9月第2週 京亭で鮎を食べる


● 京亭
(埼玉県大里郡寄居町寄居547 tel.048-581-0128 ) 

あれこれの都合がようやくついて、家族4人で、しばらく待望していた京亭に行った。
9月初旬の土曜日の夕方、予約した時間より早く着いて、京亭の対岸にある鉢形城趾にいった。
城はなく、門や井戸の遺構が復元されているくらいで、あとは広い草の原になっている。川がわの端までいって眺めると、切り立った崖の下を荒川が流れている。
京亭も対岸の崖上にある。木々に囲まれているので建物が目立って見えるのではないが、およその見当はつく。

正喜橋(しょうきばし)を荒川左岸に渡って、京亭に着く。
まだ明るいが、門に立つ「京亭」の案内文字に照明がつけられたのがほんのりわかるくらいの夕暮れになっている。

京亭の玄関ふきん 京亭の庭

この日僕らの席は、中心の座敷には先約があり、やや外れた位置にある洋室だった。それでも庭に面しているし、ちょっとした時間を食事を楽しむには、椅子のほうが姿勢が楽でもある。
もともと邸宅だったのを転用しているくらいだから、この部屋も商業施設的つくりではなく、ふつうに人が暮らすような雰囲気で、親しい人の住まいを訪ねたようでもあり、息子は「自分の家みたいだ」という。

次々に鮎が運ばれてくる。
風干し(かざぼし)を焼いたもの。一夜干しみたいなものかと思ってきいてみると、もっと時間が短いという。頭から尾までかりかりと食べる。
煮びたし。
稚魚の酢漬けに、里芋や、ミニチュアのような小さな赤い蟹などが添えてある。
うるかは腸の塩辛で、苦みがある。
塩焼き。炭火の焜炉ごと部屋に持ち込んで焼く。
刺身。
などがあって、最後に鮎ご飯。
鉄の釜に入った炊きたてのご飯の上に鮎が並んでいる。
長い箸をサッサと手際よく扱って、まずひれをとる。頭と背骨をとる。しゃもじで鮎の身をほぐしながらご飯にまぜる。鮮やかな緑色をしたあさつきをふりかける。
ほかほかと湯気と香りがたって、あれこれの料理を食べたあとでも、軽やかにおいしい。
(それでもさすがにすっかりは食べきれなくて持ち帰り、翌朝、冷たいままのを食べた。これもまた、さくさくほろほろして美味で、余韻を楽しんだ。)

鮎がのったご飯を手早くかきまぜる

酒は、地元の藤崎総兵衛商店がこの店のブランドでつくっている「京亭」。(「総」は正式の社名では手へんの旧字体をつかっている。)
高い崖の上で飲んでいるのは、飛行機で少し飲んでもほろ酔いになるのと似たような気分になるのか、とろっとして、ハイになる。

町内の博物館に勤める縁もあって、女性の亭主(というと女性とは別の男性になってしまうか。京亭という店の亭主である女性)にごあいさつ。
他のお客に差し支えないところを案内していただいた。

          ◇          ◇

京亭のことは、作家、池波正太郎(1923-1990)が小説の舞台の参考にしようと鉢形城を訪れたときに泊まり、ほれこんで文章に残している。
 もともと、旅館をするために建てたものではない。美しい庭から、真正面に鉢形の断崖をながめつつ、鮎でビールをのんでいると、旅館に泊まった気がしない。
 まるで、自分の別荘へ来ているような気分になる。(中略)
 私の小説の主人公にした忍びの者・上田源五郎は、鉢形落城とともに死ぬという構想だったのだが、京亭の離れに泊って寝床へ身を横たえた瞬間に、気分が変り、死なせないことにした。
 そして主人公は、戦国の世が終りを告げた寛永6年まで、生きつづけることになってしまった。
京亭で夜を過ごすと死すべき者でも生きながらえることになる−覚えておいて、もしものときには、僕もここに泊まってみることにしよう。
この文章をおさめた『よい匂いのする一夜』は、池波正太郎が旅をして泊まった宿のなかから、とくに印象に残ったところを記している。
目次をみると、
 日光市・日光金谷ホテル
 京都・俵屋
 軽井沢・万平ホテル
 倉敷市・倉敷アイビースクエア
など、国内の名だたる都市、名だたる宿が並ぶなかに、「寄居・京亭」もある。
京亭そのものはもちろん、寄居という町の名が日光や京都と同列にあって、寄居の価値をずいぶん高めてくれている。

          ◇          ◇

近いうちに鮎を食べにいくという気になっていると、思いがけないところで鮎にであうことがあった。

■ 東京国立博物館「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展

アメリカ、カリフォルニアのコレクター、ジョー・プライスの、若冲をはじめとする江戸時代の名品の展覧会。
そのなかの、作者不詳、六曲一双の『梁図屏風』に、鮎が描かれていた。
梁(やな)に落ち鮎6匹、蟹2匹がかかっている。
セキレイとカワセミも描かれている。
鮎がすむ荒川の岸辺にあって、カワセミをマスコットにしている「川の博物館」に欲しくなる作品だった。

■ 行田市郷土博物館「忍名所図会の風景」展

行田は寄居から20キロほど下流。
『忍名所図会(おしめいしょずえ)』は、江戸時代の1827年、旧・忍藩のころにまとめられた記録。
僕の母方の先祖は桑名の人で、「桑名の殿様が忍に移されたときにしたがってきた」と、きかされたことがある。(桑名の殿様そのひとが先祖ではないのが残念なような...)
今の行田市は、利根川に沿った街になっているが、図会には、荒川が記録されている。
此川水清らかにして初夏の頃より鮎多し、鵜飼、簗瀬張、投網などくさくさの仕業もて漁す
鵜飼いで鮎漁をする彩色の絵もおさめてあった。荒川でも江戸時代には鵜飼いの漁をしていたわけだ。
今は鵜を追い払うのに漁の関係者は苦労している。水面に糸を張ったり、毎朝花火をあげて、音で脅かしたり。
6月1日に漁が解禁になり、釣り人が川原に現れると、鵜は近づかなくなるという。

参考:

  • 『よい匂いのする一夜』 池波正太郎 講談社文庫 1986(1981)
  • 『池波正太郎の食卓』 佐藤隆介・近藤文夫・茂出木雅章 新潮文庫 2004
  • 『忍びの旗』 池波正太郎 新潮社 1979
  • 『文人悪食』 嵐山光三郎 新潮文庫 2000
  • 『増補忍名所図會』 行田市郷土博物館友の会 2006
  • 『名建築に泊まる』 稲葉なおと 新潮社 2002