11月第3週 『神流川紀行』をたどる


この前に行った兜川の流れに沿っては、金勝山石英閃緑岩の山があり、それが河床から露出しているのを見た。その地層の下は御荷鉾(みかぶ)緑色岩や三波川(さんばがわ)変成岩の地層になっているが、その三波石が台風による増水で磨かれ、きれいな表面を見せていると新聞報道があった。
詩人・尾崎喜八が、1938年に神流川のあたりを歩いたことを書いた『神流川紀行』というすてきな文章があるが、読み直しながら歩いてみたいとも思っていたところだった。
紅葉の時期でもある。

■ 下久保ダム
群馬県藤岡市・埼玉県児玉郡神川町 利根川水系神流川

まず三波石峡の上流にある下久保ダムに上がってみた。
ダムは川の流れを1本の直線で区切るのがふつうなのに、ここではL字形。「流れを堰きとめて水がたまっている」というより「L字形の巨大容器に水が入っている」ふうに見える。
容器の中にはたっぷりの水がたたえられている。
外側では、木々が茂る緑色の斜面に人家が点在する。
不思議な風景だ。
下久保ダムが神流湖をつくる

(写真はこのあと行った城峰公園の展望台から)

■ 三波石峡・叢石橋

すぐ下流が、美しい碧色の肌をもった三波石の巨岩が転がる名勝・三波石峡なのだが、1968年にこのダムができると、水流が減り、石は汚れ、草に隠れるようになっていた。地元の人たちが石を磨き、川原を清掃し、かつての美観を回復してきているが、この秋の台風による激しい流れで、いちだんときれいになったと新聞記事にあった。

ダム脇の道を降りていくと三波石峡で、大きなダム体がそびえる下に、細い流れがあり、三波石が大小とりまぜてゴロゴロしている。ちょっとした小屋ほどの巨大な岩もある。かつてはこんな大岩が転がってくるほどに激しく流れることもあったわけだが、今は直前のダムがさえぎっている。
三波石は、うすい碧色の肌が美しいが、かわった色のもの、縞模様のはいったものなどもある。
川岸の紅葉した木々と、うすい碧色の石が、いい対照になっている。

叢石橋という橋を渡る。今はコンクリートに鉄のワイアが張ってあるが、尾崎喜八が歩いたころは「簡単な釣橋」だった。

三波石峡 叢石橋

■ 城峯(じょうみね)公園 

坂道を上がってダム脇まで戻り、車に乗って、初冬の花見に寄り道した。城峯公園は冬桜で知られていて、ここはたくさんの人出だった。
山の斜面に冬桜が白い、小さな花を咲かせている。
展望台に上がると、下久保ダムの全景が眺められた。
城峯公園の冬桜

■ 三波石峡・登仙橋

鬼石(おにし)方面に道を下ると、三波川を登仙橋で渡る。
ここも尾崎喜八が「釣橋」があると記したところで、僕は逆にたどったことになる。
登仙橋

 やがて豆腐屋のお爺さんの教えてくれた釣橋というのが街道の左下へ現れた。これは谷の右岸の埼玉県側へ通じている橋で、登仙橋と書いてあった。後で見たのだが此の橋から尚三四町ほど先にもう一つ叢石橋という簡単な釣橋があって、此の二つの間の谷が有名な三波石の勝地になっているらしい。(『雲と草原』)

橋を越えてから近くに車を置いて、細い道を上流まで歩いてみると、まもなく川原に降りる階段があった。
尾崎喜八は三波石峡の様子をこう書いている。
さすがに此の谷の岩石は見事だった。あらゆる植物が冬枯れた今の季節では、其処は全く石ばかりの世界、天然の石の庭だった。
僕が眺めたのも、ちょうどこんな景色だった。
うっすら寒い日。深い狭い谷には日が射していない。
谷底にぼーと碧色をした大小、さまざまな形をした三波石が転がり、その間を水が流れ下っている。

■ 鬼石町

このへんには独特の語感をもった、かわった地名が多い。
群馬県富岡市生まれの画家、福沢一郎は、
住居付はスモウツクと読む。奇名の多いこの地方でも大関格といってよい。その住居付へ、これも珍名乙母から出掛ける。(『福澤一郎の秩父山塊』)
と書いている。
乙母はオトハであり、対になった乙父=オッチなんていうのもある。
鬼石はオニシで、2006年に藤岡市に編入になる前は、鬼石町があり、本庄方面から三波石峡に向かうには、この町を通った。
ここへも僕は『神流川紀行』とは逆にたどってきたことになるが、尾崎喜八は本庄からバスでまず鬼石に入った。
 バスを降りて、打水の氷った午前十時の鬼石町の本通りを五六歩行くか行かないうちに、ところどころで起っている小さい旋風に気がついた。からからに乾いた往来を擂鉢大の塵の渦がいくつもいくつも、まるで生き物のように右往左往しているのである。(『雲と草原』)
これが塵の渦でなく草なら、まるで西部劇。さすらいのガンマンが無法者に支配される町に着いたところみたいだ。

● やまぶき
昼食には、ちょっとかわった雰囲気がありそうな店に入ってみた。
テーブルや椅子がゆったり置かれている。
入口近くにガラスケースがあって、うのはな、ふろふき大根、揚げ出し豆腐なんていう総菜が、いろいろ並んでいる。
鬼石町の食堂、やまぶき

やまぶき定食というのを注文した。トリとキノコがはいったうどん、ご飯、お新香に、惣菜のうち1品、サヨリのフライがついてきた。
食べていると、食事の客のほかに、ときおり惣菜だけ買っていく人もいた。
親密な感じが落ち着くし、おいしく、過不足ない昼食になって、いい店を選んだ、と満足する。

■ 藤岡市鬼石多目的ホール
群馬県藤岡市鬼石158 tel. 0274-20-3011

今日のもう1つの目的地がここ。
尾崎喜八の『神流川紀行』をたどるには、万場方面に向かいたいところだが、これを見たいために、万場行きは別の日の楽しみにしておく。
群馬県では公共建築を作るのに公開設計競技をいくつかの施設で実施した。

僕は、2003年の公開最終審査も見、工事途中にも、一度見にきた。
公開設計競技の狙いは、公共建築が住民の多くが知らないうちに建ってしまうことがないように、建設の前段階から住民が内容を知り、意見をいえるようにと考えられた。
設計競技では妹島和世建築設計事務所の案が選ばれた。
工事中も、進行具合を眺められるように、足場を組んで見学場所が用意してあった。
完成は2005年。
鬼石多目的ホールの工事中の写真

軽やかで、明るい、透明な建築ができあがっていた。
大きなボリュームの建物を作ってしまうのではなくて、不定型な曲線の外形をした3つの棟がゆるやかに隣り合っている。
管理棟、体育館のようなホール1とトレーニング室の棟、観客席のあるホール2の棟がある。
大きな建物がほとんどなくて、全体的に低い街並みを乱さないように、どの棟も1階の高さに抑えてある。でも、ホール1は、近づいてみると外からは想像できないほどの大空間が掘り下げて作ってあって、目が驚く。

鬼石多目的ホール:外観 鬼石多目的ホール:掘り下げて大きな空間を作っている

でも僕にはどうもこれはここではしっくりしない、大都会にふさわしい建築のように思えた。
軽やかでいいというより、何だかたよりない。
地域に暮らす人たちがこの建築に親しみ、なじみ、愛着をもつだろうか。
僕がいる間に見かけたのは、社交ダンスの練習のほかには、トレーニング室を使った男性1人だけだった。
建築を見学にきた建築関係の学生らしいグループは幾組もいたから、さすが妹島建築だが、まちがにぎわうほどに人が集まるものではない。
これからどうなっていくか、僕のところからはそう遠くないから、また来てみよう。

施設の名称は「藤岡市鬼石多目的ホール」とごくまっとうな説明的名称のままで、うっかりすると軽薄になってしまう愛称みたいな名前よりいいと思う。
でも合併したので、地域の人たちが「鬼石」の文字を残しておきたかったのかもしれない。

● ヤマキ醸造 糀庵売店
埼玉県児玉郡神川町阿久原955 tel. 0274-52-7000
http://www.yamaki-co.com/

「藤岡市鬼石多目的ホール」の受付の人と話していて、近くにおいしい豆腐の店があると教えられた。
道をきくと、神流川を渡って埼玉県の神川町にある店なのだった。
大きな川で河川敷も広かったりしたら、対岸の他県の店を勧めることはないだろうが、このあたりでは、「埼玉県の人が○○に行くには群馬県を通ったほうが早い」みたいなことがよくあるらしい。
豆腐とがんもどきと納豆を買って帰った。

参考:

  • 『雲と草原』 尾崎喜八 朋文社 1938
  • 『福澤一郎の秩父山塊』 池内紀編・解説 五月書房 1998