4月第5週 利根川の合流点ウォッチング 〜渋川から高崎 


渋川市美術館では高橋靖史展、高崎市内3会場では「アントニン&ノエミ・レーモンド展」、群馬県立近代美術館では磯崎新展を開催中。
ちょうどそれらに沿って、前から気にかかっていた合流点が並んでもいるので、川とミュージアムをいったりきたりするコースをたどることにした。

> 吾妻川→利根川

渋川市街の北で、南下する利根川に、吾妻川(あがつまがわ)が北西から合流する。
川の流れがYの字を描く合流点の、左から近づいていった。砂利の採取工場らしい作業場になっている。
Yの字の中央上、三角形の土地に渡る細い橋があった。車がすれ違えないほど狭い。
渡った先はふつうの土地で、畑があり、木が繁り、人家がある。
東京電力の水利施設があるのが、ふつうと違うくらい。
先端部分に歩いていって写真をとった。
左から向こうへ利根川、右から吾妻川が合流している。
ポツンとある1本の木が目立つ。
吾妻川が利根川に合流する地点。

吾妻川方向、すぐ上流には広い吾妻新橋がかかっていて、榛名山が眺められた。
上流では名勝・天然記念物の吾妻峡まで水に沈める八ッ場(やんば)ダムを工事中で、完成するとここに流れてくる水の様子もかわるかもしれない。

■ 渋川市美術館「高橋靖史展 レイヤーワーク」

市街に戻って群馬銀行の出張所と同居している渋川市美術館に行った。
ここには2006年の古郡弘展以来だ。

展示室内に10体ほどの人体が立ち、あるいは吊るされてある。人体は、等高線ごとに型を積み上げた地形模型のように作ってある。まず人体を外科用ギブスで型取りし、それをもとに足から頭まで、5ミリ刻みに段ボールで形を作って重ねて、接着する。
段ボールはザラっとした質感がある。メラメラした断面を近くから見おろすと不気味なくらいに、材料に特徴がある。
ところが、歩くなりして視点をかえ、水平方向のある点から眺めると、スっとほとんど透明になってしまう。
不思議で新鮮で驚かされる。
ガラス窓を背景にしているので、光が段ボールの断面の小さな孔をぬけてきて、軽やかで透明な印象がいっそう強められている。
段ボールの人体は、見る角度によっては透明人間になる

作るのにはローテクな手仕事の手間をかけているのに、形を描くドットの数を減らしていけば半透明になるだろうというデジタル処理的・映像的感覚もあって、トリックをしかけられたような快感がある。
高橋さんは人間・主体と世界・外界の関係を表現してきて、展示を見るたび、日常的見方をクルっとめくられる、という感覚を味わうのだが、今回も楽しかった。
前にこの美術館で見た古郡弘展は、ビル内にこんな!と呆れ、心配になるほど大量の土や木材をもちこんで集落と街路ができていた。今回の展示は、材料の重量比でいったらほとんど1:∞かというほどで、落差の大きさもおもしろかった。

僕にとっては、美術表現ということを離れて、もっと生活レベルの感想として、気怠い体や憂鬱な心をかかえていても、あんなふうにスッとすきとおってしまえたら楽だろうと思った。
また、最近読んだ『魂の重さの量り方』という本に興味をもったものだから、さらにとりとめなく連想がさまよってしまった。
20世紀の初め、アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは、魂がもし存在するなら物質的実体としての属性をもっているはずと考えた。科学的に実証するために、死にかけている人の体重をはかる装置を用意し、死の瞬間に体重に変化がおきるか実験した。(技術的にも難しいが、倫理の問題として、実験に理解をえるのも難しかったようだ。)
最初の実験では体重が減り、傾いた秤を平衡に戻すのに1ドル銀貨2つ分の錘が必要だった。
では1ドル銀貨2つ分の重さをもった魂が体を離れたのか?
でも実験を繰り返すと違う結果もでてしまって、確かな結果にはいたらなかった。
著者のレン・フィッシャーも明快な結論をいってしまわないのだが、エネルギーのことを対比的に示している。エネルギーは光や電気や熱に形態をかえて存在する(と考えられ)、見たことも触れたことも重さを量ったこともないのに、近代の科学者は信じている。
高橋さんが作った段ボールの人体は、塊として見える角度から見れば、軽いとはいえ、確かな実在感があって、内臓や脳みそが詰まった人体からそう遠くないし、どこかに魂も潜んでいそうでもある。
でも、デジタルに輪切りにデータ処理されたかのようなスカスカの角度から見ると、魂はどこにいってしまったろうかと気になってしまった。

などと、とめどないことを思いながら、異空間のような展示室内をしばらく浮遊した。

* 会期途中には未完だった図録を注文しておいたので、後日送られてきた。
高橋さんがすばらしい文章を記されていた。

いつか高橋さんは「日本では、意味性の強い作品は機能しなかった」といわれていた。意味性が作品として機能しないなら、自分の言葉で意味を語らなくてはならないという思いがあるのかもしれない。
しかも、その文章は観念的でも難解でもない。やさしい日常語があるのに、わざわざ難しい漢語におきかえなくては気がすまないかのような美術評論家の解説文よりよほどわかりやすい。
また、作品が、なにかしらの観念の絵解きになっているのでもない。
難解でひとりよがりで突き放すような作品を作るのではなく、きちっと伝わるように明確な言葉まで用意し、しかも絵解きに堕しているのでもない。ずいぶん困難なことだろうと思う。
(なのに僕は魂などをもちだしてあやふやにしてしまっている。すまないような気分になる。)

> 碓氷川→烏川

高崎市街から観音山方向へ和田橋を越える。
広々とした河川敷に運動公園があり、グランドの外でもキャッチボールをしている人たちがいる。
カワウが多いらしく、流れにはペットボトルをつないで浮かべてあり、川岸にはかかしを立ててある。
烏川がサラサラと軽やかに流れてくるところに、左から碓氷川が流れこんでいる。
碓氷川の少し上流には少林山達磨寺があり、ドイツから逃れてきたブルーノ・タウトが井上房一郎の世話で暮らしていた。大嵐で田畑が水におおわれたときには、タウトが住民にバケツを贈ったということもあった。

Yの字の合流点の左側、小石がころころしている川原に座って、コンビニで買った弁当とペットボトルのお茶で昼食にした。
耳をすませば水の音。
見上げればおだやかな日射しに、開けた空。
(向こうからこちらに烏川。左から右下に碓氷川。)
碓氷川と烏川の合流点。石ころが転がる広い河原。

■ 高崎市美術館 高崎哲学堂 群馬音楽センター
   「アントニン&ノエミ・レーモンド展」


神奈川県立近代美術館で開かれたアントニン&ノエミ・レーモンド展が、レーモンドに縁が深い高崎でも開かれた。神奈川でより展示物が少なかったようだが、こちらには高崎哲学堂や群馬音楽センターという実作があり、直接に人物を知る人、建築に関わった人がいる。
群馬音楽センターの壁のフレスコ画を制作した画家の石沢久夫さん、レーモンド事務所にいた建築家三沢浩さんの講演会などがあったのだが、日程があわなくて参加できなかった。
この日、群馬音楽センターに寄ったときは、見学会があって、コンサート会場内をデジカメで撮影する人たちがいた。

■ 群馬県立近代美術館「蘇る美術館」「磯崎新 七つの美術空間」

磯崎新さんが群馬音楽センターの設計にあたったのは井上房一郎のすすめによる。
最近また増築があって、磯崎新−群馬県立近代美術館は長い、幸福な関係にある。

> 神流川→烏川 烏川→利根川

神流川が烏川に合流するところは2つのゴルフ場にはさまれていて近づけなかった。
烏川が利根川に合流する地点は、もう群馬県をはずれて埼玉県本庄市になる。
地図を見ると中の島がいくつもちぎれ雲のように点在していて、実際の景色を眺めるのを楽しみにしていたのだが、日暮れが迫っているし、足元が悪くて歩きにくい。

土手からの遠望だけで今日は引き返した。
向こう岸に上武大学らしき建物群が見えていて、あちらからのほうが眺めるのに適しているかもしれない。
烏川と利根川の合流点は草原のはるか向こうに眺めただけ

参考:

  • 『羊膜としての彫刻 主体と世界をつなぐメディウムとしての彫刻に関する思考と実践』 高橋靖史 「高橋靖史展 レイヤーワーク」図録所収 渋川市美術館・桑原巨守彫刻美術館 2008
    『YASUFUMI TAKAHASHI』Southern Alberta Art Gallery 1998
    『フーガ 特集・奔れ!タカハシ』(株)コンパス・ポイント 2002
  • 『魂の重さの量り方』 レン・フィッシャー 林一訳 新潮社 2006
    WEIGHING THE SOUL:The Evolution of Scientific Beliefs,Len Fisher,2004