2月第2週 京橋で映画『すべての些細な事柄』 


■ 『すべての些細な事柄』 La moindre des choses
監督:ニコラ・フィリベール 撮影:カテル・ジアン ニコラ・フィリベール
編集:ニコラ・フィリベール 1996年 105分
出演:ラ・ボルドのみなさん ジャン・ウーリー


前の週に『水になった村』を見に行き、監督の大西さんの話をきいた。
この映画の撮影の話のあと、今している仕事として、精神病院の患者を撮影しているということだった。

たまたま銀座テアトルシネマでニコラ・フィリベールが監督した映画を集中的に上映する企画があり、精神病院で撮影した映画『すべての些細な事柄』が上映されている。
初公開のときには行き損ねていたのだが、ようやく見ることができた。
東京高速道路の向こうにテアトルビル

銀座テアトルシネマが入る、菊竹清訓設計の白いテアトルビルの前の歩道には、京橋の橋柱がポツンとある。
下を流れていた京橋川(きょうばしがわ)は、 江戸時代に開削され、桜川などを経て隅田川に入る。
1959年に水の流れる京橋川は消滅し、埋め立てられた上を東京高速道路が通っている。

写真:京橋の橋柱。左が元・京橋川だった上を走る高速道路。右がテアトルビル。
京橋:高架を走る高速道路と、菊竹清訓設計のテアトルビルに、はさまれている

患者たちはすばらしい環境の中で過ごしている。
病院に庭があるというより、広い森に病棟(というより宮殿とか小屋)が点在している。
医師、看護師、患者の区別があいまいで、映画ではとくに説明もないから、医師が画面に映ったかどうかさえ定かではない。どうやら治療側の人らしいとわかっても、医師ではなくて、音楽など特殊な分野で関わるスタッフかもしれない。
患者が病院としての電話の応対にでていて、こういう面でも役割が明確に区切られていない。

ゆったりし共同体で、ゆったりした時間が流れ、人と人の関係もゆるやかでのびやか。
僕は南画の世界に暮らしたいと思うことがよくある。人里離れた質素な小屋に住んで、晴耕雨読で過ごす。ときおり親しい友人が訪ねてくれて、とりとめなく語りながらホンノリ酔う。
この精神病院はまるでそんな南画を思わせさえする。
こういうところなら入院してもいいかな。

毎年芝居を屋外の舞台で上演するのが、ここでの大きな出来事で、演目を決め、出演者を決め、セリフを覚え、音楽を練習する。
終盤、練習を重ねてきた芝居が上演される。
ここで驚かされるのは衣装やメーキャップが本格的なことで、貴族のかつらや豪華な衣装まで、しっかりしたものが用意される。
僕がアルバイトした精神病院でもクリスマスの集いなんかがあったが、造花やオモチャで飾るくらいだった。

この様子を映画は淡々と撮っていくのだが、一見淡々となのに、実はややこしい。
身体の障害はその人の身体の痛みや不都合になって現れるが、僕が精神病院で働いた経験として、精神障害は、病態はいろいろあるにしても、社会の中では関係の障害となって現れると思ったものだった。
とくに統合失調症の患者の、硬い、拒絶的な態度は、病気だからとわかっていても、対していてつらくなることがあった。

対人関係で混乱を生じている精神障害者に演技をさせるというのは、なかなかな企みだし、その上演までの過程をさらに映画に撮ろうというのだから、2重3重にひねっている。
この映画の批評をみると、精神病院での穏やかなささやかな事柄をとおして、精神の回復が描かれる、みたいなのが多い。
でも僕にはそう単純な見方はどうも違うような気がした。
ひねった思いこみをしすぎるかもしれないけれど。

この病院はパリから南南西に離れたところにあるクリニック・ド・ラ・ボルド。
精神科医ジャン・ウーリーと思想家・精神分析学者フェリックス・ガタリが1953年に設立した。
映画を見たあとで、ガタリが関わった病院だと知った。
ガタリはジル・ドゥルーズと組んでいくつもの著書を書いた人で、僕はなまかじりな理解でガタリの文章を持ち出して短い論文もどきの文章を書き、印刷物にのせたことがあった。
ガタリが関わっているのは、それなりに特異で確固とした根拠があって運営されている施設で、映画ではとくに説明はないけれど、これはフランスでも特異な精神病院でははいかと思う。
「舞台と客席をつつむ至福の一体感」、「たまらなく魅力的なラ・ボルドの住人たち!」といったこの映画に関わる賛辞の大きな部分は、この強固な哲学に裏打ちされた精神病院の運営じたいに帰すべきものに思える。映画の評価にあたっては、もともとの病院が達成しているものと、映画が達成したものとは、区別して考えるべきものだと思う。
もちろんそうした精神病院の達成をさわやかな映像にして見せてくれるフィリベールの映画づくりはたいしたもので、いくつもの些細なシーンが忘れがたい記憶として残った。

■ 『動物、動物たち』 Un animal,des animaux
監督:ニコラ・フィリベール 撮影:フレデリック・ラブラス ニコラ・フィリベール 編集:ギィ・ルコルヌ 1994年 59分

1か月にわたるニコラ・フィリベールの集中上映があった機会に、この映画も見た。
25年間も閉鎖されていた、パリにある国立自然史博物館の再生、公開にいたる時期を撮影したドキュメンタリーで、この新・博物館の開館は1994年のことだが、僕は2002年に行った。
おおいに感嘆したのだが、とくにほ乳類の大型剥製が大行進する形に展示された「進化の大ギャラリー」は圧巻で、そこに身を置いて、建築を見、展示を見、その時間を体験するというのは、すばらしい衝撃だった。
古い建築の外皮、骨格を残して、新しい展示スタイルを装備する。
かなり暗い空間に、修復した多数の生物標本を配置し、さすがにフランス!なシックな照明を最新技術を駆使して演出する。
とても去りがたく、生きているうちにここにこられてよかった、と、とても感動したのだった。

その博物館の誕生前を撮影した映画だから、どのようにしてその空間が作られたかを知ることができるだろう。あの空間のことだから、映像としても魅力的なことだろう。どんなふうに撮っているだろうか?

と大きな期待をもって見たのだが、期待とは違った。
タイトルにあるとおり、動物の復元をテーマにしていて、建築的にどう空間が作られたかは製作意図にはないのだった。
そうなると、博物館の開館前の準備作業は、どこの博物館でもこんなもんだろうという感じで、とりわけここではこんなことがあった!というほどの感銘はなかった。完成後の「進化の大ギャラリー」の映像もほんの1ショットだけで、期待はずれといってはわるいが、僕の期待が的はずれだった。

参考: