3月第1週 岩井昇山ツアー


寄居町立図書館の奥のほうの書棚でたまたま『Bien(美庵)』という雑誌を見かけた。見覚えのない雑誌があるのだなと手にしてみたら、ほとんど世に知られずに寄居でなくなった岩井昇山という画家が特集されていた。
こんな画家がいたのか...

本が向こうから声をかけてきたと思えるような出会いの経験がいくつかある。
たとえば『カッコーの巣の上で』。今はないあの書店の、あの棚のあたりにあった。ひとりでに目がいき、ひとりでに手が伸びていくようだったと覚えている。見知らぬ本だったけれど、迷わずに買って、ひきこまれた。ジャック・ニコルソン主演の映画を見、芝居も見た。
それから『西瓜糖の日々』。その後、英語版まで買って読み、著者リチャード・ブローティガンの(翻訳のある)著作は、(たぶん)全部読むまでになった。

寄居に縁がある画家が掲載された雑誌が、このところ寄居ウォッチをしているときに声をかけてきた。こういうことってけっこうあって、しばらく前から、偶然というものはないと思うようになってきている。

□ 岩井昇山 (1871東京麹町-1953埼玉県寄居町) 

松本楓湖(1840-1923)などに学んだ日本画家。
展覧会出品の記録が、ある時期からなくなり、寄居に転居しているから、何かしらトラブルめいたことが生じて人生の転機になったことを思わせる。
寄居には、歌舞伎役者、松本幸四郎の別荘を、のちに藤崎そう兵衛商店が買い取っていたのがあるが、そこでほとんど人とつきあわずに絵をかいていた。
最後は寄居町桜沢にもった家で亡くなり、町内の竜源寺に墓がある。

岩井昇山は、町内にかなりの作品があるようだから、見せてもらいに行ってみようと考えた。ひとりで見せてもらうのは惜しいので、旧知の専門家、埼玉県立近代美術館の学芸員の大越久子さんと平山都さんを誘った。

■ 長善寺
(埼玉県深谷市小前田1452 )
http://www.ksky.ne.jp/~chozenji/index.htm


幸田露伴が秩父に向かう途中にこの寺をみかけて文章に残したことを読んで、お邪魔して話を伺ったことがある。([7月第2週])
そのお寺で岩井昇山の絵をお持ちで、露伴とはまた別のことで伺うことになった。偶然のようにみえても実は予定の糸がつながっているのであって、「偶然」ということはないと思わせる、またこういう奇縁があった。

こちらでお持ちの岩井昇山の作品は「龍図観音」1点。
黒い雲を背景に、黒い龍が気を吐きながらうねっている背中に、白い衣をつけた観音が立っている。観音は、全身がふっくらとした丸みをおび、表情もやさしい。
観音の衣の白は着色した白で、龍が吐く気の白は、塗り残した絹地の白で、時間を経て茶色味をおびている。
黒い雲には切れ目があって、淡い光をおびている。
龍は厳しい構えではないし、吐く気も、なかばため息にみえるようなユーモラスな印象があり、観音のやさしい姿とあわせて、全体に穏やかな気配が漂っている。
お寺から制作を依頼したのか、すでに完成した作品をお寺にふさわしいと判断して買ったのかはわからないが、あるべきところにある、いい作品をお持ちだと思う。

■ 洗心居
(埼玉県大里郡寄居町桜沢)
http://www.yorii.or.jp/~sobasaki/


柴崎猛さんにお願いして40点ほどお持ちの作品を見せていただいた。
岩井昇山コレクションは父親の勅男さんが収集されたものだが、他にもたくさんの作家の作品があるなかで、とくに岩井昇山に注目され、『美庵』で特集される前からご自身のホームページで発信されていた。

山水画、動植物が多く、仏画もまじる。
構図がきっちりとして、清澄、高雅。描く人の高い精神のあり方が偲ばれるような思いがする。
洗心居という茶室で見せていただいたのだが、置く場の名と、置かれる作品とが、ピッタリしている。

2羽の孔雀の絵 赤鬼をにらむ黒い鍾馗様

*写真は2点とも部分。右の絵では、上の木の枝にいる赤鬼が、鍾馗ににらまれてすくんでいる。こういうユーモアのセンスもあって、楽しませてくれる。

柴崎猛さんは、機械部品を作る会社を経営され、寄居町商工会の役職もあって、今はとくにホンダ技研が寄居町に工場を新設するのを迎える側のリーダーとしても活躍されている。
一方で、蕎麦打ちを趣味にされていて、茶室は2階に設(しつら)えてあるのだが、1階に自分で蕎麦を打つ作業場を作ってある。
このところ岩井昇山を目当てに訪れる方が多いということで、2階いっぱいに作品を並べていただいてあった。
ふだん、 忙中閑あるときには、気のあった仲間を招き、1点かせいぜい数点をゆったりかけ、岩井昇山が晩年を過ごした別荘所有者の藤崎そう兵衛商店の「白扇」を飲み、柴崎さんの手打ちそばを味わうという、うらやましいような時間と空間を持っていられる。

メカニックな会社を経営されるだけに、そば粉をひくのも自製!の電動石臼。 石臼を電気仕掛けに改造した

この日、柴崎さんから声をかけていただいて、岩井昇山の作品をお持ちのほかのコレクターの方にも来ていただいていた。
美術館の学芸員は、あとでこういう感想を語っていた−
コレクターに作品を見せていただくことはよくあるけれど、「私の好きなコレクション」というこだわりはあっても、自分たちの住む町にいた作家への「私たちの好きなコレクション」という、広いつながりに支えられている愛着は経験がない。寄居の町の人たちが、昇山を大切にし、身近に見て、心から楽しんでいる雰囲気はとてもいいものだった。
美術が人の暮らしをつなぐ役にたっていること、地域を支える人が文化を大切にする風習にも感銘した−と。

岩井昇山は、亡くなった作家ではあるけれど、しばらく埋もれてしまっていたから、これからいわば新進の画家を世に認めさせるような、育てる楽しみもあるように思う。

この日、コレクションを見せていただいたあいまには、岸傳で古代米の団子を食べ、藤崎そう兵衛商店で酒を買い、散髪するわけでもないのに美髪忍館に突然入って、なかを見せていただき、京亭で鮎めしを食べた。
これまでこの[荒川ゆらり]でのんびり回ってきたところを、駆け足でおさらいするかのようだった。
岩井昇山のコレクションはほかにもお持ちの方があるし、岩井昇山が暮らした別荘があった藤崎そう兵衛商店では、時間の都合で、お話をうかがいもしないで酒を買っただけだし、いつか第2回のツアーをしたいねと、帰路に話したのだった。

参考:

  • 『Bien(美庵)』 Vol.40 2006.8.25
  • 『カッコーの巣の上で』 ケン・キージー 岩本巌訳 冨山房 1996
  • 『カッコーの巣の上で』 監督:ミロシュ・フォアマン 主演:ジャック・ニコルソン 1975
  • 『西瓜糖の日々』 リチャード・ブローティガン 藤本和子訳 河出書房新社 1975