だったことが語られた。
家族にもその恩恵があって、音楽を楽しみ、高原を歩けば木や花の名を教えられた。
一面でそれはちょっとたいへんなことでもあり、さっき教えられたばかりなのにもう思い出せないこともあり、「チョウチョがこちらに飛んでこないように」願いながら歩いていたこともあったと言われる。

蝋梅忌で語る尾崎榮子さん

あとで付け加えて、穂高東中学校で今も「田舎のモーツァルト音楽祭」が継続して開かれていることが紹介された。

田舎のモーツァルト  尾崎喜八

中学の音楽室でピアノが鳴っている。
生徒たちは、男も女も、
両手を膝に、目をすえて、
きらめくような、流れるような、
音の造形に聴き入っている。
外は秋晴れの安曇平、
青い常念と黄ばんだアカシア。
自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
新任の若い女の先生が孜々(しし)として
モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。

2 乾杯 小林義郎
「今日は乾杯の音頭だけ」と言いながら、「もう尾崎喜八を直接知る人が少なくなった」と話し始めたので、「ビールの泡がすっかり抜けるな」と予想したのだが、すぐ思いとどまられて、早い乾杯になった。

3 ミニ・コンサート
北鎌倉の尾崎邸から坂を下ったところにある喫茶「笛」のマスター、山端通和さんが指揮して、笛の合奏と、全員でのコーラスがあった。
歌はFRERE JACQUES。楽譜が配られたが、歌詞はフランス語。栄子さんが軽く節をつけてひととおり発音を教えてから、3部に分かれてコーラスした。尾崎喜八が生きている頃の集まりはこんな雰囲気だったろうかと思う。

4 新参加者の3分間スピーチ
今年も数人の初参加者があり、3分間の自己紹介スピーチがあった。
僕の友人の浜島義雄くんもスピーチ。
古い友人だが、尾崎喜八ファンであることは、ほんの数年前まで知らなかった。尾崎喜八の集まりには僕が先に加わっていて紹介したのだが、わかってみれば友人のほうが野鳥好き、音楽好きで、僕よりよほど早くからの筋金入りの尾崎喜八ファンだった。
ほかに杉並区立科学館の茨木孝雄くんも去年に続いて参加していた。
尾崎喜八が杉並に住んでいた頃、あたりの自然を記した「井荻日記」を残していて、科学館でその記述を追体験する講座を開催したことがある。
(昨年の蝋梅忌でそのときの様子が報告された。)
浜島、茨木、僕は、たまたま同じ高校の卒業生。尾崎喜八とは縁もゆかりもない土地の高校の卒業生が、尾崎喜八を焦点にして揃ってしまった。人生の偶然の不思議がこんなところにもある。

5 報告

● ふじみ分水の森計画
尾崎喜八の一家が長野県富士見町で暮らした分水荘の跡地が町の所有となり、公園として整備が進んでいると、小松睦示さんから報告があった。

● 紐育男声東京合唱団
「創立20周年記念 第19回定期演奏会」が、浜離宮朝日ホールで、2012.3.17(土)に開催される。
男声合唱組曲「花咲ける孤独」(尾崎喜八の詩から数編とって多田武彦氏が作曲)がプログラムにある。

● 『大人になった虫捕り少年』(宮沢輝夫/取材・文 朝日出版社 2012)
読売新聞の記者が昆虫好きの人にインタビューしてまとめた本。
岡田朝男さんから報告があり、岡田さんは尾崎喜八にふれているとのこと。
(岡田さんをはじめ、アーサー・ビナード、養老孟司、白川英樹、中村哲とか、各界の偉人が並んでいる。昆虫好きということと知能や創造性はなにか相関関係があるのだろうか?)

● 地震講義
このところ小さな地震が続いていて、誰もが不安なところ。
元NHK解説委員で防災を専門とする伊東和明さんから、地震の確率について簡潔な解説があった。

● 北のアルプ美術館
串田孫一の書斎の移転・復元が進行している。
北のアルプ美術館開館20周年と「串田孫一の仕事部屋」公開に伴う記念講演がに開催される。
・2012.6.17(日)
・北海道斜里郡斜里町 ゆめホール知床 公民館ホール
・講演は登山家の田部井淳子氏
 (この準備のため、館長の山崎猛氏は今年の蝋梅忌には欠席された。)

● 笛ギャラリーの展覧会
・ 回想「高村光太郎 尾崎喜八」 その1 詩と友情
・ 2012.2/10-3/27
・ 鎌倉市山ノ内215 tel. 0467-22-4484(尾崎邸近く)

今年は演奏や合唱があり、楽しい催しの報告も続いて、例年以上に明るく楽しい集まりになったと僕は感じた。
次は斜里にも行きたいと思う。

       ◇       ◇

この日、尾崎栄子さんに新聞記事のコピーをお持ちした。
南八枝子さんが書かれた「洋画家南薫造の交友をたどる 浮かぶ文化人のつながり」という記事だった。(中国新聞2011.11.16?)

2011年の暮に、南八枝子さんからメールをいただいた。僕がしばらく足跡をたどっている井上房一郎に関わって、軽井沢の山本鼎の別荘のことをホームページに書いた。山本鼎がアトリエに使ったあと、内村鑑三、荒井寛方が別荘にしたと記した。
ところが南さんによると、荒井寛方の頃、別荘の半分は洋画家の南薫造(1883-1950)が使っていたというのだった。井上房一郎の足跡をたどっていると、いろんな人物が現れ世界が広がる思いがしてきたが、また思いがけない方角から新たな人物が増えた。
南さんのほうでは、内村鑑三−新井寛方のことは承知しておられたが、それより以前に山本鼎がアトリエにしていたことは僕のホームページで知り、根拠を照会してこられたのだった。
いくつかの本に「富岡製糸場の場長の大久保佐一が山本鼎のために軽井沢に別荘を建てた」という記述があるが、僕は残念ながらさらにその根拠となる物証のようなものは把握していない。
それにしても、別荘の位置関係などから、山本鼎に贈られた別荘が、内村鑑三、新井寛方、南薫造とつながる同じものと判断していいと思っていたが、その後、南八枝子さんから、荒井寛方の親族の方から「荒井寛方の前に山本鼎が住んでいたと聞いていらした」という有力な証言を得られたと教えていただいた。

南八枝子さんは、南薫造(1883-1950)の孫の妻で、南薫造の交友関係を調べて、『洋画家南薫造 交友関係の研究』(杉並けやき出版 2011)を出版された。
中国新聞の記事はその本を紹介する内容だったが(南薫造は今の市域では広島県呉市の人)、それによると、南薫造は高村光太郎とも親しかったという。
また南八枝子さんは柳田国男の孫でもあるが、南薫造は柳田国男に遠野物語を語るようにと佐々木喜善を紹介した水野葉舟とも親しかったとある。
尾崎喜八の妻の實子は、水野葉舟の娘で、喜八と實子の結婚にあたって仲人をしたのは高村光太郎であった。
もしかしたら尾崎栄子さんも南薫造について、何かご存知のことなどあるかと思って電話でお尋ねした。
とくにご存知のことはないとのことだったのだが、参考に蝋梅忌の折りにその記事をお持ちしたのだった。
(南八枝子さんの著書をお持ちすればいいのだが、好評ですでに品切れで手に入らない。山本鼎のことも加えて増補版が刊行される予定とのこと。)

南薫造にしても、尾崎喜八にしても、当時の豊かな交友関係がしのばれる。
こうした本の出版や、蝋梅忌の集まりなどから、また新たなつながりが広がっていくといいと思う。

(2012.2月 no.90)
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