7月第2週 露伴の宿


■ 島田屋
(深谷市田中95番地付近)

時間がさかのぼるが、幸田露伴と友人は、象ケ鼻を見る前日、1898年8月6日に、田中村(現・深谷市)に泊まっている。([幸田露伴が歩いた象ケ鼻は扇の要]参照)

田中という村にて日暮れたれば、ここにただ一軒の旅舎(やど)島田屋というに宿る。間の宿(あいのしゅく)とまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、美(うま)からねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川の鮎(あゆ)を得たれば、少酌(しょうしゃく)に疲れを休めて快く眠る。夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕に通う風も涼しきに、家居続ける東京ならねばこそと、半(なかば)は夢心地に旅のおかしさを味う。

島田屋は今もあるのだろうかと気にしだしてみると、ある日、国道140号の旧道を走って、秩父鉄道の武川駅近くを通りかかると、T字路の角に、「露伴の宿 島田屋」と案内板が立っていた。気にしていないうちは、この道を通っていても、気づかずにいた。

別な日、出直してみると、案内看板は残っているが、島田屋はしばらく前になくなっていた。今は、認知症の人たちのグループホーム、まつの木苑になっている。
道の反対側、「露伴の宿 島田屋」の案内板がある脇が駐車場。
ロープを張って閉鎖してあり、「島田屋」と横書きにした金文字の看板や、縦書きの数枚の看板が置かれている。奥の柵には「島田屋有料駐車場」という標示が残ったまま。
旅館を廃業して、すっかり片づけがすまないくらい、まだ日が浅いらしい。
(*その後、旧140号沿いにあったこの看板は撤去されました。)

かつては秩父に向かう人が宿をとったにしても、車社会になって、この位置に宿がある必要がたぶん薄れていた。そして高齢化社会になり、認知症の施設が求められる世の中の変化を映している−ということになるようだが、露伴が訪れた頃から続いた宿を廃業した無念を思ってみると、しんみりする。旅館の起源はわからないが、露伴の秩父行からだけでも100年以上たっている。

元駐車場は、河岸段丘の上にあって、川よりちょっとした高度差があって、眺めが広い。宿の楼からは、さらに展望がよかったろう。
今は、ここも「家居続ける」ふうになっていて、景観も宿に適さなくなったかもしれない。

■ 長善寺
深谷市小前田1452
http://www.ksky.ne.jp/~chozenji/index.htm

露伴と友人は、島田屋に泊まった翌朝は早起きして出発した。

 七日、いと夙(はや)く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天(そら)いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光(いなびかり)す。涼しき中にこそと、朝餉(あさげ)済ますやがて立出ず。路は荒川に沿えど磧(かわら)までは、あるは二、三町、あるいは四、五町を隔てたれば水の面を見ず。少しずつの上り下りはあれど、ほとほと平なる路を西へ西へと辿(たど)り、田中の原、黒田の原とて小松の生いたる広き原を過ぎ、小前田というに至る。路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う。九時少し過ぐる頃寄居に入る。

その「やや大なる寺」が長善寺で、旧国道140号に大きな案内標識がでている。
石仏が並ぶ道を中に進んでいくと、門とか塀とか、寺の境を区切るものがなくて、広々している。新しい石像の仁王2体があるが、山門はない。

お寺の坂田美枝子さんに話を伺うと、戦争で鐘を供出し、1966年(昭和41年)の台風で門も壊れ、いつか再建したいとのことだった。
露伴は、山門に鐘を懸けるのがおかしいと思ったのだが、鐘楼門(しゅろうもん)という型式は、いくつも類例があるものらしい。
庫裡で写真を見せていただいた。ずいぶん黄ばみ、薄くなっているが、鐘のない門と本堂が写っている。戦争と台風の間の時期にとられたことになる。
あとで仁王像の近くで注意してみると、教えられたとおり、礎石が残っていた。

(*これも後日談−寄居で没した日本画家、岩井昇山の作品をたどっていて、長善寺でも所有されていることがわかり、見せていただきに伺った。(→[岩井昇山ツアー])。
さらにこの日話を伺った坂田美枝子さんは、もと埼玉県立熊谷図書館におつとめとのことだったのだが、その後、僕がその図書館に勤務することになり、そこで「坂田さんにお会いになったのですって?」というようなあいさつをされることになった。ひとつの縁ができると次々に重なるのは不思議なことだ。)


● よね源
深谷市稲荷町1-8-27 tel. 048-574-7233
http://www.ksky.ne.jp/~yonegen/

寄居に向かわずに、深谷市街に行くと、前の週の『美味しんぼ』の続きになる。
第54巻では、海原雄山が日本酒に未来はないというのを、山岡がそんなことはないと説得しようとする話が、6回にわたっている。
そこで、まがいものでない、いい酒だけを扱う店があると、ほとんど切り札のようにして登場するのが、このお店。
(そしてそのいい酒の1つとして、島岡酒造の「群馬泉」が紹介されている。)
酒を作る人に直接会うことで、いい酒を確かめて、仕入れる。
その成果が、店先から1つドアを入った、温度管理された1室に集積している。
好みと予算の心づもりを伝えると、こんなのはどうかと勧められて、「菊水・先一杯(まずいっぱい)」というのを買って帰った。
僕はのんべではないのだが、いつのまにかふだんより多く飲んでいた。


夕暮れ時、店を出て見上げたら、哀愁を誘うような看板が電柱にかかっていた。

参考:

  • 『知々夫紀行』 幸田露伴「山の旅 明治・大正篇」近藤信行編 岩波文庫 2003 所収
  • 『美味しんぼ』 第54巻 雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館 1996