尾張本宮山・信貴山から博物館明治村


 1  尾張本宮山・信貴山 


楽田駅 7:55 



名鉄小牧線楽田(がくでん)駅で降りる。
楽田駅は、名古屋市街から小牧線で犬山に向かうと、犬山駅から2つ目手前の駅。
朝7時55分。ちょうど通学の高校生が乗り降りしている時間。
(平日だったことを思い出して、こういう日に遊んでいる少しだけうしろめたいような楽しさを覚える。)
真東に向かって歩く。それで太陽が真正面にある。
田があり、道にそって家並みがある平らな道を行く。
ゆるいのぼり坂になって、上がりきると、大県(おおあがたorおおがた。2つの表記がある。)神社につきあたる。


大県神社 8:10−20


 
山名のとおり、もとは本宮山頂に社殿があり、下に移したのが大県神社。
垂仁(すいにん)天皇のころのことだというのだけれど、垂仁天皇は、紀元前69年から70年に在位したとされる人で、このあたりは伝説か神話のなかのことだろう。
社殿を山頂から下に移すというのは、ありそうなことだが、すると、実際に移したのはいつで、それが垂仁天皇のころのことだという話はいつ成立したのだろう?

社殿は国の重要文化財で、重みがある。
先に進むと姫ノ宮というこじんまりした社殿がある。(左の写真)
姫ノ宮は、この神社の祭神の子孫らしい。この豊年祭は、女性性器をシンボルにした特異な風景のものだという。


分岐 8:43 尾張本宮山への道と、信貴山への道の分岐点にでて、ひとまず信貴山に向かう。


信貴山 8:50−9:00


ほどなく信貴山に着くと寺がある。

□ 信貴山泉浄院(しんきさんせんじょういん)
犬山市楽田倉曽洞1−13
tel.0568−67−7538
正式名は真言宗醍醐派別格山泉浄院、通称が尾張信貴山。

「信貴山縁起絵巻」で名高い大和の信貴山の支社みたいな寺なのだと思う。
この山頂は、小牧山合戦(1584年織田・徳川vs豊臣の戦い)の時、豊臣勢の陣地がおかれたあったところで、見晴らしがよかったらしい。
今は木が茂ってしまっているが、本堂の回廊からは、名古屋市方面の展望がある。空気が湿っていて、明確な眺めではなかった。


尾張本宮山 山頂 9:25

いったん分岐に戻って、最後にやや長い階段がきざまれているのを上がりきると、本宮山の山頂にでる。
大県神社の奥宮がある。
一等三角点が置かれているが、灌木が茂って展望はない。

山頂から東に降りる。
西側と違って、あまり歩く人はないらしく、道は荒れていた。
途中で、ときおり下に入鹿池が見えた。



愛知用水10:00





降りきると愛知用水の測道にでる。
この用水は、1961年に、木曽川の水を知多半島まで導くためにつくられた。それまでは、名古屋市の北東から知多半島にかけて大きな河川がなく、ため池に水をためていたが、不安定だった。
(写真:左の森から降りてきた。)


入鹿用水土地改良区事務所


愛知用水のへりを行き、舗装道路を行く。
かわった建物があり、近づいてみると、土地改良区の事務所だった。
「愛知県土地改良事業団体連合会」のホームページによると、
「この地が明治時代の建物を集めた"明治村"にほど近い観光地であることを考慮し、周囲の景観に溶け込むデザインを取り入れている。」
という。
2つの文の関係がよくわからないし、実際、文章の混乱そのままに、"明治村"に近いから明治村にありそうなデザインではあるが、こういうのを周囲の景観に溶け込むというかなあ...


入鹿池(いるかいけ)
10:10


少し進むと堤防に沿った道になる。
堤防を上がってみると、広い水面が広がっていて、入鹿池だった。

入鹿池は、江戸時代の1633年、小牧・春日井方面の台地に田を新しく作るために築造された、全国1大きな人造農業用ため池。
周囲16km、満水面積183ha。
1868年5月(明治に改元直前の江戸末年)には、この大きな池が決壊し、濃尾平野の大半に大災害を生じたことがある。

とおりかかった人に明治村への道をたずねる。
堤防まで自転車できて、その先は坂がきついので歩いて明治村のバス停まで行き、バスにのって犬山市街にでるから、一緒に行きましょうと道連れしてもらった。
なるほど、ちょっとした坂道で汗をかくが、話しながら歩くうちに明治村の入口にでた。

明治村 10:20



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