3月第4週 映画館捜し−寄居の銀映 


寄居に長く住む人と話していると、むかし映画館があったと懐かしそうに話すのをよく聞くことがあった。
2館あったが、1つはすっかり建て替わって近代的な病院になっている。
もう1館は、正喜橋の近くにあり、かつての映画館の名前を残して銀映建材という。
古い建物も残っていそうで気になったまま何度も通り過ぎるばかりだったが、このところ映画を見てきた流れで、映画館のころの様子がわかるかもしれないと、ようやく思い立って話を聞きにうかがった。

■ 銀映建材
埼玉県大里郡寄居町

今、建材店を経営される加藤茂雄さんが高校生のころまで映画館として続いていたという。
その加藤さんのお話:

駅前通りが桑畑で、町の8割方が農業をしていて、楽しみは芝居見物くらいだった。
前は芝居小屋で、その小屋を中心に食べ物の店が並んでいた。芝居小屋がにぎわいのもとになっていた。
映画を上映するようになってからも、どさ回りの劇団が回ってくると芝居をかけ、映画と芝居の時期は重なっていた。
昭和47年ころから客が減った。1日10人くらいとかで、経営のことにかかわらない自分は、のんきにダルマストーブでイカを焼きながら客と一緒に映画を見ていた。
秩父の上石(かみいし)さんと営業上のつながりがあった。
(先週『『オリヲン座からの招待状』を見がてら行った映画館だ)
昭和50年頃まで営業していたが、前から兼業していた建材業に専念することにした。
父は映画館を閉めるとき泣いていた。
挨拶状に、映画館を終わらせるのではなく、「しばらく休ませてもらいます」と書いた。
その父は平成9年に亡くなった。
「いつかまたやってみたい」とポツリと言ったのを今でも覚えている。


図面などを書き慣れているお仕事だから、サラサラと絵を描きながら説明されるので、とてもわかりやすい。
あたりまえのように、北を示す「→N」を記すのが、職業柄さすがだと思う。
通りに面して入口があり、ロビー、客席、小さな舞台と並ぶ。舞台奥にはスクリーンがあり、舞台前面では幕が降りるようになっている。
U字形に2階席が取り囲む。
舞台に向かって左奥にトイレ。
客席の両側にダルマストーブがあった。

説明に使われた手書きの見取り図

実際に中を見せていただいた。
映画館の外枠は残っているが、中は建材置き場になっている。
それでも、2階の客席がU字形に取り囲むつくりや、コンクリートの壁で仕切られた映写室など、おおまかな構成は今でも見てとることができる。
舞台には赤い幕が残っているし、客席の天上中央に吊された照明もおしゃれなデザインのもの。
入口付近は、壁を取り払っていたりして、だいぶ様子がかわっているが、ここが切符売り場、ここにもぎりの人がいて、ここに売店があった、というような説明をきいていると、かつてここに芝居や映画を見に来た人の期待や興奮に満ちたにぎわいが思い浮かんできた。

先週見た『オリヲン座からの招待状』は、後半が長くて退屈なもので、ストーリーから離れてぼんやりとりとめのないことを思っているうちに、映画館は教会のようなもの−という考えが浮かんできた。
一方向に向かって座席が並ぶ様子は教会とそっくり。
前には光り輝く画面があって、居並んだ人たちは、人生の喜びや、悲しみや、ときには残酷や、奇跡や、驚異やが示されるのを眺める。
教会には日曜の礼拝に近在の人が集まり、人のつながりを結ぶ役割も果たしていたろうが、かつて小さな町の映画館も同様に人を呼び寄せ、ハレの日の出会いのみなもとになっていたことだろう。
映画館を経営することには、人のつながりを担う司祭のような自負と誇りがあったかと思う。

資材を整理したり、必要な補強などをすれば、ここで映画を上映することは、物理的には可能なようだ。
加藤さんも、父の最期の思いをかなえてあげたいという思いがあり、ここで映画をもう一度かけてみたいといわれる。
加藤さんの、いつか実現したい夢。
町の人にとっては、かつて映画館で見た夢の復活。
深谷シネマのように常設の営業は難しいとしても、秩父国際劇場が2日間だけ映画館としてよみがえったように、いつかここでもひとときでもスクリーンに映画が投影されることがあったらすてきだと思う。

今は前を通っても映画館のおもかげはない。
わずかにのぞいている三角形が映画館当時の建物だが、ほとんど隠れている。
いつか映画館としての姿をふたたび現すことがあるといい。

銀映建材の正面−映画館の様子が外からは見えなくなっている

■ 水上勉 『銀の川』
2,3週間前だったかに、小川町立図書館に本を探しにいった。
目的の本が書架になくて、司書の方にたずねると探しにいってくれた。
待つあいだに近くの文庫本の書架を眺めていると、『銀の川』というタイトルが目にはいった。
手にとってみると、水上勉の小説で、寄居が舞台になっている。
このところ、できすぎたような偶然がよくあるので、そもそも偶然というものはなくて、一見偶然にみえることでも実は必然なのだと思うようになっているが、またその実例にであった。

正喜橋の近くの「翠光園(すいこうえん)」に宿をとった女が、夕飯前に外出して、対岸の玉淀の崖から突き落とされて死ぬ。その時間ころ、見なれない男が歩いていくのを建材店の主人が目撃していた−というのが話の発端になっている。
では宿は京亭で、建材店は、これから話を聞きにうかがう予定の銀映建材だろうか?

本は絶版になっているので、古本を手に入れ、銀映建材に伺った日にお持ちして、この小説のことも尋ねてみた。
これについても加藤さんはスッスッと地図をかきながら説明された。

小説が連載されたのは昭和35年(1960年)ころ。
銀映前の通りは、吊り橋だったもとの正喜橋にまっすぐつながる道だが、昭和32年(1957年)、50メートルほど下流に新しい鋼製桁橋が作られた。
今、銀映前の通りは、川岸にでることはなくて、その後作られた山車(だし)庫に突き当たる。(その裏に橋脚跡が残っている。)
小説でも、とくに吊り橋とは書かれていないから、架け替えられたあとの正喜橋と思われる。
吊り橋だった橋の手前、銀映から歩いていって左側に「昭和亭」という宿があった。当時、京亭はまだ宿や料亭としての営業をしていなかったし、「昭和亭」が小説の宿になる。
建材店については、銀映建材の開業前だから銀映建材ではない。
「つかや」という燃料店があり、セメントなども置いてあったから、それを作家が建材店としたかもしれない。
なるほど。今の街の様子からだけ判断したら間違うところだった。


● 田なべ
埼玉県大里郡寄居町大字寄居1231-4
tel. 048-581-1251


気になっていた建材店の奥に映画館が潜んでいるのを発見し、小説の疑問も−水上勉に確認したわけではないから100%確実とはいえないが−ほぼとけた。
少し昂揚して、帰り道、寄居駅近くのやきとりの店に寄った。
「やきとり」といいながらじつは「やきとん」で、東松山が名物になっているが、発祥の地はじつは寄居だという。
この店では、何よりもそのカシラがいちばんのウリ。
店の主、田邉宜則さんと映画館の話をしていたら、カウンターにいた男女の男のほうが、「行ったことがある、ダルマストーブがあったっけ」と懐かしそうに話に加わってくる。
店の主はシブく苦み走ったいい男で、高倉健にツクネやシイタケを焼いてもらっているような気分になる。またじっさい高倉健が演じることが多い役柄そのままに情理をわきまえた人で、僕は畏敬の念をもっている。
寄居の地酒、白扇の酔いがうらうらとまわってくる。

参考:

  • 『銀の川』 水上勉 角川書店 1961
    『銀の川』 水上勉 角川小説新書1963
    『銀の川』 水上勉 集英社コンパクトブックス 1970
    『銀の川・赤い燈台』 水上勉 実業之日本社 1978
    『銀の川』 水上勉 角川文庫 1981
    繰り返し新しい版がでている。よく売れたようだ。
    寄居の住人でも知らない方が多いので、次々に古本を注文してお渡しした。
    おかげで全ての装丁を見ることになった。
  • 3月第3週 秩父で映画『オリヲン座からの招待状』
  • 9月第2週 京亭で鮎を食べる