10月第4週 美術館が建築を見て回る−深谷の近代建築ツアー


埼玉県立近代美術館に、もと田中幸人という館長がいらした。(名は「ゆきと」だが、「コージンさん」と親しまれていた。)
建築に興味が深く、美術館でも建築に関する企画をしたがっていた。でも建築の展示は経費がかかるので実現できないまま、2002年の熊本市現代美術館の開館にあわせて移り、2004年に亡くなられた。
その後、埼玉県立近代美術館では、経済事情からますます金がなくなり、建築を美術館の中でしようとするから経費がかかるのだから、出て、見に行ってしまえばいい−ということでかどうかわからないが、このところ建築を見歩く企画を続けている。

先日は深谷市でツアーがあり、参加した。
深谷に建築的見どころは少なくないが、今回の見学先は煉瓦を中心にしていた。
市の中心部では、
  1 小林商店 1912年 砂糖の倉庫
  2 滝澤酒造 1900年ころ? 造り酒屋
  3 旧福島屋商店 1921年 コンニャクの原料倉庫兼工場
  4 旧田中藤左右衛門商店 1932年 造り酒屋
  5 深谷商業高校記念館 1922年 洋風校舎 登録有形文化財
郊外では、
  6 日本煉瓦資料館 1888年  (国指定重要文化財)
    ホフマン輪窯6号窯 1907年 (国指定重要文化財)
    旧変電室 1906?年  (国指定重要文化財)
  7 誠之堂 1916年(田辺淳吉設計)  (国指定重要文化財)
    清風亭 1926年(西村好時設計)  (埼玉県指定文化財)

■ 滝澤酒造は、今も酒をつくっている、造り酒屋さん。
酒をつくるには、広い敷地と、大がかりな装置が必要になる。
経営者に、建築とも関わりながら日本酒の作り方全般の説明していただいた。日本酒の現状の厳しさの一端がうかがえる。どういう酒を飲むのか、どいういう酒をつくるのか、酒が文化であると、あらためて思う。
滝澤酒造の蔵を見学する人たち

■ 田中藤左右衛門商店も造り酒屋なのだが、もう製造はやめている。
当日案内に加わっていらした、まちづくりのNPOが、来年をめざしてまちづくりの拠点につくりかえる準備を進めているという。
敷地が広いので、この日はテレビドラマのロケのセットを作っているところだった。いくつかある蔵の間を、すっかり路地にしたてあげようとしている。元はない店、小さなお宮まで作って、下には商店にかかげる看板が数種も用意してある。
撮影のセットを作っているところ

■ 深谷商業高校記念館は、登録有形文化財に指定されている。
でも手入れが十分にされていなくて、傷みがはげしい。危険なので、中には入れなくなっている。
塗装がはがれるくらいではおさまらず、板が破れたりして、雨風も中にはいりこんでいるようだ。補修には数千万円かかってしまうといい、経費が手当てされない。加速度的にいたんでいきそうで、参加者たちが、悲しみ、憤る。

深谷商業高校記念館の全体の様子 近づいて見ると穴があいてしまっているところもある

(中央左よりの拡大。はっきり穴があいてしまっているところまである。)

 昼食は、深谷名物の煮ぼうとうを虎ひげでいただく。
(深谷市田谷282 tel. 048-573-2443 )

■ 日本煉瓦製造株式会社は、東京駅の煉瓦を焼いた、由緒あるところだが、今年、製造をやめた。今は会社を閉める整理をしているところで、その後、輪釜など、ここの歴史的施設がどうなるかは未定だという。
資料館は前にも見たことがあり、煉瓦の製造法など、ジオラマでわかりやすく説明されている。

変電室の全体 変電室は細部までデザインの目が配ってある

旧変電室。草地にポツンとある風情がとてもいい。全体の構成も美しいが、煉瓦の積み方を場所によって変える、角を落とす、など、よく見ると、細部にまでデザインの意識が注がれている。

輪釜(わがま)には、初めて入った。ドーナツ状の窯が、いくつかの部屋に仕切られている。焼成、冷却、搬出などの行程を順に繰り返して効率的に煉瓦をつくるように設計されている。
窯じたいが煉瓦で作られて、アーチ状に曲線を描く見事な表面に見とれた。

■ 誠之堂(左)は、渋沢栄一の喜寿の祝いに、清風亭(右)は、渋沢栄一の跡を継いで第一銀行第2代頭取となった佐々木勇之助の古希の祝いに建てられた。
大きな建築ではないが、心がこもっていて、気持ちのいいものになっている。
世田谷にあったが、取り壊しの方針がでたときに深谷市が引き取ることを申し出て、1999年に移築された。

せいしどう せいふうてい

深谷は地理的に近いこともあって、すでに見知っていた建築もあるのだが、こんなのもあったのかと新鮮に見もした。でも、つかわれなくなったり、保存状態がよくなかったり、満足感とわびしさが半ばする見学会だった。
渋沢栄一は一深谷の偉人というより、日本近代に資本主義を根付かせた大偉人だったが、それによって私財を蓄えるのではなく、ひたすら社会のために貢献したことを誇りにした。
私財とはいわなくても、目に見える蓄積をしてくれたらよかったのにと、時折り考える。誠之堂も清風亭もすてきな建築だが、壊されようとするときに辛うじて出身地の深谷に移築され、形として目に見えるようになっている。
そのほかには、渋沢栄一がモノとして地元に残したものは少ない。
もし渋沢が芸術に関心があって、アメリカの大富豪のように、あるいは大原孫三郎や五島慶太のようにコレクションにも意を注ぎ、深谷にメトロポリタン・ミュージアムや大原美術館ほどのものができていたら、深谷といわず、埼玉県といわず、日本全体の文化状況が、もう少し違っていたのではないか−と、歴史的過去に「もし」をもちだしても仕方がないのだが、よく思う。

参考:

  • 埼玉県立近代美術館 http://www.momas.jp/
  • 熊本市現代美術館 http://www.camk.or.jp/
  • NPO住まいとまち創り集団・木犀
  • NPO深谷にぎわい工房
  • 深谷シネマ http://fukayacinema.com/
  • 『美味しんぼ』 第54巻 雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館 1996
  • 『渋沢家三代』 佐野眞一 文藝春秋 1998