5月第1週 
荒川と隅田川の分かれ−赤羽駅から岩淵水門


荒川はその名のとおり、ひんぱんに氾濫を繰り返したがが、1907年(明治40年)と1910年(同43年)には、とくに大きな氾濫があった。(このとき、上流の象ケ鼻では象らしい形が崩れている)
そこで、根本的な解決策として、荒川下流=隅田川から分かれる、広い流れを新たに作ったのが荒川放水路で、1924年(大正13年)に完成している。

この分かれる地点がどこにあり、どんなふうなのか、定かでなかったので、地図で調べ、赤羽駅から歩いて行ってみた。にぎやかな商店街を抜け、住宅街を少し行くと、土手にぶつかり、土手を上がると、その先に2つの流れを分岐させる岩淵水門があった。
水門の上が道になっているのを進むと中州にでる。
振り返ると、赤い水門が、落ち着いた風情で流れのなかにある。
愛らしいといっていいくらいの小ぶりな土木施設だが、この水門が流れを2つに分けて、氾濫の被害を減らしたのだった。
その後、本家の荒川は、護岸を整備されて人工の川のようになり、新参の荒川放水路が、広々として、むしろ自然の川のようになっている。
1965年には、河川法の改正により、荒川放水路が「荒川」、岩淵水門から下流の本家・荒川は「隅田川」を正式な河川名とされた。

岩淵水門 青野正「月を射る」
岩淵水門 赤羽駅前で弁当、途中の酒屋で発泡酒を用意してきて、木陰でランチ。左が『月を射る』、向こうの街は川口。

ゆったりした流れが、左から右に流れている。
中州には、荒川リバーアートコンテスト特賞を受賞した、青野正の野外彫刻『月を射る』(1997)とか、昭和初期に何回か開催された全国草刈大会の記念の碑とか、おもしろいものがある。
向こう側は、映画『キューポラのある街』で知られる川口だが、今は、もくもくと煙を吐くキューポラは見えない。白っぽい、清潔そうな工場か倉庫のような建物と高層マンションが並んでいる。

明治末期には、北原白秋、 石井伯亭、山本鼎などの若手の芸術家が「パンの会」を結成し、隅田川をセーヌ川に見立てて、両国や浅草あたりで牛鍋なんか食べていたが、戦後には同様に赤羽をモンパルナスという人たちがいたと、司修が書いている。

旧岩淵水門は改修工事で赤く塗られてから赤門といわれているが、1982年(昭和57年)には青門の新岩淵水門が作られ、流れを分ける役目を引き継いだ。


■ 荒川知水資料館
(東京都北区志茂5−41−1 tel.03−3902−2271 )
http://www.ara.or.jp/index.html

岩淵水門の手前の土手の下に荒川知水資料館がある。
荒川を空撮でずっと下ってくる映像や、地点を選ぶと、たとえば東京駅の映像がでて、洪水があるとどうなるか、みるみる水が浸していく様子を表したCGなど、おもしろかった。

荒川放水路を切り拓く大難工事を指揮した青山士(あおやまあきら)のことも紹介されていた。

1878 静岡県磐田生まれ
     内村鑑三(1861-1930)に傾倒
1903 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業
1904 パナマ運河工事に着任 ガツン閘門の設計技師−1911
1914 運河開通
1915 結婚して、田端に住む
     岩淵水門工事につく
1924 荒川放水路通水式
1927 新潟土木出張所長 大河津分水可動堰完成
1963 没

青山は、内村鑑三を尊敬し、高い精神性をもつ人だったようだ。
資料館の前に、放水路の完成時に、記念して作った碑があり、富士川の転石に文字が刻まれている。

此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ 荒川改修ノ工事ニ従ヘル者ニ依テ

「我等ノ仲間ヲ記憶センカ為ニ」というのがいい。
多くの市民の寄付があって作られた高崎の群馬音楽センターの碑には、「昭和三十六年ときの高崎市民之を建つ」とあったのを思い出した。

荒川知水資料館正面。
左にあるのが放水路完成の碑。
荒川知水資料館の前に放水路完成碑がある

資料館の青山士の展示箇所に、板谷波山(1872-1963)の大きな写真があって驚いた。板谷波山は陶芸家で、土木とは縁遠いはず。
説明をみると、板谷波山を中心に田端には多くの文化人が集まったので田端文士村といわれたが、青山は放水路の工事場所に近いことから田端に住み、板谷と親しく近所づきあいをしていたということだった。
田端という土地には、僕の父母が住んでいたところという縁があり、田端文士村のことなど関心があったし、荒川放水路をつくった青山士という人にも、いくらかの知識はあった。でも、田端文士村に関する資料などでは、文学者や美術家はでてくるが、土木技術者のことはまったくふれられることがなくて、不意打ちを受けることになった。

うかつなことはまだあって、帰る途中、赤羽駅から乗った高崎線の電車が荒川の鉄橋をこえるとき、下流の方向に岩淵水門の赤い姿がはっきり見えた。
この鉄橋を、今まで何度も渡ったのに、赤い水門がまったく見えていなかったし、当然その水門の意義もわかっていなかった。
荒川と隅田川の分かれの地点を初めて確認した満足感の一方で、他にもまだたくさんうっかり気づかずにいたり、あたりまえのことを承知していなくて、ばかなことをしてたりするのではないかと、うすら寒くなる思いもした日だった。

参考:

  • 『評伝 技師 青山士の生涯』 高崎哲郎 講談社 1994
  • 『写真集 青山士 後世への遺産』 青山士写真集編集委員会 山海堂 1994
  • 『キューポラのある街』 日活1962監督・浦山桐郎 原作・早船ちよ 主演・浜田光夫 吉永小百合 
  • 『文壇資料 田端文士村』 近藤富枝 講談社 1975
  • 『赤羽モンマルトル』 司修 河出書房新社 1986
  • 『私の東京下町歩き』 川本三郎 写真・武田花 ちくま文庫 1998