9月第3週(1) 立正大学ラグビー部激励会


立正大学のラグビー部の激励会に行った。
僕は何ごとにつけ気がつくのが遅いのだが、ようやく数年前にラグビーがおもしろいことに目覚めた。
たまたまわりと近くに熊谷ラグビー場があるので、秋から冬のシーズンには、ときたま芝生の観覧席でのんびり観戦するのが楽しみになっている。
立正大学には何かと縁があるのだが、そのラグビー部が、2004年に関東大学ラグビーリーグの1部に昇格して、後援会が発足したので加わった。

立正大学がある熊谷市はラグビータウンを標榜していて、後援会長は熊谷の老舗の百貨店、八木橋(やぎはし)の社長の八木橋宏純さん。亡くなった僕の母親などは、しかるべき贈り物をするときには八木橋でなくてはと決めていた。このあたりにはそういう信頼をよせる人が多い。
僕はここのデパ地下にはときおり行っても、衣料品はAOKIか無印良品かユニクロなのだが、先だってたまたまテレビに出演することになり、数日間のロケに行くような事態になって、さすがにしかるべきものを着てみようかと、いくつかをここで調達した。

熊谷市長が後援会の名誉会長をされていて、ほかに熊谷を地盤とする国会議員、県議会議員もそろって、すごい力の入り方だと感心した。

監督は堀越正己さん。熊谷工業高校、早稲田大学、神戸製鋼とスクラムハーフで活躍したが、立正大学のラグビー部の監督になってから1部に昇格するまでにチームを育てた。

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熊谷の高校を出て、早稲田でスクラムハーフで活躍した、堀越監督に先行するラグビー歴をもつ宿沢広朗(しゅくざわひろあき)という人がいた。
就職した住友銀行でも、全日本ラグビーの指導でも活躍した人だが、中学、高校と僕は同期だった。
といっても特別親しいわけではなかった。
僕は中学3年生では身長順に並ぶとクラスの一番前にいるくらいに背が低く、やせて、頭の中身もオクテだった。バンカラな風潮の高校に入ってしまって、これからやっていけるのかと頼りない思いでいた。
一方で宿沢は(いちおう同期生のことだから、昔の呼び方のままに敬称略)ラグビーで活躍し、その経験、将来の抱負などを校内の弁論大会で堂々と語って、僕は別世界の人のように眺めていた。

そんな僕でも、高校で遅れを取り戻すように1年に8cmずつ身長が伸びてまずまず人並みになり、たどたどしいながら、恋したり旅したり、いくらか見える世界が広がってはきた−と思っているうちに、もう先が短くなってしまった。
でもあぶなっかしいながら僕にももう少しは人生があるだろうと思っているうちに、宿沢が亡くなったというニュースを聞いた。
突然の死にも驚いたが、赤城山から下山途中というのも意外だった。ラグビーでも銀行でも先端にいて、世界を相手にしているような人だったから、アルプスかヒマラヤでも登っていてならともかく、赤城山といったら子どももハイキングにいくくらいの身近な山だ。登山で命を落としたというより、たまたま心筋梗塞が起きたのが山歩きの道でだったということなのだろうけれど、そんな山だったからなおさら、あんなタフな人がこんなにあっけなく、こんなに早くという、納得しがたい感じが今もする。

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立正大学の食堂で壮行会

激励会は大学の食堂で開かれた。写真の中央で話しているのが堀越監督。
右のほうにテーブルが並び、ポジションごとに選手が囲んでいる。「後援会の皆さんもテーブルについて懇談してください」というのだが、がっしりした選手がびっしりスクラムを組んでいるかのような状態なので入れない。おいしそうなローストビーフに手が届かなくて、未練が残ってしまった...
(といっても、別に選手が意地悪しているのではない。後半にあいさつした人が、こんなにゲストの話をきちんと聞く集まりは珍しいと語ったくらいで、酒がすすんでも乱れない。だからすき間もあかない。)

堀越監督の話では、今年のチームはとても強くて、仕上がりもいいという。
いくつ勝てるか楽しみだ。
熊谷のラグビー場に行くと、宮脇昭さんが大勢の市民と植えた苗木がどんなになったかも見ることができる。

参考: