3月第2週 槻川の桃源郷−霜里農場 


小川町には有機農業で先進的な生産を続けてきた農場がある。
隔月で見学会がある機会に見学に行った。
11月第2週 秋の小川−兜川をたどる]で、兜川が槻川(つきがわ)に合流する地点まで歩いたのだが、そこから1.5キロほど下流、槻川の流れが南東から南西に向きを変えるほとりにある。
東には仙元山、槻川を隔てた西側には和具山という2つの山にはさまれているが、山は低いし離れているので、谷間の暗さはなく、むしろのびやかな眺めになっている。

農場の隣は小川小学校下里分校で、今は休校していて、生涯学習の施設として使われている。
平屋のこぢんまりした校舎で、鉄棒や朝礼台など、懐かしくなるような風景のなかで、近所に住むらしい若いおかあさんが小さな子どもを遊ばせている。
小川小学校下里分校。懐かしい学校風景。

■ 霜里農場(しもさとのうじょう)
埼玉県比企郡小川町下里809
http://www.knet.ne.jp/~simosato/


金子美登(よしのり)さんが36年前に有機農業を始めた。
今でこそ時代の要請にぴったりだが、当時は冷たい目で見られたという。
有機農業は今は世界共通の課題で、先進国では農薬を使わないとう安全性、途上国では農薬を買いたくても貧しくて買えないという経済性の、両面から注目されている。
金子さんが作る安全でおいしい生産物はなかなか手に入りにくいくらいに人気があり、また有機農業のノウハウを学ぶ人が多く訪れてもいる。
時代に先行する人の苦難と栄誉を負ってこられた。

はじめに話を聞いた。
穀物の自給率が低いこと、農薬の多用をすすめるかのような施策、牛や豚が病んでいて、しかも肉は出荷されていること、など。
食は命のもとなのに、命を大切にしない政治がおこなわれている。
現状の認識と先の見通しをもって根本的な政策を組み立てることをしない。

ここでもかという思いがする。
僕はしばらく美術館、博物館に関わり、そこで見てきた文化のことがそうだった。
環境のこと。宇宙開発のこと。医療のこと。そして農のこと。
大江健三郎が悲観的になりながら、でも何とか希望をみいだしたい思いをこめていう「このような日本人でないところの日本人へ」という言葉が幾度も思い浮かんでくる。

でも憂いてばかりいてもしかたがない。
希望がないわけではなくて、金子さんのような先を見通した人の実践がある。
後半は農場を案内していただいた。

堆肥−ほとんど匂わない。
木を燃すボイラー−これで床暖房と給湯をしている。
ガラスの温室−ビニールを使わない。(右の写真)
イチゴには、無農薬で栽培するノウハウを開発してきた。
除草剤を使わずに草を生やさないようにするノウハウも年月をかけて獲得した。
霜里農場では温室をガラスで作る

あいがもの飼い方に感銘した。
春、小がもを70羽くらい手に入れる。畑の草を食べさせ、つまり除草作業を担わせる。1年育てて、そろそろ町内のレストランに食用としてまわる。あいがもは1年ごとに更新することになる。
残酷なのではなく、子供の教育にもいい。生命をもらって生きていることを学ぶ。米や野菜についても、命をもらって人が生きていることは同じなのだと。

牛が3頭。竹林で生まれた牛には「かぐや」と名をつけている。 霜里農場の黒牛

循環型社会とよくいうけれど、この1軒の農家のありようを見ると、それがどういうものか実感的にわかる。
有機農業というのは、単純に昔ながらの耕作方法に戻るのではなく、それを基盤にして、新しい技術をとりこむ。完全な自給自足はできないからインターネットなどの通信手段を駆使して適度なネットワークを作って結びついていくことかと思った。

帰り道、低い土手を越えて槻川のほとりにでた。
仙元山に日が落ちようとしている。
川の水は空を映して、空色に明るい。
この流れは入間川を経て荒川に合流し、やがて東京湾に注ぐことになる。
槻川(つきがわ)の水面に里山が映る