10月第1週 荒川河口を、夜、空から眺める


荒川河口の夜景を空から見て感嘆したのだけれど、そこに行き着くまでに、弘前と青森のことから始める。

■ 弘前にはビックリ建築があった

□ 誓願寺
(弘前市新町247 弘前公園の西)

9月第3週]に、熊谷市の歓喜院のことを書いたが、その歓喜院の山門は江戸時代に作られた珍しい貴惣門(きそうもん)という形式で、3層の破風がついている。
これは全国には4つきりない。

  歓喜院貴惣門  埼玉県熊谷市
  誓願寺山門   青森県弘前市 
  四天王寺東大門 大阪市天王寺区
  豊楽寺仁王門  岡山県御津郡建部町

歓喜院の貴惣門では、門の左右に3層の破風があって、横にまわらないと見えない。ふつうに門をくぐっていくと、水平線と垂直線だけで構成されている、ふつうの山門として目にうつる。
驚いたことに、弘前の誓願寺では、通りの突き当たりに寺があるのだが、山門の貴惣門形式がこちらを向いているので、いきなり3つの斜線の重なりが目に入ってきた。
何を考えているのか?というくらいで、貴惣門というより、奇想門だった。
白い基調のうえに鶴と亀の浮き彫りがついて、明るく小さい。
弘前の誓願寺山門

□ 栄螺堂
(弘前市西茂森町 長楽寺までたくさんの寺が並ぶ通りの入口付近)

栄螺堂(さざえどう)は、秩父、西国、東国の観音霊場の本尊の写しを並べたらせん状の堂内を回って参拝する。これで霊場巡りを全部すませたことにして霊験があるとする、お手軽礼拝所。
最初の栄螺堂は、江戸、本所五ツ目の羅漢寺に建ったもので、さかんな名所だったという。今の隅田川と荒川の間の位置になる。

現存するのは5つ。

  蘭庭院 青森県弘前市
  正宗寺 福島県会津若松市
  成身院 埼玉県本庄市
  曹源寺 群馬県太田市
  長禅寺 茨城県取手市

埼玉県本庄市の成身院は、長瀞にある埼玉県立自然の博物館あたりからすると、北に向かって間瀬峠を越え、ほぼ平地に降りきったところにある。らせんとはいっても、ここのは弧を描く階段ではなく、四角い板でできたふつうの階段が、建物の隅で90度に曲がりながら上がっていく変形版。
弘前の栄螺堂はとても小さな建物で、中には入れないのだが、扉の隙間からみるときちんとしたらせん階段だった。
本来は2重らせんで、上りと下りが重ならないのだが、この規模では2重らせんは無理に思える。
2重らせんはDNAの構造−というとらえ方をすると現代的になってきて、磯崎新設計の水戸芸術館のタワーはDNAイメージから作られた現代版の栄螺堂になる。

弘前の栄螺堂 入口のすき間からのぞくとらせん階段が見えた

■ 弘前には前川國男設計の建築がいくつもある

建築家・前川國男(1905-1986)は、1928年から1930年まで、パリのル・コルビュジェのもとで働いていたが、その間に、パリい視察に来ていた弘前の実業家、木村隆三と知り合った。
その縁から始まって、弘前には前川の初期から晩年までの多くの建築がある。

  1932 木村産業研究所 在府町61
  1954 弘前中央高校講堂 蔵主町7-1
  1958 弘前市庁舎 上白銀町1-1
  1964 弘前市民会館 下白銀町1-6
  1971 弘前市立病院 大町3-8-1
  1976 弘前市立博物館 下白銀町1-6
  1983 弘前市斎場 常盤坂2-20-1

(前川國男は、埼玉県内では、埼玉会館(1964)、埼玉県立歴史と民俗の博物館(1971)、埼玉県立自然の博物館(1981)を設計している。)

□ 木村産業研究所
(弘前市在府町61  tel.0172-32-0595 弘前こぎん研究所)

前川國男はフランスから帰国したあと、1931年には、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の設計コンペに、日本的な意匠を求める設計条件に反して、落選を覚悟で近代のデザインで応募している。もちろん落選した。
実作の第1作は、パリでの縁で弘前に1934年に作られた木村産業研究所。
かつて毎日通った埼玉県立自然史博物館は煉瓦タイルをつかった重い表情のものだし、埼玉県内の他の設計も同様だから、この白い軽やかな建築には、意外な印象を受けた。
しかもほとんどストレートにル・コルビュジェ風。
この建物の前に立ったとき、フランスでル・コルビュジェの建築を見て回っていてパリのアトリエに行き着いたときを自然に思い出したくらいだった。
ル・コルビュジェは「近代建築の5原則」といって、ピロティ・自由な平面・自由な立面・連続水平窓・屋上庭園をあげた。
屋上庭園のほかは、そっくり原則どおりのようだし、全体として白く、入口のピロティで見上げたときに目に入る、その天井部分だけに鮮やかな朱色を配する色づかいも、ル・コルビュジェを思わせる。
今見ても日本離れした新鮮な空間になっているが、当時、弘前の地では、これもビックリ建築ではなかったろうか。

今は弘前の工芸「こぎん刺し」を扱う弘前こぎん研究所が入っていて、中の一室で販売もしている。
公共建築とか、記念碑的建築とかではなく、地方都市の実用的な建築が今も使われているのは、珍しいことだと思う。 2003年に、日本の近代建築の発展に重要な役割を果たし、かつ現存する建築docomomo100が選定されたが、その1つに選ばれている。

木村産業研究所 弘前市斎場の大きな屋根
木村産業研究所 弘前市斎場

□ 弘前市斎場
(弘前市常盤坂2-20-1  tel.0172-32-0643 )

弘前で実作をスタートさせた前川國男は、終わりも弘前でしめくくったといっていいように思う。

弘前市斎場は前川晩年の1983年に竣工した。
建築は心をこめて作るべきものであることに例外はないが、ことに人の最期のための施設には設計者としても思いが深かったろうと思う。
斎場に着き、まず抱かれるような入口外の大屋根。
中に入ると、ゆるやかにカーブする壁面に、遺体を焼く炉が数個並ぶ。反対側には、やはり湾曲する壁面があって、ガラスの窓があいている。ガラス面は、大きすぎず、小さすぎず、外の木々の緑色が染みこんでくる。

数年後、前川は妻の死を迎えることになる。

美代夫人は癌におかされ入院中だったにもかかわらず、正月を前川ひとりで過させるわけにはいかないと、点滴をつけた身で大晦日、目黒の家に戻った。正月を過し、しかしそのまま美代夫人は還らぬ人となった(1985年1月24日、享年68)。葬儀の祭壇に前川が飾ったのは、若き日の少女のような美代夫人のポートレートであった。
(『前川國男 賊軍の将』 宮内嘉久)

こういう話っていいと思う。
(もし妻に先立たれたら、僕も少女のような妻の写真を飾ろう。
僕が先にいったら、少年のような僕の写真...となると、てごろなのを思い当たるのがない...)
翌1986年に前川もなくなっている。

斎場の全体は岩木山をうしろにひかえていたはずだが、雨で隠れていて、どの方向にあるかさえわからないのが心残りだった。

■ 弘前で期間限定の大展覧会が開かれていた

□ 「奈良美智+graf(グラフ) A to Z」
会場:吉井酒造煉瓦倉庫 弘前市吉野町2-1 (中央弘前駅からすぐ)
会期:2006.7.29-10.22


弘前出身のアーティスト・奈良美智と、デザイナーチーム・grafが組んで実現した芸術的事件。1展覧会ではあるが、県、市、大学、マスコミなどが協力・後援し、駅や商店街のあちこちに案内掲示がでて、オリンピックでも開催中のような勢いだった。
酒づくりに使われていた大きな倉庫に、2003年から世界各地で現地の廃材を使って共同制作した44の小屋が再構成され、奈良美智ほか9人のアーティストの作品約300点が置かれた。
美術館で作品を鑑賞するふうではなく、テーマパークの中の路地を歩くようだった。全体を囲む倉庫の壁は、長年の工程で蓄積した黒い物質に覆われていて、それも圧巻だった。
新しく開館した青森県立美術館を見るために青森に来たのだが、奈良展の展示の時期にあわせてきて正解だった。

a to z 展会場の吉井酒造煉瓦倉庫

□ 日本聖公会弘前聖天教会
吉井酒造煉瓦倉庫のすぐ近くに[8月第1週]に書いた熊谷聖パウロ教会を思い出させる意匠の教会があった。
同じ聖公会の教会で、ほぼ同時期の1921年、アメリカ人ジェームズ・M.ガーディナー(1857-1925)の設計で建てられた。

■ 弘前の外にもおもしろい所があった

□ 盛美園 西谷市助
(青森県平川市猿賀字石林1 tel. 0172-57-2020 ) 

明治時代に、地元の旧家、清藤家がつくった庭園と邸宅。
庭を眺めるために2階に展望室をつくろうとして、大工を東京へ行かせ、西洋建築を学んでこさせた。1階が和風、2階がドームつきの洋風という珍しい建築ができあがった。
御宝殿というのもすごかった。清藤家の祖先を祀る巨大仏間で、中心に大日如来を安置してあるのだが、部屋じゅう金箔を貼ってある。30分ごとに公開され、3分間の案内放送を聞きながら眺める。

盛美園 1階が和風、2階が洋風 床の間脇の窓の桟がクモの巣の形
1階、庭に面した和室。
蜘蛛の巣模様の桟が珍しい。

□ 黒石ほるぷ子ども館
(黒石市温湯字派15-2 tel. 0172-54-8070 )

ほるぷ図書販売会社(当時)が黒石市に寄贈した子どものための図書館。
市街地にあるものと思いこんでいたが、レンタカーで市の中心部をさらに数キロ遠ざかって、温湯(ぬるゆ)温泉街の入口にあった。
菊竹清訓設計で、1976年に建っている。
菊竹清訓は、荒川下流、両国に巨大な江戸東京博物館を設計した人だが、青森のひなびた温泉街にこんな愛すべき図書館もつくっていた。
建物は小ぶりだが、大きな屋根、長くはりだした庇が、のびやかな印象をつくっている。庇の向こうに淡く色づきはじめている林檎の林がのぞまれる。

黒石ほるぷ子ども館 屋根上に読書する子のブリキ細工
屋根の上には本を読む子のブリキ細工。

□ 黒石市 こみせ通り

雪が深い地域なので、歩く人のために店が並ぶ通りに屋根をつけたのが、今も残っている。夏にも陰になって涼しそうだ。景色としても、陰影があって、味わいがある。
雨、風対策としてのアーケードも同じ発想なのに、アーケードは薄っぺらで魅力に欠ける。パリやウィーンのパサージュにもため息がでるほど美しいものがあるのに、なぜ日本のアーケード街では昼も降りたままのシャッターが並んでしまったのだろう。
と、余計なことまで考えてしまった。

黒石市こみせ通り 堤川が陸奥湾にながれこむ
こみせ通り 堤川河口

■ 堤川河口−荒川は八甲田から北上して津軽湾へ

青森市で、青森森林博物館から、青森県立保健大学に向かって市街を西から東に向かう。カーナビの地図で見ると、道は堤川を横切っていて、その川が湾に流れ込む地点が近い。少しだけの寄り道なので、見に行ってみた。
港特有の風景があった。大きな倉庫、クレーン、金属は錆びて、風景は寂れている。
低い土手を上がると、草地に、こういうところには珍しい展望用四阿(あずまや)があった。
台風が東の海上を北に向かっていて、雨と風が混じる。土色の水が海の青黒い水に混じるように流れ込んでいく。
堤川はどこから流れてくるのだろうと、あとで地図を見たら、上流は荒川という名前なのだった。八甲田山系から流れて、酸ヶ湯温泉付近を通って北上する。


■ 青森県立美術館−青森に縄文的美術館が生まれた
(青森市安田字近野185 tel. 017-783-5242 )

三内丸山遺跡の隣に美術館ができた。全国で最後の県立美術館。
設計コンペでは、大規模な縄文遺跡にあることを意識した青木淳の応募案が選ばれた。
白い煉瓦と、黒い土を、発掘現場のように、垂直方向に空間を組み立てる。
白い部分は、43万個のレンガを現場で積み、表面を白く着色してある。
黒い部分は、土とコンクリートなどの混合物で、硬い質感があり、光を反射しない。
垂直方向の組み立ての中心はアレコホールで、高さが19メートルある。収蔵品の目玉作品であるマルク・シャガール(1887-1985)のバレエ「アレコ」の背景画を展示するところとなる。

外から見る白い建物の姿はきれい。
中の展示室を歩いていると、思いがけずという感じで、アレコホールの断面に立つ。
アレコホールは、下に立つと高く、上から見下ろすと深い。およそ何階分の吹き抜けと簡単に目で計算できるような高さではない。スケール感の見当がつかない。
トイレに入ると、茫洋とした白い小世界がある。「2001年宇宙の旅」の最後の場面のよう。青木淳のトイレへのこだわりっていい。

特別展が開催されていた。
「縄文と現代−2つの時代をつなぐ『かたち』と『こころ』」
縄文的なものが現代美術館にどう関わっているかという視点なのだが、出品されているのが、ほとんど日本現代美術の通史にもなるほどの幅の広さで、そこまでいったらなんでもあり、なんとでもいえるだろうという感じで、途中から集中して見る気をなくしてしまった。

「追悼宗左近『縄文』コンサート」を聞いた。
夜のJAL便を予約してあって、それまでの時間をどう過ごすか迷っていたのだが、閉館後にコンサートがあり、当日券があるというので、聞くことにした。
アレコホールに椅子を並べてコンサート会場になる。
床に目がいくと、黒い土で、平でないし、表面がざらざらしている。掃除をどうするのだろうと思う。細い長いひび割れが、もうできているが、大丈夫なのだろうか?

外に出ると満月を過ぎて少し欠けた月がかかっていた。中秋の名月の夜前後から悪天候が続いていたが、久しぶりに秋の月を見た。
三内丸山遺跡から月を眺めてみたかったのだけれど、遺跡を閉める時間に月の出が間に合わなかった。
美術館の建物には木の形をした照明がいくつも灯って、きれいだった。

弘前、青森を、雨に降られながら歩いたのだが、最終日にようやく晴れて、岩木山も姿を現していた。
最後に、青森県立美術館でコンサートを聞いたあとの、のぼってきた月を眺めて、いい旅のしめくくりになった。

三内丸山遺跡から歩くとこの入口に向かっていくことになる。
遺跡の発掘現場が凹な形をしている上に、凸を逆さにした建築物をかぶせたというコンセプトが、この角度からだとよく現れている。
青森県立美術館の夕景


■ 荒川河口を、夜、空から眺める

飛行機が羽田に近づくと、空港が混んでいるので、旋回して時間待ちになった。東京の広い夜景の上を、飛んでいるというより、ゆっくり、浮きあがったまま滑っていく。
東京上空にしては、この夜は空気が澄んでいて、すばらしい。
高いところが好き。
至福だ。
もし不意の死があるとしたら、地下鉄で埋もれるより飛行機で落ちるのがいいと思う。
ジョン・レノンより、サン・テグジュペリ。
ようやく着陸体勢にはいると、ディズニーランドが見え、荒川河口が見えた。前にはきらめく灯りや、大きな建物にばかり目が向くところだったけれど、このところの荒川めぐりで、河口を探してしまった。
流れが海に出る先には、ひげの形の2つのなぎさも確認できた。陸の輝く光でもなく、海の反射する光でもなく、光を吸い込むようにしてひっそりとある。
前には、全然こんなのには気がつかないところだった。
青森の月が最後の見ものかと思ったが、もう1つ大きなショーを見せてもらった。

参考:

  • 『埼玉県指定文化財 歓喜院貴惣門修理工事報告書』 妻沼聖天山歓喜院 2006
  • 『日本怪奇幻想紀行 六之巻 奇っ怪建築見聞』 水木しげる、毛綱毅曠 他 同朋舎 2001
  • 『幕末維新懐古談』 高村光雲 岩波文庫 1995
    *「蠑螺堂百観音の成り行き」に、本所五ツ目の羅漢寺の栄螺堂が解体された後日談がある。
  • 水戸芸術館 http://www.arttowermito.or.jp/atm-j.html
  • docomomo100 http://www.docomomojapan.com/index_jp.html
  • 『前川國男 賊軍の将』 宮内嘉久 晶文社 2005
  • 『建築紅花青鳥図』 増田彰久、藤森照信、塚本邦雄 三省堂 1983
  • 『パサージュ論』 ヴァルター・ベンヤミン 今村仁司・三島憲一 他訳 岩波書店 1993