10月第2週 路地の1−寄居の洗濯船


夜、寄居の町の不思議な通りを歩いたことがある。
数年前、自然史博物館に通っていたころのことだった。仲間とどこかで飲んで別れたあとだだったか、ひとりでいて、寄居駅から秩父線の上り電車に乗るところだった。
待ち時間が20分くらいだかあって、僕はただじっと待つのが苦手なものだから、まちなかに散歩にでた。
狭い道がくねくねしている。先が見通せないので、どこへ行くのだろうと引き込まれる感じがある。
せいぜい9時ころだったろうか。たいした遅い時間ではなかったと思うが、人通りがほとんどなかった。
格別かわってるとか、豪華だとかではないが、おざなりではなく、ちょっとした意匠にまで気を配って建てたらしい家がポツリポツリとある。
電車を待つあいだだけだから、駅からたいして離れないのに、ひっそりとして、不思議な感じがあった。
つげ義春の漫画のなかに入ったような。
夢の中のまちを歩いているような。
寄居の町はおもしろいところのようだと思ったのは、そのときが最初だった。

永井荷風の『日和下駄』には、「路地」という章がある。

西洋まがいの建築物とペンキ塗の看板痩せ衰えた並樹(なみき)さては処構(ところかま)わず無遠慮に突立っている電信柱と又目まぐるしい電線の網目の為めに、云うまでもなく静寂の美を保っていた江戸市街の整頓を失い、しかも猶(なお)未だ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加わる事も出来ない。さればこの中途半端の市街に対しては、風雨雪月夕陽等(ふううせつげつせきようとう)の助けを借(か)るにあらずんば到底芸術的感興を催す事ができない。表通(おもてどおり)を歩いて絶えず感ずるこの不快と嫌悪の情とは一層(ひとしお)私をして其の陰にかくれた路地の光景に興味を持たせる最大の理由になるのである。

荷風には、晩年、ケチで頑迷な老人だった印象があり、こういう文章を読むと、そういう老人が昔を懐かしむ感情で路地を歩いていそうに思える。
でも、これは1915年の刊行で、荷風は36歳。79歳の生涯うちの、まだ半ばの時期、1903年から1908年のアメリカ、フランス滞在から帰って7年後の文章だ。
どんどん町の姿が変わっていってしまうが、しかもその変わり方がまるで芸術的感興をそそるような美しいものではない。そこで、変わらない古い家の姿、生活を懐かしむ気分になる。
一見、それは老人の懐古的感情によるものに思われるが、むしろ欧米で磨きをかけてきた、壮年の鋭い感性が感じとっていたことだった。

荷風の文章から90年もたつのに、日本の街並みの水準はほとんどあがっていない。
大震災があり、戦争・空襲があり、バブルもあって、たくさんの街並みが新たに更新しているのに、目障りな電柱と電線、ちゃちな表面を見せる新建、乱雑な看板など、水準は改善していない。
今、路地が人の気持ちをひきつけているが、すでに20世紀のはじめのころに、路地への愛着をもって歩き、文章に残した荷風の感覚の鋭さ、先見性に感嘆させられる。

寄居のまちは全国金太郎飴的凡庸さに陥っていない魅力がある。
狭い路地はうねっていて、たいてい中央にコンクリートの板が並ぶ。かつてはどぶ板と呼ばれ、排水の流れが見えていたのだろう。
朝、出勤の途中で、よく自転車であちこちの路地を抜ける。
蔦をかぶった蔵があったり、意外な大木が突然現れたり、古いつくりの病院が廃業してひっそりと木に埋もれていたり。
本で調べるとか、話をきくとかすると、物語になるような歴史を秘める場所があったり。
あちらこちらの路地に入りこむたびに、感興をそそるものに行き当たる。
ただ惜しいのは、寄居の町では路地が裏通りと意識されているみたいで、ほとんどの家でおしゃれをしていないこと。荒川河口の佃島あたりの路地みたいに、花や木を手入れして飾るようにしてくれると、通り抜けるにも、もっと気分がいいのにと思う。

寄居の路地

■ 洗濯船
(埼玉県大里郡寄居町寄居984 tel.048-581-4097 )

寺の脇を抜けて表通りに向かう路地を行くと、喫茶店がある。
「洗濯船」というのは、20世紀初め、ピカソなどが集まったパリのアパートで、パリが遠い憧れであった時代の気分を漂わせている。
黒っぽい外観、内装で、落ち着く。
店主が1つ1つ選んで集めたコーヒーカップに、ていねいにいれてくれる。
スターバックスでもマクドナルドでもない、地元に住む人が営む店があることも寄居の路地の魅力の1つだ。

惜しいのは、この喫茶店から表通りのまでの間が広い空き地で、路地の奥に訪ねあてる感じが薄まってしまっていること。
でも、荷風の『日和下駄』で、「路地」の次が「閑地」(あきち)になっていることにならって、いっそ、喫茶店の前に木の塀をたて、草の地面に土管を下から3−2−1本と積み上げ、のび太やしずかちゃんやスネ夫やジャイアンがいそうな空き地にしてくれたら楽しいと思う。

寄居のカフェ、洗濯船 寄居の路地の井戸

この近くで井戸を2つ見つけた。
1つは、「洗濯船」から駅に向かったほうにあった。
簡素な屋根がついている。
手押しポンプは外されていて、電動のポンプでくみ上げて、近くの地下水が必要な作業場で使われている。
かつてはここに水を汲みにきた人たちが集まって、にぎやかに話しこみながら炊事や洗濯をしていたことがあったかもしれない。
もう1つは、別の方角にあって、こちらには手押しポンプがあった。道が庭先にそのままつながっているようなところにあり、庭には洗濯物がたくさん干してあった。写真をとるのを遠慮したが、生活感覚があって、とてもいい感じだった。
毎日の暮らしには水の流れが欠かせない。ポツリポツリと井戸があり、蓋をされた排水溝が家々の間を縫っていた。
路地には井戸が似合う。

参考:

  •  『日和下駄』 永井荷風 講談社文芸文庫 1999