6月第4週 尾道の坂道を歩く


尾道に妻と行った。
尾道は荒川と関係なさそうだが、説明(いいわけ?)はボチボチすることとして。

尾道駅を出ると、古いのどかな街を予想していたのに、新しい道にそって新しい建物が並んでいた。でも、鉄道・駅舎と広い道とが、平行していなくて、斜めに走っている。建物も建てこんでいなくて、空が広く、明るく、いかにも瀬戸内的だと感じられる。

羽田発の早い便ででてきたのだが、広島空港を経由してくると、もう昼どき。名物という尾道ラーメンを食べた。正午前から行列ができていた。

東に歩いて尾道白樺美術館に向かった。1999年に開館したときから、一度行ってみたいと思っていた。道に自信がないので、ちょうど派出所があったので尋ねてみたら、見当はあっていてすぐ先だった。ところが、若い警官が気の毒そうに「最近、閉館したばかり」という。
いちおうそこまで行ってみると、まだ美術館の看板などそのままで、ただ鎖で門を閉じてあり、閉館したと聞かずにきたら訳がわからなくてとまどうところだった。
もとは東京・市ヶ谷にあった1958年建築の梅原龍三郎邸を移築・復元し、展示室を増築したもの。設計にあたったのは、かつて吉田五十八のもとで設計をしていた今里隆と杉山隆建築設計事務所。
この美術館ができた発端は、国宝を有する名刹・浄土寺の近くに、寺からの眺望をさえぎる13階建てのマンションが計画されたことだった。市民が美しい景観を守ろうと立ち上がったが、土地の用途が決まらないため資金集めがはかどらなかった。そこで、尾道市出身の吉井画廊の経営者・吉井長三氏が、山梨県で運営している清春白樺美術館の分館を作ることを企画した。
高層マンションの建設阻止というおおもとの目的は達成されたから、閉館してもしかたがないという市民の意見をきいたが、惜しい気もする。
コレクションは山梨県北杜市の清春白樺美術館に移されたのだろうか。

線路を越え、その浄土寺に坂を上がった。
あとは道を短い坂を上がったり、降りたり、丘陵の中腹を縫うように進んで、ロープウエイの下の乗り場に着いた。
ロープウエイに乗って、千光寺に上がる。展望台から眺めると、狭い瀬戸内海を隔てて向かいの島がすぐそばにある。こちら側に尾道の街が、海と丘陵に挟まれて細長くあって、そのなかを山陽線の線路がうねっている。鉄道模型のようだ。
まるで川のような瀬戸内海を隔てて右に見えるのが向島。瀬戸内しまなみ海道が島々をつないで四国・今治に続いている。 尾道:瀬戸内海が川のよう

林芙美子(1903-1951)は子どものころ、両親が行商の途中通りかかって尾道を気に入り、しばらく住んだ。1914年、11歳の頃のことで、その頃のことを書いた文章では、両親がこういう会話をしている。
「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちうてな?」
「尾の道よ、云うてみい」
「おのみち、か?」
「海も山も近い、ええところじゃ」

(『 風琴と魚の町』林芙美子)
林芙美子は、ここで尾道高等女学校に通い、卒業の1922年、19歳で上京したが、1923年に関東大震災にあい、尾道に帰っている。
展望台から景色を見ていると、林芙美子の両親が「ええところじゃ」と感想した気持ちがわかる気がする。

父との不和で志賀直哉(1883-1971)が尾道に移り住んだのは1912年。
ひとりで暮らす場所を探して、人がほめていた尾道に住んだ。
その住まいは今も残っていて、千光寺から駅に向かう途中で通りかかった。平屋の建物が3世帯に分かれている棟割長屋で、とても簡素な住まいだが、丘の中腹にあるので眺めがいい。
志賀直哉が住んだのは一番奥。『暗夜行路』では、前の島の造船所など、「寝ころんだまま色々な物が見えた。」と書かれている。 尾道:志賀直哉旧宅 3軒長屋が崖の中腹にあり、眺めがいい

坂の道を歩いていると、石垣を構えた大きな邸宅もあれば、貧しい暮らしを思わせる小さな家が軒が隣り合うように並んでいるあたりもある。
ここは大林宣彦の映画の世界でもあって、僕は初めて来たのだけれど、なんとなし、見知った街のような気がする。
実際に歩いてみてとくに感じたことといえば、寺が多いこと。
坂めぐりの尾道歩きは、寺めぐりでもある。

志賀直哉、林芙美子、大林宣彦の尾道は、いわば青春の尾道だが、尾道の老夫婦が登場するのが、小津安二郎(1903-1963)の『東京物語』
尾道から上京した老夫婦が眺めた東京の風景は次週。

          ◇          ◇

僕と妻の尾道物語は、このあと、倉敷で旧友たちと会い、2日目は、四国に渡って、谷口吉生設計のいつか行ってみたいと思っていた丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 に行き、同じ丸亀市では、四国新聞のビルのロビーがいきなり美術館になっている、そうとうビックリな丸亀平井美術館 を見て、波止場の先端近くにあり、平べったくて、どちらの側からも眺めがいいオークラホテル丸亀 に泊まった。僕らの部屋からは瀬戸大橋が見えていて、夕飯は近くの かぼちゃ という小さな居酒屋にいって、失礼ながら近くに他に店が見あたらず、あまり期待しないで入ったのに、意外に内装のデザインがいいし、おいしいし、店の人の気持ちがいいし、満足の夕になった。

3日目は、善通寺 に行き、地下に降りて、真っ暗ななかを手探りで進んで、弘法大師の遺骨が納められている戒壇めぐりをし、多度津町では畑地帯を探し回ってソフトマシーン美術館にたどりつき、彦坂尚嘉の回顧展を開催中で、企業の経営者の確信犯的なすばらしいコレクションを堪能し、感嘆した。
ソフトマシーン美術館:畑地帯の鳥居の脇にある ソフトマシーン美術館では彦坂尚嘉回顧展を開催中

金刀比羅宮
では、ふうふういいながら奥宮まで上がり、金刀比羅宮のある象頭山は瀬戸内海を航行する船の目印とされた山で、こんぴらさんは航海の神、船の神として信仰され、船の絵馬がたくさん奉納されている中に、1990年12月2日、ソ連の宇宙船ソユーズに乗って宇宙へ飛び立ち、日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さん(1942- )の絵馬もあった。(写真・左)
金丸座 という古い芝居小屋では、ボランティアの芝居がかった解説があり、楽しかった。(写真・右)
金刀比羅宮に奉納された宇宙飛行士秋山豊寛さんの絵馬 金丸座のます席

帰りの便は高松空港からで、
広島空港→尾道→岡山
           ↓
  善通寺←丸亀←今出
   ↓  
  琴平  → 高松空港
と、ほぼアルファベットのZの形に移動したのだった。
四国で4回讃岐うどんを食べたのに、これは!というのに出会えなかったのが心残りになった。

参考: