7月第3週 佐々紅華のオペレッタ−寄居、トルコ、生駒山


日本経済新聞の朝刊の最終面には、文化の領域で何ごとか達成している人の寄稿文が毎日1つのるのだが、6月15日の朝の内容は、世間には大事件ではないとしても、僕にはちょっと衝撃的なものだった。
演出家の清島利典(きよしまとしすけ)さんが書いた文章で、義父にあたる佐々紅華(さっさこうか 1886-1961)が、1921年ころ、奈良県生駒山に和製オペラを上演するために「生駒劇場」を建てた。そのときの出し物の楽譜と台本が、佐々紅華が建てた家に残されていたので、近く上演するというのだった。

僕はこのところ2つのことをテーマにしている。
1つは、寄居を基点にして荒川のことで、このホームページに記している。
もう1つは、群馬県高崎市の実業家・井上房一郎の文化支援のことで、ブルーノ・タウトやアントニン・レーモンドにつながっている。このテーマによる旅の企画は、文化庁の賞をいただき、NHKのテレビ放送にもなり、その様子の一部をこのホームページに記したこともある。
この2つのことは、寄居−高崎が八高線で結ばれているという地理的つながりはあるが、中身は別のことと思っていた。

ところが、佐々紅華が建てた家というのは、今は寄居の「京亭」という鮎料理の宿で、佐々紅華の養女が経営されていて、僕もいくどか鮎を味わいにいった。
タウトは日本滞在中の1933年に大阪電気軌道株式会社の仕事で「生駒山計画」を作っている。
2つのテーマが直接につながったのではないが、生駒山に接点ができてしまったようだ。

タウトの生駒山計画の対象地に生駒劇場は入っているのか?
もし入っているとすれば、劇場はまだあったのか、あったとすればそれをどうするつもりだったか?
もう劇場がなかったとすれば、どんな経過をたどっていたか。

いろいろ疑問がわき、好奇心がわいてきたのだが、ひとまず「生駒劇場」の和製オペラの再演を見にでかけた。

■ 東京ジャーミイ・トルコ文化センター
東京都渋谷区大山町1-19 tel .03-5790-0760
http://www.tokyocamii.org/

公演は、小田急線の代々木上原駅近く、古賀政男音楽博物館内のけやきホールが会場だが、同じ井の頭通りに面して、ほんの200mほどの近くにトルコ文化センターがあるので、開場前に寄り道した。 
トルコといったら日本から去ったタウトが向かい、最期を迎えた土地で、タウトに関心が由来する芝居を見にゆく前に、トルコのイスラムの礼拝場に寄る。

タウトは社会主義の理念に共感してソビエトに行き、ナチスの敵視にあって日本に逃れてきたのだが、こちらは1917年のロシア革命によってロシアから避難してきて東京に定住したトルコ人が集まる場として作られた。
初代のイスラーム礼拝場、東京回教学院は、タウトが日本からトルコに去った1938年に建設された。
老朽化が進み、1986年には取り壊されたが、トルコ全土から寄付金が集められ、その寄付金のほか、建設資材のうち、水とセメントと鉄筋以外のものすべてが日本に送られた。実際の建築や装飾にはトルコから100人近い建築や芸術職人が来日してあたり、2000年に開堂した。

柱が並び、天蓋がかかり、ドームの脇で尖塔が空をさしている。
礼拝場はイスラム特有の細かな装飾で満たされ、ステンドグラスから光が入っている。
壁に背をつけて座っている男が、床を見ながら低い声でコーランを唱え、あとから洗われた男は、立って背を伸ばし、天井を向いて朗々とコーランを唱え始めた。音楽的な抑揚が耳に響く。
いつかトルコへ行きたいと思う。
東京ジャーミイ・トルコ文化センター:列柱と尖塔

■ 古賀政男音楽博物館
東京都渋谷区上原3-6-12 tel. 03-3460-9051
http://www.koga.or.jp/index.html
作曲家・古賀政男(1904- 1978)の邸宅があったところに博物館が新しく建っていて、邸宅の一部は内部に復元されている。階段の手すりに音符をイメージした形をつかっている。
右の写真はホワイエから2階へゆるやかに曲がりながら上がっていく階段で、気持ちがいい。
古賀政男音楽博物館にはゆるやかならせんの階段を上がっていく

邸宅の壁に掛けられていたという絵も展示してあった。
画家・古賀春江(1895-1933)が、古賀政男の1931年の曲『酒は涙か溜息か』に感動して描いた『音楽』を作曲家に贈ったという。画家はよほどその曲が気に入ったのだろうけれど、シュールレアリストの画家と大衆音楽との結びつきが意外な気がするけれど、それもシュールといえばいえる。

■ けやきホール 東京歌劇座公演 『アーティスト・ライフ』

原作脚本・作曲 佐々紅華
演出:清島利典
演奏:三木希生子(バイオリン) 江上菜々子(ピアノ)
出演:倉石真(画家) 関真理子(画家の妻) 小林由樹(仕立屋)
けやきホールのすっきりしたホワイエ

90年以上も前、1921年に生駒劇場で上演されたオペレッタの再演。
生駒劇場の大きさはわからないが、今日のけやきホールは220席の小ぶりな劇場で、舞台も狭いが、かえって役者の顔がよく見える、親密な雰囲気になる。
音楽はバイオリンとピアノのみ。
出演者もわずか3人だけ。

若い貧しい画家が洋服を仕立てたが代金を払えていない。仕立屋が催促にきたので、画家は肖像画の顔を切り取ってその後ろに隠れて自画像のフリをする。妻が何とかごまかそうとすると、仕立屋が妻に言い寄ろうとしたので画家が飛び出し、洋服を持っていかれる──という軽い話。
当時としては、話も、舞台の作りも、音楽も、新しいという印象だったろうか。

佐々紅華は、画才もあってポスターや楽譜のデザインもした。
作曲だけでなく、歌劇団そのもののプロデュースもした。
洋楽と邦楽を融合させようと考え、『勧進帳』をオーケストラも加えて演奏したものを5枚10面のレコードに収めて販売した。
喫茶店を開いていたこともある。
となると、多彩で、時代のど真ん中にいた点で、絵をかき、詩をかき、ファッショナブルな工芸品を販売する店を経営もした竹久夢二(1884-1934)を連想する。
さらに紅華の生駒劇場では、宝塚に対抗して「生駒歌劇技芸学校」を組織して、芸術としての歌劇を育てることを企て、夢二は榛名山産業美術研究所の構想をいだいていた。
生年もわずか2年夢二が先で、近い。
2人とも領域を狭く限定しないで、先駆的・実験的なことをしたのだが、夢二が今も広い人気があるのに比べると、紅華はあまり知られていない。
紅華にも今に通じる魅力があるかどうかは、今日の公演のような試みにかかっているのだろうが、30分ほどの短いオペラだけではなかなか見えてきにくい。
夢二にしても先駆的なことが評価されているとはいいがたく、叙情的な美しさが人気の理由なのだろう。なかなか先駆性というものは評価されにくい。

この日の公演ではイギリスのアーサー・サリヴァン(1842-1900)のヒット作『コックスとボックス』も演じられた。ちょっとひねった物語で楽しく見た。

参考: