11月第1週(2) 立正大学のキャンパスを川が流れて荒川へ 


立正大学川の博物館は、環境関係で連携事業を実施するなど、縁が深い。
その立正大学の文化祭に行った。
キャンパスが広いので、前に数回訪れたときはポツンポツンと点景のように学生が歩いているのを見かけるふうだったが、今日はさすがにあちこちに人だまりができて、にぎやかだった。ライブ演奏があり、模擬店があり、室内ではそれらよりはちょっと地味にサークルの発表があった。

立正大学は1872年、東京芝二本榎に宗教院を設立して以来の歴史がある。
1904年に品川区大崎に校舎を構えたが、熊谷にも新しいキャンパスが1967年に作られた。
新校舎群を設計したのは槇文彦(1928- )。
幕張メッセ(1989)、東京体育館(1990)、テレビ朝日六本木本社ビル(2003)などを設計し、1993年には建築界のノーベル賞とたとえられるプリッカー賞を受賞している。(ほかに日本人受賞者は丹下健三と安藤忠雄の2人だけ)
立正大学の設計は、槇文彦がハーバード大学で学び、教え、帰国して、1965年に槇総合計画事務所を設立してまもなくの時期だった。
長い年数を関わって街並みをつくっていった代官山集合住宅(ヒルサイドテラス1969年-)の先駆となるような、ただ建物を並べてあいだに庭を配するのではなく、都市のなかの建築群のように街路を構成し、当時、とても新鮮な驚きを与えた。
また埼玉県内にはユニークな学校建築があるが、その先駆ともなるものだった。(東野高校:クリストファー・アレグザンダー1985 笠原小学校:象設計集団1982 埼玉県立大学:山本理顕1999など)
今でこそ槇文彦が設計した数々の建築は質量ともにたいへんに厚いものだけれど、まだその実績が積み重なる前の若い槇文彦に校舎群の設計をまかせた大学の先見性に畏敬の念を覚える。

僕がとくに好きなのは、1号館の吹き抜けの廊下から両端の階段付近。
廊下は、教室間を移動する単なる廊下にしては広く、それ自体が1本の街路のようになっている。学校建築に吹き抜けの廊下が作られるのは今ではよく見かけるが、当時としては先駆的試みだったと思う。片側がガラス面で明るいが、軽くなってしまわず、きっかりと広い高い空間を確保している。
1列に並ぶ照明もきれい。
つきあたりの階段室も開放的で閉塞感がなく、なにか異国の建築のなかにいるような気分になる。


建築を味わう楽しみは、写真や文章ではなくて、その場に立ってみなくては本当には味わえないものだけれど、ここでは「そこに立つ」という建築的経験、快楽を十分に味わせてくれる。
都市の街路のような校舎群とは反対側の屋外にでると、見事な桜並木があり、その下を和田吉野川の分水路が流れている。この細い流れは、和田吉野川の本流に合流して数キロ先の吉見ゴルフ場付近で荒川に流れこむ。 
桜並木は、今は枝ぶりが見えるばかりだが、春には見事な花ざかりになる。
こういう環境で学べる学生の幸福を思う。


ほとんど何ごとにつけといっていいと思うのだけれど、「正統であり、一流であり、心がこもっている」ことがだいじだと思う。
正統であるということは、権威があるとか、主流であるとかいうこととは違う。
一流であることは、一番であることとは違う。
どちらも質の歴史・内容、質の深さ・高さのこととしてある。
このキャンパスを歩いていて、そういうことを考えた。