海上の森・夢見る山から愛・地球博


2-5  愛・地球博の瀬戸会場−万国博覧会の最後に
     昼食に冷やし中華 海上の森・望楼 瀬戸愛知県館 


(実際に歩いた順序と、書いてるのと、時間が前後するけど、朝・長久手→昼ころ・瀬戸→午後から夜・もう一度長久手と移動した、昼ころのこと)

■ 昼食に冷やし中華

2つの会場を結ぶゴンドラが点検のために止まっていた日で、バスで瀬戸会場に移動した。瀬戸会場にあるレストランで昼食にするつもりだったが、入口近くで案内の人にたずねると、きっと混んでいるとのこと。長久手会場と違って、こちらにはあまり人が来ていないだろうという見込みは甘かった。
すぐ近くにある会場内コンビニで冷やし中華を買った。
前日に名古屋に着いて、夜、テレビを見ていたら、「アド街ック」が名古屋編で、名古屋では冷やし中華にマヨネーズをのせて食べると放送していた。
とくにそれを確かめようというつもりではなく、暑いので、口あたりがよくて、そこそこ腹にこたえるものにしようと思って選んだのだが、コンビニの冷やし中華にもきちんとマヨネーズがのっていた。
かつてマヨネーズがのったサラダうどんをよく食べていた時期があるので、それほど意外でもなかったのが、近頃、マヨネーズそのものをなんとなく敬遠しているので、かけずに食べた。


(これだけではたりないので、あと海苔巻きと野菜サラダも..)

■ 海上の森・望楼

設計:東京芸術大学北川原研究室+伊藤泰彦
海上の森の一部は瀬戸会場となり、「森林体感ゾーン」とされていた。
北川原研究室+伊藤泰彦が研究・実績を重ねてきた「ガラス+木格子構造」による望楼が作られていて、見にいこうとして案内所に行くと、1日数回、ツアーがでているが、今日はあと1回だけで、定員に達してしまっているとのことだった。
勝手に森に入っていくことは禁止されていて、諦めざるをえなかった。
長い行列ができる企業パビリオンは、はじめから諦めるつもりでいたが、森の中の望楼を見損ねることになるとは思っていなかった。
海上の森は、きのう歩いたからまだしも、望楼には未練が残った。

■ 瀬戸愛知県館

設計:第一工房
瀬戸会場は海上の森が始まる地点に作られた。
この建物は、万博終了後は、「里山学びと交流の森」というものになり、環境保護などに関わる団体の拠点となるが、万博期間中はパビリオンとしての機能も必要ということで、床面積1500uの恒久部に、同じ面積の仮設部をのせる、2段構えの建築になった。
下はタイルで仕上げてある。
上は、豊田市産の杉と檜で、会期終了後、撤去して、建設中の小学校に再利用するという。

ここでは映像も展示も、全館あげて森の大切さを訴えていて、そのことに異議はない。
ただ、どこかのブログに、(この館のことについてだったかは定かではないが)、愛・地球博がしきりに森や自然や環境の保護を訴えることについて、「そんなにいうならやらなければよかった」と、あっさりかいた意見があって、それも素直な感想としてありだなと思った。
愛・地球博全般に、どこかしら言い訳がましいところがある。
瀬戸会場を造成するために切られるはずだった高さ20mのコナラの木を、瀬戸愛知県館に移植してある。
大勢の人や、大きな機械が関わって、大きく根を残して堀り上げ、大きな車で移動して、館の一部に立ち上げる。
エネルギーと経費の浪費にさえ思える。
しかも、仮設部分に立っているということは、万博が終われば、結局、廃棄するのだろうか?
もともと博覧会は、すべてが一時的な演出にすぎないにしても、たった1本だけの木を移植したところでどれほどの意味があるのか、演出が過剰な気がする。






          ◇          ◇

100年ほども前にウィーンやパリやロンドンで万国博覧会が開催された頃は、そこに行くことにもっと夢や期待があり、それにこたえる驚きや衝撃があったろうと思う。
通信・交通が発達したおかげで、万国博覧会に行って初めて遠い異国の驚異にふれた−ということが起こり得なくなってしまった。ライブドアふうにいって、すべてが想定内のできごとにすぎない。
技術や表現や建築の、現在の最先端の様子がわかるということもなかった。
日本企業のパビリオンの映像システムついては、かなり新しいことが行われていたようだが、逆に映像依存は、万国博覧会でなくてもいい状況を加速しそうでもある。
コンピュータ仕掛けの映像システムは、パソコンでも実現可能だろうし、エンターテインメントとしてなら、ディズニーランドでいつでも高レベルなものを楽しめる。
この大きな国際博覧会で、ホンモノを見たという充実感が残ったのは、イタリア館の『踊るサテュロス』1点だけだった。
見そこねたマンモスも、ホンモノの感動があったかもしれないとして、せいぜいその2つ。

かつて文明開化の日本が、万博で自国をうりこもうとしたような熱気は、どこの国にもなさそうだ。
大国・アメリカ館にもロシア館にも行く気にもならなかったし、行列ができているともきかなかった。つまりどちらの大国も大した熱意で作っていないということだろう。
次期万博を開催予定がある中国館に通りがかりに寄ってみたが、つまらなかった。

文明の新しいあり方を展望さえるという点では、地球市民村のほうに未来を感じる。
一見、地球市民村のような、市民が主体になる活動は、「万国」博覧会という形式とはそぐわないようにみえる。
でも今回の万博では、じつは主役は、一度作ったあと解体されて別のものに再生される、目に見えるモノより、目に見えないITのシステムかもしれない。
観客の側でも、どうしたら人気のパビリオンに入場できるかという情報がとびかっている。
国が出展するパビリオンでも、クロアチアやカナダのように、国家の大状況を売り込むのではなく、個人のつながりをスタイリッシュな装置と映像で示していたのが、最先端のあり方かもしれない。
2005年の愛知万博は、「驚異のモノ」から「人と情報のつながり」への転換点となる万博で、今回は片隅にいる印象だった地球市民村的なものが、やがて主役になるかもしれない。

あるいは、ITの進展は、万博そのものを必要なくしてしまうこともありそうだ。
ある時間が経ったときに、この博覧会はどのような評価を受けることになるのか、もうしばらく生きていたい。



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