11月第3週 本田宗一郎の空への憧れ+藤森照信が呆れたほどの邸宅 


桶川市の市街から県道川越栗橋線を東に向かうと、太郎右衛門橋で荒川を越える。橋から左手の河川敷に飛行場が見えて、本田航空株式会社がある。
さらに東には、僕が偏愛する遠山記念館があって、そこには先週行った秋野不矩美術館を設計した藤森照信を呆れさせたほどの材をつかった邸宅がある。
そんなところを見たあと、昼食は島崎藤村ゆかりの小澤屋でうなぎを食べた。

■ 本田航空株式会社
埼玉県比企郡川島町出丸下郷53-1 tel.048-299-1111
http://www.honda-air.co.jp/

荒川の土手の外側に本社のビル、内側(川の側)に飛行場がある。
ビルには埼玉県の防災基地が同居している。(正式名称は「埼玉県危機管理防災部 防災航空センター」)。ビルのすぐ近くにヘリポートがあって、埼玉県の防災用ヘリ2機が発着する。ヘリの名は「あらかわ」と「あらかわ2」。

外国にまで進出する自動車メーカー、ホンダを創業した本田宗一郎の、少年の日の最初の夢は飛行機だった。1917年、10歳のとき、浜松で航空ショーが開かれるというので、学校をさぼり、親に内緒で、自転車をこいで、天竜から見に行き、大興奮して帰った。その後、自動車に熱中しながらも、飛行機の夢を忘れたのではなかった。
本田航空のビル内の壁には、ホンダフライングクラブの会員名簿が掲げてあるが、最初に「初代会長・本田宗一郎」の名がある。
宗一郎は 年になくなったが、ホンダは創業者の夢を受け継ぐかのように企業としても飛行機にこだわり、2006年8月にはホンダエアクラフトカンパニーを設立し、小型ジェット機市場への参入を発表している。

土手を越えて荒川の河川敷にでると、滑走路がある。
ざっと数えて20機以上あるだろうか、たくさんのセスナ機が駐機していて、ときどき離陸していくのもある。
遊覧飛行ができて、近くなら1万円くらい、長瀞や東京タワーが4万円、江ノ島まで行くと8万円くらいで、3人まで乗れる。
そのほかにパラセイルなどの空のスポーツにも使われている。ここに初めて来た時、セスナ機が、これから飛び降りる人たちを乗せた後部、横のドアを、開いたまま離陸していくのを見て、えっ!と驚いた。パラシュートなんかをつけていて、まもなく上空にいったら飛び降りるのではあるけれど、僕みたいにうかつなヤツだと離陸の途中でこぼれてしまいかねない。

トレーラーハウスの上がガラスの展望塔になっていて、これが管制塔らしい。
この日ハパラセイルのグループがいくつか来ていて、20分間隔くらいかで、数人づつ乗せてセスナが離陸し、やがてパラセイルをつけた人が地上の目標をめがけてゆらりゆらりと舞い降りてくる。
下のベンチでは、飛行機好きらしいおとうさんが、小さな子を連れて眺めていたりする。
大空港みたいに、複雑な建物の中にコンピュータ仕掛けのシステムがカチっとできていて、たくさんの人がパーツで働いているのと違って、ここにはもっと原初的な、ナマな空への憧れが漂っているようだ。


■ 遠山記念館
埼玉県比企郡川島町大字白井沼675 tel.049-297-0007
http://www.e-kinenkan.com/

車で数分で遠山記念館に着く。
邸宅と美術館があって、邸宅と美術品の保存・公開のために、1970年に財団法人遠山記念館として開館した。

邸宅は、川島町出身の日興證券の創立者・遠山元一(1890-1972)が、苦労して育ててくれた母・美以(1866-1948)の住まいとするために建てたもの。
設計監督は東京帝大出身の建築家、室岡惣七、大工棟梁は中村清次郎。
1936年に竣工し、当時の建築水準を示すものとして登録有形文化財に指定されている。

広い邸宅を見て回ると、材料にいちいち説明がついているほど、贅を尽くしている。藤森照信は、ほとんどやり過ぎではないかというニュアンスもまじえて、こう書いている。

埼玉の遠山家(音楽評論家の遠山一行さんの実家)のムクの桐のドアーは畳一枚分。中に畳が何枚も入っているような桐の木なんていったいどんな姿で立っていたんだろうか。本当に鳳凰が巣をかけていたんじゃあるまいか。
(『天下無双の建築学入門』 藤森照信 ちくま新書2001)

藤森照信自身が、屋根にタンポポを植えた住居だの、高い樹木の上の小屋だの、常識からはみ出し、人を呆れさせてきた人だが、その人をこれだけ呆れさせるほどの材を集めている。
でも、金をかけた、これみよがしのところはない。
建築が何で、建築家が誰だったか忘れたが、高名な建築家がいい建築を作って、「これだけ金をかければいいのができて当然でしょう」のような言われ方をしたときに、「金をかけていい建築を作れるのも技量のうちだ」というようなことを言っていて、なるほどと思ったことがある。バブルの頃の建物では、金をかけるために無駄な材料を使ったり、無理に壁なんかを増やしたりしたようなのを見たことがある。
この邸宅は、たしかにたいへんな費用をかけているのだろうが、嫌みなところがなく、穏やかで上質な印象を受ける。

美術館のほうの竣工は1970年、設計は今井兼次(1895-1987)。

設計のはじめから私の心境のなかで大きい比重となっていたものは、先生御母堂の面影をこの建物に一粒でもかげに打ち込んでゆきたいとの願いであった。
(『面影』 今井兼次 新建築1971年2月

美術館はいくつもあるが、このように優しく暖かくくるんでくれる建築は僕はほかに知らない。
その中に展示されるものは、展示室のやさしさに似合わないという気がするほどの驚異で、遠山元一のコレクションに第2代館長であった山邉知行の染織品などが加わり、質も対象分野もすごい。
紀貫之と伝えられる書があり、ナスカの壺があり、アジアの裂(きれ)がある。
訪れるたびに、大事なコレクションを少しずつ、こっそりと特別に見せてもらっているような感じになる。

邸宅も美術館も、正統で、一流で、心がこめられている。ぼんやりそこにいるだけでも心地よいものだが、また気をつけて細部をみていっても、邸宅の窓の装飾、欄間の彫刻、照明器具、美術館の壁の淡い彩色の絵、床の模様など、限りなく目を楽しませてくれる。

左が邸宅、右が美術館。どちらも外観の一部だけ。この中に数えきれない美しい細部が満ちている。

● 小澤屋
埼玉県比企郡川島町伊草868 tel.048-297-0214

遠山記念館から国道254号を南に向かう。
やがて越辺川(おっぺがわ)があって落合橋を越えると川越市に入ることになるが、その橋を渡る手前で右に入る。
土手の下に小澤屋という川魚の店がある。

1930年代の中頃、川越に妻の実家があった島崎藤村は、このあたりでの船遊びを好んで訪れては、ここで仲間と食事を楽しんだ。「山は静かにして 性をやしない 水は動いて 情をなぐさむ」という書が保存されている。

越辺川の堤防のすぐ下に店がある。 廊下のみごとな梁。左に庭−堤防−越辺川。右に座敷。


のどかな休日の昼、妻と差し向かいで座敷でうな重を待つ。
廊下があって、庭になる。障子を開け放っているので明るい。庭の向こうには空が広がっていて、その下に水が流れる気配がある。
うなぎが焼き上がるには、かなりの時間待たされるが、やがていい香りがしてきた。
もうすぐ来るぞ!と気持ちが高まる。
四角い膳にのせてうな重が届く。吸い物のほかに、菜と果物が1皿ずつあって、彩りがとても鮮やか。
刺激が、鼻にきて、目にきて、次はいよいよ舌に。

食べ終えて土手に上がってみる。
アシの原の間を水が流れている。越辺川はすぐ先で入間川(いるまがわ)に合流 し、入間川はしばらく下ってJR川越線をくぐる手前で荒川に合流する。

参考:

  • 『天下無双の建築学入門』 藤森照信 ちくま新書2001
  • 『面影』 今井兼次 新建築1971.2月
  • 『和風建築の粋 遠山邸』 財団法人遠山記念館 1995