1月第3週 カヤックで荒川下り+銀座の洋食+勧進帳  


隅田川はかちどき橋をくぐれば東京湾に入って、川としてはおしまいなのだろうけれど、まだ品川側とお台場側の人工の土地にはさまれて窮屈に、まるで川の続きのような具合で、羽田沖でようやく解放される。
その品川側の天王洲で開催中の『柳健司:荒川ノート』を見に行った。

■ 天王洲セントラルタワー・アートホールで『柳健司:荒川ノート』展を見る
( 東京都品川区東品川2-2-24 )

9月第5週(2) ]にアーティスト、伊東孝志さんの小川町にあるアトリエに行ったのだが、その後、そのアトリエで数人のグループ展があり、そのとき加わっていらした柳健司さんから案内の葉書をいただいたのだった。

天王洲(てんのうず)は、羽田に行くモノレールで通過することはあっても降りたことがなかった。
初めて降りてみると、まだ新しいビルが複雑に入り組んで建っている。
そのなかのセントラルタワーの1階の入口ロビー部分、中央通路の片側半分がカフェ、もう半分がアートホールになっていた。

『柳健司:荒川ノート』の案内の葉書には、「この川をモチーフに決め、カヤックで下ることから始めた。」とある。

カヤックの骨組みだけが床に置かれ、2台のディスプレーを置いてある。
1つの画面(写真右)では、源流あたりの、細い激しい流れが岩の間から流れ落ちてくる同じ映像がずっと繰り返している。
もう1つの画面(写真左)では、カヤックで下っている映像。
柳健司:荒川ノートの展示の様子。カヤックに2台のディスプレー。

秩父の源流に近いあたりらしいダムが映っているところから見始めた。
玉淀ダムが現れる。
玉淀大橋をくぐると、埼玉県立川の博物館の大きな水車も見えてくる。
場所がどことわかったのはそれくらいで、あとは左右に草の岸がある間の水面を、ゆるゆると下っていく。
画面が切り替わって、カヤックの場所が移動しても、眺めはほとんど同じ。
まさにこのホームページのタイトルどおりの「荒川ゆらり」だから、アーティストが何を考え、何を表現し伝えようとしているのか、考えてみはするけれど、何もうかんでこない。
30分以上ねばってみたが、秋が瀬付近かと思われる堰が現れたあたりでギブアップ。カヤックはやがて都内に入って、眺めもかわっていくのだろうけれど、待てなかった。
こんな長い映像を、椅子も寄りかかるものもないホールに置いて、アーティストは、もともと全部見られることを想定していないのだろうか?
ほかに、画面から離れた床に、流域の風景などを映した小さな写真を点在させてある。小さいし、プラスチックの保護材が光を反射してしまって、よく見えない。
なんだかすっきりしなくて、アーティストにしても不本意な展示だったのではないかと思った。

● みかわやで誕生日祝いの食事をする
( 東京都中央区銀座4-7-16 tel. 03-3561-2006 )
http://www.ginza-mikawaya.co.jp/

銀座にでて、三越の裏にある洋食店、みかわやに、妻の誕生日祝いの食事に行った。
みかわやは1948年創業、親子4代で続けているという店で、ビルにはさまれて2階建ての小ぶりな蔦のからまる外観が、いかにも歴史を感じさせる。
みかわやは、高いビルにはさまれた洋館。蔦がからまってすてきな表情をしている。

オリジナルセットというのを注文した。
スープやパンのほかに、魚系と肉系の2点の料理を選べる。
妻はカニクリームコロッケとタンシチュー。
僕は牡蠣フライとハンバーグ。
妻との食事だから少しずつ交換して4つの味を楽しんだ。
牡蠣フライはカリっとした薄い衣に小粒の牡蠣がくるまれていてうまい。
ハンバーグは、テーブルに置かれたとき、盛りつけの色どりがわっと目にとびんこんできた。濃い色のソースがかかったハンバーグの向こうに、あざやかな色の対比をみせる野菜を、大きさと方向を揃えて並べてある。こういう店では料理の写真をとるのは遠慮しているのだけれど、ついデジカメをとりだしてしまった。
ここまでで十分満足したあと、さらにデザートが感動的にたっぷりあって、とどめをさされた。果物の盛り合わせに生クリームを添えてあるのと、くりぬかれたレモンに入ったシャーベット。これもじつにきれいな色をしていて、またデジカメをだしてしまった。
シャーベットには、ふたのほうのレモンをちょっとしぼってかけると、香りが立つ。
最後に小さめのカップにコーヒー。
おなかも心も満ち足りる。

みかわやのハンバーグはいろどりもきれい みかわやのデザート。たっぷりあって色どりあざやか。


■ 歌舞伎座で『勧進帳』を見る
(東京都中央区銀座4-12-15)
http://www.kabuki-za.co.jp/index.html

歌舞伎座にまわった。
『勧進帳』は歌舞伎18番というものの1つの有名なだしものだが、初めて見た。
頼朝に追われる義経が弁慶の機転で関所を通るという設定だから、山の中にある関所らしいセットが組まれた舞台を予想していたのだが、唄と楽器の人がずらりと並ぶ前で演じられるのだった。
東大寺の再建のための寄付を集める僧に扮した弁慶が、関所の役人に疑われて、ただの巻紙を勧進帳のふりをして読み上げる場面、弁慶が花道で飛び六方で退場する場面など、名せりふ、名場面がいくつもある。
でも、ああこういう舞台なのか、というくらいの感想だった。ガイドブックやテレビの旅番組でなじみの所にいって、これがあの..と確認するような感じに近い。

弁慶を演じたのは9代目松本幸四郎。寄居に別荘をもっていた7代目松本幸四郎の孫になる。

          ◇          ◇

安宅の関がどこにあるのか地図で調べてみると、石川県小松市にあった。小松空港のすぐ北で、海岸に近い。
奥州に逃れる途中のことだから、福島県あたりの山の中の関所かとボンヤリ思いこんでいたので、意外だった。弁慶の機転で関所を抜けたのは歌舞伎のうえの話だからそれでいいとして、そもそもそういう海岸近くに関所があるのが不思議な気がした。親不知あたりのように山が海岸近くまで迫ってあるところならともかく、のちにすぐ近くに空港が作られるほど広い地域で、ここを通らないと先に行けない関所があったというのが、理解しにくい。
『勧進帳−日本人論の原像』 によると、義経が奥州に逃れた経路は実は不明。今、安宅の関跡とされているところも、実はもっと内陸部の街道に沿った位置にあったらしい。

          ◇          ◇

東大寺には去年の暮れに行ったばかりだった。([12月第4週])
東大寺の大仏殿は建築と焼失を繰り返しているが、順を追ってみるとこういうふう。

□ 大仏殿T
752年 大仏開眼会(かいげんえ)
758年 大仏殿竣工
1181年 平重衡の兵火により大仏殿焼失

□ 大仏殿U
1181年 俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん1121- 1206)が造東大寺大勧進職に就き、再建に動きだす。周防国の税収を再建費用に当て、のちに源頼朝の支援を受けた。
1185年 大仏開眼法要
1187年 源義經(1159- 1189)奥州に逃れるため安宅の関を通過?
1195年 再建大仏殿が完成。落慶法要には源頼朝が列席。
1567年 三好・松永の戦いの兵火により大仏殿は再び焼失
*室町時代(1338-1573)に能の『安宅』成立(歌舞伎の『勧進帳』の原型になるもの)

□ 大仏殿V
1691年 大仏の修理完成
1709年 再建大仏殿が公慶上人(1648-1705)の尽力で完成(これが現存している)
1840年 歌舞伎の『勧進帳』成立

初演のころは格別な評判ではなかったのに、のちには人気があがり、歌舞伎の代表的な演目になった。歴史の事実と、伝承と、劇の創造−成立−受容がからみあって、それも1つのドラマのようだ。

参考:

  • 『勧進帳−日本人論の原像』 渡辺保 ちくま新書 1995
    初めて勧進帳を見ていだいた疑問やひっかかりを、ほとんど完全に解き明かしてくれた。こういうことをおさえたうえでもう一度『勧進帳』を見なおすと、おもしろさが違うかもしれない。

  • 『建築における「日本的なもの」』 磯崎新 新潮社 2003
    建築の視点から重源と東大寺を説く。