海上の森・夢見る山から愛・地球博


 豊田大橋・豊田スタジアム・豊田市美術館


■ 豊田大橋
設計:黒川紀章+パシフィックカンサルタンツ中部本社 1999

■ 豊田スタジアム(株式会社豊田スタジアム)
愛知県豊田市千石町7−2
tel.0565−87−5200
http://www.toyota-stadium.co.jp/
設計:黒川紀章建築都市設計事務所2001



豊田市駅から東に向かう道を行くと、まもなく、矢作川(やはぎがわ)を越える豊田大橋にでる。
橋は、アーチから吊る構造で、できあがったダイナミックな曲線は、スタイルのいい女性を連想させる。ハイレグのレオタードをつけて、男の視線なんか跳ね返すかのように力強く存在している。
横に降りる階段部分は、白く、不定形な支持体で、しかもうつろな穴があいていて、骨盤を思わせる。

川を渡るということには、それだけで記憶に残る、なにか独特の経験という感じがある。
見上げる感覚。また下の水面を見下ろしもする、高さの感覚。
広い歩道を、アーチを見上げながら歩いていると、ニューヨークのブルックリン橋を、やはりしばしば上を向いて渡ったことを思い出した。
そこからは、アントニン・レーモンドが、チェコからアメリカに渡った初期に設計に関わったウールワースビルが右手に、左手には、まだツインタワービルが眺められた。

豊田大橋を越えた先には豊田スタジアムが見えている。
大橋と同じ設計者で、こちらはメカニックで、アニメに登場する機械か、船のようだ。
中に入ってみると、4隅に巨大な浮き(釣り糸に結ばれている)状の柱が立っている。大橋と同様に、スタジアムではこの柱(ほとんどマスト)から、全体が吊り下げられている。
たくさんの人が一度に入る大建築なのに、通路など、複雑にならずにすっきりしていて、工場のような合理性を感じる。

座席は45000人分。
当初は、ワールドカップの競技場として60000人収容する計画だったが、日本独自の候補だったのが日韓共同開催に変更になり、15競技場から10競技場に絞られる段階で、豊田市のは外された。

外の芝の広場では素人バンドが演奏していて、ワゴンの売店がでていて、それをのんびり楽しむ人たちがいた。

          ◇          ◇

この2つの建築は、豊田市制50周年を迎えるための記念事業として計画された。
豊田市は、もと挙母(ころも)市という、いわく深そうな名の街だったが、トヨタ自動車の進出にあわせて商工会議所の有志が市名変更請願書を提出したのを発端に、反対の動きを圧倒して1959年に豊田市になった。
1964年にはトヨタ自動車出身者が市長になるなど、密接な関係にある。
強力な企業を有して、市の財政状況は豊かで、だからこそ、バブル後でも新しい美術館を作る力があるのだろう。
2003年の統計では、市町村別製造品出荷額は、全国一。
その中で自動車関連工場が、全体の95%を占める。
財政の健全度を示すとされる財政力指数は、ずっと全国ベスト3位内くらいにある。
貧しい心根(こころね)をさらすようだけれど、豊田市の新建築を見ていると、いくらかやっかみの気分が混じってくる。

豊田大橋については、『週刊文春』が2000年4月6日号に「『100億円恐竜の橋』に市民の大罵声」の記事を掲載し、黒川紀章は名誉毀損に対する損害賠償の訴えを起こした。最高裁までいき、「批判的な意見をことさら取り上げた」という判断で、600万円の支払いと謝罪広告掲載を命じた東京高裁判決が確定した。
僕は豊田大橋は造形的にはいいと感じたけれど、建設費が高いという点は、裁判でも事実に反するともいってないようだし、そのとおりかもしれない。















■ 豊田市美術館

愛知県豊田市小坂本町8-5-1
tel.0565−34−6610
http://www.museum.toyota.aichi.jp/index.html
設計:谷口建築設計研究所(谷口吉生)

駅に戻って、名鉄三河線と愛知環状線の線路を西側にくぐり、愛知環状線の線路と並行してしばらく南に行く。
美術館は、小高いところにあって、最後の坂で汗をかいた。振り返ると豊田大橋、豊田スタジアムを見下ろせる。

豊田大橋・豊田スタジアムを見てきた目には、とくにこちらの直線が際立つ。
垂直線と水平線が90度に交差する。
ガラスと、アメリカ産のスレートと、イタリア産の大理石が構成する、四角形の端正な表情が、目に涼しい。
橋やスタジアムのような曲線は温度が高く、動的になるが、美術館の直線は温度が低く、静かで、瞑想を誘う。

内部は、半透明ガラスを多用していて、光の具合がとてもいい。
天井の円形や四角のトップライトからの光もきいている。
展示室内から直接上の階に上がっていく階段がかっこいい。
美術館は土地の起伏を生かして、3層の高低差がある。
階段を上がり下りし、またいくつもの角を曲がり、いつのまにか体と視線が、上に行き、下に降り、あちらを向き、こちらを向き、さまざまに移動している。
その間にも、あちこちで外に眺めが開けていて、中庭の水や石や木々が、集中していた気分を休ませてくれる。

漆工芸の作家、高橋節郎館が別棟にある。
美術館が立つ地は、おおもとは城跡で、直前には小学校があり、移転したあとにできた。小学校の移転には反対の意見もあったらしい。
高橋が小学校の廃材から作ったオブジェも展示されていた。
その作品から、数段の階段を上がった先には、ガラス窓の先に、また緑の木が並ぶ庭の眺めがあるのが、いきなりという感じで目にはいってくる。

僕が行ったときには、アルテ・ポーベラの展覧会を開催中だった。
「アルテ・ポーベラ(貧しい芸術)」は1960年代にイタリアに起こった現代美術の潮流。ここの展示空間にぴったりだと思ったが、これは豊かな豊田市の美術館に貧しい芸術を展示する−という皮肉のつもりではない。
「愛・地球博」入場券を受付で提示すると、団体料金に割引というサービスがあって、ちょっと得した。

常設展示では、グスタフ・クリムト(1862-1918)の女性像『オイゲニア・プリマフェージの肖像』(1913/14年)があった。顔を精細にかきこんでリアルなのに、服の花模様は荒いタッチで、装飾的な画面を作っている。
その隣にエゴン・シーレ(1890-1918)。斜め上から見おろした、珍しい視点の肖像画『カール・グリュンヴァルトの肖像』(1917年)と、その娘を描いたデッサンの2点が並ぶ。
もう1年近く前にウィーンでこの2人の作家の作品をたっぷり見てきたが、また見ることができた。
美術館全体は、ゆったり作られていて、とても上質な空間が、中を歩く人の気持ちまで優雅で高尚にしてくれる気がするくらいだ。
コレクションもいいし、忘れがたいすばらしい美術館だった。















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