8月第2週 都幾川の灯ろう流し


荒川に流れこむ川の1つに都幾川がある。
ときがわ町から東松山市を流れ、入間川と合流し、さいたま市で荒川に流れこむ。

東松山市の都幾川べりに丸木美術館がある。
丸木位里(1901-1995)、(1912-2000)夫妻が、1950年から1982年までの32年間共同制作した『原爆の図』が展示されている。
広島に原爆が投下されたのは1945年8月6日で、毎年8月6日には美術館でひろしま忌を催している。
今年はたまたま月曜日。基本的に月曜日が休みな僕には好都合なのだが、暑いし、明日から日程がたてこんでいてノンビリもしたいし、悩んだが、午後になってようやく行く気になった。

着いてみると、ボランティアの人たちが資料や手工芸品を販売しているテントがいくつも並んでいる。城西川越中学校の生徒たちは団子を焼いて売っていて、にぎやか。

灯ろうづくりや、太鼓の演奏や、詩の朗読があったのだが、僕が行ったころには、寺澤満春さんのフォークコンサートが始まった。展示室の2階のベランダから見下ろすと、川岸の広場に人々が集まっていて、広場から草の斜面を降りた下には都幾川が流れている。
ギターと歌声が素な音をかなでる。
日射しは強いけれど、川風が吹き上がってきて涼しい。
演奏がとぎれると川の流れの音に注意がいく。
コンサート会場としては、広くも、豪華でもないけれど、むしろ大きすぎずに親密な感じがあって、とてもぜいたくな音楽環境だと思えてくる。
寺澤さんは、大学教授、兼、路上コンサートもするフォークシンガーという、珍しい生き方をされている。
「私はNPOではなく、NPP=ノン・プロフィット・パースン」なんていうユーモアもあり、曲の合間の話も楽しかった。
また平和への骨のある信念もあり、演奏のノリもいいし、とてもよかった。

丸木美術館のひろしま忌。寺澤満春コンサート

イベントの合間の時間に展示室を見る。
『原爆の図』を最初に見たのは何年前になるだろうか。見るたびに思うことはあるけれど、やはり最初の衝撃は忘れがたい。
企画展では『スマおばあちゃんの夏休み』を開催中だった。
丸木位里の母・丸木スマ(1875-1956)は、1945年に原爆を体験。翌年、夫を失っている。
70歳を過ぎてから嫁である丸木俊のすすめで絵を描き始めた。言葉についても絵についても特別な修養をしたことがないのだが、表現の喜びに目覚めたというのか、以後、81歳で亡くなるまでに700点を超える数の絵を描いた。
『夏休み』と題されて、のどかな花や魚やカニなんかをかいたのどかな絵が並んでいる。
なかでも僕は野菜の絵が好き。ときどき新鮮な野菜を食べていると、自然に「おかげで生かせてもらっている」という感覚をもつことがあるけれど、そんな野菜の生き生き感がとりどりの色で描かれている。

『原爆の図』とのバランスということもある。
子どもたち、位里と俊の作品には、争うことの悲惨、死、苦痛が描かれているが、母、スマの絵には、生きていることの歓び、輝き、明るさが描かれている。丸木スマの絵の展示が加わってから、僕にはこの美術館が行きやすくなった。

テントではボランティアのためのまかないが用意されていた。生のキュウリを切ったのに楊子を刺してあるのが、みずみずしくておいしそう。
混ぜご飯を、クレープみたいに薄く海苔ではさんだのも、食べやすそうだし、海苔がとてもいい香りがする。売り物でないのが残念。来年はボランティアに加わろうか...

日が暮れてきて、灯ろうを流した。

自分が作ったのがある人は、まず自作の灯ろうを持ち、あとその他の人はボランティアの人たちが作っておいてくれたのを持って川岸から流した。
1人づつ川辺に近づいて流しているうちに、夕暮れの暗さが増してきた。
このところ夕立が続いて水量が多いので、灯ろうがゆらゆらと浮かんでいないで、手を離すたびにすぐ流され、一列に去っていく。
丸木美術館のひろしま忌。灯ろう流し

ボランティアが少し下流で待っていて、回収している。
何だか味気ないような気もするが、このまま流してしまったら、どこかでゴミになってたまってしまう。
昼間は暑かったけれど、もう薄暗くなりかけてきている時間になって、流れの早い川の水は冷たそうで、ボランティアの人たちの苦労に、あらためて頭が下がる。

参考: