9月第5週(2) 田山花袋にうなぎにアート


行田の「味蔵」で食事したあと通りにでたら、うなぎのいい香りがして気になっていた。
それに、西川さんに、小川町にはいくつもおいしい店があると教えられていたなかに、鰻屋があった。しかもその鰻屋は、田山花袋が秩父への旅の途中、寄居に向かう前夜に泊まった宿でもある。
ちょうどそんなところに、あとを押す機会があらわれた。[7月第1週]に、前橋に行って、火事にあったつくり酒屋を応援する展覧会のことを記したが、そのページを見て、その展覧会に出品されていたアーティストから個展の案内状をいただいた。もとは群馬の人だが、小川にアトリエをお持ちで、週末に個展を開くという。
土曜日の仕事が終わるころに、妻に車で拾ってもらって、小川に行った。


■ ART214 伊東孝志展
(埼玉県比企郡小川町大塚214 )

アトリエ+ギャラリーは、築70年の木造平屋建て。40年ほど前までカレー工場で、その後、倉庫になっていた建物を転用している。
アトリエに改修するのに、数センチもあったほこりを掃除したが、まだ刺激臭が残っていた。いちおうさっぱりした今でも、風の具合などによっては匂いを感じることがあるという。

カレー工場跡の2棟をつかっている。
右がアトリエ。
左の明るい光がもれているところがギャラリーで、数点の作品が置かれていた。
伊東孝志さんのアトリエ+ギャラリー

『場−山稜線・墨』:
向こうの山並みを映す位置にビデオカメラを置く。草の原に、黒い墨をいれた洗面器を並べていく。向こうの山の稜線がカメラに映るように盆の位置を決める。円形の水の連なりが、山のスカイラインを逆さに映し出す。風が吹くと、水面がさざ波たって、稜線も揺らぐ。
ビデオの画面には、山の全体は映っていないが、水に映る稜線から、大きな山を感じる。また、水は空も映していて、深い。風が通るのも目に見える。

『場−雪・有精卵』:
産卵直後の卵を孵化適温に24時間温めておいてから、雪山の広い雪原の上に置く。雪を溶かしてわずかずつ沈んでいくのを、2分ごとに撮影する。卵の中でヒナの誕生に向かっていた生命が、どこかの時間で停止する。
数枚の連続する写真が作品として残るが、白い雪のなかの白い卵の微妙な現れ方になかなか満足できなくて、何度も焼きなおしたという。
埴谷雄高に『闇の中の黒い馬』という小説がある。こちらは「雪の中の白い卵」。
闇=夜=黒と、光=昼=白とで、対立するようでもあり、同調するようでもある。

一条の光もさしてこぬ暗黒のなかに凝っと思念をこらしている時間を、私は、さきに《静謐な歯ぎしり》の時間と呼んだが、まさしくそこにはなにものとも知れぬ巨大なものへ対する名状しがたい不快、と同時に、陶酔が《攪きまわされた混合酒》のように渾然と溶け合っているのである。 (『闇のなかの黒い馬』 埴谷雄高)

『場−水深120mの湖底に沈めた石』:
両手で軽くもてるくらいの石を拾ってくる。ある時に、船で湖のいちばん深いところにでる。石が水面下に隠れる位置まで沈め、手から放す。
タルコフスキーの映画の1シーンみたいだ。
前に沈めた2個の石のイメージと、これから沈める(かもしれない)1個の石の現物が、作品として展示してある。

妻が、「お坊さんみたい」とポツリという。思いがけない感想に不意をつかれたが、すぐになるほどと納得した。
作家は、展覧会の案内状の文章では、感性、風景、事物−といった言葉をつかっている。それはまだ美術の世界の言葉ではある。
でも、ここに展示された作品は、存在と無、生成と消滅、永遠と瞬間、真理、気−といった信仰や観想の言葉、宗教や哲学の文脈でも語っていけるように思える。
それもおもしろいが、僕は静かな、詩的な行為そのものにも惹かれた。

歩き回っているとこういう出会いがあって楽しい。
これから福助にうなぎを食べにいくというと、伊東さんも、おいしいよと勧めてくれて、夕飯に向かう。


● 福助
(埼玉県比企郡小川町小川97 tel.0493-72-0026 )

田山花袋(1872-1930)は、各地を旅して紀行文を残したが、秩父に向かう旅では、寄居で玉淀渓谷を絶賛した。そこで鉢形城址には1954年に花袋の詩を記した碑が立てられた。当時毛呂山町で「新しき村」を開いていた武者小路実篤が文字を書いた。
ここまでで寄居を訪れた人のことをまとめると、こんなふうになる。
 1898(明31) 幸田露伴の秩父紀行
 1916(大05) 宮沢賢治の地質調査
 1919(大08) 田山花袋の秩父紀行
露伴、賢治が東の熊谷経由だったのと違って、花袋は南の坂戸方面から入ってきた。
寄居に着く前夜は、小川に泊まり、町も宿も気に入っている。

 その夜一夜泊った旅舎もまた私の気に入った。一番奥の一間。その障子を明けると、田舎町の裏らしい人家や畠が夕日に染って、その向うに広い関東平野を予想させる長い赤褐色の丘陵が、形の好い松をその上に立たせて、さながら塀のように連りわたっているのを見た。赤い桃の花が畠の中に23本雑って咲いているのも、私に田舎町を味はせた。 (『秩父の山裾』田山花袋)

旅館としての福助は、1855年(安政2年)創業で、およそ150年になる。
吉原の花魁(おいらん)が世話になった礼にうなぎの蒲焼きの秘伝を教えたという女郎うなぎが名物になっている。

僕と妻が案内されたのは、花袋が泊まったのとは反対側、2階の一番手前の間だった。ここではとくに食事のための部屋があるのではなくて、旅館の客室そのままのところでいただく。
2間つづき。奥の部屋で卓を挟んで座る。窓を開けると前の街道を見下ろせる。
別の向きの戸を開くと、建物から張り出すかたちで幅の狭い庭にしてある。岩組みにしっかり根を張った木が立っていて、1階からすれば屋上庭園になっている。

玄関を入って正面の廊下を進んで広くなったところには生け簀があり、うなぎがいくつもニョロニョロと動いていた。この生け簀がただものではなくて、木を彫刻した手すりがつき、小さな赤い橋が上を渡っている。
こういう遊び心がおもしろい。

うなぎ屋・福助の玄関からの眺め−赤い橋が生け簀を渡る

「露伴が泊まった部屋は改修したが、床柱と欄間は保存してある。」
というような話を、帰り際に玄関でお聞きしていて、もう1つ、天井を見るようにと教えられて見上げると、格天井にみごとな浮き彫りがしてある。干支(えと)の12の動物を、その干支の方角に配置して、中央には鳳凰が飛んでいる。
平面の天井画ではなくて、浮き彫りで、しかも彫りが深く、みごとな造形をしている。
玄関を出て振り返ると、立派な構えをしている。
全体に古い時代がそのまま残っていて、ここだけ数十年前の時間が流れているかのようだった。

参考:

  • 『秩父の山裾』 田山花袋 「定本花袋全集」第16巻所収 臨川書店 2006
  • 『闇のなかの黒い馬』 埴谷雄高作品集2所収 河出書房新社1971