11月第2週 秋の小川−兜川をたどる


兜川(かぶとがわ)というちょっと珍しい名前の川が小川町内を流れている。僕が近ごろ昼のあいだ暮らしている金勝山から流れて、小川盆地に下り、槻川(つきがわ)へ合流している。
そのあと、槻川(つきかわ)−都幾川(ときがわ)−越辺川(おっぺがわ)−入間川(いるまがわ)と次々に合流していって、最後は荒川にあわさり、やがて東京湾に注ぐ。
延長約7Kmで、起点も合流点も小川町内にあって完結していて、小川という町名も兜川に由来するらしい。

■ JR竹沢駅
兜川は山から流れ出すと金勝山の南側をJR八高線、国道254号旧道と並行していく。
JRの竹沢駅はのどかな小さな駅で、切符の販売機と並んで本棚がある。地元の人たちが持ち寄った本を並べてあって、自由な図書館になっている。
JR竹沢駅 単線の小さな駅

■ 飢饉警告の碑
JR竹沢駅からすぐ下流、国道254号旧道の左側に碑がある。
浅間山の噴火、洪水、干ばつなどの災害のあとの1842年(天保13年)建立で、当時の村の名主が、飢饉に備えてふだんから備えをしておくように戒めた文章を刻んである。
飢饉に備えるように記した石碑

■ 竹沢小学校
埼玉県比企郡小川町木部90 tel.0493-73-1345

JR八高線をはさんで竹沢小学校がある。
俳人、金子兜太さんは秩父の人−と思っていたのだが、若い頃この近くに暮らしていたことがあり、そもそも母の実家が小川で、生まれたのが小川なのだった。
兜太というほかには見なれない名前は俳号かと思っていたのだが、本名で、「名前の由来について、父から聞いたことはないが、母の話によると、自分の政治家の夢を子に託して強そうな名をつけた」(『俳句専念』)という。それにしても、強そうな名として「兜」の字を選ぶには、生地を流れる川の名が発想のもとにあったかもしれない。
1949年(昭和24年)に小川に戻り、金勝山のふもとに一時期暮らした頃、社会はまだ戦後の混乱期だったのに、小川は違っていたことをこう回想している。
 その竹沢は竹沢で、およそ時代離れした環境でした。(中略)
 日曜になると、歯科医の小屋の向う斜面の下にある小学校から、「エリーゼのために」を弾くピアノの調べがきこえてきました。(中略)秋の陽ざしをいっぱいに受けた山間の集落と山畑が、こう書いているうちにも目に浮かんできました。
(『わが戦後俳句史』)

日曜日の竹沢小学校。
左すみに三角形の山が一部見えているのが金勝山。


[7月第4週(1) 利根川と荒川の間]
竹沢小学校の日曜日

■ 流れ橋
川面すれすれの低い位置に板を渡しただけの橋があった。
家の脇から階段を降り、反対側には公園があり、田畑がある。
こちらの家に暮らす人が、向こうの田に行くために作ったのだろうかと推測した。
ちょうど赤ん坊をあやしながら散歩している女性が通りかかり、きいてみたら、推測があたっていた。僕の推理もたまにはあたることがある。

大きな1枚板を2枚、中央の台座にかけ継いでつながっている。
渡ってみると、日射しを浴びたきれいな水のなかを小さな魚の群れが泳いでいた。
開けた田んぼの向こうには金勝山が見えている。
板を渡しただけの橋

■ 小川病院裏
小川病院:医療法人社団宏仁会小川病院
埼玉県比企郡小川町大字原川205 tel.0493-73-2750
 http://www.kohjinkai.or.jp/txt/index_ogawa.html

兜川は、標高わずか260mの金勝山から小川盆地に流れ下る、穏やかな風景の川なのだが、このあたりでは河床の岩がゴツゴツと露出している。
岩石は、近くの金勝山と同じ、金勝山石英閃緑岩という花崗岩の一種。
ところがその岩でできた地層の下は別な種類の、御荷鉾(みかぶ)緑色岩や三波川(さんばがわ)変成岩の地層になっていて、こういうのを根なし地塊という。
小さいとはいえ、金勝山の山そっくりがどこかからの流れ者だということになる。
河床から岩が露出している
地球規模のことになると、秩父の山の中からサメの歯が見つかって昔は海だったとか、大ボラみたいなことがいくらもあるが、山が越してきたというのもすごい。
金勝山では草木におおわれて岩は判別しにくいのだが、この川原ではむきだしになって目にふれ、手でも触れられる。

■ 小川町保健センター付近
埼玉県比企郡小川町角山133 tel. 0493-74-1896

小川町保健センター付近では小川町駅が近いのだが、南側にだけ改札口があり、北にある兜川はいわば裏手になる。
そのおかげか、駅から近いことが信じられないような桃源郷的風景があって驚いた。砂地の林は海辺のようだし、農家の倉は紅葉した枯れ草をまつわりつかせて日曜画家の絵のよう。

● 武州おめん本店
埼玉県比企郡小川町大字下横田675-3
tel.0493-72-1212


昼の時間になり、市街に入ってすぐのうどん屋さんに入った。
町の南部にある仙元山から名をとった「仙元うどん」というのを食べた。
もりうどんに掻きあげ天、きんぴらゴボウなどがついて525円。腹の満ち具合もいいし、そのわりに安いし、気持ちも満ちて、川に戻る。
もりうどんにかきあげやきんぴらつき

■ 東上線踏切
東上線の踏切に向かうあたりは、バームクーヘンのようなふっくらした土手で、のんびりした景色になっている。
春、昼食のあとに散歩したら、寝ころんで昼寝したくなるところだ。

小川町駅からでた上り、池袋方面行きの電車は、まもなく兜川にかかる鉄橋を渡る。
東上線の鉄橋をくぐる

この線が開通したのは1923年(大正23年)。関東大震災があった年だ。
関東大震災は、今ではピンとこないのだが、本当に大事件で、このホームページで関わりがあるだけでも、
・ 詩人、尾崎喜八は結婚のことで父と断絶状態だったが、家が燃えているところに駆けつけ、父と和解した。
・ 本田宗一郎はこれから自動車の社会が来ると予感して焼け跡の街を車で走り回っていた。
・ 幸田露伴、幸田文の親子は、直接の被害は受けなかったが、生活につかう地中から汲む水が濁ってしまい、転居した。
・ 永井荷風にとっては江戸以来の古いよい街が壊滅した運命的な日だった。
そんな年に、この小川町では、こういう大きな事件が起きてもいた。

■ 槻川(つきかわ)合流点
兜川は、国道254号旧道をくぐると南から東へ向きを変え、まもなく槻川に合流する。
写真では、槻川が左向こうからこちらに流れてくる。右から合流しているのが兜川。中央にこんもり木が繁って見えているのは、導流堤の中州で、公園になっている。
水はこのあと次々に合流を重ねて荒川に流れ、東京湾に向かっていく。
兜川と槻川の合流点

川はよく人生にたとえられるが、こんな短い川でも、いろんな味わいがあり、読みどころがある。
大河ドラマとはいかないまでも、小川ドラマとでもいうか、ひとつながりたどってみると起伏のある物語をひとつ読み終えたような気分になった。

● 村田製菓店
埼玉県比企郡小川町大塚1161-2 tel. 0493-72-1325

駅近くに戻って家族にみやげの菓子を買った。
鎌倉時代、小川に住んで万葉集の体系的な注釈を完成させた仙覚(せんがく)にちなんで、小川町内には万葉集の歌が各所に掲げてある。
このお菓子屋さんでは「仙覚万葉の月」という菓子を作った。

黄色い時芋を、紫芋の餡で包み、さらに白い大福でくるんである。
割ってみると黄色い芋の餡が栗そっくり。
食べても栗そっくり。
なにげなく食べた妻は「おいしい栗だった」と。
由来は堅苦しいのに、おいしいし、アレレ感もあって、楽しい。
栗みたいな芋が入った大福

● 武蔵鶴酒造
埼玉県比企郡小川町大塚243
tel. 0493-72-1634


漬物も買った。
小川には造り酒屋が3つもある。
7月に天体プロが3人来てくれたときに、ここにも案内した。
[7月第4週 (2) 天の川の2−3人の「星のひと」]
武蔵鶴酒造の店と蔵

そのとき、「岡部のウリのとてもいいのが手に入った。秋にはおいしい奈良漬けができる」ときかされていた。
11月ではまだ浅漬けの「瓜の押漬け」というものだったが、試食してみるといい漬かり具合でコリコリした歯ごたえがおいしい。この食感をだすのに、数センチの厚さの瓜が、押されて数ミリになっている。
買って帰ると、これも家族に好評だった。
12月にはいよいよ奈良漬けが店にでるという。

参考:

  • 『小川町のあゆみ 小川町の歴史普及版』 小川町 2005
  • 『小川町の自然 地質編』 小川町 1999
  • 『埼玉の自然をたずねて 新訂版 日曜の地学』 堀口万吉監修 築地書館 2000
  • 『埼玉・大地のふしぎ』 埼玉県立自然史博物館編 埼玉新聞社 2004
  • 『わが戦後俳句史』 金子兜太 岩波新書 1985
  • 『俳句専念』 金子兜太 ちくま新書 1999