12月第2週 牡蠣の3−寄居の貝殻淵 


■ 貝殻淵

川の博物館の近くの荒川べりに牡蠣の化石がぎっしり埋まっている崖があるときいて、一度見に行きたいと思いながら、なかなか行けずにいた。生来の怠惰のせいもあるけれど、近づくのが難しいといわれていたためもある。崖から降りるのは険しい。川岸に沿っていくのも、歩きにくく、障害物もある。
12月にしては暖かく、風もない午後、何度か調査に行かれている福島さんに案内してもらって、ようやくでかけてみた。化石用のハンマーを持つと、詩人で、青年の頃、化石掘りに胸をときめかせていたという吉増剛造のような気分になって。

化石ハンマーとクリノメーターを持って奥多摩から地層を追って東京へやってきたこともあった。東京は百万年ほど前までは海底に没していて、東京湾は鹿島灘にむかってひらいていたはずである。いま日常生活のなかでもぼくは東京の地層に秘められた数々の岩石を割っているような気がしてならない。このごく新しい柔軟な地層の上に立っている岩石たちの構築物か、と都市をみつつおもうと微笑みを感じてわけもなくうれしさがこみあげてくる。無数の岩石を割らなければならない、全世界が瓦礫の山になろうとも。
(『吉増剛造詩集』 思潮社 1971)

河岸に沿うほうを行ったのだが、障害物の状況はいくらかよくなっていて、なんとか崖の下に近づくことができた。身長の3、4倍くらいの高さに、牡蠣らしいボコボコした大粒の塊が堆積して露出しているのが見える。
もうひとつ崖を回り込むともっと近くで観察できるところがあるらしいのだが、ちょっとした装備がないと回って行けない。
遠くからこの壁を見たときには、上から降りるのも、岸をつたうのも難しければ、長靴を用意して対岸から渡れば、かえって簡単ではないかと想像していた。でも近づいてみると、たしかに石や砂が堆積した中州から目指す崖までわずか数メートルだが、深さも数メートルありそうだった。ゴツゴツ岩が組み合わさったなかに、水の色が周囲より格段に深い藍色をしたところがあり、あんなところにはまったらこの寒い時期でなくても命がけになりそうだ。

こんな崖に牡蠣化石を含む薄い層が挟まっている。 寄居の荒川べりにある貝殻淵

牡蠣らしい大粒が崖からとびだしている様子は下から見上げるだけだったが、足元に埋もれていたのを採集できた。雨風の浸食で露出していたのか、簡単にとれて幸運だった。貝特有のくるぶしのようなふくらみの下に白いバウムクーヘンのような層が重なっている。

          ◇          ◇

牡蠣の化石を含む地層は1500万年前のもので、このころは海が現在の秩父盆地まで達していて、鯨の骨やサメの歯の化石が見つかったりしている。

数字だけみても実感がわきにくいので、ためしに年表を想定してみた。
横幅1mの枠で、左端が地球誕生の46億年前、右端が現在という年表を作るとする。横幅1mの表というと、ふつう机の上いっぱいに広がるほどの大きな紙が必要になるほどのもの。それでも寄居の牡蠣を含む地層1500万年前は、右から0.02mm。ほとんど右の枠の線におさまってしまうくらいのもの。
これでは人類の誕生とくっついてしまうので、今度は牡蠣の地層1500万年前を左の起点、右端を現在とする年表を、やはり横幅1mの表に作り直すと、現在につながる人類の誕生10万年前は、右から7mmになる。この表でもまだなが〜い空白があって、ようやくヒトが登場する。
縄文時代にも気候が温暖で縄文海進といって海が内陸まではいりこんでいた時期がある。ただそれは埼玉県南部までで、寄居あたりには貝塚もないし、縄文遺跡はあっても牡蠣はでてこない。

          ◇          ◇

こんなことを考えていて、ウカツなことだが、学校の社会科なんかで貝塚のことを教わったけれど、貝塚の貝ってなんだろうと、ようやく疑問に思った。大幅に遅ればせながら、たとえばあの有名なモース(1838-1925) の大森貝塚の貝は何だろうと岩波文庫を借りてきた。
アカガイ、ハイガイ、オキシジミ、シオフキ、ハマグリ、アサリなどのほか、「イタボガキ Ostrea denslamellosa Lischke、カキの類 Ostrea sp.」と報告されている。
モースは海外の貝塚の例もあげていて、デンマークの貝塚で最も豊富な軟体動物4種は、カキ、ザルガイ、イガイ、タマキビであって、4種類すべてが現在も食用に供されているとある。
平野雅章『たべもの歳時記』には、全国100か所以上の貝塚から出土した貝で、一番多かったのがハマグリ、次が牡蠣だとあった。
大森貝塚は縄文後期のものとされ、紀元前10世紀ころ。
天文学的時間からすればわずかな時間だが、人間的尺度からすると3000年も!という気がするほどの長いこと、あとから現れたくせに人類はせっせと牡蠣を食べ続けてきたわけだ。殻を整理しないでひたすら積み上げたらどれほどの貝塚になったことだろう。東京ドーム何個分なんていう数え方ではすまなくて、富士山何個分とかなるだろうか?

          ◇          ◇

天文学的スケールのことを考えていて、建築家・思想家、バックミンスター・フラー(1895-1983)の、「もし私たちが、『宇宙船地球号』の上に数十億年にもわたって保存されたエネルギー貯金を、天文学の時間でいえばほんの一瞬にすぎない時間に使い果たし続けるほど愚かでないとすれば」という文章を思い出した。
人類の未来について、楽観するか、悲観するか、境目になるところだが、フラーは明るい方向に進もうとする。

一方には放射供給船「太陽号」があり、もう一方には重力によって地球を揺さぶり「交流発生機」として働く「月号」があり、このすべてが一緒になって、私たちの生命維持システムの基本的な発生機、再発生機が構成されている(中略)
「宇宙船地球号」に積み立てられていた化石燃料は、自動車でいえばバッテリーに当たるもので、メイン・エンジンのセルフ・スターターを始動させるためにエネルギーを貯えておかなかればならないものだ。だから私たちのメイン・エンジン、つまり生命の再生プロセスは、風や潮汐や水の力、さらには直接太陽からやってくる放射エネルギーを通して、日々膨大に得られるエネルギー収入でのみ動かねばならない。
( 『宇宙船地球号操縦マニュアル』 バックミンスター・フラー 芹沢高志訳 ちくま学芸文庫 2000)

山には太陽の光合成で木が育つ−その養分を川が海に運ぶ−海には牡蠣などのゆたかな生き物が育つ−海からの水蒸気が再び山の木を育てる。
地球上に命が続くことを保証する、そういう循環をもたらすエネルギーが、太陽と月からきている。
そこでまた、このところ畠山重篤さんにこだわっているが、海と山を川が結ぶことを訴えて、牡蠣を育てる人が山に植林する運動をされたのだった。
もちろんそうしたことは、東京湾と荒川・隅田川でも同じこと。
貝殻淵の牡蠣の化石と、今も東京湾にある牡蠣とは、はるかな時間を隔てているけれど、荒川が上流・中流・下流そして海とを生物的にも結んでいることを思い出させてくれる。


● 岩根洞
埼玉県大里郡寄居町鉢形3165 tel. 048-581-0461

貝殻淵に行った日、職場の忘年会で岩根洞に行った。ふつうには「いわねどう」と読みそうだが、地元の人は「いわんどう」という。
割烹旅館で、ゆっくり泊まることもできる。
広い敷地内では、2棟ある建物の間を川が流れている。深沢川といって、わずか下流では鉢形城址を抜け、荒川に注ぐ。城址あたりでは、山の奥深くにいるかと錯覚させるほどの景観をみせる。
宿より上流側では横穴の鍾乳洞が口をあけていて、岩根洞といい、宿の名もそれに由来する。ほとんど崩壊して、奥までは行けないらしい。
仲間となごやかに飲んで、ようやく多難だった1年が終わりに近づいた。

敷地内をこんな川が流れていて、川のこちら側にも建物がある。 寄居の割烹旅館、岩根洞

参考:

  • 『吉増剛造詩集』 思潮社 1971
  • 『大森貝塚』 E.S.モース 近藤義郎・佐原真編訳 岩波文庫 1983
  • 『たべもの歳時記』 平野雅章 文藝春秋 1978
  • 『宇宙船地球号操縦マニュアル』 バックミンスター・フラー 芹沢高志訳 筑摩書房 2000
  • 『寄居町史資料集 寄居町の自然 地学編』 寄居町教育委員会町史編さん室編 寄居町教育委員会 1983
  • 『埼玉の鍾乳洞』 堀口万吉・昼間明・町田明夫 埼玉の文化財第15号 埼玉県文化財保護協会 1975