5月第3週 荷風のかつ丼を食べて、露伴最後の地へ


神田生まれの幸田露伴(1867-1947)は、若い頃、電信技師として北海道余市に赴任したが、文学への志があって、当時にしてはほとんど冒険といえるような行程をたどって東京に戻ってきた。作家になってからも、本が出版されて金が入ると旅にでる人だった。
小石川生まれの永井荷風(1879-1959)は、フランスから帰って作家になった。露伴のように遠出はしなかったが、麻布に住まいを持ちながら、隅田川、荒川付近を散歩しつづけた人だった。

戦争の混乱を経て、1946年、露伴も荷風も、荒川よりも江戸川よりもさらに東、千葉県市川市に住んだ。露伴は菅野(すがの)、荷風は八幡(やわた)で、となりあった町だが、露伴はすでに病床にあって娘の幸田文に世話をされている時期で、2人の出会いはなかった。
露伴は78歳で、翌1947年7月に亡くなった。
荷風は66歳で、それから14年ほどして亡くなった。
荒川にひかれていた2人の作家が、最後に都心からするとさらに荒川の東の地で亡くなった不思議な縁を感じる。

荷風は、先に亡くなった露伴の葬儀にでかけたことが、荷風の日記『断腸亭日乗』に書かれている。
(昭和22年1947年)
八月初二。晴。午後二時露伴先生告別式。小西小滝の二氏と共に行く。但し余は礼服なきを以て式場に入らず門外に佇立(ちょりつ)してあたりの光景を看(み)るのみ。
同時代の作家に厳しい批判をもっていた荷風だが、露伴には「露伴先生」というほどに敬意をもっていた。なのに惜しい人を亡くしたとか、冥福を祈ったみたいなことをいわずに、「あたりの光景を看るのみ」というのが、いかも荷風的でさすが。

ひとり暮らしの荷風は、晩年、銀座や浅草まで遠出できなくなり、近くの「大黒屋」という店にひんぱんに食事にでかけたことが、やはり『断腸亭日乗』に記されている。映画『?東奇譚』でも、津川雅彦の荷風が、大黒屋で食事していて倒れる場面があった。
大黒屋で荷風が食べていたというかつ丼はどんなものか、でかけてみた。
目指す店は京成八幡駅のすぐ北側にあった。プラットホーム上野寄りのすぐ目の前。
由緒ありそうな作りかと思っていたのだが、当時とは建てかわっている立派なビルだった。
でも店内は、落ち着いていて、それでいて、人が集まれば活気があふれそうな、いい雰囲気をしている。
かつ丼は、並と上とあるが、並にした。荷風はこれにお酒を1本つけてたということで、そういう荷風セットもメニューにあるのだが、昼でもあり、かつ丼にお酒はあわないような気がして、かつ丼だけにした。
おいしいけれど、寄居の今井屋の厚い、しっかりした豚肉になじんでいると、カツそのものの存在感がものたりなく感じられた。
メニューを見ると、魚が中心で、いろんな魚、料理があり、肉は主力ではないようだ。
荷風の記録には、どこで、誰と食べ、そこで見かけた(とくに女性の)風俗のことは記してあるが、何を食べて、それがどうだったかは記されていないので、どういう思いでこのかつ丼を食べていたかは、わからない。

大黒屋の店舗外観 大黒屋のかつ丼
大黒屋。手前やや下方の白い線が京成八幡駅のホーム。 グリーンピースがのって、僕なんかにはこれが普通のかつ丼

たまたま『知々夫紀行』で幸田露伴が寄居を歩いたことを知り、ついでに露伴の作品も読んでみたりするようになったのだが、そもそも僕の関心は、はじめに幸田文にあって、その父の露伴というふうだった。
その幸田文は、父が亡くなる前後のことを書いた文章が認められて、自身もものを書く世界に入っていったのだった。
『父−その死』のうち『菅野の記』には、戦争が終わって間もない苦しい時期に老いた、しかも厳しい老人を看病する様子がかかれている。
そのことば、その調子を一緒に聞いても他人は刺戟(しげき)されないのに、私はざっくりと割りつけられたような痛みをうけとった。そういうことが血がつながっているということだと思っていたし、そういう悲しい宿命に堪えなくてはならない親子であった。

まず幸田文を読んでいた。
つぎに露伴を読んでみると、こちらも古くさいどころか、文章に力があって、おもしろい。
そのあとに、幸田文と幸田露伴の関係を知ってみると、この関係もただものではなく、読む者の思いをひきこむ強い磁力がある。

父は娘に清掃や料理を教えたが、とりたてて知的訓練はしなかったし、だから娘もそういう蓄積は乏しいと自覚しているようだった。しかし膨大な知識をかかえた露伴の娘は、やはりただ者ではなくて、その文章を読んでいると、幾度も知らない日本語がでてきた。
たとえば、『父 その死』で、長いつきあいがあった岩波書店の小林勇にふれた箇所。
小林さんは父の処へ来はじめて今はもう二十何年になる。その長い間に父には絶えず機嫌のよしあしがあったが、この人の訪問にはふけさめということがなかった。
ふけさめ」という言葉がわからない。どういう字なのか見当もつかない。
岩波の広辞苑にはなかった。小学館の全20巻日本国語大辞典(2001 第2版)にようやくでていて、「蒸冷−気分にむらのあること」というのだった。しかも、その例文に、その幸田文の文がでているのだった。

京成八幡駅から近いはずの、幸田文に看取られて幸田露伴が亡くなった住まい跡まで歩いてみた。
大黒屋から北に向かう細い、ゆるやかにくねる商店街は、「荷風の散歩道」と名づけてあって、似顔を描いたのぼりが並んでいる。
大文豪が2人、近所に住んでいたので、これから行こうとしている住まい跡は、荷風のなのか、露伴のなのか、混乱しそうになる。

荷風はできるだけひっそりと散歩したかった人だが、こんなふうに似顔絵が通りに並んでしまった。指名手配されてるようなもの。 のぼり「荷風ノ散歩道」

幸田文の文章にときどきあらわれる白幡神社がある。
こぢんまりした神社で、社殿は床が磨かれてつやつや光り、御簾(みす)がゆるいカーブを描き、なかなかいい雰囲気をしている。

少し先、露伴が亡くなった家の跡にでる。
とくに露伴を偲ばせるものはなく、建物も、風景も、すっかり更新されてしまっている。
あたりは、築10〜30年くらいかという、比較的新しい感じの家ばかりが並んでいる。古くからそのままあるような家はなく、新興住宅地ふうでもなく、それなのに、みんなそろってわりと新しい。バブルの頃、その恩恵を受けた人たちが住んでいて、次々に新築でもしたかのようだ。不思議な感じの家並みだった。

参考:


  • 大黒屋
    千葉県市川市本八幡 3-26-5
    tel. 047-322-1717
    京成八幡駅のすぐ北側
  • 『断腸亭日乗』 永井荷風 岩波文庫 1987
    『すみだ川 新橋夜話』 永井荷風 岩波文庫 1987
    『永井荷風ひとり暮し』 松本哉 朝日文庫 1999
  • 『父 その死』 幸田文 新潮社 2004
    『蝸牛庵訪問記』 小林勇 講談社文芸文庫 1991
    『ふるさと隅田川』 幸田文 ちくま文庫 2001
    『幸田露伴と明治の東京』 松本哉 PHP新書 2004