11月第4週 牡蠣の1−気仙沼から石巻 


寄居の荒川岸辺に、牡蠣の化石が高い崖一杯に埋もれているところがある。
牡蠣にはこだわる理由があって、数年前、広島の宮島の民宿に泊まって焼き牡蠣がでて、初めて牡蠣のおいしさに目覚めた。牡蠣ってこんなおいしいものだったか!
気仙沼で牡蠣の養殖業を営む漁師が、牡蠣が元気に育つには川から流れこむ水が大事で、その水は森が生みだしていることに思い至って、山に木を植え始めた。その考え方は広く理解されるようになり、その運動が各地に広がっている。
で、水と森と海の関わりについて見てみようと(実はおいしい牡蠣が食べたくて、牡蠣がおいしい季節になるのを待って)気仙沼に行くことにした。

■ 気仙沼
□ 舞根湾 かき研究所 九九鳴き浜
山に木を植えることを始めた牡蠣漁師・畠山重篤さん(現・京都大学フィールド科学研究センター教授)が暮らす舞根(もうね)湾に、朝早く行ってみた。まだ日が昇る前で、水面に霧がかかり、風景全体が青色一色のモノクロになっている。こじんまりとして、ほとんど湖のような、静かで、詩情いっぱいのすてきな場所だった。

舞根湾の朝の景色

「舞根浜」への案内板の先には、かき研究所があった。
近くにある九九鳴き浜にも行ってみた。とても粒の細かい砂で、しっとりした和菓子のような質感がある。波の音と重なって聞き取りにくいので、前かがみになって耳を砂浜に近づけて歩いた。くっくっとなっているようだ。
歩いているうちに朝日が昇ってきた。

99鳴き浜に朝日が昇る

□ リアス・アーク美術館 
宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5  tel. 0226(24)1611
http://homepage2.nifty.com/riasark/

船をモチーフにした美術館が小高い丘の上にあるので、空を進んでいるような躍動感がある。建設時には鉄板を加工・溶接するのに、気仙沼の鉄材加工会社・高橋工業の技術が生かされた。
石山修武の設計で、全体に強い造形感覚があふれている。

リアス・アーク美術館は船のような形

美術系と民俗系の展示があるのだが、民俗系の展示では、解説の文字やイラストを手書きでしていて新鮮だった。はじめに「"なるべく"ふれないでください」と書いて、お辞儀してお願いするイラストつき。
手書き文字にすると、文章も冷たい解説調にならずにやさしくなってくる。わかりやすくていい。
牡蠣の養殖の、ホタテ貝をいくつもつないで垂らす方式の1/8のレプリカが作ってあった。

○ 夢の舎(ゆめのや)
リアス・アーク美術館内のレストラン。
牡蠣を食べたくて来たのに、ここで昼どきになってしまい、しかも丘の上で近くに店がない。しかたなく美術館内のレストランに入って日替わり定食を食べた。
地鶏の野菜入り黒酢あんかけ。五穀米のおむすびはおかわり自由。席からは気仙沼市街をみおろす好眺望つきで500円というお手頃で、思いがけずとても満ち足りてしまった。

□ 世界一のマグロの貯金箱
リアス・アーク美術館を設計した建築家・石山修武は、旧カツオ節工場跡地で、大漁旗を50枚も縫い合わせた背景幕を仕立てた唐桑臨海劇場を催すなど、気仙沼の街づくりにも関わっていろいろなしかけをした。
気仙沼港の岸壁には世界一のマグロの貯金箱。口から100円玉1個を投げ入れると、奥のほうで、かなり硬貨が積み上がっていそうな鈍い音がした。
大黒さんがマグロを釣り上げる貯金箱

□ 矢越山
海で牡蠣の養殖をしていた畠山重篤さんが、最初に山に植林を始めたのは、JR大船渡線の北側の室根山(むろねさん895m)だったが、今は南側の矢越山(やごしやま519m)で行われている。どちらも岩手県一関市になり、気仙沼湾に注ぐ大川の源流になる。
リアス式海岸というのが、川が削った谷に、陸が沈んで海が入りこんだ地形だから、川と縁が深い。気仙沼湾−大川、広田湾−気仙川、大船渡湾−盛川(さかりがわ)、越喜来湾(おきらいわん)−浦浜川、宮古湾−閉伊川(へいがわ)というように、小刻みにある湾に、いちいち対応して川があり、その川からの水が豊かな水産物を育てている。

矢越駅から南に歩いていくと、「ひこばえの森交流センター」がある。毎年 6 月第 1 日曜日に大漁旗を押し立てて植樹をするが、そういうときの集まりの場に使っているのだろう。
山道に入っていくと、「ひこばえの森」がある。
苗木の1本、1本に、学校名・学年・名前・メッセージを記しているのもある。

山頂まであがると全方位の好展望が開けた。
室根山のやわらかな山容。
低い山並みに挟まれた間を細い大川とJR大船渡線と道路とが、気仙沼市街と気仙沼湾に向かっている。
矢越山山頂には小さな祠

こんなに展望が開ける山なのに、矢越駅から向かうときには、どこにあるのかはっきりつかめなかった。室根山は途中からもずっと見えていたし、ここからもはっきりと姿がでている。
畠山さんの文章によると、海上での位置を確認する目じるしにする山があって、「山測り(やまばかり)」というそうなのだが、なるほど室根山はぴったりで、特別な信仰の対象でもあるようだ。

気仙沼の宿に泊まった。牡蠣とフカヒレが名物で、ほかに鮫の心臓の刺身なんていうものも初めて食べて、海の幸を堪能した。


■ 登米
新・旧の北上川が分岐する位置に登米(とめ)市がある。
北上川は全長249kmあり、岩手県の水源から、宮沢賢治の花巻、松尾芭蕉の平泉、大友克洋、石ノ森章太郎の登米を経て、石巻湾に注いでいる。
(大友克洋の『童夢』は、漫画の小さなコマで、映画の大画面のような迫力を描いていて衝撃的だった。その大友と石ノ森は同郷、同高校だとこの旅の機会に知った。)
下流域にしばしば洪水が起きるので、1912年から1934年まで22年をかけて放水路をつくる工事をして、新北上川は東に向かって追波(おっぱ)湾に流れこむようにした。もとからの石巻湾に南下するほうは旧北上川となっている。
このあたりの変遷は荒川と隅田川の関係に似ている。
「登米」は、本来「とよま」だったが、明治時代に中央から来た官僚が「とめ」と読んでしまったために、公的な場面で使われる「とめ」と、昔からある「とよま」とが混在している。「登米市」は「とめし」。「登米」がつく施設などいくつもあるが、部外者は「登米」の字を目にしたとき、どちらに読むのか、きいてみないとわからない。
川の水運で栄えた後、時代の変化に乗り遅れていたが、その結果、かえって古い街並みが残る貴重な存在になっている。

□ 教育資料館
宮城県登米市寺池桜小路6 tel. 0220-52-2496

教育資料館、登米懐古館、水沢県庁記念館、警察資料館、伝統芸能伝承館・森舞台が中心の見どころで、5館共通の観覧券を買って回った。中でもよかったのが、この教育資料館。
1888年にできた登米高等尋常小学校の校舎で、国の重要文化財に指定されている。

当時新しかった洋風学校建築で、中庭をコの字形の校舎が囲み、コの字の両先端に六角形を半分に切った形の昇降口がついている。
中庭に面した側が廊下になっていて、ほとんどの校内の動きがお互いに見えている。
もと登米小学校は3つの棟で中庭をはさむ形

1973年に校舎としての役を終えたが、その後も市内の学校の改築時に仮校舎として使われたので、このあたりに住む人は、家族の何代もが同じ校舎で学んだ記憶を共有している。
軒の下の○2つで柱をはさむデザインとか、階段の端の角を落としていることとか、かつての公共施設は心をこめて作られていた。住民が建設費に大きな寄付をし、完成したときには夜、校舎の前に電球を灯し、今でいうライトアップのようなことをして、たくさんの人が見物に訪れたという。
子どもが学ぶ場は、このように心をこめて作られるといい。言葉だけで、法律だの、指導要領だのの議論をしても明るい未来は開けないのではないか。
この校舎を歩いていると、しみじみした気持ちになってきて、こんなところで多感な時期を送れた子どもたちの幸福を思った。

□ 伝統芸能伝承館・森舞台
宮城県登米市寺池上町42 tel. 0220-52-3927

伊達政宗の頃からの伝統がある登米能(とよまのう)の舞台として1996年、隈研吾の設計で作られた。教育資料館などが集中する地域から少しはずれて、高校の脇を抜けると、ちょとした小高い林が見えてきて、その中にあった。

細い木材を横に組んだ高い塀のような、壁のようなものの奥に、しまいこむように作られている。舞台を客席側から見ると、うしろに木立が迫り、深い森のなかにあるかのように感じられる。歩いてきた途中の気分からすると、すぐ先にこんな深い印象をもたらすような舞台があるとは思えなかった。こういう場所にこのように位置づけて建築したことに最大の達成がある。 森を背景にした森舞台

鏡板は千住博。
舞台の床下は丸見えで、瓶がごろごろ転がっている。置き方は京都西本願寺北能舞台のを参考にしているという。能では床を踏む音も重要だから、こういう配置と傾きに決まるまでには、一見ランダムに転がしてあるふうだけにむしろ長い試行や経験の蓄積があるのだろうと思う。
屋外の舞台なので、夏の日射しにも、冬の木枯らしや雪にも、さらされるまま。
6月と9月の第3土・日曜に、篝火をたいて、登米薪能が上演される。すてきだろうな。

○ ぶんき茶屋
宮城県登米郡登米町寺池中町74 tel. 0220-52-2129

かつて登米では麩を油で揚げることを考えた人がいて、油麩が作られた。さらにわりと最近になって、親子丼の肉が苦手な人向けに、かわりに油麩を使おうと考えた人がいて、近ごろ登米名物になっている。考えだしたのは旅館の人らしいのだが、その店は休みだったので、警察資料館そばのこちらの店に入った。
メニューには「丼」とあるが、「重」に盛られてきた。油麩を卵でとじてある。適当な軽さだが、適当な満腹感があって、550円。定番メニューになるのももっともだと納得した。

すぐ近くを北上川が流れている。土手に上がると、なかなかの感じの休憩場所が作られているので、のどかな川景色を眺めながらひと休みしてから、下流の石巻に向かった。

■ 石巻
□ 宮城県慶長使節船ミュージアム
宮城県石巻市渡波字大森30-2 tel. 0225-24-2210
http://ww51.et.tiki.ne.jp/~santjuan/

伊達政宗は、欧州貿易を開くために、支倉常長(はせくらつねなが)を使節とする一行を1613年、近くの月浦から出帆させた。このとき作られたのが木造洋式帆船サン・ファン・バウティスタで、常長を送るのと迎えるのと、太平洋を2往復した。
その船を復元したものと、背景を説明する施設とが、崖に挟まれた入り江の地形を生かして作られている。

崖にはさまれた入り江に船とミュージアムがある

石巻市街からは橋を渡るのだが、橋の南西は石巻湾で太平洋に広がる。北東の奥は万石浦(まんごくうら)という閉じた入り江で、そこは世界に牡蠣の種苗を供給する、牡蠣の聖地ともいえるところ。

施設は石井和紘設計で、1996年完成。あわせて船の復元も行われた。
船を順路にしたがって歩いていて、いちばん迫力があったのが、メインマスト。船底から立ち上がり甲板のいちばん高くにまで、甲板を貫いて伸びている。
メインマストは輸入米松を使い、3本の原木を1本に継ぎ合わせている。いちばん長い木は最長32mで、つないだ全高は48m。最も太い部分の直径は90cm。

10月第1週]に行った青森・三内丸山遺跡の大柱は、直径1mのクリ材で、高さ20m以上あったと考えられている。

古代出雲大社の社殿は、直径1.3mの木を3本たばねて1本として、直径は約3m、高さは48mあったという説がある。
出雲の神社の社殿と、奥州で作られた帆船は、ほとんど同じ高さだったことになる。約50mといえば、小学生のころ50m走の記録をとって、たしか10秒くらいかかっていたと思う。

木造帆船の復元はさまざまな重機をつかう現代でもたいへんなことで、当時最先端のハイテクだったのだろう。
帆船は海に向けて碇泊しているが、帆の向こうに海が広がる景色を眺めると、遠くへの行きたいという旅ごころをそそられる。

□ 北上川・運河交流館 水の洞窟
国土交通省東北地方整備局 北上川下流河川事務所
宮城県石巻市蛇田字新下沼80 tel. 0225-95-0194

http://www.thr.mlit.go.jp/karyuu/02monoshiri_menu/unga_kouryu_kan/top.html

登米から分かれた旧北上川は石巻湾に南下するが、途中の石井閘門(こうもん)から運河が分岐して南西に向かい、松島湾までつながっている。明治維新後、大久保利通が計画した国際貿易港構想によるもので、石巻と松島の間にある野蒜(のびる)に新しい港をつくり、 北部は北上川と北上運河により岩手県に、南部は阿武隈川と2つの運河により福島県、宮城県に水運を結ぼうとした。
1884年の台風で、建設途中の野蒜港が被害を受け、港は完成しなかった。運河はつながって、日本最古のれんが造り閘門である石井閘門は今も機能している。

石井閘門のすぐ脇、旧北上川に沿って「北上川・運河交流館 水の洞窟」がある。夕暮れ近く、あちこちに灯りがつき始める時間に着いた。
堤防の下に埋め込むように作られ、草に覆われ、犬を散歩させる人がいく。

内部は三日月型で2層。下の層では、始点の川の分岐から終点の湾まで、運河を船から撮影した映像が流れていて、仮想船下りができる。コンピュータ仕掛けで、映像を切り替えるとその地点のデータの画面や、付近のみどころを案内する画面に切り替わる。ゲーム感覚の解説もあって、小学生が数人、楽しそうに遊んでいた。

上の層は川を眺める展望室。設計者の隈研吾は、森舞台の道側の壁がそうだったように、細い部材を柵状に組む表現をよくつかうが、ここでは椅子もベンチも柵状。川辺の施設の基本は流れをさえぎらないことだから、ちょうどあっている。

北上川・運河交流館の外側の夕景色 北上川・運河交流館の中には映像の画面が並ぶ

*茨城県取手市の小貝川には、同じ隈研吾設計で、やはり堤防に埋め込むように作られた「県南総合防災センター」がある。
(茨城県取手市椚木103 tel. 0297-83-2776 http://www.jyouso-koiki.or.jp/no13.htm)


○ 水澤屋旅館
宮城県石巻市中央1-10-12 tel. 0225-22-2935

石巻市街、旧北上川河口の西岸の宿に泊まった。
夕方5時半ころ着いて、食事を6時ころにとお願いしたら、間に合わないので6時半にということにした。ところがさらに遅れて、実際に食事の支度ができたのは7時近かったのだが、なるほど時間がかかるのも無理はないというほどの、たいそうな料理だった。
さすが三陸の港町で、刺身の盛り合わせはサンマだのアワビだのウニだの、さまざま。石巻は鯨の水揚げ港ということで、鯨まである。
それにまるごと1匹の鯛や蟹や、さらに牛も豚も鶏もある。
牡蠣の本場だから、牡蠣はさまざまな料理があったが、とくに牡蠣鍋のホクホクした歯ごたえがうまかった。
宿賃を間違えて予約したろうかと心配になったくらいだが、翌朝支払ったのは初めのつもりどおりの1万円ちょっとだった。
10月第1週]に行った青森の邸宅で、蜘蛛の巣模様の桟が珍しいと思ったら、この宿にも蜘蛛の巣があった。こちらは糸だけでなく蜘蛛の姿もある。 窓に蜘蛛の巣の模様

□ 石ノ森萬画館
宮城県石巻市中瀬2-7 tel. 0225-96-5055
http://www.man-bow.com/manga/

石巻市は、石ノ森章太郎(1938-1998)を街の活性化の核にすえていて、その拠点施設が2001年に開館したこの萬画館。
石巻駅に行ったら、石ノ森の漫画のキャラクターで埋め尽くされていた。改札口の脇に立っていたり、正面のステンドグラスに描かれていたり。構内のコンビニの扉にも描かれ、駅前の郵便ポストの上にも立っている。
駅から石ノ森萬画館までのマンガロードにも、仮面ライダーだの、エッちゃんだのが立っている。石ノ森萬画館には駐車場がなくて、ただここだけ楽しんで帰ってしまうのではなく、街を歩いてもらうように考えてある。

銀行の前にはロボコン。 銀行の前に赤いロボコンが立っている

石ノ森萬画館は旧北上川の河口近くの中州にある。
雨の中、橋を渡って向かう。
橋からの漫画館の眺め

萬画館入口にはには大勢の漫画家の手形レリーフが並んでいる。最後に石ノ森章太郎に握手で迎えられて館内に入る。 漫画館入口では、石ノ森章太郎の手の彫刻が握手を待っている

僕は石ノ森章太郎の漫画では、渋い『佐武と市捕物控』とか、短編で叙情的なのとかが好きだった。ちょっと寂しそうな、悲しそうな眼の表情がいい。
萬画館は、休みの日など、かくれ展示がしかけてあるのを探す子どもたちでにぎわうらしいのだが、僕が行った雨の月曜日の午前中には、館内はさすがに閑散としていた。ほかのミュージアムなら静かに鑑賞できるというのはいいことだが、こういうところでは静かで惜しい気がした。

ミュージアム・ショップで、『サイボーグ009』の青いミニタオルと、チョロQを買った。チョロQは、萬画館に実際にあるHONDAのステップワゴンに石ノ森キャラクターを描いた「石ノ森萬画館号」をモデルにして作られている。

○石巻港魚類協同組合
宮城県石巻市魚町2-6-1

石ノ森萬画館で勧められた店に行って昼食にした。
「石巻魚類協同組合」という、魚の販売や加工をする組合の食堂で、プレハブの倉庫みたいな建物の2階にある。
テーブルが並ぶ中央には石油ストーブが燃えている。
テーブルの1つにたくさん漫画が置いてあって、さすが石巻。
850円のかきフライ定食を、カウンターで受け取って自分で席に運ぶ。なにしろ素材が本場なのだから、こういう簡素な店でもおいしい。

吹き降りなのでレンタカーの中からとる。 車の中からとった2階建ての食堂

(帰ってから数日後、この組合が自己破産を申請したという報道があった。港町・石巻を支えてきたが、200海里規制や大型量販店の出店などに影響を受けたという。)

□ 石巻魚市場 旧北上川河口
カーチェイスのロケに使えそうな長い長い石巻魚市場をのぞいてから、旧北上川の河口に行った。両岸から伸びる防波堤に導かれるようにして、川の水が海に流れこんでいた。
対岸には日和山がある。
盛岡高等農林学校の宮沢賢治(1896-1933)は1916年に寄居・秩父方面に地質を学ぶ旅をしたのだったが、その4年前の1912年、盛岡中学4年だったときには、北上川を川蒸気船で下り、日和山から初めて海を見て感動したのだった。
それにしても、なぜか河口を見に行くと雨が降る。青森の荒川、浜松の天竜川。
この日も、細い雨だが、風が強くて、わずかな時間でも外にいると服が濡れた。

左が借りていたレンタカー。
滑らないように気をつけて階段を上がって、鉛色の旧北上川河口を眺める。
雨の河口。車と、防波堤に上がる階段。

          ◇          ◇

気仙沼に牡蠣をめぐる海と山と川の関係を見に(本音は牡蠣を食べたくて)行ったのだが、気仙沼はフカヒレの町だった。石巻に南下してきて、牡蠣栽培につかうホタテの平べったい殻が大きな立方体になっているのを、ようやく見かけた。
でも石巻には豊かな海の幸があって、カツオにサンマにクジラにと、とりどり。
牡蠣にとって石巻は、全国に種牡蠣を供給する特別な場所なのだが、石巻にとっては豊かな海産物の1つに「牡蠣もある」くらいのようだった。
これまで食べたこともないサメの心臓の刺身なんてものまで食べたのに、牡蠣づくしを思い描いていたものだから、何となし、はぐらかされたような、物足りないような気分が残ってしまった。
旅の終わりころには雨に降られもしたし。
石ノ森萬画館は雨の月曜日で静かだったし、魚市場もせりが終わった時間に行ったので閑散だった。

そんななかで、たまたま通りかかって印象に残ったのは、アワビの港だった。リアス・アーク美術館を契機に、各地に鉄を加工する技術を生かした建築を実現している高橋工業が気仙沼市街の南部にあるので、登米に向かう途中で寄ってみようと、レンタカーで海岸沿いの道を走っていると、JR気仙沼線の階上(はしかみ)駅付近に港があった。
向こう側の大島とに挟まれた気仙沼湾に面しているが、こちら側に船の通行路を残して、向こう半分ほどの水面は、たくさんのバレーボル大かと思える球が浮いている。きいてみると、牡蠣の養殖地なのだった。ボールを目印につけた筏(いかだ)の下にホタテの殻が幾層も吊り下がっていて、そこに牡蠣がついて育っている。
港の端の方では、ジャンパーに長靴姿の男や女が、白い発砲スチロールの箱や、水色のプラスチックのかごを持って行列している。いれものの中にはアワビがごろごろ入っている。行列の先頭ではとってきたばかりのアワビをあけ、仲買人が買い取っている。次々と収穫をもった人が現れ、行列はなかなか短くならない。三陸の海の豊かさを実感した。
時と所を得れば、このように活気がある風景にあちこちで出会えたわけだ。


参考: